「ここが風の聖獣の住処になります」
鈴子さんが指差した先には、石畳の階段が見えた。ここを登った先に風の聖獣がいるという話だ。
洞窟、雪山に続いて出てきたのは石の階段。今までの場所に比べれば人の手が入っているのを感じる。ここに来るまでも大した距離では無かったし、魔物もそれほど多くもなければ強くもなかった。だからこそ異質で、少し気味が悪かった。
「つばさ、怖いかい?」
「少しだけ……でも、大丈夫」
「そうか。なら良いけどね」
アリアさんには見抜かれているようだ。それほど顔に出ていたのだろうか。しかし、風の聖獣の話もある。退くわけにもいかない。
「それにしても不思議だねえ。階段が靄で覆われているなんて」
きょろきょろ、と周囲を見渡すアリアさん。階段のみが白い靄が覆われている。不自然な光景だが、事前に聞いていたので驚きはない。
「鈴子さん、風の聖獣の力で外敵が侵入しないように結界を張っているんですよね?」
「その通りです。聖獣の住処は、どこも侵入対策を施しています。風の聖獣様の場合は、歩いても辿り着かない特殊な結界を張っているのです」
このまま入っても次第に入口に戻ってしまうらしい。召喚士であっても例外ではないという話だ。
そこで、鈴子さんの力が必要になる。彼女の一族が代々受け継いでいる通行手形のようなものがある。それを使うのだ。
「鈴子さん。お願いします」
鈴子さんは弓月さんに頷くと、懐から朱色の紐がついた鈴を取り出した。
「はあっ!」
力強く鈴を振る。ゆっくりと三回ほど繰り返す。周囲に、鈴の音が響き渡る。
「あっ……」
鈴の音が鳴り終わると、先程までの靄が嘘のように消えていった。
先程まで見えにくかった階段が、今でははっきりと見える。
「ふむ、皇国は面白い場所があるんだね。少し羨ましいよ」
「例外中の例外ですけどね……」
目を輝かせるアリアさんに苦笑いしながら答える。他の二ヶ所は何もせずとも入れたのだから、ここが特殊なのだ。
「聖獣様はこの先です。皆様、行きましょう」
わたし達は鈴子さんを先頭に、石の階段を登り始めた。
・・・
階段は思っていたよりは長くなかった。結界が解除されていたのもあってか、あっという間に登り終わった。
「あれは……祠……?」
階段が終わった先に続いていたのは、生い茂った木々に囲まれた小さな殿舎。人も獣も寄せ付けない厳かな雰囲気があった。
わたし達が息を呑んでいると、鈴子さんが数の前に出る。
「風の聖獣様、鈴子です。召喚士の方々をお連れしました」
鈴子さんは片膝を突き、凛とした声で風の聖獣に語りかける。村にいた時のやや弱気な女性と同じ人とは思えない程に所作が手慣れていた。
「…………来る」
目の前には誰もいないが、何かがいるのだけは分かる。その何かが、少しずつ近づいてきた。
「っ!」
ふわり、と風が吹く。驚いて目を瞑ってしまう。突然のことだが、不快な感じはしない。
少しずつ目を開けると、先程までいなかった何者かが姿を見せていた。
「あっ……」
目の前にいたのは、鼬鼠を思わせる四足歩行の白い生き物。目つきは鋭いが、睨むと言うよりは模倣する感じだった。良く見ると、毛の中にはところどころ緑色が混じっている。
間違いない。あれが風の聖獣だ。わたし達の目の前に現れた。
「……貴様らが両国の召喚士、か」
風の聖獣が、わたし達よりも早く言葉を発した。それは、質問というよりは確信に基づいた確認だった。
わたしは慌てて自己紹介する。
「は、はい!わたしはオオトリ皇国の召喚士の一光つばさです!」
「ワタシはネイク帝国の召喚士のアリア・アズルローズです。招待して頂きありがとうございます」
アリアさんは、わたしとは反対に落ち着き払っていた。
「なるほど、若くして相当な使い手のようだ。聖獣数体と契約しただけはある」
風の聖獣はわたし達を一瞥して頷く。そこに敵意や悪意は感じられなかった。純粋な興味のようだ。
「それで、ワタシ達に用事とは?」
「うむ。既に聞いているとは思うが、お前達にとって重要な話だ。心して聞いてもらいたい」
アリアさんに促された風の聖獣は、念を押してきた。一体、何の話なのだろう……。
「お前達は創造主を呼び出した召喚士の、その先の話を聞いたことはあるか?」
「創造主を呼び出した召喚士の……先の話……?」
突然、何を言い出すのかと思えば役割を終えた召喚士がどうなるかと聞いてきた。いきなり何を言い出すのか。
しかし、言われてみれば聞いたことも考えたこともなかった。自分の事だと言うのに、頭から抜け落ちていた。
「えっと……ごめんなさい。皆さんは聞いたことありますか?」
弓月さん達に聞いてしまった。本当に心当たりがなかった。役割を終えた召喚士の話も資料も触れた記憶がなかった。
「都の資料にはそれぞれ希望した進路を歩んでいると記載されていたはずです。家業を継ぐこともあれば、旅に出ることもありました。特筆すべき点は無かったかと」
私が覚えている限りではですが、と付け加えて答える弓月さん。
次に、アリアさんが答えた。
「ワタシも同じかな。聞いた話では戦いから身を引いているはずだ」
「ふむ、そうか……」
風の聖獣は、それだけ言うと黙ってしまった。何かを思案しているように見える。
「あの、それと今回の事が関係あるんですか?」
わたしは、風の聖獣を思わず急かしてしまった。何かあるのは分かってはいるが、早る気持ちを抑えられなかった。
「その様子だと知らないのだな。自分達の運命を」
「……え?」
自分達の運命?召喚士の役目を終えた後に何があるというのだ?
同じく、アリアさんも怪訝な顔をしていた。
「風の聖獣、失礼ながら何が見えてこない。単刀直入に言ってもらえないか?ワタシもつばさも時間が惜しい」
「そうだな。すまなかった。言わせてもらおう」
アリアさんに促され、風の聖獣は改めて話す準備をする。
空気がヒリヒリするのを感じる。わたしも、アリアさん、弓月さんも、鈴子さんも、風の聖獣から出る次の言葉が怖いのだ。
風の聖獣は、わたし達が見守る中で口を開いた。
「当代の二人の召喚士よ。役割を終えた後にお前達は……」
「死ぬんだよ。寿命を吸われてね」
「えっ?」
突然のことだった。声が聞こえた。
わたしでも、アリアさんでも、弓月さんでも、鈴子さんでも、もちろん風の聖獣でもない、何者かの声が聞こえた。
男の子の声だ。わたしよりも年下の子どものものだ。無邪気というよりは、どことなく擦れた厭世観に満ちた雰囲気だ。
声が聞こえること自体がありえない。ここには、わたしたち以外の人間が足を踏み入れることはできないはずだ。
だが、その声は確かに耳に入った。
「そうだよね?風の聖獣サマ?」
茂みの中から声の主が出てきた。
男の子だ。垂れ目に緑色の外套、一本の編み込みに纏めた長い髪が特徴的な少年だった。
さらに目を引いたのが金色の首輪だ。装飾にしては主張が強く感じた。
見た目だけではない。その目を見れば分かる。遊びや悪戯で済まそうという雰囲気ではなかった。
風の聖獣は、問いかけに答えず少年を睨みつけていた。
「そんな……!ここに他の人が入れるなんて……!」
鈴子さんは驚きのあまり口を手で覆った。その様子が、今の異常さを物語っていた。
弓月さんは前に出て腰の剣に手をかけた。
「あなたは何者ですか?所属と名前を言いなさい」
「呑気だね。召喚士を守る立場でありながら、当人を地獄に放り込もうとしているんだから」
「何を……!」
弓月さんは眉を顰める。
当たり前だろう。いきなりそんなことを言われても信じられない。
だが、わたしとアリアさんを呼び出した理由がそれなら合点もいくのも確かだ。
風の聖獣達さえ否定してくれれば……そう思っても、当の聖獣達は何も言わない。
「地の聖獣様!氷の聖獣様!」
召喚士の指輪に向かって声をかけるが、聖獣達は何も言わない。
「そんな事ありませんよね?答えてください!」
────一言……たった一言で良い。否定すれば良い。
しかし、その一言すら聞こえてこなかった。聖獣達は黙したままだ。
焦燥感が、わたしの全身を支配していた。
「降り注げ七色の剣……」
少年の凛とした声が響き渡る。
これは、魔術の詠唱だ。詠唱と共に周囲の魔力が少年に集まっていく。こちらを攻撃するつもりなのだ。
「っ!構えて!」
弓月さんが叫ぶ。
止めに行くのは間に合わない。ならば、攻撃に備えるしかない!
少年が右手を空に掲げる。それと同時に、首すじが粟立つのを感じた。
「プリズムソード……!」
少年の声と共に、巨大な七本の虹色の剣が、上空から降り注ぐ!
狙いは当然、わたし達だ。
「くっ……!」
自分達だけならなんとかなるかもしれない。だが、今は鈴子さんがいる。
これだけの巨大な剣からどうやって守れば良い?聖獣の力を使うにしても、防げるのか?
そんな思案を悠長に広げていると、背後から風が吹いた。
「っ!これは……?」
少年の物とは違う魔力だ。これは、風の聖獣の力だ────!
「破っー!」
風の聖獣が咆哮する!突風がわたし達の脇を駆け抜けると、風の壁がになって目の前に形成される!
「うわっ!」
強風に煽られ、思わず倒れそうになる。
先程までこちらに向かってきていた七本の剣は、軌道を変えて別方向に散っていった。
「ちぃっ!流石だね……だったら!」
「なっ……!」
術を防がれた少年は、舌打ちしながら勢いよく走り出した。
向かう先は───風の聖獣!
「行かせない!魔神剣!」
少年に向かって刀を引き抜いて衝撃波を飛ばす!
「邪魔だあああー!!」
だが、衝撃波は少年の回し蹴りによってかき消される。少し減速したものの、すぐに走り出した。
「くっ……!待て!!」
わたしが走り、弓月さんも矢を放つが追いつけなかった。
「うおおおおおおおおおっ!」
少年の拳が光る。魔力を纏わせているのだろう。あんなものが当たったらただでは済まないに決まっている。
止めなきゃいけないのは分かっているが、少年は既にわたし達の手の離れた所にいる。
少年は躊躇なく、風の聖獣に拳を振るった。
「光滅拳!」
光を纏った拳が風の聖獣の顎を打った。その振動で空気が震える。
「ぐああああああああああっ!!」
風の聖獣が、身を捩る。足を揺らしながら叫ぶ姿は痛々しかった。
─────風の聖獣!
地の聖獣と氷の聖獣の叫びが頭の中で響く。
しかし、そんな彼らの叫びも虚しく、風の聖獣は痛みに悶える。次第に声が途切れると、風の聖獣は地面に伏した。
「これが聖獣か……情けない!」
少年は塵でも見たかのように腹を踏みつける。風の聖獣の悲鳴が、さらに響く。
「っ……!ふざけるなあ!」
思わず叫ぶ。さらには、刀を握る手が強くなる。
相手は聖獣を一撃で倒すほどの相手と分かっているが、許せなかった。
「来なよ。文句があるならかかってこい!」
わたし達を鼻で笑う少年。その垂れ気味の目は、自信に満ち溢れていた。
「言われなくたって!」
聖獣をあっさりと倒したのを見せられても、わたしの中に恐怖なかった。むしろ、この少年を止めなければならないと思った。
「一光さん!慎重に!」
「はい!」
弓月さんに返事をして、少年に向かって走り出す。
聞きたいことは山程ある。それでも、この少年の蛮行は許されるべきではなかった。