ゆらゆら、と視界が揺れる。
揺れるとは言っても、不快な揺れ方ではない。心地よい、ゆったりとした揺れだ。
間違いなく雪山に居るはずなのに、何だか温かだ。
「一光さん、大丈夫ですか?」
「……え?弓月さん?」
不意に、見覚えのある顔が出てきた。
わたしの護衛を務めている弓月さんだ。後ろでまとめた黒くて長い髪を揺らしながら、わたしの顔を覗き込む。
「あ、はい……まあ……」
身体に悪いところはなかった……と、思う。寝ぼけて頭が回らないからか、曖昧に答えてしまう。
「なら、良かったな。安心したぜ」
弓月さんとは別に、聞き覚えのある声が聞こえた。男の人のものだ。
それも、わたしの目の前からだ。
「えっ……鋼太郎……?」
その声は、間違いなく鋼太郎のものだ。聞き間違えるわけがない。
そして、今になって気がついた。
わたしは、おんぶされているのだ。鋼太郎の背中で寝ていたのだ。
……どうして鋼太郎におぶんされてるんだろう?
「えっと……降りて良い?」
「ああ。無理はするなよ?」
「うん」
返事をすると、地面に足をつけ、鋼太郎の背中から離れる。
それにしても、こんな年になっておんぶされるのは変な気分だった。
近くを見渡すと、雪山の麓だった。わたしは、鋼太郎に連れられて山から降りてきたようだ。
「……ん?」
……いや、待て。大事なことを忘れてないか?
そもそも、どうしておんぶされていた?
「……あっ!試練!」
思い出した。いや、思い出してしまったというべきか。
顔から血の気が引くのを感じた。
「そうだ……負けたんだった……」
肩を大きく落とす。
刀を失い、わたしは氷の聖獣に素手で戦いを挑み、痛烈な一撃を貰って負けたのだ。
拳を腹に打ち付けられ、無様にも気絶。それが、わたしの目覚める前の記憶。
わたしは、試練に負けたのだ。
「なあ、つばさ……おい……」
鋼太郎が話しかけてくるが、頭に入らない。成すべきことを成せなかった。それが、今のわたしだ。
「つーばーさ!聞いてんのか!」
「……なに?」
何なんだ、と思いながら顔を上げる。一体何を言われるのかと、身構える。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「…………え?」
勘違い?わたしが負けたのは事実だろう。実際、こうして契約もできずに、山を降りたのだから。
怪訝な顔をしていると、鋼太郎はため息をつきながら頭を掻く。
「まあ、とりあえずは話を聞こうぜ」
鋼太郎が指をさす。わたしに向けてるのかと思ったが、違うらしい。
後ろを見ろということだろうか。とりあえず、振り向く。
「ええっ!?」
変な声が出てしまう。
だって、そこには白い着物に黒い髪の女性────氷の聖獣が立っていたのだから。
「な、何で氷の聖獣様が……?」
「ずっと一緒に下山されてましたよ?」
さらっと答える弓月さんに、わたしは唖然としてしまう。
どうしよう……全く気が付かなかった。これは、とても失礼なことなのでは?
氷の聖獣は、眉を顰めて目元を痙攣させていた。
「あ、あの……」
「……何?居たらおかしいかしら?」
や、やっぱり怒ってる!何か腕組みしてるし!険しい顔してるし!
なにか言わなきゃと思うが、まともな言葉が出なかった。
必死に言い訳を考えていると、氷の聖獣が大きなため息を吐く。
「……はあ、もう良いわよ。とにかく、説明させてもらえるかしら?」
「説明、ですか?」
一体、何を説明するのか?わたしが負けた以上の情報は必要ないと思うが……。
「単刀直入に言うわ。一光つばさ、あなたと契約する」
「け、契約ですか?」
契約、という言葉に胸が飛び跳ねる感じがした。
負けたはずなのに、わたしと契約するというのか?
「嫌なの?」
「いえっ、嬉しいですけど……わたし、負けましたよね?」
「ええ。負けたわね。完膚なきまでに。正直、この先不安だわ」
氷の聖獣は、そう言うと小さくため息をつく。何と嘆かわしい、と言わんばかりの落胆ぶりだ。
それでも、契約するというのだろうか?疑問の答えはすぐに帰ってきた。
「でもね……逃げなかったことは評価する。召喚士に求められるのは、使命から逃げないこと。最後まで成し遂げようとする強い意志だから」
「強い意志……」
氷の聖獣は「実力が伴わないのも良くわないけれど」と付け加えた。
……確かに、ここで投げ出したら何のために孤児院を出たんだと思い、最後まで立ち向かった。だから、武器がなくても、身体が痛くても戦えた。
「意志なき者に世界を託すつもりはないわ。少なくとも私はね」
「氷の聖獣様……」
少なくとも、わたしの決意は伝わったということでいいのだろうか?複雑だが、嬉しくもあった。
「とにかく、契約するわよ。今日はまだ予定があるのでしょう?」
「あ、はい。お願いします」
契約の準備の為に、左手をかざす。
「……っ」
氷の聖獣が光りだす。光となった彼女は、次第に指輪に吸い込まれていった。
「……あっつ……!」
一瞬だが、指輪をつけている中指が熱くなった。地の聖獣の時もだが、契約すると熱くなるらしい。
「上手くいったのか……?」
「うん、大丈夫だよ」
鋼太郎は、恐る恐る聞いてきた。そんな氷の聖獣を安心させるために、笑ってみせた。
────ですよね、氷の聖獣様?
自身の指輪に目線を移し、氷の聖獣に尋ねる。頭の中に、彼女の返答が響いた。
────つばさ、少しはゆっくりさせない。契約したばかりなんだから。
────ごめんなさい。でも、気になっちゃって……。
万が一にも、契約失敗なんてことがあれば話にならない。そこは、はっきりとさせておきたかった。
────心配しなくても、一緒に戦うわよ
────はい。ありがとうございます!
話を終えると、鋼太郎たちに目を向ける。わたしが話すのを今かと待ち構えていた。
「どうだ?」
「うん。ちゃんと契約出来てる。一緒に戦うってさ」
「よっしゃあ!あー!良かった!良かった!」
鋼太郎が飛び跳ねながら喜びを示す。まるで自分のことかのように喜ぶ彼に、思わず苦笑いする。
区切りがついたところで、弓月さんが手を叩く。
「さて、そろそろ戻りましょう。一光さんも少し休みたいでしょうし」
「そうですね。色々と準備もありますし」
「俺も村の手伝いしなきゃだしなあ。こりゃ、忙しくなるな」
まだ時間はあるが、この後は村を攻めてくる予定の氷狼を迎え撃つことになっている。あくまでも、偶然居合わせたという体でだが。
わたしも、氷の聖獣から力の使い方を教わらなくてはならない。
「……あ。そういえば……」
一つ違和感があった。目が覚めてから気になっていたことがある。
「どうしました?」
「あの……わたしの怪我、全部治ってませんか?」
服はぼろぼろだ。しかし、あれだけ手足にあった怪我は全て治っていた。痛みも全く感じない。
あまりもの不自然さに訝しむ。
「氷の聖獣様が治してくださいましたよ?」
「えっ!?」
あっけからんと答える弓月さん。何を今更、と言わんばかりの笑顔を向けてくる。
────ほ、本当なんですか?
────この後も戦うんでしょ?怪我を理由に文句言われたくなかっただけ。
どうやら、彼女なりに気を遣ってくれたらしい。厳しいことを言いながらも、人間に寄り添ってくれているのを感じた。
────ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。
────……ええ。これからのあなたを、見守らせてもらうわ
こうして、わたし達は雪山を降りて降雪村へと戻っていった。