★〈支援会話:ベレス〉
メリセウス要塞の城壁からは連合軍が一望できる。
色とりどりの旗が並び、最後の決着へと向かう。
その先、帝都の上空に黒いなにかが今も浮かんでいた。
階段を登ったベレスが、城壁の上でフロルを見つけた。
この二年間、共にあり続けた背中。
強く吹き付ける風が蒼い外套をはためかせた。
冷たいながらも、何処か冬の終わりを感じさせる風だ。
「先生か、どうしたんだ?」
声をかける前に、フロルが気づいて後ろを振り返った。
「フロルこそ、そろそろ出立の時間だよ」
「ああ、わかっている。
ただ……」
フロルが下唇をわずかに噛む。
「……思えば随分と遠くまで来た。
ディミトリとクロードの理想を砕き、
今エーデルガルトにもそうしようとしている。
この俺がだ。
二年前の俺に言っても、絶対に信じないだろうな」
今でも思い出せる、王国から大修道院へと続く道。
ハピと共に馬車に揺られながら、未来を嘆いていた。
「……少し不安になってな。
こんなこと、先生にしか頼めないから。
一度だけ、弱音を吐かせてくれ」
「うん、わかった」
言葉を選ぶように、フロルは視線を彷徨わせた。
「弱者が虐げられることのない世界、
人が壁を越えて手を取れる世界、
人が自立し望むままに生きる世界。
俺には彼らみたいな理想なんてないんだ」
逆光がわずかに俯いたフロルの顔に暗い影を落とす。
拳を握る手に微かに力がこもった。
「このフォドラには賊が多すぎるって思ったことはないか?
食べる物がなくて、賊に落ちるならわかるんだ。
でも、ほとんどは違う。
教会の網目から、自ら落ちていく。
次第に快楽にかわって、当たり前のように繰り返す。
そんな弱い人たちが、たった一年の戦乱で大勢増えた」
レアの抱える絶望のほんの一端にでも触れればわかる。
セイロスの書 主の五戒
あなたはみだりに人を殺め、傷つけ、嘘をつき、盗みを働いてはいけません。
この一節に、どれほどの願いと、祈りと、失望が込められているか。
「……構造を破壊したところで、
別の犠牲者を、弱者を生み出すだけだ。
人が変わらない限り、なにも変わらない。
他者と正面から向き合える強さも優しさも、
ほとんどの人は持ち合わせてはいないんだ」
幼い頃から、辛く厳しいイーハ領で人の営みを見守ってきた。
薄暗い路地裏で凍えて死んでいく者たちから、全てを救えない無力さを学んだ。
犬を殺し、家に火を付け、糧を奪う者たちから、異なる枠組みの軋轢を知った。
暖炉の火が焚かれた教会の中で、女神に祈り、縋る者たちの救いと儚さを見た。
そして、玉座はただ一つしかなく、共に歩むことは許されなかった。
高く分厚い、冷たい雪のような壁が四人目の王を形作った。
「そう思ってしまったから、俺は彼らにはなれなかった。
それでも、長い時の果てに、
人は少しずつでも変われると信じて。
俺は少しでも良い未来を目指そうと思ったんだ」
強く握りしめた拳が軋みを上げる。
「君は……」
ベレスは言葉を詰まらせた。
寂しげな横顔に、胸の奥が締め付けられる。
ベレスがフロルに出来ることなど多くはない。
抱えるものを否定出来る言葉を持ち合わせてはいない。
ただ、真実を一つ、ベレスだけが持っていた。
「……君には彼らには成し遂げられなかったことがある」
炎の紋章石が埋め込まれた胸に、そっと右手を当てる。
今も視界の隅に、碧髪の少女が見える。
勇気を貰って温めてきた想いを口にした。
「自分の中にいる女神ソティスが言ったんだ。
このフォドラを再び女神が導く必要はないと。
ただ一人、君だけがそう言わせた」
ベレスは、ありえた世界を知らない。
それでも不思議と言葉が口をついて出た。
「……君は、天上に輝く女神の星の代わりに、
みんなの願いを束ねて、
暗闇の中、道を照らし出す星になれる。
それが出来るのは君だけなんだよ、フロル」
フロルは確かめるようにベレスの瞳をじっと見つめ続けた。
言葉に嘘がないとわかって、そっと小さく息を吐き出した。
照れを誤魔化すように口元を片手で覆う。
「ずるいぞ、先生。
その言葉はちょっと、俺にとってはずる過ぎる。
……でも、ありがとう」
強く瞼を閉じ、再び開く。
瞳に星灯りが宿った。
人々の願いをかき集めて作った星だ。
肩の力を抜いて、からかう様な笑みを浮かべる。
「いつから吟遊詩人になったんだ?」
「最近、恋愛相談をされることが多いから、
そういう本を読み始めたんだけど……」
二人は並んで、螺旋階段を降りていく。
その後ろ姿を碧髪の少女は優しく見守っていた。
★
帝都上空に浮かぶ黒い物体。
ようやく観察できる距離に近づいたことで、それが何かはっきりした。
黒い鱗のような外殻で覆われた巨体と、竜の頭。
垂れ落ちる膜のない翼と尾。
ところどころから、英雄の遺産のような赤い禍々しい光を放っている。
今は眠るようにぴくりとも動く様子はない。
フロルにはその姿に見覚えがあった。
覇骸化したエーデルガルトによく似ている。
しかし、その大きさは到底、宮殿に収まるものではない。
最後の戦いの前に、大きな天幕に将が集められていた。
ランプの炎が微かに揺れ、影を長く伸ばしている。
中央の円卓には、帝都の詳細な地図が広げられていた。
「……ハンネマン先生。申し訳ないですが、説明を」
ハンネマンは青ざめながら頷いた。
「我輩は大修道院を出た後、各地を放浪し、
解放王と聖人たちの足跡を辿っていた。
……甥姪が行方不明になるまでは」
堪えるように俯く。
拳を握りしめ、声を絞り出すように続けた。
「紋章が発現しなくとも血に因子は残る。
奴らは……、
紋章保有者の血縁を集め、生贄として捧げたのだ」
天幕内の空気が一瞬で凍りついた。
業の深さに、誰もが言葉を失う。
フロルが指先で歴史を感じさせる円卓の木目をなぞった。
「……因果なものだ」
人の業とはここまで醜く悍ましいものに成り下がるのか。
闇の結晶、邪竜と呼ぶべき存在だ。
重い静けさの中、真っ先にイングリットが沈黙を破った。
紙をめくり、最新の報告をあげる。
「帝都の防衛設備は稼働しています。
偵察はベルナデッタが……」
「ふええ、び、びっくりしたんですよ!?
一日中、ぴくりとも動かないんです!
それで、急に同じ方向を一斉に向いて、
どう見てもお化けですよおおおおおおお!!」
目を白黒させるベルナデッタに、リシテアが過剰に反応する。
「お、お化け!?
そんなのいるわけないじゃないですか!
れっきとした闇の魔道ですよ!」
二人のかしましいやり取りは、部屋の空気を入れ替えるのに十分だった。
フロルが全員の顔を見回した。
恐怖ではなく、静かな怒りが浮かんでいるのを見て、小さく頷く。
「ネメシスの時と同じ亡者だ。
そうなると、邪竜を討つしかない」
ミルディン大橋の十傑と帝国軍の兵を思い出す。
あの時は、ネメシスが死んだと同時に崩れ落ちた。
邪竜が死ねば止まると考えるか。
邪竜が死ぬまで止まらないと考えるかは難しい。
頭に大きなたんこぶを作ったベルナデッタが円卓に突っ伏す。
ゲンコツを落としたイングリットがすまし顔で報告を続けた。
「幸いにも住民の生存は確認が取れました」
「朗報だな。予定通り歌劇場に避難させる」
フロルが地図の上に指を滑らせ、二か所の突入経路を示した。
帝都は都市としての拡張を優先し、防衛に向いていない。
東西から同時に侵入し、東の軍は水路に沿って進軍。
西の軍は歌劇場を制圧し、貴族街で両軍が合流する。
作戦を共有し終わった頃。
ふと思いついたように、メルセデスが柔らかく微笑んだ。
「年明けには間に合いそうね?
新年は大修道院でお祝いしたいもの〜」
「弟たちを呼んでも構いませんか?」
「はいはい!あたしも父さんと母さんを呼ぼうかな」
アッシュに続いて、アネットが快活に手を挙げる。
シルヴァンがにやりと笑って肩をすくめた。
「そりゃいい。
フォドラ中の可愛い子たちと、
踊り放題ってことでしょう?
俺の腕前を披露する絶好の機会だ」
「冗談は顔だけにしてくれる?
それより、どのような食事にしましょうか?
近頃は、ブリギットのお料理も気になっていまして……」
イングリットが手を口元に当てて真剣に悩む。
「なんでもいいけどさ。
ハピの好きそうな物もちゃんと作ってよ」
ハピが気だるげに欠伸して、背もたれに寄りかかった。
つられるように集った将たちが口々に意見を出し始めた。
「オデに肉を焼かせてくれよ!
でっかい豚を焼くからよ!」
「ラファエル、オレはお前にも負けねえぞ!
今度こそ食って食って食いまくって、
食卓の底なし沼になってやる!」
「やれやれ、流石にその勝負は結果が見えているかな」
「イグナーツ、戦後、ブリギット来る、良い案、思います」
「いえ、ボクは……」
「ペトラさん。
僕の騎士を引き抜こうとしないでくれたまえ」
フロルが手を叩いて注意を引き、深く息を吸い込んだ。
一人ひとりの顔を見回す。
至極真面目な顔で、しかし声色に茶目っ気が滲んだ。
「歴史に残る戦いになるだろう。
吟遊詩人たちは俺たちの唄を作り、
幾千年かけても色褪せることなく語り継がれる。
そこで、提案がある。
この日を、聖フロリアヌスの日と名付けよう。
昼間から酒を飲んで良い日だ。
昼寝をしても良い、家族と暮らしても良い。
美味い物を食べ、仕事を全て放り出す日だ!」
天幕が笑いで包まれた。
腹を抱えて笑う者も、囃し立てる者も、呆れた者もいる。
これで良い。
最後の戦いだからといって、気負う必要はない。
二年間を思い返しながら、フロルは立ち上がる。
「この場にいる誰一人欠けることなく、
新年を今日のように笑って迎えたい」
杯を掲げるのに皆も合わせた。
「共に征こう。
フォドラの未来のために」
勢いよくぶつかり合った杯から酒が零れ落ちる。
コンスタンツェの高笑いが響き渡り。
シルヴァンがユーリスに絡まれる。
フレンが酒に手を伸ばしてセテスに窘められた。
ラファエルとバルタザールの腕相撲が始まった。
その様子をベレスとレアが温かく見守っていた。
時のよすがに導かれて、辿り着いた果て。
フォドラの命運を賭けた、
最後の戦いが始まろうとしていた。
次回 最終決戦 投稿予定2026/05/30