時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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69話

★〈支援会話:カスパル〉

 

 日陰に座るリンハルトが訓練場の柔らかな砂場を眺めた。

 その中心には二人の上裸の男が向き合っている。

 

「僕にもどちらが勝つかはわからないな……」

 

 リンハルトの隣に立つハンネマンが髭を撫でた。

 

「おや、我輩はカスパル君が勝つと思っているがね。

 彼ら二人の勝負については、

 我輩の耳にも届いていたとも。

 赤狼の節以降はフロル君が、

 まったく勝てなくなったそうではないか」

 

 教師が最も警戒するのは学級を超えた交流だ。

 学級間の交流は必ずしも良い事ばかりではない。

 カスパルとフロルの格闘術の勝負。

 すなわち軍務卿の子と、王位継承権第二位の勝負だ。

 時折ハンネマンとマヌエラが見守っていた。

 

「ああ、ハンネマン先生。

 それは正しくもあり、間違ってもいます」

「と、言うと?」

「フロルは勝負で一度も紋章の力を使ったことはないんです。

 しかも、紋章学の常識が覆される二つの大紋章。

 エーデルガルトのそれと違って見る限り代償も欠点もない。

 武器を握ればカスパルが勝ちますが、

 純粋な格闘戦となると……どうですかね」

「なるほど、君の言う通りだ。

 紋章を持たないカスパル君が才と努力で、

 紋章に愛されたフロル君に勝てるのか。

 今から始まるのは、紋章学に残る一戦と言うわけだな」

 

 フロルが少し屈んで、足元の砂を掴んだ。

 粒ひとつひとつがきめ細やかな砂で、指の間から零れ落ちていく。

 肌に突き刺さる感覚もない。

 訓練場に用いるものとしては最上級だ。

 

「ベルグリーズ家の鍛錬は尋常ではないと聞く。

 随分と鍛えたようだ。

 ああ、それに身長も伸びたな」

「おうよ!

 毎日毎日、肉も野菜も魚も全部食って、

 まだリンハルトは超えられねえけどよ。

 頭ひとつ分は伸びたんだぜ」

「ははっ、それは凄いな。

 一年でそれならいつか俺の身長も超えるかもな」

 

 フロルがきつく包帯を手首に巻いていく。

 多少関節の動きが悪くなっても、手首を壊されるよりは良い。

 両腕をぐぐぐっと上に伸ばして、大きく息を吸って吐いた。

 

 メリセウス要塞を無血開城する条件。

 告げられた時には思わず大笑いしてしまったものだ。

 父親の復讐を選ばず、あくまで自分の道を貫き通す。

 その強さが、フロルは少し羨ましい。

 

「良いんだな?本気で行くぞ」

「ああ、手加減はなしだ!」

 

 フロルが獣のように前傾姿勢を取り、両の指を砂地につける。

 対するカスパルは腰を少し落とし、左腕を前に、右拳を腰に構える。

 

 ドンッ!と砂が爆発して噴き上がった。

 

 単純な体当たり。

 それをブレーダッドの紋章が、巨獣の突撃に変える。

 一瞬で目の前に現れたフロルにカスパルは動揺しない。

 半身を素早く引いて、裏拳を通り過ぎるフロルの後頭部に向けて放つ。

 

 対するフロルは体を低く下げて裏拳を避け、潜り込むように正拳を返した。

 

 カスパルは咄嗟に防御、を選択しようとしてやめた。

 上半身を逸らして避け、一歩、二歩と大きく下がる。

 

「引っかかってくれると思ったんだけどな……」

「へっ、もう同じ手は通用しねえぞ」

 

 フロルは呼吸を整えながらゆっくりと構え直した。

 今の拳の放ち方。

 前にフロルが同じことをして、負けた試合と全く同じやり方だった。

 だが紋章を全開にしたフロルなら、防御した腕をへし折れる。

 

「じゃあ普通にやるか」

 

 フロルはすぐに切り替えた。

 一度見せたやり方がカスパルに通用しないことは、よくわかっている。

 

 二人は開幕と打って変わって、ゆっくりと円を描きだした。

 砂の上で模様が描かれていく。

 

「来い!」

 

 カスパルの裂帛の咆哮に合わせて、フロルが拳を放つ。

 空気の面を捉えたような破裂音。

 拳の軌道上にあった砂粒が、爆ぜるように飛び散る。

 

 カスパルは身を翻し、紙一重で避けた。

 切り裂かれる風が頬に僅かな切り傷をつけ、青髪を揺らす。

 カウンター気味に拳がフロルの腹にめり込んだ。

 

「ごふっ!」

 

 肺から口へと呼吸が逆流し、一瞬だけ動きを止める。

 それで充分。

 

「まだまだ行くぜっ!」

 

 カスパルの素早い連打がフロルを滅多打ちにした。

 腹部、肋骨、脇腹、胸板。

 肉を打つ音が闘技場で響き渡る。

 

「……いい加減にしろ」

 

 翡翠色の瞳がぎょろりとカスパルを見た。

 

 カスパルが咄嗟に自分から跳び、砂地の上をゴロゴロと転がる。

 フロルが手で口元から流れる血を拭った。

 赤く輝く炎の紋章の治癒力が、ダメージを最小限に抑えていた。

 だが、内臓に届いた衝撃までは消すことができない。

 何度も荒い呼吸を繰り返しながら、痛みが引くのをじっと待つ。

 

 その間に立ち上がったカスパルが少しふらついた。

 

「燃えてきたなあ、おい!」

 

 ギラギラと目を輝かせ、獰猛な笑みを浮かべる。

 カスパルの左腿には青黒い痣が大きく残されていた。

 自ら跳んだにもかかわらず、殺しきれない蹴りの威力。

 

 紋章の怪力と再生力はフロルを、人の域から超越させる。

 肉体強度でいえばこのフォドラにおいて並ぶ者はいない。

 

 呼吸を整え、構えた二人が再び衝突した。

 

 リンハルトとは反対側に王国の将の姿があった。

 ユーリスが特に感慨もなく言い切った。

 

「ま、順当に行けば帝国の青髪、カスパルとか言ったか。

 あっちが勝ちそうだな」

「ほう?じゃあ、賭けるか?」

 

 バルタザールが懐から硬貨の詰まった袋を取り出す。

 酒代に消える前に倍に増やすのも良いと、顎を撫でる。

 

「前に散々負けたの、もう忘れたのか?

 お前、どうしようもなく賭け事に向いてねえぞ」

 

 フロルの怪力相手では掴まれても駄目、防御しても駄目。

 だがそれだけだ。

 眼下では防戦一方のフロルが殴られ続けていた。

 カスパルは動きを変えて、反撃を警戒しながら攻める。

 いかに炎の紋章とはいえ、回復には限界がある。

 内臓にダメージが蓄積すれば膝を折り、致命的な隙を晒す。

 顎かこめかみを殴られれば、意識を飛ばす。

 無敵ではないのだ。

 

「どうなんだ?賭けるのか、賭けねえのか」

「……まあいいけどよ」

 

 賭けに乗ったユーリスにバルタザールがにやりと笑った。

 

「今回ばかりは俺が勝たせてもらうぜ」

 

 カスパルとフロルの戦いは佳境を迎えつつあった。

 フロルの足は生まれたての小鹿のように震えている。

 何発も内臓を突き抜けた衝撃が、呼吸すら困難にしていた。

 対するカスパルは脚の負傷以外まったくの無傷。

 フロルの攻撃の起こりを潰し、容赦なく拳を叩きつける。

 手を緩めることはない。

 フロルの眼が死んでいないからだ。

 

「おらおらおらおらおらぁっ!」

 

 連打、連打、連打。

 肉を打つ音が闘技場に響き渡る。

 フロルの意識が上半身に傾いたところに、蹴りを放った。

 

 その瞬間を、ずっと待っていた。

 

 最初に勝負を始めた日。

 カスパルに、反撃を警戒して足技を使うと教えた。

 だからこそ嵌った。

 

 フロルの双紋章が眩いばかりに周囲を照らし出した。

 カスパルの蹴りをもろに腹に受けながら放つ。

 震脚。

 砂の上に波紋が重なり、闘技場の壁に亀裂が走った。

 グラグラと足元が揺れ、カスパルの体幹がぶれる。

 

「ぜいッ!」

 

 ドンッ!

 渾身の正拳がカスパルの顔面に突き刺さった。

 重く鈍い音が響き、カスパルが吹き飛んだ。

 砂地を三度跳ねるだけでは足りず、壁に叩きつけられる。

 

 対するフロルも立っていることが出来ず、どさりと片膝をついた。

 震脚に使った右脛骨が綺麗に折れていた。

 頭を振って、白飛びしそうになる意識をなんとか取り戻す。

 勝利の確信を抱いた時。

 

「……まだだ」

 

 かすれた声が、微かにカスパルの口から漏れた。

 フロルが一瞬瞠目し、笑みを浮かべる。

 カスパルが血と砂の混じった唾を口から吐き出した。

 

「まだ、俺は負けちゃいねえ」

「まったく、お前は本物の漢だ」

 

 並みの人間なら首の骨がへし折れて、即死する一撃。

 今も視界が揺れ、フロルの姿が三重にぶれて見える。

 ゆっくりと立ち上がりかけて一度転ぶ。

 砂を握りしめて、ふらつきながら身体を起き上がらせた。

 

 互いに満身創痍。

 汗と血が混じり合って皮膚を濡らした。

 

「ここから先は策もなにもない殴り合いか」

「へっ、誰よりも鍛錬してんだ。負けるかよ」

 

 陽光が二人の影を長く引き、砂の上に黒い染みのように落ちる。

 長く続いた戦いは、唐突に幕を下ろした。

 士官学校以来の二人の決着は、両者昏倒による引き分けで終わった。

 

 

 レスター諸侯同盟、グロスタール領の平野。

 彼方から、濁流の如き軍勢が西へ西へと雪崩を打っていた。

 

 五大諸侯が描かれた黄と銀の同盟旗、ではない。

 

 長く日に照らされ、砂で磨かれた浅黒い肌。

 隊列の中には談笑や、鬨の声、独特な歌声が混じった。

 騎兵たちは皆軽装で、短弓と矢筒が腰に繋がれている。

 空を覆うのは飛竜兵の群れだ。

 

 パルミラの大軍勢が首飾りを抜け、大修道院へと迫っていた。

 

 その眼前に、少数の騎兵隊が森から進路を塞ぐように現れた。

 先頭を進むのは、細く整えられた紫髪の貴族だ。

 面長の顔は怒りで険しく歪んでいる。

 貴族の背後には熊のような巨漢と、眼鏡をかけた射手が続いた。

 

「我が名はローレンツ=ヘルマン=グロスタール!

 由緒正しき五大諸侯の一席にして、

 レスターの栄光を背負うグロスタール家の当主!

 パルミラの将よ!

 臆病者でないならば名乗りを返したまえ!」

 

 ローレンツの高らかな名乗りに、パルミラ兵たちはせせら笑う。

 彼らにとって戦場は家柄を誇る場ではない。

 力のみが全てを語る場だ。

 肥沃な大草原、灼熱の砂漠、険しい大連峰。

 戦いがパルミラに広大な領土を齎した。

 誇りや騎士道で勝てるなら、パルミラはとうの昔に滅んでいる。

 

 嘲笑を遮るように、一頭の飛竜が螺旋を描きながらゆっくりと降下する。

 逆光に照らされた姿を見て、ぎりりとローレンツの歯が軋んだ。

 

「クロード、やはり君かっ!」

 

 異国装束に身を包む、どこか人を食ったような態度。

 胡散臭くて信用ならない。

 それでも、共に一年を過ごした仲間。

 

「よう、ローレンツ。遠乗りか?」

 

 クロードが飛竜から降り立った。

 

 クロードの隣に、ラルヴァが無間の瞬動で現れる。

 赤い風除けを靡かせる、どこか冷めたような目つき。

 ローレンツはフロルを刺したパルミラの将だと、すぐに気付いた。

 幾つもの疑念が思考を駆け巡る。

 

 それを気にした様子もなく、ラルヴァがクロードに尋ねた。

 

「どうする。僕がやろうか?」

「いや、ここは俺に任せてくれ。

 一度は兵に俺の力を示しておく必要がある」

「いいだろう。だけど……」

 

 確認にクロードが先回りして頷いた。

 

「あんたの目的は灰色の悪魔なんだろ。

 機会はちゃんと作るさ」

 

 ラルヴァが人差し指で自分の喉をゆっくりとなぞった。

 

「……地上を焼いた獣。

 この世界のために、その存在を許してはならない」

 

 確かめるように呟く様を、クロードがじっと目を細めて値踏みする。

 ふとラルヴァが小さく吐息をはきだした。

 

「わかった。ここは君の意思を尊重しよう」

 

 短く答え、無間の瞬動でその場から消える。

 改めてクロードがローレンツと向かい合った。

 顎に手を当て、おどけたように口角を上げた。

 

「待たせて悪いな。俺は人気者なんだ。

 それにしても……クロード?

 そいつは確か同盟の盟主の名だったよな。

 今頃、リーガン領で、

 迎撃のための兵を集めているんじゃないか?

 グロスタール家も呼ばれていたはずだ」

 

 ローレンツの額に青筋が浮かんだ。

 

「なら、目の前にいる君はなんだ」

 

「パルミラの王子、カリードだ。

 気軽に名を呼んでくれて、構わないぜ」

 

 クロードは不敵な笑みを浮かべたまま、そう言った。

 ローレンツの顔から血の気が引いていく。

 口が僅かに開き、罵倒が漏れるのをぐっと抑える。

 代わりに、静かに尋ねた。

 

「……色々と君には言いたいことがある。

 だがなぜ、大修道院へ向け進軍している」

 

「パルミラの王になるため、

 誰もが認める偉業が必要だからさ。

 首飾りを突破し、大修道院を落としたとなれば、

 次の王は俺で決まりだ。簡単な話だろ?」

 

 仮面の中に本音を隠した。

 それがわからないローレンツではない。

 だからこそ、許せなかった。

 

「ヒルダさんが泣いていたんだぞ」

 

 一瞬だけ、クロードの仮面に亀裂が入った。

 息を止め、引き攣った口端をすぐに噛みしめる。

 

「……そうか。代わりに謝っておいてくれ」

 

 全てが計画通りに運んだわけではない。

 ホルストの犠牲はその一つだ。

 だがもう止まれない。止まるわけにはいかないのだ。

 

 魔弓の弦を指先で弾き、音を確かめた。

 

「ラファエル、イグナーツ。

 お前たちも俺を止めようっていうのか?」

「おう!

 オデの頭じゃクロードくんが、

 なんでこんなことをしているのか、わからないけどよ!

 一度ちゃんと話し合った方が良いと思うぞ!」

「ラファエルくんの言う通りだと思います。

 クロードくん、今の君は君らしくないですよ」

 

 二人の言葉に口元を緩める。

 ここに至ってまで、殺し合いではなく話し合いを望む。

 そんな金鹿の学級だからこそ、巻き込みたくなかった。

 

「こんな状況は望んでいなかったが……。

 相手をしてやるから、

 俺が勝ったらさっさと降伏してくれよ?」

 

 整えられた逆髪を指でかき上げた。

 

 クロードが飛竜に飛び乗り、魔弓を構える。

 ローレンツが魔杖を振るい、魔法を唱えた。

 金鹿の生徒たちが同盟の地でぶつかり合った。

 

 帝国暦1181年、天馬の節

 フォドラに激震が走った。

 首飾りにて内紛が発生し、同盟の将ホルストが討たれる。

 その混乱の最中、パルミラの大軍勢が首飾りを抜け、同盟領へと侵入。

 盟主クロードは決戦に備え、リーガン領へと軍の集結を急いだ。

 しかし、パルミラ軍は決戦に付き合わず一直線に大修道院を目指す。

 王国と教会の連合軍がメリセウス要塞から引き返すより遥かに早く。

 パルミラの旗は大修道院目前まで迫っていた。

 

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