重なり寄せる波の音は   作:つかちー

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喪失

[chapter46: 喪失 ]

 

 呆然と中枢室を眺める綾波。もはや誰が見ても生きていないとわかる吹雪の体。体表は炭化していて、膝と肘をおおよそ直角に曲げた状態で固まっている。

 焼夷剤の匂いに混じって脂や肉の焼けた匂いがわずかに漂う。

 綾波がほんの少し早く中枢室に飛び込んでいたら、死には至らずとも火達磨になり、

重度の火傷を負っていただろう。

「吹雪さんが! 吹雪さんがーーー!!」

 その吹雪だったものの状態を理解し錯乱した綾波が叫ぶ。

「え? 何クマ……? 吹雪さんがどうなったクマ?」

「中枢室換気口付近から火柱が上がってたで……?」

 他の艦娘たちは理解が追いつかない。いや、理解はしているのだが、恐ろしい事実に心が納得することを拒む。

「ふざけるな! 畜生! 吹雪が何をしたって言うんだ!?」

 膝から崩れ落ちた提督は床を拳で殴りつけ、怒りをぶつける。目からは涙が流れる。それを耐えようともしていなかった。

「うおおあああーーー!!」

 提督は叫ぶように涕泣する。

 自分の無力感と吹雪への哀れみ、そして大事な一人の少女を失った喪失感が溢れ出し、そうでもしない限り心が崩れ落ちてしまいそうだった。

 艦娘たちは言葉も紡げず、悲しんで良いのかさえわからなくなっていた。

「あ……提督……技開の間宮さんからクマ……通常回線で通信が」

「……? このタイミングで間宮……!? そういうことか……!!」

 どこからか飛来した対艦娘誘導弾。その直後の通信。

 提督は理解した。

「……繋げ……!」

 涙も拭わず、怒気を孕んだ声で通信に応えるように指示する。

 少しの雑音のあと、間宮の声が艦橋に響く。

「少佐さん。こちら中央技術開発局の間宮です」

 間宮の声はいつも通り、優しく明るい。それが提督を逆撫でる。

「貴様か……なぜ吹雪を殺した……!」

 明確に敵意を顕にしながらも、提督は抑えた声調で話す。

「裏返った艦娘は適切に処断するのが規則ですよ。もともと少佐さんのお仕事ですけど、きっとお辛いだろうと思いまして。雷撃処分よりは誘導弾の方が苦しみませんし」

 接続中の艦娘は感覚神経を乙体に預けるために、艦娘甲体の感覚はほとんどない。つまり、中枢室のみを破壊したほうが艦娘が感じる苦痛は少ない。実際に吹雪も先駆弾頭が外部装甲を小さく貫徹することに対する痛みしか感じてはいなかった。

「……ミサイル駆逐艦を用意して中央の軍港からこれだけ早く着いたと?」

「あら? うふふ。実はお近くの港に停留させて頂いていたんですよ。仕込みも上手く行きましたし、そろそろと思いまして」

「仕込み……!?」

「おかげさまで一度に二隻も裏返りの貴重な記録が取れました。少し改良した誘導弾も上手く機能しましたし。ありがとうございます」

 提督の怒りが感じ取れる度に、間宮は楽しそうに話す。

「……大将閣下の指示なのか?」

「え? 技開は命令系統は別ですから、あの人は特に関係ありませんよ。知っていたら妨害してきそうですし」

「……そうか」

 もし大将の命令だとしたならば、吹雪と伊58があまりにも可哀想だと思っていた。

「うふ。あとは技開にお任せください。吹雪さんの船体はお約束通り技開が責任を持ってお預かり致します。お引渡しください」

 提督は間宮にわずかばかりの協力もする気はなかった。

「そうだな……それは断る」

「……? 技開とお約束があったはずですよ? 吹雪さんが処断されたあとはこちらに預けると」

 間宮の明るい声の調子がわずかに落ちる。

「ああ、口約束ではな。正式な書類などはない。今現在吹雪は俺の鎮守府に所属する、俺の艦娘だ。どのように決定するかも俺の一存だ。気が変わったんだよ。吹雪はお前たちに渡さない。嫌ならば俺に拒否できない権限を持ったの正式な書類を持って来い。できるならばな」

 提督は精一杯の意地を張る。裏密約などでない本当の正式文書であれば、提督に拒否権はない。だがそれには十分な根回し、特に大将の妨害を超えなければならない。

「うふふ。面白くないですね。技開に喧嘩を売るおつもりですか?」

「いやまさか。そんなつもりはない。吹雪の成長した神経組織は他の艦娘の船体の改修に良い。技開のモルモットにするにはあまりにも戦略的価値が高い」

 嘘は言っていないが、貴重な研究のための材料としての価値は大きい。この言い訳は提督自身も咄嗟に出したこじ付けに過ぎないことがわかっていた。

 しかし、意外にも間宮は納得する。

「……なるほど。少し甘いですが説明つきますね。わかりました。ここは引き下がりましょう。それはそれで面白そうです」

 間宮はそれではと言うと通信を切断した。

 

 潜水空母姫の討伐は成功した。

 しかし艦隊は大破1、中破1の損害と、1隻の経験豊富な艦娘を処断することになった。作戦が成功したとは思えぬほど提督と艦娘の表情は暗い。

 吹雪の船体は綾波が曳航し、帰港する。

 帰りの道中、誰ひとりとして事務的な会話以外を交わすことはなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter47: 悲歎 ]

 

 潜水空母姫討伐作戦から数日が過ぎ、鎮守府は平常業務へ戻ろうとしていた。しかし、そこにいる者たちは未だ平常とは言えなかった。

 艦娘たち皆が覇気がなく、消沈しきっていた。白露でさえも普段のようには振る舞えていない。

 戦闘で誰かが撃沈したのであれば、ここまでにはならない。悲しまないわけではないが、各々覚悟している。あるいは悲しみや怒りを士気に変えている者もいたかも知れない。

 だが、今回のことはその想像の外。

 完全に心の隙間、殻が無いむき出しの柔らかい部分に返しのついた太い棘が突き刺さった。

 だが時は過ぎる。周囲も動く。誰も鎮守府の者たちの気持ちなど待ってはくれない。

 その日は吹雪の私室と指導官室の整理を行うことになっていた。艦娘の葬式などは執り行われない。

 機密などもあるため、提督が監督しながら兵たちが片付けていく。空いた部屋の使い道など決まってはいなかった。

 吹雪の私物は艦娘にしては多かった。たくさんの小物。提督もよく知らない吹雪の一面が垣間見える。

 可愛らしい装飾のついた櫛や手鏡、マグカップ。紅茶葉などの嗜好品類。

 真新しい洋服などもあった。

 行動制限がある艦娘は着る機会がなかったはずである。どのような気持ちで服を買っていたのだろうか。休日にどこか外出するつもりだったのか、それともこの先普通に着れることを夢見ていたのか。今となっては誰も窺い知ることはできない。

 そのひとつひとつに吹雪が生きていた証が刻まれている。嫌でも吹雪を思い出す。

 提督は監督しなければいけない立場でありながら、何度も席を外し便所に篭った。赤い目を隠すために濃い色眼鏡をかけていた。

 身寄りのいない吹雪の私物は廃棄されることになっていた。高価な小物などを兵がこっそり懐に入れるのも、度を過ぎなければ提督はあえて見逃した。きっと吹雪もそうしただろうから。

 提督は、いつかの時のワインをもらっていくことにした。艦娘たちは制服や髪紐などをそれぞれ一品だけ持っていった。

 残ったものは元々あった机や書類だな等、もはや持ち主のいない無機質なものだけ。

 

綾波は夜遅くに吹雪の指導官室を訪れた。もう宿直の警備以外は居ない時間。

 警備兵に挨拶をして、指導官室に入ることを告げて、廊下を歩く。古くなった体爆ガラスから月明かりが差し込む。明かりはないが、足元はよく見えた。

 指導官室の扉に手をかけると、鍵は空いていた。綾波は恐る恐る中の様子を伺う。

 ワイングラスを手に持った提督が明かりも付けずにひとり佇んでいた。

 机にもワインが注がれたグラスが置いてある。

「なかなか美味いな。果実味が多い華やかな香りのワインが好きだったのか?」

 提督は机に置かれたワイングラスの方向、何もいない空間に向けて話しかけている。

「こういうワインなら、違う形のグラスの方が良かったかも知れないな」

 提督の視線は綾波の目の高さあたり。吹雪の目の高さに向けている。

「皆、やっぱり落ち込んでいるよ。木曾も大きな口を叩かなくなった。白露も笑顔が硬くなってる。やっぱりうちにはお前が必要なんだよ……」

 静かに話している提督を見て、綾波は引き返そうと静かに扉を閉める。

 そのとき、指導官室の扉がぎぃと軋んだ。

「誰だ……? 吹雪!? ……綾波か」

 提督は綾波を見て背格好から一瞬吹雪と見間違えた。

「どうした?」と提督は綾波に訊ねる。

「あ、いえ、何でもありません」

「……そうか。お前もか。こっちに来い」

 提督は優しい声で手招きする。

 綾波は提督の邪魔をしたくなかったので帰るつもりだったが、提督に誘われ部屋に入る。

「少し付き合え。吹雪と呑んでいるんだ。グラスはあるからお前も呑むか?」

「え……綾波、お酒飲んだことありません」

「そうなのか? 艦娘だし飲酒の年齢とか関係ないからこの際付き合ってくれ」

 空いていたグラスにワインを注ぐと綾波に手渡した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter48: 献杯 ]

 

「献杯」

 提督は吹雪のグラスに向けて手に持ったグラスを差し出す。綾波も見よう見まねでグラスを差し出してみる。

 ワインを口に含む提督を見て、同じようにグラスを傾けるが、その味は綾波の想像とは違い、独特の苦味と刺激、渋みなどがあり咽てしまう。喉をわずかに通った液体は綾波の食道や胃袋に熱さを感じさせる。

「酒は苦手か?」

 何とも言えない表情をしている綾波に提督は尋ねる。

「……いえ、お、おいしいです」

 眉が完全にハの字になっているのに、おいしいという綾波をみて提督は吹き出した。綾波は提督に見透かされたことと、笑われてしまったことに少しむっとする。

「はは、いや、初めての酒ならそんなもんだ。吹雪は結構酒が好きだったみたいでな。楽しそうに飲んでたよ」

「……吹雪さんが」

 綾波は吹雪の外見を思い出し、意外だなと思った。

「とりあえず形だけで良い。いつかお前も好きになるかもな」

 こんな飲み物を喜んで飲む自分が綾波は全く想像できなかった。

「……今日、吹雪の物を整理して思ったんだ。吹雪は死ぬつもりなんかなかったんじゃないかなって」

 提督は唐突に吹雪の話を始めた。

「私物が多かったんだよ。お前もそうだが、艦娘って普通は私物が少ないんだ。いつでもいなくなれるようにっていうことをどこかで考えているみたいでな」

 別にそんなつもりで私物が少ないわけではないと綾波は思ったが、たしかに形が残る物を敬遠しているような気もした。

「でも、吹雪はたくさん残していった。明日も明後日も、そのあともずっと生きていくって、そんな思いが感じられた。……軍が。俺がそれを踏みにじった」

 提督は自嘲するように笑う。

「今はもう、この部屋に吹雪がいたことさえ嘘みたいだ」

 がらんとした部屋は月明かりで薄く照らされている。無機質で突き刺さるような空気と、吹雪との思い出の残り香だけが漂っていた。

「もう最後にする。俺がこんなじゃ、吹雪との約束も守れない。お前らを守っていくって約束したからな……」

 自分に言い聞かせるためにそう言った提督の顔は辛そうだった。

 綾波は手に持ったグラスを呷って、「綾波が、吹雪さんになります!」と、決心したように言った。

 突然の綾波の発言に、提督は目を丸くする。

「こうなってしまったのも綾波の所為です。綾波が、吹雪さんの代わりになります!」

 普段は頼りない印象の綾波だが、この口調になったときは決して譲らない。それは提督も何度も目の当たりにしている。

「綾波に、吹雪さんの船体の組織を移植してください」

「……吹雪の組織で改修するのか。たしかに間宮にはそう言ったが……」

 提督は吹雪の船体の処遇はまだ決めていなかった。

 吹雪を失った船体は時が経てば劣化していく。いつまでも置いておくことなどできないことはわかっていたが、かと言って処遇を決められずにいた。

「お願いします!」

「吹雪の組織は裏返った艦娘の組織だ。成長した組織ではあるが……何が起こるかわからない」

 裏返った艦娘の組織を実戦投入されている艦娘に移植することは前例がない。

「お願いします」

 綾波の決意は固い。

「単なる贖罪のためなどと言う理由だったら……」

 と、提督は言いかけて止めた。綾波の目は真剣に吹雪の代わりを務めるつもりだったからだ。

「そういえば吹雪は綾波をよく気にかけていたな……わかった。改修の手配をしよう」

「ありがとうございます。綾波、吹雪さんの分まで提督のお役に立てるように頑張ります!」

 と言いながら、綾波はくにゃりと床に寝転んでしまった。

「お、おい!」

 慌てて綾波に近づくと綾波は顔を真っ赤にしてすーすーと寝息をたてていた。

「……綾波。吹雪の代わりを務める時に別に酒は飲まなくてもいいんだぞ。艦娘は薬品に強いんじゃなかったのか……」

 床で寝てしまった綾波の頭を撫でながら、提督は吹雪のグラスを眺める。

「吹雪。お前が綾波を寄越してくれたのか? なんだかすっかり気持ちが緩んでしまったよ……聞いていたろ? お前の代わりになるんだとさ。伝説みたいなあの吹雪さんの代わりだ。これからこいつも大変だな」

 くっくと笑いながら、グラスを傾ける。

 

 冷たかった月の光が、暖かく感じていた。

 

 

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