時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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70話

 

 南から強く吹く風に黒雲が押し流されて、空を覆っていた。

 湿った風が土の匂いを運び、遠くで雷が低く唸る。

 一年前、帝国が攻め寄せたようにパルミラの軍勢は山道を登る。

 

 ふと一筋の光が山の峰に差し込んだ。

 そこに現れた騎馬を照らし出す。

 輝く白銀の鎧、風に靡く蒼き外套。

 

 パルミラの軍勢は進軍を停止し、一斉に槍を向けた。

 一年前、フロルが行った奇襲攻撃は対策済みだ。

 だが、騎馬に後続が現れないことで、兵は拍子抜けした。

 

 パルミラの兵たちは、嘲笑い、槍の柄で盾を打ち鳴らした。

 喧騒の中、その一騎が常歩でゆっくりと山を下りていく。

 飛竜に乗るクロードは全軍に停止を命じ、相対するように前に出た。

 

 クロードが軽く片手を挙げて、悪戯っぽく片目を閉じる。

 

「よう、待たせたな、フロル。

 歓迎の用意はできているか?」

 

「……相変わらず自分勝手な男だ。

 招待状を送った覚えはないんだがな」

 

 パルミラの王子と、ファーガスの王が向かい合った。

 差し込む光が途絶え、遠く雷鳴が轟き始める。

 フロルが凝り固まった首を、こきりと鳴らした。

 軍を置いて蜻蛉返りしてきたのだ。

 

「もう少し、手段を選んだ方が良い」

「誠意って奴だ。

 腹を割って話し合うには必要だろ?」

 

 昨日までの晴天に反して、馬の蹄が深く沈み込んだ。

 それを確認して、フロルが小さく吐息を漏らす。

 

「ディミトリをけしかけたのは惜しかったな」

 

「ああ。

 上手くいきゃ俺の野望も随分近づいたはずなんだがな」

 

 事も無げに言い切る様に、フロルが目を細める。

 これだからこの男は信用ならないのだ。

 表面的な明るさの奥に、数多の策謀を隠している。

 

「それで失敗してこれか。

 節操がないな」

 

 クロードが首の後ろに手をやって、笑みを浮かべた。

 

「俺はお前のことを見誤っていたよ。

 驚いたね。

 緒戦でディミトリを追い詰め、

 エーデルガルトの侵攻を跳ね返した。

 その後も負け知らず。

 そして今や、たった一年で帝国を打倒しかけている。

 俺の計算をここまで狂わされるとは思わなかった」

 

 その称賛はクロードの心からの本音だった。

 

 皮肉な話だ。

 五年半の戦乱が続き、フォドラが疲弊し荒廃していれば。

 パルミラの介入は救いの手として機能したかもしれない。

 だが、今のフォドラには余力がある。

 燻り続けた侵略者への憎悪もだ。

 そしてシャハドと闇に蠢く者の予想外の動き。

 クロードは野望のため、やり方を変えざるを得なかった。

 

「正直まいったぜ。

 ディミトリやエーデルガルトなら、

 まだやりようがあったんだが……」

 

「だからこれで手打ちにしようって?

 殺そうとしておいて、虫のいい話だな」

 

「そうさ。

 手を組むことはできないが、

 利用し合うことは出来るんじゃないかってな。

 お前がパルミラに侵攻するつもりだってことはわかってる。

 俺からしてみりゃそいつは困るんだ」

 

 二人の間に強く風が吹きつけた。

 互いに思考を読み解いたからこそ、此処に至った。

 フロルが重く口を開く。

 

「……パルミラの領土も民も欲しくなどない。

 ただ、二度と軍を率いて、

 このフォドラの地を踏むことは許さない。

 それが民の守護者たる王の責務だ」

 

「お前らしい割り切り方だ。

 けど、それじゃあ何も変わらないままだ」

 

 小さな雨の雫が、馬の足元に落ちて黒い染みを作る。

 次第に、染みの数はぽつりぽつりと増え始めた。

 フロルがゆっくりと瞬きをした。

 

「クロード、お前の理想は正しいよ。

 ……だが、正しいだけだ」

 

 民族や信仰の違いを乗り越え、誰もが平等に生きる世界。

 壁をなくし、フォドラとパルミラでさえ手を取り合う。

 それは理想的な正解だ。

 だが信仰が、文化が、言語が、人種が違う。

 そして二百年以上、侵略と略奪を受け続けた歴史がある。

 

「誰もが報いを受けるものだ。

 それはお前が一番よく知っているだろう」

 

 クロードの表情が一瞬、わずかに凍りついた。

 

「それでもだ。時間をくれ。

 俺がパルミラを内側から変える。

 お前のやり方じゃ全部台無しになっちまう」

 

 二人の視線が交差する。

 雨がクロードの隈を隠した化粧を洗い流していく。

 

「……お前ならパルミラを変えられるだろうよ。

 だけどな、俺やレアを殺そうとしたように。

 人は個人としては手を取り合えても、

 異なる枠組み同士では軋轢を生み出し続ける。

 そういう生き物なんだよ」

 

 クロードは光だ。その分影は深く濃くなる。

 歴史を紐解く限り、クロードが死ねば、遅からず揺り戻しが来る。

 二百年以上のパルミラの侵略者体質と、フォドラの憎悪は根深い。

 フロルはクロード個人を信じても、侵略者を信じない。

 

 やがて、フロルが諦めたように首を小さく横に振った。

 わかっていたことだ。

 視点が違うのだ。

 言葉を交わしても、価値観の押し付け合いにしかならない。

 

「今だけは話に乗ろう。

 別に今すぐどうこうって話でもないしな。

 それで、良いんだな?」

「ああ、過激派の士族も、闇も。

 俺の野望にとっても、お前にとっても邪魔な連中だ。

 ここでまとめて潰しておかないと後々面倒だからな。

 賭け金には十分だろ?」

 

 返答の代わりにフロルが合図のため、光の魔法を打ち上げる。

 隠蔽されていた、山の斜面に空いた穴から炎が噴き出した。

 

 綿密に計算された坑道の支柱が焼け落ち、空洞が生まれる。

 重い振動がパルミラ兵の足元から伝わり始めた。

 長い時間をかけて水が染み込んだ土砂。

 巨大な土の塊が、まるで生き物のように跳ね上がった。

 木々が折れ、巻き込まれた岩石が激しい衝突音を響かせる。

 

 山崩れがパルミラ軍の先端に襲い掛かる直前。

 フロルとクロードの姿は消え去った。

 

 

 クロードは頬に当る水滴で目覚めた。

 耳鳴りが止まず、こめかみがずきずきと痛む。

 雨が血と混じって、泥の中に流れ落ちた。

 遅れて、転移先でレアに盾で殴られたことに気付く。

 

 徐々に世界に音が戻ってきて、剣戟の音に気付いた。

 

 顔を上げた先には、ラルヴァと剣を交わすベレスとレアがいた。

 

「はあああっ!」

 

 ラルヴァは赤く輝く魔獣の角を顕現させていた。

 赤い剣閃が地を抉り、泥を跳ね上げる。

 

 レアが聖剣を斜めに払い上げて右剣を弾き飛ばす。

 だが次の瞬間にはラルヴァの手元に剣が戻っている。

 

 独楽のように双剣が回転した。

 ベレスが体を捻り、斬撃を紙一重で躱す。

 剣先が外套の端を切り裂き、雨に濡れた布切れが舞った。

 

 クロードのすぐ隣。

 バシャリと水溜まりの上に蹄が踏み込んだ。

 フロルはクロードを一瞥することもなく、独りごちる。

 

「俺じゃあ近づくだけで死にそうだ」

 

 無間の瞬動は強力だが、転移技術は闇に蠢く者と同じだ。

 一年半前には封じる方法が確立し、改良を重ねた。

 ラルヴァは詰んでいる。

 それでも、なにか手を打ってこないか不安が募る。

 

 クロードが土塊を握り、上半身を引き起こした。

 濡れて額に張り付いた前髪をかき上げる。

 

「いててっ……初めて話した時は、

 治療する優しさがお前にもあったんだがな」

 

「自業自得だ。殺されなかっただけ十分だろう。

 それにしても、よくわかったな。

 隠蔽には気をつけていたはずなんだが……」

 

 山崩れはモニカに頼んで作り上げた渾身の策だった。

 

「グロンダーズで有耶無耶になったが、

 帝国の侵攻を防ぐなら考えられる策は三つ、四つだ。

 それに、恭順した旧国王派は今どこにいるんだ?」

 

「……」

 

 これだからまともに相手しなかったのだ。

 帝国と戦いながらでは荷が勝ちすぎる。

 沈黙は肯定とばかりに、クロードは続けた。

 

「あとはお前がきっちり始末してくれりゃ、

 俺の名が出ることもなく、

 馬鹿な将が突っ走って奥深くまで切り込んだ挙句、

 全滅したっていう……パルミラじゃよくある話で済む。

 ま、危ない賭けにゃ変わりはないけどな」

 

 フロルとクロードが話し合う間も、三人の戦いは佳境に入りつつあった。

 レアが盾を叩きつける。

 ラルヴァは双剣を交差させて受け止めるが、衝撃で膝がわずかに沈んだ。

 対処が間に合わず、蛇のようにしなる天帝の剣が肩口を削り取る。

 

「ぐっ……!まだだ!

 ヒトの未来のため、僕は!」

 

 次の瞬間、目にも止まらぬ斬撃の嵐が二人を襲った。

 切り裂かれる雨が無数の水飛沫となって爆ぜる。

 火花と金属同士が衝突する硬質な音が絶え間なく響いた。

 

「なっ……まさか」

 

 ラルヴァの瞳が初めて驚愕に揺れた。

 死の連撃の中に、ベレスが躊躇なく踏み込んだ。

 まるでラルヴァの動きを、技の癖を、呼吸の間合いを、全て知り尽くしているかのように。

 

 雷が間近に落ち、閃光が三人の姿を白く照らし出す。

 

「……手強い相手だったね」

 

 ラルヴァを、懐に飛び込んだベレスが貫いていた。

 血を纏いながら天帝の剣が引き抜かれる。

 鮮血が噴き出し、雨に薄められて泥の地面に広がった。

 どさりとラルヴァが両膝を泥の中に落とした。

 

「……これだけの犠牲を払っても、届かないか。

 ……すまない……約束……果たせなかった……」

 

 輝く角が、硝子細工のように音を立てて砕け散る。

 雨が降り注ぐ中、項垂れたままゆっくりと瞼を閉じた。

 

 それを見届けて、クロードはふっと肩から力を抜く。

 雨天を見上げ、顔を濡らして祈るように目を瞑る。

 見開いた時には、いつもの人を食ったような薄い笑みを浮かべていた。

 

「じゃあな、フロル。

 これで随分と身軽になった。

 借りはいつか返すぜ」

 

 魔弓『フェイルノート』を放り渡して、クロードが軽く片手を挙げて去っていく。

 その妙に様になっている背中を見つめながら、フロルは拳を握った。

 

「……そう長くは待てないぞ」

 

 統率を失い混乱に陥ったパルミラ軍を、到着した王国軍と同盟軍が掃討する。

 クロードは、首飾りを突破された責任を負い、盟主の座と爵位を返還した。

 これに伴い、レスター諸侯同盟は解散。

 同盟の貴族たちはファーガス神聖王国へと、次々と臣下の礼を取った。

 




次回投稿予定2026/05/20
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