「本日午前7時、突発的異常気象に
伴い避難指示が発令されました」
「付近にお住まいの皆さまは」
「速やかに最寄りの避難場所への
移動をお願いします」
「こちらは
見滝原市役所広報車です。
本日午前7時……」
――20**年6月17日
私たちが暮らす見滝原市は、未曾有の『嵐』に晒されていました。
テレビの中継車も、嵐に阻まれて碌に近付くことができず、アナウンサーがしきりに声を張り上げてこの町の「今」を必死に伝えようとしています。
でも、私には、画面の向こうで今まさに起こっている出来事に……車が、家が、「ビル」が宙を舞っている現実に……遠目に崩れていくこの町の映像に、全然現実味が持てなかったんです――。
不謹慎なことですが……まるで、自分が
――だから、荒れた黒い雲の中に青空が覗く、夢のような景色を最後に視界が真っ白な光に包まれて、きっとこれは『長い夢』だったんだとさえ、思ってしまったのです。
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春先を過ぎた、ほど良く暖かい空気が心地良い。
窓の隙間から柔らかな朝日が射し込む「彼女」の部屋には、壁や、立ち並ぶ棚を埋め尽くす大量のビデオやCDが収められ、外の世界と切り離されているかのように、しんと静まり返っている。
微かに響くのは、映画の緊迫感あるチャプター画面のBGMと、丸いクッションを枕にコタツへ突っ伏して眠る少女の息遣いだけ。
――ふいに、少女が身動ぎをして、抱え込んでいた枕から顔を上げた。
「あ…れ…?
私、いつの間に眠って…?」
ジリリリリリ!
「うううう…もう、起きてますってば…」
掛け布団を払い除けた少女は寝ぼけ眼のまま目覚ましのスイッチをペチンと叩き止めると、傍らのソファの肘掛けへもたれ掛かり、小さなあくびを噛みころした。
重い目蓋を擦り、まだ焦点の合わない視線を床へ彷徨わせながらも、少女は妙に覚めた頭で先ほどの「夢」を思い返す。
「…確か、時間が停止している中…お母さんを看取った病室へ行って…」
「そこで、『咲笑さん』と、お母さんについて大事なお話をしたんでしたね…」
「最後は、町が嵐にめちゃくちゃにされたと思ったら…真っ白な光に包まれて、それで…」
――あの後、どうなったんだろう……?
「………!咲笑さん!?」
夢の記憶を辿り、ボランティアへと向かい離れ離れになっていた咲笑さんのことに思い至った私は、点けっぱなしになっていた映画のことも忘れて自室を飛び出してしまいました。
もし、咲笑さんにまで何かあったら……!
背筋が凍るような光景を想像し、涙で滲む視界の中で私はリビングへの扉を開き――
「あら?『まばゆちゃん』
今日は朝が早いのねえ」
「―――っ!」
「…ま、まばゆちゃん!?
どうして急に――何か、怖い夢でも見ちゃったのかしら?」
そんなふうに……いつも通りに、のんびりと朝ご飯を作っていた咲笑さんを見て、溢れる涙もいとわずに抱きついてしまったのです。
「うふふふ…!朝からまばゆちゃんに抱きしめられちゃうなんて。
これぞ!早起きは三文の徳ってことなのかしら」
「うううう…咲笑さん、あんまりからかわないでくださいよ…」
向かいの席でニコニコと微笑む『愛生咲笑』を、上目遣いで見上げる『愛生まばゆ』は、朝食のトーストをツンと尖らせた口でついばみながら、お皿の上のミニトマトのように目元と耳を真っ赤に染めていた。
彼女が伏せた目をチラリと左へ向ければ、画面の向こうのお天気キャスターは明るい笑顔を浮かべており、『あの嵐』のことなど全く触れられもしない。
彼女の目蓋の裏には、あの嵐がもたらした『昨日』の光景が鮮明に刻まれているというのに……。
ニュースに映る見滝原の町は、春の陽気の中で普段と変わらぬ姿を保ち続けていた。
まるで、この町から一人だけ置いて行かれてしまったかのような違和感を覚えながらも、自身が置かれた特異な状況について彼女は思考を巡らせる。
(実を言うと、昨日のことはただの夢だと考えてもいたんですが…
一つだけ、気になる点があるんですよね)
目線を少し上へとずらし、ニュース番組を映す画面の隅に記された「今日の日付」を再確認すれば、見間違いではなく、そこには確かに『5月16日』という日付が表示されていた。
(…私には、6月17日まで過ごしたここ1ヶ月分の記憶があります
であれば、今日の日付は6月18日になっているはず…
でも、テレビの日付は何度確認しても5月16日です)
(咲笑さんは、パティシエとしてのお仕事以外では少し天然なところもありますが…
いくら何でも、過去に録画したニュースをわざわざ再生しているなんてことは考えられません)
(――何より…私はこれまでにも、『時間』に関する不思議な現象を体験したことがある…!)
サク……!
(もしこれが、あの『時間停止』に関係する現象だと考えるなら…おそらく、今回私が体験したのは…!)
(過去への『タイムリープ』…!?)
トーストの耳をモゴモゴと食べ進めながら伏し目がちに眉を顰める愛生まばゆは更なる思考へと没頭していく。
(嵐が町を襲ったときは、これまでで最も長く時間が止まっていました。
もし、さっきの推測が正しいなら、あの日訪れる『嵐』こそタイムリープが起きる原因なんで…)
「――まばゆちゃん?
ずっと考え込んでいるみたいだけど…。
何か悩み事でもあるのかしら?」
「しょぅえっ!? …い、いえ!そんなことありませんヨ?
ちょーっと…あ!明日の抜き打ちテストのことが心配なっちゃったんデスヨ…」
――ああ!?咲笑さんがすごく怪訝そうな顔に!
呼び掛けに頭を跳ね上げた私が慌てて誤魔化しに入るものの、長年親身に接してくれた咲笑さんに本気で通じるはずもなく……。
やれやれと困った子を見守るように微笑む咲笑さんを前に、私は残ったトマトを口に放り込み、あえなく逃げの一手を打つことになりました。
「ほ、ほにはふ…
そんな大層な悩みじゃないですから気にしないでくださいって!
…ご、ごちそうさまでしたあ!」
バタバタバタ……!
「……知ってたら抜き打ちにならないと思うんだけど…
うふふふ、相変わらず、嘘が下手なんだから」
――まぁ、まばゆちゃんも年頃の女の子なんだし、保護者にヒミツにしたいお悩みがあったっておかしくはないわよね。
…でも、人より抱え込んじゃうところがあるから、いざってときは力になってあげられるように私も気を引き締めておかなくっちゃね!
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ひぃ…ひぃ…ひぃ……
咲恵さんが経営するケーキ屋さん『レコンパンス』の手伝いで立ち仕事に耐性があるとはいえ、普段の不摂生な生活と日々の夜更かしで疲労の残る肉体は、慣れない全力疾走に肩で息をする有様であった。
肌寒さの抜けた生ぬるい空気の中、さわさわと風に揺れる木の葉が作る木陰を頼りに、まばゆはふらふらと通学路を歩き続ける。
目的地である『見滝原中学校』へと近付くにつれ、学校へ通じる大通りは次第に同じ方向へ歩く学生たちで賑わいを見せていく。
自然、その中には合流した仲良しグループと思しき集団がいくつも形成されていくのだが、彼ら彼女らの間には軽い挨拶や昨日放送されたドラマの話、挙句の果てには5月中旬のこの時期に「ラブレター」がどうのだのと、思い思いの話題が飛び交っている。
(…春の陽気に乗って明るい話題が次々と舞い込んできますね…。
まあ、3年にもなってボッチ街道を邁進する私には、縁遠い話ばかりなわけですが…)
周囲に広がっていく和やかな喧噪を聞き流しながら、まばゆは静かに呼吸を整える。
教室を目指し歩く彼女の興味はただ一点、自身が巻き込まれた『超常現象』へと向けられていた。
キーンコーンカーンコーン……
「今日はここまで。みんな、今日の範囲はしっかり復習しておくんだぞー」
(――やっぱり…この授業の内容も過去に覚えがあるものでした)
授業終わりのチャイムと同時に移動教室を去っていくクラスメイトに混じり、愛生まばゆもまた最後の授業に向けて支度を整える。
ここまでのホームルームを通して、彼女は時間が巻き戻る前に習っていた範囲の内容からいくつも遡ったページを復習させられていた。
授業中に幾度も遭遇したデジャヴの瞬間は、彼女の考えるタイムリープという荒唐無稽な仮説を少しづつ補強していくと共に、次なる疑問を浮かび上がらせる。
(…こうなると気になるのは、私が『前の周』と違う動きを取ったとき、ですよね)
バタフライエフェクトのように、彼女が取りえる小さな行動によって『未来』は変わりえるのか。
自分一人のほんの小さな干渉で、ほんの少しでも未来の流れを変えることができるのであれば、ともすればあの『嵐』を遠ざけることにも繋がるかもしれない……。
「この問題が分かる人はいるかー?」
――となれば、検証する方法はただ一つ。
(気は進みませんが…やってみるほかありません!)
「――は、はい!!」
「お?愛生。自分で立つなんて珍しいな。
じゃあ、この式を解きなさい」
昼過ぎ最後のホームルーム。
愛生まばゆはほんの少しの希望を胸に、ほんの少しの勇気を出して……見事に黒板の前で白煙を噴いていた。
(ぅぎゃああぁぁ…!せめて、せめてもっと簡単な問題でチャレンジしておくんでしたぁ…!)
カツリ…と解の途中で動きを止めた彼女のチョークの行方を見守る学友たちは、皆一様に物珍しいものでも見たように目を真ん丸に見開いて、黒板の前で固まる緑の傘地蔵さんを静かに見つめている。
……一分、二分と時間が経つ内に、頭が真っ白けになっていく彼女の状況を見かねてか、一人の生徒がスッと手を挙げた。
「愛生、よく勉強しているじゃないか。
途中まではちゃんと解けているぞ。
じゃあ、この続きは…『巴』にお願いしてみようかな?」
「はいぃ…」「はい。」
自席へ戻る道すがら、後は任せて!と言わんばかりに彼女へ微笑みを向ける『巴マミ』に手を合わせて拝みながら、愛生まばゆは静かに席へと戻って行く。
(はあ~…た、助かりました。
危うく、巴さんがいなければ灰に還ってしまうところでしたよ…)
(まったく…慎重派の私にあるまじき失態でした…!
結局、この問題も記憶の通り、マミさんが解いてしまいましたし…
未来を変えるだなんて大それた真似は、やっぱり不可能なんでしょうか…?)
失意の中、机に突っ伏す彼女の気分とは裏腹に、黒板に残された問題には大きな丸が付けられて、この日の授業は幕を降ろした――。
今回はまばゆちゃんの視点になります。
まばゆちゃんの動きを考えるにも苦労しましたが、
咲恵さんもどんな挙動を見せるか予想ができなくて
すっかり時間が掛かってしまいましたねぇ……。