時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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67話

★〈支援会話:ジェラルト〉

 

 フロルが釣り竿を軽く振る。

 ちゃぽんと軽い音を立てて、浮きが水面に浮き沈みした。

 フロルとジェラルトが並んで釣り糸を垂らす。

 今日の釣果は良くなかった。

 その後ろではベレスが眉間に皺を寄せながら本の頁をめくっていた。

 こうして三人でいると、フロルはいつも思う。

 俺はここにいて良いのだろうか?

 

 ジェラルトがぼそりと呟いた。

 

「俺の娘が聖騎士か。

 なんだか長い夢を見てる気分だな」

「遅すぎたくらいだと思いますけどね。

 元々宙ぶらりんな地位でしたし」

 

 士官学校の元教師という肩書は、軍を差配するにはあまりに軽い。

 フロルがその場にいれば良いが、いなければ軍権で貴族と揉める。

 大司教代理補佐という地位が急遽作られたものの、それでは不十分だった。

 やはり正式な地位が必要だということで、聖騎士の位が授けられる予定だ。

 

「といっても、今の先生じゃ、

 とても聖騎士を名乗れる教養がないんですけど」

 

 フロルが後ろに目をやるとベレスが本から視線を上げた。

 

「ううん……無理かもしれない」

 

 ベレスが持つ本は教会の教義について哲学にまで踏み込んだものだ。

 聖騎士とは、教会の象徴と言っていい。

 隔絶した戦闘力だけでなく幅広い知識と教養が必要になる。

 聖騎士カトリーヌは粗暴に見えて、話してみると教養の深さに驚かされる。

 元はカロン家の貴族令嬢なのだ。

 

「……貸してみろ」

 

 ジェラルトが手を伸ばして本を奪うように取り、目を細めて読み込む。

 

「ああ、ここか。

 俺も昔さっぱりわからなかった。

 だが、こんなもの屁理屈捏ねているだけだ。

 女神が全能じゃねえのは創世記を読めばわかる。

 力が邪を呼び寄せるとも知らずに、ってな」

 

 ベレスが目を見開いた。

 ジェラルトが気まずそうに頬をかいて、本を返した。

 

「なんだ?」

「ジェラルトがそういう話をしているところ、

 一度も見たことがなかったから」

「……悪いな。

 俺はずっとお前を教会に関わらせねえようにしてきた。

 だがそのせいで、

 母親のことも、自分のこれまでのことも、

 何一つまともに話してやれなかったな」

「後悔しているの?」

 

 ベレスの問いにジェラルトが水面に映る自分を見つめた。

 

「そうかもしれん。

 こうして、レア様に取っ捕まって、

 お前が教師にならなければ……。

 笑うことも、涙を流すこともなかった。

 シトリーにしてやれたことをお前にしてやれなかった」

 

 二十年、ただ傭兵であることを教え続けて来た。

 定住できず、年頃の友人を作る機会もなかった。

 それがシトリーとベレスの差だったというのなら。

 教会の中にいた方が良かったとさえ思える。

 ベレスが柔らかく微笑んだ。

 

「自分は悔いていないよ。

 ジェラルトに傭兵の技を教えてもらったから、

 こうして仲間たちと共に戦える。

 全ては繋がっていて、きっと女神が導いたんだと思う」

「はは……随分とらしい物言いをするじゃねえか。

 まったく、

 そういうところもシトリーにそっくりだな」

 

 二人の和やかな会話を聞きながら、フロルは全力で気配を消していた。

 親子の関係に、どう考えても異物。

 なぜ誘われて安易に付いて来たのか、小一時間自分を問い詰めたい。

 

 しかし、無情にも浮きがぽちゃんと波紋を立てて水中に沈んだ。

 ぐいぐいと引く強さは想像以上の大物だ。

 この時ばかりはフロルも、大好きなはずの魚を恨んだ。

 

 根掛かりと見紛うほどの圧倒的な重量感。

 重い手ごたえにフロルは逆らわず、一瞬力が抜けた瞬間に引く。

 針が深く魚に刺さり、バシャバシャと水飛沫を上げる魚影が姿を現した。

 丸太のように太い魚。

 

 ジェラルトが感心するように頷く。

 

「ほう、このデカさは一度しか見たことがねえな。

 たしかフォドランディだったか」

 

 釣果が悪かった理由が明らかになった。

 水面を割って現れたのは、蛇のような斑紋を刻んだ巨大な頭部。

 周辺の魚を食い尽くすという伝説の怪魚、フォドランディだ。

 

「……まずい。竿が折れる」

 

 しっかりと横に引いているのに、しなる竿が軋みを上げ始めた。

 

「どうする。突くか?」

「ええ、お願いします。

 ここで逃がすと面倒なことになる」

「あいよ」

 

 ジェラルトが長い枯れ枝の先端を素早く短剣で尖らせる。

 重しを巻きつけ、構えようとした。

 簡素な銛が水音を立てて落ちた。

 

 ジェラルトの右手は、がくがくと痙攣していた。

 

「騙し騙しやってきたが……」

「ジェラルト!?」

 

 本を放り出して立ち上がったベレスに、小さく首を振る。

 

「気にすんな。

 それより、お前が代わりにやってくれ。

 早くやらねえと竿が折れちまう」

 

 なにか言いたげなベレスが銛を拾って、魚影へと投げつけた。

 

 幸いにしてフォドランディは釣り上げられ、今は木に吊るされている。

 下顎がわずかに突き出した口内は、鋭利な牙が幾重にも並んでいた。

 フロルが短剣を使って腹をさばき、慎重に内臓を取り出していた。

 たっぷりと長い腸には消化しきれていない魚の形が詰まっている。

 

 ジェラルトが痙攣の治まった腕に、きつく布を巻いていく。

 

「俺の体はもうガタが来てんだ。

 むしろ、長く持った方だろうよ」

 

 心配そうに見つめるベレスに、事もなげに言った。

 レアから血と紋章を与えられて長い年月を生きた。

 達観するには十分な時間だった。

 

「……でも」

「そんな顔すんな」

 

 ジェラルトが、がしがしとベレスの頭を撫でた。

 空気に耐えきれなくなってフロルが明るい声を出した。

 

「引退するには良い機会だったんじゃないですか?

 別に今すぐ死ぬという話でもないですし。

 俺としては槍を握らず、

 鍬を握って畑を耕す壊刃も良いと思いますけどね」

「がっはっは!それも悪くねえな。

 良いか、ベレス。

 人はいつか死ぬもんだ。それもあっけなくな。

 後悔のねえようにするっていうのが一番難しい。

 だから、一度心に決めたら、迷うな」

 

 ベレスは少しだけ俯いた後、真っすぐ目を見て頷いた。

 

「……わかった」

 

 フロルはやはり、いない方が良かったのではと思った。

 

★〈支援会話:コンスタンツェ〉

 

 大修道院の地下深く、古代の遺跡。

 寄る辺なき者たちの街。

 アビスと称されるそこには、逸れ者たちが住み着いている。

 

 そして一人。

 日光を避けるため、新しくアビスに住み着く者がいた。

 

「ついに、完成しましたわ」

 

 アビスに作られた実験室。

 棚の瓶詰めされた魔獣の赤い眼球が、じっと女を見つめていた。

 ある瓶には毒々しい緑の液体、別の瓶では黒い粘液が泡立つ。

 作業台に広げられた紙の上に魔法陣が描かれ、光を放っていた。

 

 女の手には蓋の閉じた小瓶。

 中の液体は血のように赤く、不吉な気配を宿す。

 

「おーっほっほっほっほ!」

 

 闇の魔道に手を染めた女の高笑いが、石の壁に反響した。

 

 それをフロルは長椅子に寝転がりながら、胡散臭く見ていた。

 明朝、仕事を始めようと部屋を出たちょうどに呼び出されたのだ。

 恨みごとの一つでも言ってやりたい。

 

「良かったな。なにが完成したんだ?」

 

 振り返ったコンスタンツェが笑みを浮かべた。

 

「仰天なさるご覚悟はよろしくて?

 姿勢を正した方がよろしいですわ!

 椅子からひっくり返ってしまいますわよ!」

「……はいはい」

 

 どうせろくでもない代物に違いない。

 寝そべっていたフロルが起き上がり、浅く長椅子に腰掛けた。

 

「では発表いたしましょう。

 これは、物語の中にしかなかったはずの魔法……!

 世に変革を齎す禁断の闇魔法!

 惚れ薬ですわ!」

 

 フロルの反応は薄い。

 

「闇市に売ってそうだ。

 つい先日も検挙した店の在庫に似たようなものがあった。

 毒性が強すぎて、寿命が縮むものだったけどな」

 

 人の心を手に入れたいというのは人間の普遍的な弱さだ。 

 需要も高く、教会が潰して回っても際限なく湧いてくる。

 興奮作用から、闇の魔法に手を染めたものまで幅広い。

 

「私がそんな問題を残すと思いまして?

 心を変える本物の惚れ薬ですわ。

 効果はきっかり丸一日、副作用もありませんの」

「あー。

 セテスに見つかったら本気でまずいぞ。

 それで?

 そんな代物を一体誰に飲ませるつもりなんだ」

「貴方ですわ!」

「……はい?」

 

 理解が及ばずフロルは首を傾げた。

 

「貴方には感謝していますわ。

 こうしてヌーヴェル家の再興が叶い、

 失った領地も戻ってくる。

 お姉様と本物の姉妹になるというのも良いですわね。

 総じて、貴方は結婚相手に相応しいと思いましたわ」

 

 フロルは困り顔を浮かべるしかない。

 ここまで真っすぐ利で婚姻を求められたのは初めてだ。

 

「ですが!私が誘いをかけても、

 貴方は一向にその気配を見せませんわね」

「誘い……?」

 

 フロルの脳裏に最近のコンスタンツェの姿が過ぎった。

 海に突き落として、高笑いする姿。

 魔法の実験台にして、高笑いする姿。

 調子に乗って貴族と口約束をして、尻ぬぐいさせられたこともあった。

 

「ほら!手料理を食べさせてあげたでしょう!

 お姉様に教わって頑張ったんですのよ!」

「……ああ、うん。お前にしては真面な味だなと思った」

 

 メルセデスの努力の方が先に感じる味だった。

 なぜ料理下手は皆が皆、レシピを外れて独自性を追求するのか理解できない。

 

「それに、前節、私の新たなる魔道が完成した際も、

 一番に貴方を呼びましたわ。

 普通の殿方なら感涙に咽ぶ場面ですわよ!

 もうわかりまして?

 貴方のような朴念仁には、

 美しく慈悲深い、私の魅力に気付くべきなのですわ!」

 

 フロルは頭痛を抑える為に額に手を当てた。

 

「お前が勘違いしていることは二つある。

 一つ目、別に俺は朴念仁じゃない。

 お前のそれが奇才過ぎて、理解できなかっただけだ」

 

 長椅子から立ち上がる。

 フロルが逃げ場を閉ざすように、一歩踏み出した。

 

「そしてもう一つ。

 別にそんなもの必要ないって話だ」

「え、ちょっ、なにを!?」

 

 一歩引いたコンスタンツェの腰が作業台に当たる。

 手の中から、惚れ薬が奪われた。

 逸らそうとした顔を頬に触れた手が許さない。

 親指が確かめるように唇の下を軽くなぞった。

 

「……良いか?」

 

 コンスタンツェが、首から頭の天辺まで赤く染まる。

 

「い、嫌ではありませんわ。

 ただその、順序!順序がありますでしょう?」

 

 咄嗟に口から出た言い訳にフロルの動きが止まる。

 それからすっと体を離した。

 深く息を吐き出したフロルが、首の後ろを掻いた。

 

「……ああ、その通り、順序が大事だ。

 今は俺に心の余裕がないんだよ。

 もう間もなくフォドラの戦乱は終わる。

 だから、それまでは待ってほしい」

 

 去っていくフロルの背が見えなくなる。

 コンスタンツェは脱力して作業台の上に身を預けた。

 金髪の巻き髪がはらりと魔法陣の上に広がる。

 

 ばくばくと跳ねまわる鼓動はなかなか治りそうにない。

 

「……そ、想定外ですわ」

 

 コンスタンツェは恥ずかしさのあまり両手で顔を押さえた。

 

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