[chapter36: 伊58 ]
「提督! あたし一番だったよ!」
白露の元気な声が響く。
黒潮、白露、綾波の三隻が警備任務から帰還し、報告をしているところだった。警備任務を行っていたのだが、遭遇した敵駆逐艦と戦闘になり見事白露の魚雷で撃沈させていた。
「おいしいところを持って行かれたわー」
黒潮は少し悔しそうにしている。
「お疲れ様。白露よくやったな。皆損傷はないか?」
提督は白露の突き出してきた頭を撫でながら質問する。
「補助付きが敵砲弾にかすってたわ。被害と言っても空中線が断線したくらいやけど。入渠してから来ると思うで。まだ敵行動への先読みが甘いみたいや」
問題ないでと黒潮は言う。
「そうか。経験を積めば綾波もしっかりしてくるはずだ。とにかく大したことがなくて何よりだ。3人ともゆっくり休め」
この提督は艦娘から直接報告を受ける。艦娘の口から語られる報告は艦娘にしかわからない所感などがあり、時には判断材料となる。しかし一番の目的は話すことによる艦娘の精神的抑圧の開放や、反省点などを自主的に改めさせることにあった。中には思考の未熟な艦娘などの報告を嫌い、口頭での報告をさせない提督もいる。
もちろん乗船している記録官による報告書があり、そちらが正式な記録として残る。
執務室から出た黒潮は、
「なんか最近の司令はん、壁がなくなった気がせえへん?」
と白露に小声で話す。
「んー……そうかな? 確かに少し棘っていうか険がなくなった感じするね!」
白露もなんとなく提督の変化を感じていた。
「うち、もう一度挑戦してみよかな」
「……うーん、それは難しいかも? あたしが提督の一番もらっちゃうし!」
などと二人はきゃっきゃと話しながら廊下を歩いていった。
その頃、第一船渠に乙体を進入させ、あとの作業は整備員任せとなった綾波が下船していた。
綾波は閉鎖された船渠を見つめながら、伊58と自分の行く末について考えていた。答えは決まっていて、割り切っているが、悩まないかと言えば嘘になる。
その後に吹雪から、伊58の研究によって新しい艦娘は多少裏返りしにくくなっているということだが、いつかは必ずその時は訪れると聞かされていた。
一年も提督に会えないということは、綾波には想像さえできないことだった。
不意に、綾波に艤装通信が入ってきた。
艤装通信は甲体艤装の機能の一つであり、六人までであれば通信網を構築できる。これは電波などとは違う未発見粒子のやりとりにより行われ、深海棲艦同士の意思疎通もこれによって行われていると考えられている。
「作戦行動中以外での艤装通信は禁止されているのに、誰だろう……? ……こちら綾波。どなたですか?」
恐る恐る応答する。
(あ、綾波ちゃん。ゴーヤでち)
つい先ほどまで考えていた伊58からの通信だった。
「え? ゴーヤさん!? どうやって綾波の通信を知ったんですか!?」
綾波は驚いた。
仲間であれば当然知っているが、艤装通信にはそれぞれ電話番号のような固有の接続方式が存在する。
(そんなことより、綾波ちゃん、ちょっと助けて欲しいの)
綾波は吹雪辺りから聞いたのかもしれないと思い、伊58の話を聞くことにした。
(船台がどうもおかしくて、ずっと痛いんでち……ゴーヤここから動けないから機械を操作してちょっと調整してくれない? ふぶきんは今は艤装つけてないみたいだし、あんまりいつも迷惑かけたくなくて……)
伊58は申し訳なさそうに綾波に頼んでくる。ずっと動けないから身の回りは人任せにならざるを得ない上に、存在を隠されている伊58の面倒を見ているのは吹雪と非常に少ない関係者になる。必然的に面倒を多くかけて心苦しく思っているのだろうと、綾波は考えた。
「綾波にできることなら」
綾波は快く承諾する。
(ありがとう! じゃ、こっちの船渠に来てね)
綾波は吹雪の案内で行ったように船渠の前まで来たが、建家には鍵が掛かっている。
「鍵がかかってて入れません……やっぱり吹雪さん呼んできた方が良さそうですね」
(ふっふっふー。そこの木箱の裏を見てごらん)
「木箱の裏……ですか?」
その辺にはいくつかの木箱があり、ひっくり返してみると鍵が貼り付けてあった。
「あ、吹雪さんの持ってた鍵とよく似てます」
(間宮さんがもしもの為にって合鍵を用意してくれたんでち。散髪も料理も色々できてすごいよね~間宮さん)
建家入口に鍵を合わせてみると、多少の抵抗は感じたものの、かちりと音を立てて開錠された。
綾波は暗い船渠の中に足を踏み入れ、自分の手の指さえほとんど見えないような中をそろそろと進む。
(もう少し先だよ。そこ気をつけてね)
伊58の言葉での案内を頼りに、綾波は歩を進める。
「たしか吹雪さんはこの辺で明かりをつけていたはず……あった!」
バチンと音を立てて、周囲が明るくなる。
「綾波ちゃん、次はそっちに操作盤があるからそこで操作をお願いするね。ごめんね、色々お願いしちゃって」
伊58はもう通信ではなく、声による会話に切り替えた。
「いえ、大丈夫ですよ」
綾波は笑顔で答える。多少の手間は全く気にしていなかった。
「その操作盤の右のスイッチを押して、それでその隣の……」
伊58に言われた通りに操作をしていく。
「これですね。それで次はこっち……そういえばゴーヤさん。1年も司令官に会えないのは……辛いですよね……」
綾波は先ほど考えていたことを伊58に話してみた。
「うん……辛いでち……でも、もうすぐ会えるから大丈夫でち!」
「……?」
伊58は何故か確信のようなものを持っている。それが綾波には不思議だった。
「最後にそのレバーを握りながら引いて」
「わかりました」
綾波は操作棒の握り込みをぐっと握りながら引いた。
同時に、船渠内に警告音が鳴り響く。
「え!? 何が起こったんですか!? 綾波、変な操作しちゃいましたか!?」
突然の警告音に綾波は飛び上がるほど驚く。しかし、伊58は驚きの無い声で言う。
「大丈夫。合ってるよ」
重い音と共に、装置が動き出した。
しかし動き出したのは伊58の船台ではなく、遮水扉だった。轟音と共に、船渠には水が進入してくる。
「ありがとう、綾波ちゃん! これで…提督に会いに行ける!」
綾波は気づいた。
自分は騙されたのだと。
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[chapter37: 事態 ]
伊58の陰謀にかかってしまった綾波。
必死で操作棒を戻してみるが、操作に手順が必要なのか装置は綾波の期待に応えない。
「どうしよう……なんていうことを……」
綾波は海水が流れ込んでくる船渠の様子を指を咥えて見ていることしかできなかった。
時を同じくして、吹雪の指導官室では警報が鳴っていた。閉鎖された船渠に何か異変があった際に、指導官室は警報が鳴る仕組みになっている。
「……何が!?」
吹雪は鍵を取り出し指導官室を飛び出すと船渠に向かって一直線に走る。走りながら船渠を見ると、船渠に面した海面の波の動きがおかしい。
嫌な予感がしていた。
「鍵が……空いている!?」
確かに吹雪の手には鍵があるのに、船渠のその扉の鍵は外されていた。胸騒ぎが大きくなる。
船渠に入ると明かりがついていた。どおどおと水が流れ込んでいる音が聞こえる。
そして吹雪の目に入った光景は想定の最悪に近いものだった。
干上がっていたはずの船渠には水が流れ込んでおり、間もなく伊58の船体は浮き上がろうとしている。
「ふ、吹雪さん!」
操作盤の方からの呼び声に反応して目をやると、そこには青ざめた顔の綾波がいた。
「なぜ綾波さんが!? ……そんなことより!」
操作盤に走り、吹雪は遮水扉を閉じる操作を始める。
「吹雪さん! 綾波、そんなつもりじゃなくて……!」
綾波はしてしまったことの恐怖と不安からおろおろと狼狽えている。
「落ち着きなさい! 伊58には燃料を入れてはいません! 例え十分な水位になったとしてもここからは出られません」
そう言いながら吹雪は遮水扉の閉鎖操作を行い、扉は閉じ始めた。しかし重い遮水扉を今から閉じたとしても、伊58が浮上するだけの水位にはなってしまう。
ここで吹雪の想定外の事態が起こる。
伊58のエンジン機関が回り始めたのだ。
「ふぶきん、ゴーヤに燃料がないって確認したのはいつ?」
あざ笑うような伊58の声が響く。
「……まさか!」
「間宮さんがこっそり少しだけ燃料を入れてくれたんだよ!」
船台から開放されるぎりぎりの水位で伊58は全速で前進を始める。底部をごりごりと擦りながら、閉じかけている遮水扉へ向けて進む。
「うっく……難しいでち……!」
伊58は流れ込む水の圧力でまともな運動はできていない。
しかしそんな中でも数え切れないような実戦の経験を活かし、遮水扉に滑るように近づいていく。
遮水扉は間もなく閉まる。
「間に合えぇー!」
扉が閉まった。
流れ込む水も止まり、警告音も止み、船渠には静寂が戻った。
そして、船渠には伊58の姿はなくなっていた。
「……急ぎ司令官に報告します」
吹雪の顔には焦りがはっきりと見える。
事態は最悪と言える状況となっていた。
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[chapter38: 命令 ]
「提督、緊特一九四六です!」
執務室に駆け込んだ吹雪は提督に告げる。
「緊特一九四六……? 緊急特別措置一九四六号か! 球磨、直ちに全員を招集しろ! 急げ!」
机で書類仕事をしていた提督は使い込んだ万年筆を手荒く置くと、球磨に指示を出す。
「り、了解クマ!」
吹雪と提督のただならぬ雰囲気に気づき、球磨は慌てて執務室を飛び出した。
「どうやって? いや、脱走方法などは後でいい。今は伊58がどこへ向かおうとしているか、どう対処するかだ」
提督は突然の事態に必死で頭を切り替える。ここで、提督は綾波が吹雪の後ろにいることに初めて気がついた。
「綾波が吹雪と一緒に……そういうことか」
綾波の表情から、提督は何が起こったのかを大体理解した。
「ゴーヤは提督に会いに行くと言っていました」
「提督……俺ではないな。大将閣下か。ということは中央の鎮守府に向かっている?」
「おそらく」
「ならば先ずは中央に状況の報告と警戒を呼びかける必要があるな」
吹雪はひと呼吸を入れて、提督に進言をする。
「提督。私に出撃許可をください」
「吹雪さん!?」
綾波は吹雪がその発言をすることは予想していたが、当たって欲しくはないことだった。
提督は吹雪の進言に対して僅かな可能性がないか模索してみる。
「……まだ伊58が完全に裏返ったとは限らないのだろう?」
「いえ、確実に裏返ります。潜水空母姫となるのはもはや自明です」
提督の望みなど打ち砕く吹雪の回答。
「それで良いのか……?」
提督が訊いたのは、戦友を沈めることと、吹雪の結末についてだ。
「その為にいたんです」
はっきりとした言葉に、吹雪の意思が伝わる。提督は苛立たしげに机を何度かごつごつと叩く。
「ふぅ……吹雪、出撃命令だ。これより潜水空母姫の殲滅を命じる」
「拝命致します」
吹雪は敬礼をして、命令を受け入れた。
「吹雪さん、綾波……ごめんなさい……」
真っ青になった綾波は目に涙を浮かべ吹雪に謝罪をする。吹雪は綾波の肩に手を置いて、優しく答える。
「いいんですよ。遅かれ早かれゴーヤが裏返ることは決まっていました。そうなれば、ここにいる皆さんじゃ力不足です。綾波さんのせいじゃないです」
最後の出撃だというのに吹雪は笑顔だ。
そこには怒りも悲しみも感じない。ただ、優しく綾波に微笑んでいた。
伊58は船渠から脱走し、しばらくぶりの海を弾む心で泳いでいた。
「気持ちいいなぁ。提督、ゴーヤのこと忘れてないよね。一目見るだけでもいいから早く会いたいな」
逸る気持ちが知らず知らずに速度を上げさせる。しかし伊58は随分とまともに操船していなかったせいか、大きな見落としをしていた。
暗車が伊58の意思と関係なく、鈍くなり、やがて止まった。
「あ……あれ? なんで?」
ここで初めて気づく。
「燃料が……ない?」
速度を落とし、節約していればギリギリで足りていた可能性があったかもしれないが、それは今となっては考えるだけ無駄なことだった。
「こんな……こんなところで……提督……会いたいよ……てーとくぅ……」
必死でエンジン機関を動かすように力を凝らすが、泡のようにただ消えていく。
絶望が伊58を包む。ただ提督に会いたいという渇望が心を支配する。
その時、船体がミシリと音を立てた。直後、暗車が回りだす。
「あ、動ける……! これで提督に会いに行ける!」
船体は十分な速力を発揮し、むしろ先ほどよりも快調になった。しかしそれとは別にメリメリと音を立てる船体。
「提督に会いに……提督に会いに……提督に会――!」
突如、伊58の船体は内側からめくれ上がるように割れ、中から異形の生物が現れた。