時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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72話

★〈支援会話:リンハルト〉

 

 古い一本の木の下で、木漏れ日となって降り注ぐ中。

 本の頁をめくる手も億劫そうに、欠伸をひとつこぼした。

 草の上を歩く音がして、リンハルトが目をやる。

 そこには尾のように長い髪を風に揺らす、フロルが立っていた。

 

「こんなところで休憩か?」

「よくここがわかったね。

 今まで一度もここは誰にも見つかったこと、

 ないんだけど」

「俺もよくサボるからな。

 良さそうな場所は常に確認している」

「……君って本当に王様らしくないな」

 

 自分を棚に上げてリンハルトが呆れた表情を浮かべる。

 近頃よく言われる言葉にフロルは喉を鳴らして笑った。

 

「それで?急にやる気を失って、どうしたんだ」

「元から僕はこんな感じだよ」

「まあ、話してみろよ」

 

 パタンと本を閉じた。

 顔を上げたリンハルトが日差しの眩しさに目を細める。

 

「面倒だなあ……まあ、いいけど。

 紋章学、僕なりに真剣に向き合ってたのに。

 どんどん研究対象も失われていくだけだと思うと……。

 もう意味なんてないんじゃないかって」

 

 退屈そうに本の表紙を指で軽く叩いた。

 

「だから釣りの本をか」

 

 リンハルトが持つ本の題名は『魔獣でもわかる釣り』。

 内容は題名に似合わず濃厚なのをフロルも知っている。

 

「うーん……考えてみると、

 僕は魚、釣るのは好きだけど、

 食べるのはそんなに好きじゃないから、

 趣味としては微妙かも。

 甘いものの方が……、

 でも、お菓子作りなんて体力必要だって聞くし」

 

 草を弄りながら、ぼそぼそと独り言を呟く。

 その口調は本気でやりたい事を探している様でもない。

 

「暇ならハンネマン先生の手伝いでもしたら良いんじゃないか?」

「いやいや、僕は先生みたいな情熱ないから。

 紋章の力を皆が宿せるって、

 別に僕はそんな必要あるとは思わないし」

 

 ふとリンハルトが視線を外して、空に流れる雲を見つめた。

 

「情熱……はあ……、

 そう考えると待っていれば勝手に、

 紋章社会なんて無くなってるわけで。

 エーデルガルトはなんで、

 こんな無茶な戦争始めたんだか」

 

 そのため息にはどこか諦観が含まれていた。

 

「こう理想を同じくする者として、とか。

 ……いや、お前にはないんだったな」

 

「居心地は悪くないと思ってたんだけど。

 ヒューベルトが死んでからは、

 どんどん居心地も空気も悪くなったし。

 あ、君を責めてるわけじゃないんだよ。

 戦争だし、帝国は攻めた側だしね。

 そうやって居心地の良い場所を失ってまで、

 戦争なんてする必要あったのかなって。

 僕は嫌なことは全部避けちゃうから、

 いっそう思ってしまうんだろうけどさ」

 

 フロルが手を伸ばして、釣りの本を取り上げた。

 リンハルトが鬱陶しそうに抗議の目を向ける。

 

「ちょっと……」

「お前の言うことは正しいよ。

 ただ、彼女にとって居心地の良さは、

 止まる材料にはならなかったんだろう」

 

 理想のためなら大勢の幸福を踏みにじれる。

 被害者であり、加害者。

 親愛と冷酷を併せ持つのがエーデルガルトだ。

 一側面を見て語ることはできない。

 

「ひとつ言えることはお前が奮起しても、

 この結果はそう変わってなかったってことだ。

 自分に正しいだけの正論をぶつけて、

 傷つける必要なんてないだろ」

「……別に僕はそういうつもりはなかったけど。

 それで?そうやって説得して、

 僕を戦場に引っ張り出そうって魂胆なのかい?」

 

 鋭い指摘にフロルはにやりと笑みを返した。

 

「好きにすると良い。

 お前がどこでサボっていようが、

 寝ていようが俺は何も言わないぞ。

 母親じゃないんだからな。

 ただ、カスパルは武官として取り立てるなら、

 戦場に喜んで出るそうだ」

 

 空に浮かんだ雲はいつの間にか消えていた。

 リンハルトが重い腰を上げ、上着についた落ち葉を指で飛ばす。

 

「……一生逃れられないんだろうなあ、腐れ縁からは。

 考えておいてあげるよ。

 別に君のことも嫌いってわけじゃないからね」

 

 ぐぐぐっと両腕を上げて伸びをする。

 深く肺の中をすべて入れ替えるような息を吐き出した。

 

★〈支援会話:リシテア〉

 

 木製の長椅子の上。

 フロルと並んで座るリシテアが、スプーンでジャムをすくった。

 焼き菓子の上にたっぷりと塗る。

 口に入れると旬のベリーの甘さが口の中でぷちぷちと弾けた。

 もぐもぐとよく噛んだ後に飲み込んで、それでも不機嫌は直らない。

 

 リシテアが眉を寄せ、苛立たしげに声を尖らせる。

 

「王国の人たちってなんで皆、

 誰も彼もあんな感じなんですか!」

「今度は誰だ?」

「ロナートって人ですよ。

 孤児院に配ってるお菓子をわたしにも持ってきて、

 そんなの受け取れるわけないじゃないですか」

 

 あぁ、とフロルは小さく相槌を打った。

 王国の騎士たちは皆そういうところがある。

 社会奉仕が規範であり美徳なので、右に倣えで行動する。

 

「余計なお節介が多すぎるんです。

 わたしは子供じゃないのに」

「まあ、見た目で損してるのは事実だな」

 

 ずいっと半人分、リシテアが席を詰めた。

 

「それ、どういう意味で言ってます?」

 

 むすっとした視線に、まあまあとフロルが掌を見せる。

 

「可憐な令嬢に、騎士は目がないものだ。

 それに努力している姿を見れば、

 誰だってなにかしてやりたいと思うのは普通だろ?」

 

 そうだな、と顎に手を当てて悩み、別の提案をした。

 

「剣でも振ってみたら良いんじゃないか?」

「剣?わたしがですか?」

 

 きょとんと浮かんだ疑問符に、フロルが強く頷いた。

 

「メルセデスでさえ苦手なりに剣の練習をしているんだ」

「……そういえばそうですね」

 

 才は完全にないのだが、今でも剣術の試験に合格しようと努力を重ねている。

 その努力自体は否定されて良い物ではない。

 

「王国は騎士の国。

 武具を振るって一人前ってところがあるからな。

 アネットなんかも、君とそう背格好も変わらないが、

 英雄の遺産をぶんぶん振ってるからっていうのが大きい」

 

 アネットが「よいしょー!」と明るい掛け声と共に、飛竜を殴り飛ばした時は目が点になった。

 あれを見てしまえば子供扱いしようとは誰も思わない。

 目に見える武力というのはそれだけ敬意を集めるのだ。

 

「言いたいことはわかりましたけど。

 わたしに剣の才能はありませんよ」

「いやいや、案外才能あると思うぞ。

 少なくとも俺よりはな。

 護身用に腰に一本あるだけでも、悪くないだろう。

 体の調子も今は問題ないし、

 運動も兼ねてやってみたら良いんじゃないか?」

 

 リシテアが唇をきゅっと噛んで迷う。

 

「剣なんて……でも、魔法の補助くらいなら……。

 まあ、それで見る目が変わるなら、

 やってみようと思います」

 

 納得してくれたことにフロルはほっと息を吐く。

 頑固な騎士たちの考えを変えさせるよりは、建設的な方法だ。

 そんなフロルの胸元を、リシテアが指でつついた。

 

「でも、言った以上、あなたが鍛錬に付き合ってください」

「いや、同じ紋章を持つカトリーヌの方が……」

「だめです」

「わかった。わかったよ、俺より強くなるまではだ」

 

 フロルは謎の圧力に屈した。

 リシテアが満足げに鼻を鳴らす。

 

「ふふん、当然です」

 

 細い指が二個目の菓子に伸びてジャムを塗る間。

 ふとフロルが思いついて、以前から気になっていた話題に変えた。

 

「そういえば、爵位を返上するって話、どうするんだ?

 前に言ってた代わりの候補はもう駄目だろう。

 民が紋章を持たない者を認めない」

 

 エーデルガルトが起こした戦乱。

 敵も味方も、紋章持ちが華々しく活躍を見せた。

 民に紋章の力を再確認させたのは、皮肉な話だ。

 ましてや、コーデリア家は伯爵領を治める家柄だ。

 その領地を継ぐにも、相応の格が求められる。

 

「……考えましたけど、

 やっぱり、爵位を継ごうと思います」

「ん?そうなのか。

 別に無理する必要もないと思うぞ。

 戦後の生活が心配なら、

 経験を活かして魔道学院で研究するって手もある」

 

 リシテアの才と努力ならどんな職場でも引く手あまただ。

 魔道学院の教師なら、平民でも裕福な暮らしが出来る。

 しかし、リシテアはふるふると首を横に振った。

 

「元々、わたしが長生きできない体でしたから、

 せめて父と母には穏やかな余生を送らせてあげたい。

 そう思っていただけです。

 それに……」

 

 言い淀み、俯いた頬をわずかに赤く染める。

 その様子をじっと見つめて、フロルは迷った後告げた。

 

「良ければの話になるが、責任を取らせて欲しい」

「……は?」

 

 顔を上げたリシテアの口がぽかんと空いた。

 スプーンが長机の上に音を立てて落ちる。

 

「前に君が言っただろ。

 また再発したらどう責任をとるって。

 それもそうだと思った。

 余計なお節介かもしれないが、

 俺は君の人生を最期まで背負いたい。

 返事は戦争が終わってからで構わないから」

 

 それは、つまり。

 リシテアの瞳が泳ぎ、耳の先まで真っ赤に染まる。

 上ずったか細い声が漏れた。

 

「そ、そうですか。わかりました。

 ……か、考えておきます」

 

 そんなそっけない態度しか、返すことができない。

 誤魔化すように慌てて三個目の菓子に手を伸ばす。

 リシテアの身体中の熱が顔に集まるようだった。

 

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