★〈支援会話:リンハルト〉
古い一本の木の下で、木漏れ日となって降り注ぐ中。
本の頁をめくる手も億劫そうに、欠伸をひとつこぼした。
草の上を歩く音がして、リンハルトが目をやる。
そこには尾のように長い髪を風に揺らす、フロルが立っていた。
「こんなところで休憩か?」
「よくここがわかったね。
今まで一度もここは誰にも見つかったこと、
ないんだけど」
「俺もよくサボるからな。
良さそうな場所は常に確認している」
「……君って本当に王様らしくないな」
自分を棚に上げてリンハルトが呆れた表情を浮かべる。
近頃よく言われる言葉にフロルは喉を鳴らして笑った。
「それで?急にやる気を失って、どうしたんだ」
「元から僕はこんな感じだよ」
「まあ、話してみろよ」
パタンと本を閉じた。
顔を上げたリンハルトが日差しの眩しさに目を細める。
「面倒だなあ……まあ、いいけど。
紋章学、僕なりに真剣に向き合ってたのに。
どんどん研究対象も失われていくだけだと思うと……。
もう意味なんてないんじゃないかって」
退屈そうに本の表紙を指で軽く叩いた。
「だから釣りの本をか」
リンハルトが持つ本の題名は『魔獣でもわかる釣り』。
内容は題名に似合わず濃厚なのをフロルも知っている。
「うーん……考えてみると、
僕は魚、釣るのは好きだけど、
食べるのはそんなに好きじゃないから、
趣味としては微妙かも。
甘いものの方が……、
でも、お菓子作りなんて体力必要だって聞くし」
草を弄りながら、ぼそぼそと独り言を呟く。
その口調は本気でやりたい事を探している様でもない。
「暇ならハンネマン先生の手伝いでもしたら良いんじゃないか?」
「いやいや、僕は先生みたいな情熱ないから。
紋章の力を皆が宿せるって、
別に僕はそんな必要あるとは思わないし」
ふとリンハルトが視線を外して、空に流れる雲を見つめた。
「情熱……はあ……、
そう考えると待っていれば勝手に、
紋章社会なんて無くなってるわけで。
エーデルガルトはなんで、
こんな無茶な戦争始めたんだか」
そのため息にはどこか諦観が含まれていた。
「こう理想を同じくする者として、とか。
……いや、お前にはないんだったな」
「居心地は悪くないと思ってたんだけど。
ヒューベルトが死んでからは、
どんどん居心地も空気も悪くなったし。
あ、君を責めてるわけじゃないんだよ。
戦争だし、帝国は攻めた側だしね。
そうやって居心地の良い場所を失ってまで、
戦争なんてする必要あったのかなって。
僕は嫌なことは全部避けちゃうから、
いっそう思ってしまうんだろうけどさ」
フロルが手を伸ばして、釣りの本を取り上げた。
リンハルトが鬱陶しそうに抗議の目を向ける。
「ちょっと……」
「お前の言うことは正しいよ。
ただ、彼女にとって居心地の良さは、
止まる材料にはならなかったんだろう」
理想のためなら大勢の幸福を踏みにじれる。
被害者であり、加害者。
親愛と冷酷を併せ持つのがエーデルガルトだ。
一側面を見て語ることはできない。
「ひとつ言えることはお前が奮起しても、
この結果はそう変わってなかったってことだ。
自分に正しいだけの正論をぶつけて、
傷つける必要なんてないだろ」
「……別に僕はそういうつもりはなかったけど。
それで?そうやって説得して、
僕を戦場に引っ張り出そうって魂胆なのかい?」
鋭い指摘にフロルはにやりと笑みを返した。
「好きにすると良い。
お前がどこでサボっていようが、
寝ていようが俺は何も言わないぞ。
母親じゃないんだからな。
ただ、カスパルは武官として取り立てるなら、
戦場に喜んで出るそうだ」
空に浮かんだ雲はいつの間にか消えていた。
リンハルトが重い腰を上げ、上着についた落ち葉を指で飛ばす。
「……一生逃れられないんだろうなあ、腐れ縁からは。
考えておいてあげるよ。
別に君のことも嫌いってわけじゃないからね」
ぐぐぐっと両腕を上げて伸びをする。
深く肺の中をすべて入れ替えるような息を吐き出した。
★〈支援会話:リシテア〉
木製の長椅子の上。
フロルと並んで座るリシテアが、スプーンでジャムをすくった。
焼き菓子の上にたっぷりと塗る。
口に入れると旬のベリーの甘さが口の中でぷちぷちと弾けた。
もぐもぐとよく噛んだ後に飲み込んで、それでも不機嫌は直らない。
リシテアが眉を寄せ、苛立たしげに声を尖らせる。
「王国の人たちってなんで皆、
誰も彼もあんな感じなんですか!」
「今度は誰だ?」
「ロナートって人ですよ。
孤児院に配ってるお菓子をわたしにも持ってきて、
そんなの受け取れるわけないじゃないですか」
あぁ、とフロルは小さく相槌を打った。
王国の騎士たちは皆そういうところがある。
社会奉仕が規範であり美徳なので、右に倣えで行動する。
「余計なお節介が多すぎるんです。
わたしは子供じゃないのに」
「まあ、見た目で損してるのは事実だな」
ずいっと半人分、リシテアが席を詰めた。
「それ、どういう意味で言ってます?」
むすっとした視線に、まあまあとフロルが掌を見せる。
「可憐な令嬢に、騎士は目がないものだ。
それに努力している姿を見れば、
誰だってなにかしてやりたいと思うのは普通だろ?」
そうだな、と顎に手を当てて悩み、別の提案をした。
「剣でも振ってみたら良いんじゃないか?」
「剣?わたしがですか?」
きょとんと浮かんだ疑問符に、フロルが強く頷いた。
「メルセデスでさえ苦手なりに剣の練習をしているんだ」
「……そういえばそうですね」
才は完全にないのだが、今でも剣術の試験に合格しようと努力を重ねている。
その努力自体は否定されて良い物ではない。
「王国は騎士の国。
武具を振るって一人前ってところがあるからな。
アネットなんかも、君とそう背格好も変わらないが、
英雄の遺産をぶんぶん振ってるからっていうのが大きい」
アネットが「よいしょー!」と明るい掛け声と共に、飛竜を殴り飛ばした時は目が点になった。
あれを見てしまえば子供扱いしようとは誰も思わない。
目に見える武力というのはそれだけ敬意を集めるのだ。
「言いたいことはわかりましたけど。
わたしに剣の才能はありませんよ」
「いやいや、案外才能あると思うぞ。
少なくとも俺よりはな。
護身用に腰に一本あるだけでも、悪くないだろう。
体の調子も今は問題ないし、
運動も兼ねてやってみたら良いんじゃないか?」
リシテアが唇をきゅっと噛んで迷う。
「剣なんて……でも、魔法の補助くらいなら……。
まあ、それで見る目が変わるなら、
やってみようと思います」
納得してくれたことにフロルはほっと息を吐く。
頑固な騎士たちの考えを変えさせるよりは、建設的な方法だ。
そんなフロルの胸元を、リシテアが指でつついた。
「でも、言った以上、あなたが鍛錬に付き合ってください」
「いや、同じ紋章を持つカトリーヌの方が……」
「だめです」
「わかった。わかったよ、俺より強くなるまではだ」
フロルは謎の圧力に屈した。
リシテアが満足げに鼻を鳴らす。
「ふふん、当然です」
細い指が二個目の菓子に伸びてジャムを塗る間。
ふとフロルが思いついて、以前から気になっていた話題に変えた。
「そういえば、爵位を返上するって話、どうするんだ?
前に言ってた代わりの候補はもう駄目だろう。
民が紋章を持たない者を認めない」
エーデルガルトが起こした戦乱。
敵も味方も、紋章持ちが華々しく活躍を見せた。
民に紋章の力を再確認させたのは、皮肉な話だ。
ましてや、コーデリア家は伯爵領を治める家柄だ。
その領地を継ぐにも、相応の格が求められる。
「……考えましたけど、
やっぱり、爵位を継ごうと思います」
「ん?そうなのか。
別に無理する必要もないと思うぞ。
戦後の生活が心配なら、
経験を活かして魔道学院で研究するって手もある」
リシテアの才と努力ならどんな職場でも引く手あまただ。
魔道学院の教師なら、平民でも裕福な暮らしが出来る。
しかし、リシテアはふるふると首を横に振った。
「元々、わたしが長生きできない体でしたから、
せめて父と母には穏やかな余生を送らせてあげたい。
そう思っていただけです。
それに……」
言い淀み、俯いた頬をわずかに赤く染める。
その様子をじっと見つめて、フロルは迷った後告げた。
「良ければの話になるが、責任を取らせて欲しい」
「……は?」
顔を上げたリシテアの口がぽかんと空いた。
スプーンが長机の上に音を立てて落ちる。
「前に君が言っただろ。
また再発したらどう責任をとるって。
それもそうだと思った。
余計なお節介かもしれないが、
俺は君の人生を最期まで背負いたい。
返事は戦争が終わってからで構わないから」
それは、つまり。
リシテアの瞳が泳ぎ、耳の先まで真っ赤に染まる。
上ずったか細い声が漏れた。
「そ、そうですか。わかりました。
……か、考えておきます」
そんなそっけない態度しか、返すことができない。
誤魔化すように慌てて三個目の菓子に手を伸ばす。
リシテアの身体中の熱が顔に集まるようだった。
次回投稿予定2026/05/28