時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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最終話 夜の星

 

 兄弟姉妹の積み重なった死。

 暗く冷たい地下牢の底。

 女神への憎悪だけを頼りに一人生き延びた。

 苦しみの果てに手に入れたはずの力だった。

 

 山間から差し込む、朝の陽射し。

 ガルグ=マクで見た、強く輝く双紋章。

 伸ばした手は届かず。

 色褪せ、光を失っていくヒューベルトの瞳。

 

 すべてが掌から零れ落ちていく。

 

 

 帝国暦1181年、孤月の節

 迫りくる連合軍の気配を感じて、邪竜は覚醒する。

 巨大な翼がゆっくりと広がり、剥がれ落ちた黒い鱗が降り注いだ。

 赤煉瓦の屋根が砕かれ、民家が紙のように押し潰される。

 逃げ遅れた住人の悲鳴は翼の風圧によって瞬時に掻き消された。

 

 邪竜の胸の中心。

 エーデルガルトの眼がゆっくりと見開かれた。

 流れ込んでくる憎悪が胸の内を焼き焦がす。

 フォドラ全てを滅ぼしてなお、収まり切らない怒り。

 生贄になった者たちの嘆きが重なり合った。

 

 ギュゥルルアアアアァァッ!!

 

 顎から、大気を引き裂くような鋭い叫びが放たれる。

 帝都の硝子という硝子が、振動で一斉に砕け散る。

 街に火の手が上がり、這うように広がっていく。

 邪竜から赤い光が禍々しく漏れ出し、溢れ出す怒りが連合軍に向いた。

 

 雲が帝都へと流れ、雷鳴を轟かせ、渦を巻く。

 その真下。

 右翼の先頭を黒鷲の学級が馬で駆ける。

 風で乱れた前髪をフェルディナントがくしゃりと握った。

 

「……いよいよここまで来たな。

 まさかこの私が帝都に攻め上るとは想像もしていなかった」

 

 思うところはなかったわけではない。

 それでも、

 全てを飲み込んで、彼女の野望に賭けたはずだった。

 

「悪い風向き、しました。

 しかし、それだけ、ありません。

 わたしも、フォドラ、来て、様々、知りました。

 流れ、逆らう、できない……できませんでした」

 

 ペトラが馬を寄せて、フェルディナントの肩に触れた。

 カスパルが反対側から背中を強く叩いた。

 

「お前らしくないぜ、フェルディナント!

 勝った奴が正義だ!そんで帝国は負けた!

 だが俺たちはまだ死んでねえ。

 なら、やるべきことは一つしかねえだろ!」

 

「あ、あたしは、皆さんが生きていて良かったなって……。

 あ、いや、引きこもっていたあたしが、

 なにを言うんだって思われるかもですけど……」

 

 もじもじと指を弄るベルナデッタに、リンハルトが頷く。

 

「たまにはベルナデッタも良い事を言うね。

 ああなった以上、僕たちが彼女にできることなんて、

 止めるくらいしかないと思うけど」

 

 フェルディナントは一度強く眼を瞑った。

 再び開いた眼には貴族としての矜持と覚悟が宿っていた。

 

「ああ、そうだな。そうだとも。

 ならば行くぞ、諸君!

 我ら黒鷲の学級の力を見せてやるのだ!」

 

 砲台が次々と起動し、連合軍に業火の雨が降り注ぐ。

 だが臆することなく、黒鷲の学級は帝都へと駆けた。

 

 連合軍の左翼は、金鹿の学級が担っていた。

 

「……ヒルダさんは、あれで良かったのかね?」

 

 心配そうに見つめるローレンツにヒルダはかぶりを振る。

 

「まあねー、心配してくれてありがとう。

 本当は乙女の怒りをぶつけようとも思ったけど、

 でも、あんなクロードくん見ちゃったらさ。

 そういう気も失せて……、

 あ、でも、代わりにラファエルくんにお願いしたから!」

 

 ぶんぶんと腕を振るヒルダに、ラファエルが豪快に笑う。

 

「おう!

 クロードくんも本気でやって良いって言うからよ!」

 

「ボクは止めたんですよ!

 びっくりするくらい空を舞って……」

 

 イグナーツが困り顔で首を横に振る。

 レオニーがけらけらと笑った。

 

「ありゃ見物だったなー。

 わたしとしてはもう一回くらい見たいところだけど」

 

「私は……その、

 クロードさんがやりたかったことも、わかるんです。

 でも、ホルストさんの犠牲は必要だったのかなと、

 そう考えてしまって……」

 

「ふんっ、当然の報いです。

 大体、わたしとマリアンヌはともかく。

 誰にも相談しないなんて、

 こうなって当たり前じゃないですか」

 

 勝手に話し出す同級生に、ローレンツは肩の力を抜いた。

 市街の影から続々と、亡者化した帝国兵の群れが現れる。

 

「フッ……ならばクロードの分まで、

 この戦場で僕たちの力を存分に披露せねばなるまい!」

 

 ローレンツが小紋章を輝かせ、魔杖を振るう。

 黒煙と魔力の残光が入り乱れた。

 金鹿の学級は、個々の力を一つの潮流へと変えていった。

 

 

 邪竜が一際大きく身震いすると、ゆっくりと翼を広げる。

 その内側に、膨大な数の黒点が生まれる。

 一発一発がメティオに匹敵する破滅の塊。

 誰もが、その一瞬に息を止めた。

 空を埋め尽くす魔力弾が無造作に連合軍へと放たれた。

 

「私も長らく生きたが……。

 これほど負けられぬ戦は、そうあるものではないな」

 

 セテスが煤のついた頬を手の甲で拭い、光を放つ聖槍を掲げる。

 適合反応の光と共に、魔力弾の雨を英雄の遺産と神聖武器が迎撃した。

 次々と反撃が放たれる。

 邪竜は鬱陶しげに片翼で魔法と矢を弾き、首をもたげた。

 世界が軋みを上げる。

 顎から漆黒の光が溢れ出した。

 

「……おいおい、こりゃやばいんじゃないか?」

 

 ユーリスが笑みを忘れ、呟いた。

 

「総員、衝撃に備えよ!」

 

 アロイスが叫んだ直後──。

 空気を引き裂くような甲高い音が鳴り響く。

 黒炎のブレスが街の目抜き通りを真っ向から貫いた。

 熱波で石畳は赤く溶け出し、立ち並ぶ石造りの壁が粉塵を巻き上げて崩落する。

 鐘楼が飴細工のように焼け落ち、入り組んだ路地裏が紅蓮の地獄に飲み込まれた。

 

 攻撃に晒された連合軍は多重の障壁と聖盾を展開して辛うじて耐えていた。

 ラファイルの宝珠が最先端で輝きを放つ。

 メルセデスに襲い掛かった亡者を、アネットが魔槌で吹き飛ばした。

 

「メーチェ!大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。アンが守ってくれるもの~」

 

 邪竜は再びブレスを放とうとして、動きを止めた。

 

 違和感。

 

 フロルもベレスも、レアでさえ広い戦場に姿を現さない。

 

 ブレスを、連合軍ではなく、空に浮かぶ雲へと向けて解き放った。

 切り裂かれた雲の中から、巨大な白い影が日の光を遮って現れる。

 雪原の処女雪よりもなお白く、磨き上げられた真珠のような鱗を持つ竜。

 かつて女神はその美しい玉体を見て、「白きもの」と名付けた。

 

 レアが真の姿を現して、邪竜に向かって羽ばたく。

 その背にはしがみつく、フロルとベレスの姿があった。

 

「こちらの狙いに気付くか。

 エーデルガルトの思考が混じっているな」

「どうする?」

「このまま行こう。レア、頼む!」

 

 魔力弾の群れを、白竜は宙を舞うように避ける。

 翼を閉じて、矢のように邪竜へ向けて急降下し始めた。

 邪竜は迎撃のパターンを変える。

 魔力弾を無造作に放つのではなく、追い詰めるように。

 幾重にも重なり、逃げ場のない檻を空に形作っていく。

 

 中心を通すように、ブレスを直撃させようとして──。

 攻撃はあらぬ方向に向き、帝都近くの草原を焼き払った。

 一騎が緑の海を駆け抜ける。

 

 ハピのため息が邪竜の意識を引き寄せた。

 

「なんで俺ってば、

 こんな損な役割引き受けちまったんだか」

「はあぁぁ……もっと早く走れないの?

 このままじゃ、ハピたち丸焦げだよ」

「ははは、陛下の馬じゃないんだから、

 これ以上の速度は、っと!」

 

 騎兵を追うように、黒炎のブレスが草原を灰に変える。

 手綱を握るシルヴァンの後ろにハピがしがみついていた。

 

 排除している時間はない。

 

 迫る白竜に、邪竜は人と獣の部分を分けて動かす。

 憎しみに突き動かされたエーデルガルトが表出した。

 

 白竜の翼の下を、巨大な火球が轟音と共に通り過ぎる。

 急降下からの急上昇で、死神の指先をすり抜けた。

 邪竜の視界から、二人の姿が消える。

 

 

 既に、白きものの背にはフロルとベレスの姿はなかった。

 

 ベレスを抱きしめたフロルが、瓦礫と化した帝都へと自由落下する。

 邪竜の巨躯の陰から、エーデルガルトの憎悪に満ちた視線が射抜いた。

 放たれた火球を天馬が遮る。

 

「ここは私に任せて先へ!」

 

 イングリットが魔槍を叩きつけて、火球を二つに割った。

 天馬が熱風に翼をあおられながら、破壊の嵐の中を必死に飛翔する。

 

「シェイバー!」

 

 フロルが風の中級魔法で落下の速度を緩めた。

 アネットの努力が遂に実を結んだのだ。

 着地の寸前。

 二人は滑り込んだヴァレリアの背に飛び乗った。

 愛馬は瓦礫の山をものともせず、力強い脚取りで駆ける。

 崩れかけの尖塔を縫い、崩落した屋根の上を稲妻の如く。

 

「爆ぜ散るがいい……!」

 

 激昂したエーデルガルトの叫びが、帝都に響き渡った。

 ただ二人へ向けられて、邪竜の怒りが放たれようとする。

 意識の間隙。

 アッシュの狙いすました矢が、エーデルガルトの頭部に直撃した。

 

「僕たちは絶対に負けません」

 

 衝撃がエーデルガルトの意識を揺らし、思考が乱れた。

 再び視界が開けた時には、ヴァレリアが迫っていた。

 

 跳躍したヴァレリアに、邪竜の右腕が唸りを上げて振り下ろされる。

 フロルの双紋章が輝きを放ち、紫雷を纏ったアラドヴァルが突き出された。

 

「終わりにしよう、エーデルガルト」

 

 猛りに呼応するように魔槍の輝きが膨れ上がる。

 硬質な黒い鱗を貫き、邪竜の右腕を斬り落とした。

 滝のような血が降り注ぎ、崩壊した宮殿にどす黒い染みを作り出す。

 腕を失った激痛が、エーデルガルトの意識をさらに苛烈に焦がした。

 

「貴方さえ……貴方さえいなければ!

 腐った世界を焼き尽くし、今一度、人の手に取り戻す!

 人が自ら立ち、支え合う世界に、貴方の居場所はない!」

 

 闇の炎が邪竜の顎に収束していく。

 渦を巻きながら、禍々しい光が地上を照らし出した。

 銀光が奔る。

 天帝の剣が蛇のようにしなり、下顎を切断する。

 瞬間、収束に失敗した炎が暴走し、制御を失った。

 大気を砕く爆発が、邪竜の頭部を吹き飛ばした。

 

「──それは違うよ」

 

 ベレスが静かに、よく通る声で言った。

 

「フロルもレアも、みんな人なんだ。

 笑って、泣いて、心が通じ合える。

 話しても分かり合えないかもしれない。

 でも、違うものだと決めつけるのは間違っている」

 

「世迷言を……!

 師、貴方もまた女神の尖兵に過ぎないわ!」

 

 悲鳴のような絶叫。

 天に巨大な炎の紋章が浮かび上がる。

 暗黒の魔力が邪竜から解き放たれた。

 

 すべてが灰色に染まる。

 

 崩れ落ちる瓦礫は空中に縫い留められていた。

 ベレスもフロルも動きを止める。

 誰の呼吸も聞こえない。

 夜闇のような静けさ。

 世界そのものが、死んだようだった。

 風も、花も、雪も、月すら完全に停止した世界。

 

 女神にのみ許されたはずの力を、邪竜が解放した。

 

 静寂の中で、ただ一人。

 人をやめた赤黒い瞳が、じっと二人を見つめた。

 ゆっくりと瞬きをする。

 やがて、全てを振り払い、残された左腕が掲げられた。

 

「……消えなさい」

 

 小さな呟きだけが世界に反響した。

 光の杭を遥かに超越する魔力が集約していく。

 深淵を思わせる黒々とした球体。

 絶望の泥濘、世界を破滅に導く闇。

 邪竜は帝都ごと二人を消し飛ばさんと、力を凝縮させた。

 

 

 

 

 

 永遠に感じられる静寂の中で──。

 

 無意識に、フロルの指先がぴくりと動いた。

 

 天帝の剣を握るベレスの手に、そっと触れる。

 そこへ、もう一つ。碧髪の少女の手が重なった。

 

 

 今ここに、女神の力と肉体と魂が揃う。

 

 

 闇を光が貫いた。

 巨大な奔流となって光が天帝の剣へと注がれていく。

 剣の刃に、覇道を超えて、世界を司る力が顕現する。

 

 

 手を重ねた三つの影が剣を掲げた。

 亀裂が走り、灰色の世界が崩壊を始める。

 砕けた欠片が、雪のように闇へと消えていく。

 フロルとエーデルガルトの視線が交差した。

 

 吹雪の中でただ一つ、星灯りが道を照らしていた。

 

 その瞳を見たエーデルガルトの動きが、わずかに鈍る。

 振り下ろされた光が、灰色の世界ごと邪竜を断ち切った。

 




次回投稿予定2026/06/01
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