「どうしましたか?存在しない筈の"チョキ"を見たような顔をしてますが」
そんな煽りが聞こえて、俺の止まっていた時が動き出す。歌八ハちゃんの表情は相変わらず読めないけれど、声色からして楽しそうなのは確かだった。そして、その楽しそうにしている理由もハッキリとしている。
「……その通りの事が起きてるんだ。当然するよ。それで、どういうことかな?さっきの君の姿は演技だったと?」
「いやいや、まさか。私ははちゃんと返答に困ってましたよ。だって、
「……なんだって?」
言葉の意味が理解できない訳じゃなかった。俺だって負け確定の勝負に乗った訳じゃない。歌八ハちゃんの先にルールを知っていた、という発言を嘘だと見抜き、レイズまでしてきた彼女の行動をブラフだと思い込んでしまったからこそ、俺は最後の勝負に乗ったのだ。
逆に、最後に歌八ハちゃんがブラフを張っている訳ではないと思ったのなら、俺は勝負には乗らなかった。俺は間違いなく
だが、それは歌八ハちゃんの得るポイントも半分になるということを意味している。だから、歌八ハちゃんは自身の手を単なるハッタリだと思い込んで欲しかった、という考えは確かに理解できる。理解できるが──今の発言は、まるで
「ええ、してませんよ。入学式だけがあると思ってる新入生がこんな変なカードを作って持ってくると思いますか?」
「……思考を読まないでくれるかな?」
「ごめんなさい。何を疑問に思ってるのかが分かりやすかったので」
「私たちが遊んだこのゲーム、あっち向かずホイはゲーム内の行動について全てカードを使用する以外のルールはあっち向いてホイと同じ様に見えますが……まだ、明らかに違う点がありますよね。比台先輩、どこか分かりますか?」
「それに答える必要はあるのかな?」
「まあまあ。こういうのは一つ一つ紐解いていくのが楽しいんですよ。それとも分かりませんか?」
「……じゃんけんの勝敗を決める前に方向カードを出す必要がある所」
「正解です。比台先輩が間違えたらどうフォローしようか悩んでましたが、余計なお世話でしたね」
歌八ハちゃんの煽りは聞き流しつつ、俺は彼女の話を待つ。もう、勝負は決まったようなもの。無駄に声を荒らげたって、ただただこちらが空しくなるだけだろう。
「本来のルールならばあっち向いてホイが行われるのはじゃんけんの勝敗が決まってからです。そのルールのままならばあっち向かずホイもじゃんけんの勝敗を決めてから、方向カードを互いに出すべきですが……その場合、確実に被らない方向カード、つまり安牌を持っていれば、その数だけじゃんけんに負けても大丈夫になります。それを嫌ってのルール変更でしょうね。
そのルール変更によって、安牌は切れば確実に負けないけれど、同時に確実に勝てないという状況を生むカードとなりました。つまり、互いに勝ちを狙うのならば安牌なんか切っている場合ではなく、負けるリスクも承知して談合をしてでも方向カードを揃える必要があるということです」
「両プレイヤーが共に方向カードを揃える様に動けば、自然と方向カードは勝手に揃う。つまり、プレイヤーが勝つために考えるべき事はどうすればじゃんけんに勝てるか、というシンプルな問題のみになる」
そして、その答えこそが事前に用意しておいたカードによるすり替え──な筈だ。
自分が親であるのならあいこルールも含めて確実に勝てる手を。自分が親でないのなら自身の四枚目を先に見せておいてその同じ手の二枚を残し、そこから予測できる相手の手に勝てる手を出す。それが、このゲームの最善手。自身も去年に使われ見事に敗北した、この学校にだいだい伝わる
だが、歌八ハちゃんの選んだ手はこれじゃない──らしい。
ならば、俺はそれを知らなければならない。ただただ八十ポイント失うだけなら大損なのだから。
「で、君はその前提を経て、どんな戦術を取ったのかな? 」
「そうですね、比台先輩。三平方の定理の証明方法って知ってますか?」
「……それに君の取った戦術になんの関係があるんだい?」
「質問にはちゃんと答えてくださいよ。それとも数学は苦手ですか?」
「分かった分かった。いちいち煽られなくてもこれからはちゃんと答える」
「恐縮です。では、どうぞ」
「……まあ、俺もハッキリ覚えてる訳じゃないけどね。確か直角の点から垂線を下ろすんじゃなかったかな?あとは相似の比で」
「正解です。他にも三角形に内接円を描く方法や三角形を四つ用意して、二つの正方形を作る方法もありますね。こんな風に三平方の定理を証明する方法は色々ある訳です。たまに新しい証明方法が見つかったなんてニュースもありますし……そこで、比台先輩。新しい三平方の定理の証明を見つけてやろうと机に向き合った経験はありますか?」
「……ない、けど。その、なんだ。話の流れとしては君には経験があるって事かな?」
「いえ、ありませんけど」
「おい」
じゃあ、さっきのはなんの為の話だったんだよ、という意思を込めて目線を向けると、歌八ハちゃんとしてもその意見(別に口にはしてないけど)は心外だったらしい。すぐに口を開いた。
「私が言いたいのはですね。三平方の定理の証明なんていくつも正解があるのに、比台先輩は一つしか知らなかったという事を言いたいんですよ」
「……それはそうじゃないかな。定理の証明なんて一回で充分だし。学校で一回習えば、わざわざ自分で調べる必要なんてない」
「ええ、その意見に大きな間違いはありません。ですが、比台先輩。正解の一つを知っているのと、
「……何が言いたいのかな」
「あっち向かずホイが禁止していたのは伏せているカードのすり替えです。だから、伏せる前ならばカードを事前に準備しておいたカードとすり替えても良い。あっち向かずホイのじゃんけんに勝つための手段としては、その考えは確かに正解の一つでしょう。ですが、ルールで禁止されてないのはそれだけでしょうか?」
歌八ハちゃんのその言葉に、反論どころか言葉を吐き出すことすらできなかった。想定外の事実を突きつけられ、思考の歯車が少し止まる。だが、歌八ハちゃんはそんな俺を意にも介さず話を続ける。
「きっと、去年更に上の先輩に同じ戦法をされて負けたんだと思います。それで、この戦法をこのゲームの正解だと思い込んでしまった。ですが、マーキングのような行為も別に禁止されていません。そして、
カードの加工。その言葉に一つ、たった一つ思い当たる節があった。歌八ハちゃん──彼女は、確かに試し書きの用紙としてカードにも使えるぐらいの小さな厚紙を手渡されている。あれにチョキとでも書いておいて、カードを落とした時にでも適当なカードの厚紙と貼り替えておけば"チョキ"のカードは作れる。
だが、それでもまだ問題点はある筈だ。
「……確かに君はカードの加工に必要な素材もあったし、俺に見られずに加工できるタイミングもあった。けど、セロハンテープはどうした?確かにこのカードは作りは雑だけど、セロハンテープは比較的しっかり貼られている。いくらゆっくり剥がしたって、この静かな教室で音も立てずに剥がせるとは思えない」
「だったら、音を立てても大丈夫なタイミングで先に剥がして粘着力を落としておけば良いんですよ。一回剥がしたセロハンテープの粘着力なんて信頼に値しませんからね」
「それはそんなタイミングがあればの話だよね。歌八ハちゃんの手元が隠れていて、音を立てても問題ない様なタイミング。そんなタイミングどこにも──」
そこまで喋って、ようやく気づいた。
じゃんけんと方法カードの準備時間。あの時、あの瞬間、
つまり、だ。あの瞬間にはもう既に歌八ハちゃんはルールの穴に気づいていて。そして、俺がその穴を利用して取る
「最終ラウンドの勝負に乗った上で、あえて事前準備をしていたと大嘘をつけば当然見抜かれる。そして、私の戦法は損切りからの無視できない損が生まれそうになったので最後に一か八かのハッタリだろうと比台先輩は思い、勝負に乗ってきてくれる。あとは説明は要りませんね?」
「……最低限しか賭けなかった理由は?歌八ハちゃんなら、俺からもっとポイントを奪えたんじゃない?」
「奪えたでしょうけど、一貫性がないと変な所で疑われますからね。八十ポイント近く貰えるのに、十数ポイントのために変な疑問は与えたくありませんから」
「……生意気な後輩だな、君は」
何を言っても負けは負け。完全に
「
「勿論、確認します」
「では、
凍さんの手で、二枚の方法カードが捲られる。当然、"右"で揃った二つのカードが示す結果はただ一つだった。
「最終ラウンドの勝者は柊様です。八十ポイントを獲得しました。これにて、ゲーム、あっち向かずホイを終了致します」
比台ヒムロ、一年越しの大敗北。そんな、なんて事のない結果だった。
「いぇーい、五十三ポイント。いやぁ、先輩太っ腹だねぇ」
全体的に短く、それと対比するように長いドリルポニーテールを靡かせた、赤い髪の少女だった。
上履きを見れば
「最後に答えて貰うわよ……どうやって私の手を読んだのかを……!!」
「……まだ気づいてないんだ先輩。はぁ……やれやれ、仕方ないなぁ。自分のカードを見てみなよ。ちゃんと裏側までじっくりね」
「──まさか」
「まさか、って考えの時点でダメダメなんだよねぇ先輩は。相手の手に自分の生命線であるカードを握らせる意味、ちゃんと考えてた?」
彼女の取った戦術はシンプルな物だった。
まずルールの不備を指摘して、最初に手渡された八枚のカードのみでゲームを行うこと。それと、すり替えが起きない様に互いのカードにサインを書く行為を要求。そして、相手のカードにサインを書く際に、しれっと裏側にマーキング。あとは一ラウンド目に相手の手が分かれば、自ずと裏だけで相手の手が何か分かる。
相手の手が分かるじゃんけんに負ける通りはないだろう。
「とはいえ、ルールの不備を指摘できる新入生が僕以外にどれだけいるかって話だよね。案外、僕以外みんな借金背負っちゃってるんじゃない?いやぁ、怖いねぇ
「確かに、既に二十人程度が借金を負っているようだな。中には八十ポイントを越える者もいる」
「やっぱりぃ?んんん、まあ仕方のないことなのかもねぇ。このゲーム明らかに僕たちが不利のルールだからさ。まっ、僕は勝ったけど」
「そうだな。だが、お前以外にも勝っている生徒もいるようだ」
「おお、そりゃそりゃあ何よりだよ。ち、な、み、に~?その勝っている生徒の中で一番勝っているのは誰なのかなぁ?あっ、僕なら僕って言ってね?自分で言っててあれだけど、それが当然とい──」
「柊歌八ハ。七十九ポイントの大勝だ」
「あ"ぁ"?」
先程までとは明らかに違う声色を出し、仮面をつけなくても節分の主役を張れそうな表情を見せる少女。しかし、生徒会役員と先輩の二人から驚きの目で見られているのに気づいて、わざとらしい咳をしてから、逃げるように教室の扉へと歩き出す。
「柊歌八ハちゃんかぁ……うんうん、仲良くなれるだろうな僕達。まずは格の差を思い知らせてからだがよ」
| 一年五組十五番 |