[chapter31: 第三神経 ]
綾波と吹雪は閉鎖された第四船渠の前に立っていた。
現在も使用できる船渠は第一と第二の2つ。今の体制になり艦娘が減ったから維持費用に見合わない為に閉鎖されたと綾波は聞いていた。
第三と第四の閉鎖された船渠は人が入らないように覆いがしてあるため、中がどうなっているかはわからない。吹雪はその船渠の入口を鍵を使って開ける。
使われていなかったはずなのに、扉は軽快に開く。いつでもすぐに使えるように清掃くらいはしているのだろうかと綾波は思った。
「こちらです」
吹雪が先に入り、綾波についてくるように促す。中は覆いの為に暗く、吹雪は手に電灯を持っている。暗い船渠建家の中は放置されていたような埃の溜まり方ではなかった。
「綾波さんは艦娘ってなんだと思いますか?」
大きな空洞になっているためか、コツコツと足音がよく響く。吹雪の声も残響を伴っている。
「深海棲艦と戦うための第三神経を持った人であり兵器ですよね」
綾波は兵学校で習ったとおりに答える。
「そうですね。その通りです。じゃあ第三神経ってなんだと思いますか?」
「新しく開発された、人と艦を接続させるための神経です。副作用として異常再生能力と怪力を得る」
「正解です。では、そんなに便利な技術なのになぜ人と艦だけなんでしょう?」
「……選ばれた人しか適合しないから……?」
「うーん……まぁいいでしょう。深海棲艦が出現してから少しの間で開発された技術、人類が急にそのような技術を作れたと思いますか?」
「……? それは……確かに不思議ですけど、でも現に存在しています」
「人は第三神経を作ってなんかいないんですよ。そこにあったんです」
「すみません。言っている意味が……?」
「深海棲艦が現れて、激しい戦いの折、偶然鹵獲に成功した人類は深海棲艦の研究を始めました。深海棲艦の組織は生物に寄生し、増殖して宿主を殺すことがわかりました。でも、そんな中で共生できる宿主がいることが発見されます」
「え……? それはつまり……」
「あ、着きました」
吹雪が立ち止まった。
奥は広い空間が広がっており、電灯の明かりなどはその闇の吸い込まれて届いていない。
吹雪が壁のあたりで何かを探し、バチンという音と共に暗闇に光が灯った。突然明るくなったために綾波は目が眩む。
綾波はちかちかとした視界で奥の空洞を覗き込むと、すぐそばに大きな黒い物体が見えた。
「――深海棲艦!?」
驚いて後ろに飛び退く。
「いえ、深海棲艦ではありませんよ」
吹雪は少し可笑しそうに笑った。
確かにその物体は深海棲艦などではなかった。その独特な形をした物体を綾波は兵学校で習っていた。
「……あれ? ふぶきん、こんにちは!」
その物体の方から言葉が発せられた。
「彼女は潜水艦の艦娘、伊58です」
「ゴーヤだよ。新しい娘? よろしくね!」
「あ、特型駆逐艦の綾波と申します。よろしくおねがいします」
挨拶をされ、綾波は咄嗟に挨拶を返す。
綾波はなぜ艦娘を深海棲艦と勘違いしてしまったのか、不思議に思う。だがそれとは別に疑問があった。
「あの、ゴーヤさんどうして降りてこないんでしょうか……?」
「……さっきの話が途中でしたね」
吹雪は綾波の質問を受けて、話をまた戻した。
「深海棲艦の組織と共生した宿主は深海棲艦同様の異常な再生能力を得て、老化しなくなります。そして発生を同じくした組織を無生物に埋め込むと、神経情報をその無生物に埋め込んだ組織に伝える機能を有していました」
「それは……もしかして」
綾波は驚きを隠せない。
「私たち艦娘です」
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[chapter32: 裏返り ]
吹雪の衝撃的な発言から綾波はいくつかのことを思い出した。
海水由来の飲料水。
人間ではないとされる立場。
まだ不明な点ばかりで低い適合率。
艤装通信に闖入した深海棲艦の声。
これらが吹雪の話が冗談ではないことを裏付けていた。
「深海棲艦の組織は使用されればされるほど複雑化し、より性能が高まります。どんどんと神経接続深度は深まり、いずれ体の組成は深海棲艦と変わらないものになります」
吹雪は淡々と話を続ける。
「体の組成が全く同一になったとき、何が起こるかわかりますか?」
吹雪が何を言おうをしているのか、綾波は理解した。吹雪に向けている視線を、伊58にゆっくりと移す。
伊58を深海棲艦だと感じた理由。
「気づいたようですね。その通りです。深海棲艦の組織は末梢神経系の自律神経系と体性神経系に次ぐ第三神経系という位置から外れ、末梢神経系を全て侵し、中枢神経系も作り替えてしまいます。乙体と甲体は融合し深海棲艦そのものへと変化する。その現象を裏返りと呼んでいます」
「ゴーヤさんは……」
「ええ。度重なる出撃で深くなる接続深度が限界を超え、ある作戦の折に大破した彼女はこの船渠に運ばれました。その際に、裏返ってしまったんです。彼女は運良く中枢神経系は侵食されなかったものの、もはや艦娘としての原型は留めてません」
綾波は気づいた。初めて会った時に感じた吹雪の目の奥を。中央から来た夕立に感じた雰囲気を。伊58に感じていることと同質の感覚だと。認識してしまった今ははっきりと感じられた。
「元に戻す方法とかないんですか……!?」
綾波は吹雪の救いのない話に、わかりきった質問をしてしまった。
吹雪は黙って首を横に振った。
「裏返りが始まってしまったらもはやどうしようもありません。彼女には裏返りの研究の協力をしてもらっています」
「ずっとここにいるの退屈でち。やっぱり潜水してなんぼよね。ふぶきん、間宮さんたちが体を削って持っていくの痛いから何とかしてよぉ」
伊58はそれなりに自分の境遇を受け入れているようだ。そのような状況に陥ったとしたら耐えられないと綾波は思った。
「ゴーヤさんは……大丈夫なんですか?」
「んー……辛いけど、提督と約束したから我慢するよ。でも提督たまに来てくれるはずなのに、全然来てくれないでち……」
時間の感覚がわからないけど一年くらい、と伊58は言った。
一年前というと今の提督がこの鎮守府に来た時期とおおよそ一致する。つまり、提督が変わってから今の提督も前の提督も伊58と会っていないということだった。
「司令官はお忙しいから。きっとすぐ来ますよ」
吹雪が悲しい顔で伊58に嘘をついた。
「あの、吹雪さんが出撃をしない理由も……?」
「ええ。私はあと一度の出撃で裏返る可能性が高いそうです。ある希少物質を圧縮したもので裏返りを抑制できることはわかっていますが、一駆逐艦の私に使用されることはありません。もっと重要な戦艦や空母に使われています。指輪状で左手の薬指につけるから結婚指輪とか言われていますけどね」
「ど、どうして綾波に第三神経の話をしたんでしょうか? それとも皆さん知っているんですか?」
綾波は連続した信じられないような話に困惑する。
「球磨さんは勘が良いのと秘書官だから気づいていそうですが、士気が落ちることを懸念して秘密になっています」
吹雪の発言が綾波には腑に落ちない。
「ならばどうして綾波に?」
吹雪は真剣な顔で綾波に言った。
「艦娘をやめなさい」
さらに続けて、
「綾波さん。あなたは人間に戻ったほうがいいです。あなたが自分の意思で艦娘を辞めれば、帰る場所ができるかもしれないんです」
強い口調で綾波を説得した。
綾波は真剣な吹雪に気圧されそうになる。
しかし、綾波の回答は吹雪の想像通りにしかならなかった。
「突然やめろって言われても……私は司令官のお役に立ちたいです。綾波は自分がどうなっても大丈夫です」
吹雪は残念そうに納得した。
思想教育の影響で、艦娘は提督と離れることを良しとしない。さらに記憶がない艦娘にとって、人間に戻った時の話をされても死後の世界の話と大差がない。突然全てを捨てて別の人生を歩めと言われるようなものだからだ。
吹雪の願いは脆くも崩れ去るしかなかった。
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[chapter33: 飲酒 ]
綾波が伊58と会ってから、1週間が過ぎようとしていた。
綾波はずっと考えていた。吹雪の話を聞いて、訓練にも身が入っていなかった。綾波自身がどうなるかという話ももちろんのことながら、考えていたのは吹雪のことだった。
吹雪は艦娘を辞めていない。もはや生きる場所が軍にしかないからということなのだろうか。しかしそれだけでは以前の提督から離れてここに残ったのか理由が説明できない。
吹雪はあと一度の出撃で裏返ると言っていた。つまり、あと一度だけ出撃するつもりがあるということでもある。
最後の出撃で何をするのか、なぜこの鎮守府に残ったのか。答えは自ずと導き出せた。
ここにしかないもの。
伊58が完全に裏返ったときに、それを行うためだろうと。
提督はどう思っているのか、気になっていた。
綾波は訓練の報告に執務室を訪れた。ノックして扉を開けると提督は席に居らず、球磨だけがいた。
「提督は兵学校の同窓会だクマ。まだ怪我も完治していないのに、主席の自分が出ないわけには行かないらしいクマ」
提督の怪我は想像よりも早く回復してはいた。しかし、いくつかの傷はまだ完全には癒えていなかった。
一応既に定時は過ぎているが、ほぼ毎日執務室にいるのが当たり前の提督がいないと、綾波はなんとなく寂しいような気持ちになっていた。
夜中に差し掛かろうという位の時刻になった。鎮守府に一台の車が到着し、吹雪の元に、兵が現れた。今日の提督の運転手をしていた男だ。
運転手は困り顔で、酔った提督に「吹雪を呼んで来なければ車を降りない」と言われて来たと言った。
吹雪は運転手を帰らせると、提督を迎えに行った。
車には後部座席で偉そうに腕組みをしている提督がどっしりと座っている。
「もう……どうしたんですか? うわっ! すごいお酒の匂い!」
車の中はむせ返るほどの酒の匂いで満ちていて、提督が多量の酒を飲んだということはすぐにわかった。
吹雪に気づくと提督は車の周囲を見回し、
「兵はいないな? 飲みすぎてまっすぐ歩けん。将校がふらふらとしていたら風紀にかかわる」
きちんと回らない舌で将校として格好つけようとしていた。
「初めからそんなに飲まなければいいんですよ……」
そう言いながら、吹雪は提督を支えて車から降ろした。
「あっはっは、これでも一番の出世頭だからな。やたらと酒を注がれてしまった」
提督は鼻歌を歌って上機嫌そうに千鳥足で歩き始めた。
艦娘に提督の重量程度を支えるのは容易だ。
鎮守府庁舎近くまで来た時に偶然木曾が通りかかった。木曾は吹雪に支えられてふらふら歩く提督をみて何事かと寄ってくる。
「どうしたんだ? ……酔っているのか。そんなに飲んで傷は大丈夫なのか?」
心配そうな顔を向けてくる。
「おぉ! 木曾か! お前は心配してくれるのか。優しいなぁ。よし、頭をなでてやろう!」
がばっと木曾に抱きつくと頭を撫でながら耳や首に口づけをした。
「な、な……な……何を……ひゃん!」
木曾は予想外の反応をした提督と耳への口づけに驚いて声を上げる。
吹雪はそれを見てため息を付くと、
「はいはい、木曾さん困ってますから、そのくらいにしましょうね」
と言って提督を引き剥がした。
「あ……俺は別に困っては……」
引き剥がされたことに木曾は少し不満そうな顔をしていたが、それ以上強く出ることはなく吹雪に支えられた提督を呆然と見送った。
吹雪が向かっているのは執務室の近くにある提督用の仮眠室だ。仮眠室とは言え、提督はその業務の関係上、ほとんどそこで寝泊まりしている。
そこに向かう途中、今度は綾波に会った。
「同窓会終わったんですか? お疲れ様です」
また提督は綾波に気づくとがばっと抱きついた。
「え……! あの、あの」
普段は凛として見せている提督に綾波は動揺を隠せない。
提督は「綾波は可愛いなぁ。お兄ちゃんが守ってやるぞー」と言いながら頭を撫でる。突然の提督の行動に綾波は顔を真っ赤にして硬直した。
先ほどと同様に吹雪に引き剥がされて、提督は吹雪に引きずられていく。
綾波は硬直したまま、よくわからないが何だか得したような気分になった。
「司令官は酔うと抱き癖でもあるんですか……」
これだけ酔った提督を見たのは吹雪でも初めてだった。
吹雪は面倒くさい酔っ払いを何とか仮眠室に連れて来ると、提督をベッドに座らせて水を出した。
「全く……今日はどうしたんですか? らしくないですよ。それに、どうして私なんですか?」
ベッドに腰掛けた提督は先ほどのような上機嫌ではなくなっていた。
「うん……まぁ、特に理由があったわけではないさ」
水を飲み干して、その硝子を手で弄んでいる。提督が何かを話したがっているのは明らかだった。
「わかりました」
吹雪は返事をした。しかしそれは提督の言いたいことがわかったということだ。
「私もお酒を飲みます。それならいいですよね」
「……」
提督は特に返事をしなかった。
提督には愚痴を言う相手も、相談をする相手もいない。鎮守府にいる全ての人間と艦娘は部下だからだ。
しかし、吹雪だけは少し外れた位置にいる。この提督に思想教育による好意を抱いているわけではなく、階級差もない。
「それに私、艦娘になる前から数えれば提督とあんまり年齢変わらないですから。誰かにお酒持ってこさせましょう」
吹雪はそう言うと、内線で兵に酒を持ってこさせた。
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[chapter34: 提督 ]
膝ほどの高さの机の上にはいくつかの酒瓶や肴が並べられた。その机を囲むように置かれたふかふかとした西洋長椅子に提督と吹雪は腰掛けている。
提督の仮眠室はそれなりに豪華な西洋式の内装をしている。以前の提督の趣味で揃えられた高価な調度品は引き上げられてしまったが、それほど高価でないものは残されて、現在の提督が使用している。
「あれ? このブランデー……俺が隠してたVSOPじゃないか。……誰だ持って来た奴」
「いいですね。私も部屋からこれ持って来させました。良作年のではないですけど」
吹雪はワインボトルとワインオープナーを手に持って見せつける。
「吹雪もこんなの買うのか……本当に見掛けに拠らないな。俺のは封が開いているからこっちから飲むか。ストレートでいいか?」
提督は二つ並べたブランデーグラスに軽く注いで吹雪に渡した。
「司令官はまだ飲めるんですか?」
「俺は口を湿らせる程度にしておくよ。それじゃ」
提督は準備する間に少しだけ酔いが覚めていた。
「乾杯」
二人は同時に目の高さまでグラスを持ち上げる。提督は琥珀色の液体に軽く口をつける程度で止めたが、吹雪はそのままくいと飲み干した。
「あら美味しいですね。このお酒」
すっかり空になったグラスを見つめて喜ぶ。
「おい……これはそうやって呑むものじゃないだろう。そういえば、艦娘は薬品類を飲んでもすぐ分解されるから無駄じゃないか」
「私くらいになると、そのへんの機能調整はお手の物なんですよ」
吹雪はえへんと無い胸を張る。
「本当かよ……」
そう言いながら吹雪の差し出した空のグラスにブランデーをとくとくと注ぐ。
「それで、どうしたんですか?」
吹雪はグラスにナツメグの粉を入れながら提督に何か話すように促した。
「ん? んー……」
提督は何か言葉を探しているように見える。
「吹雪はさ。艦娘になってどうだ?」
「そうですね。良いことばかりじゃなかったですね。辛いこともたくさんありました」
「艦娘を辞めたいとか思ったことは?」
「それはありますけど。でも艦娘を辞めるって仕事を辞めるっていうのとちょっと違うんです。嫌なことがあっても、その嫌な状況が終わればっていうだけですし。死にたくなったことはあるか?っていうのとあまり変わらないです」
「そういうものなのか……」
「司令官は知っていると思いますけど私は物心ついた時から戦災孤児だったので。艦娘を辞めても、帰る場所がないんですよ」
だから特に艦娘を辞める気にもならないと吹雪は言った。
「私の話を聞きたかったんですか?」
提督は少し考えて答えた。
「……俺、配属替えの申請をしようと思ってる」
提督の言葉に吹雪は驚いたが、表情には出さなかった。
「あぁ、元々ここに来たのも昇格のための実績が必要だったからなんだ。数年過ごしたら中央に戻るか提督を続けるかは選択できるんだ。上の決定次第ではあるんだけどな」
「提督を辞めるってことですか」
「……続けられない」
提督は視線を下に落とした。
「残される艦娘たちはどうするんですか? 球磨さんや……綾波さんは」
「次の提督が来るよ。皆優秀だ。きっとしっかりやれる」
「……司令官が変わったら艦娘に良い影響を与えませんよ。皆から慕われてるじゃないですか。すごくいい関係を築けていると思います」
「……それが辛いんだよ。俺のことを慕ってくれる少女たちを、どんな顔で戦場に送り出せば良いんだ?」
吹雪は提督の隣に席を移した。
「艦娘たちが自分たちでやっていることですよ」
「俺はこんなことがしたくて軍に入ったんじゃない。人類のためにと言って、無理矢理好意を引き出して、利用し、傷つけて! 俺はあんな子達を守りたかったんじゃないのか! 誰が好き好んで、こんなことができるんだ!」
提督は頭を抱えて声を上げる。
「今まで上手くやっていたじゃないですか」
「綾波が来たんだ。それまでは距離を置いて考えられた。人類の為に。もっとたくさんの人たちを守るために。でも綾波で、艦娘が一人の人間だという事実を突きつけられた。目を逸らせなくなった」
「司令官は優しすぎるんです。彼女たちには司令官が必要なんです。捨てていったりしたらそれこそ不幸にしますよ。綾波さんを守ってあげるんでしょう?」
「捨てるわけじゃない……」
「同じですよ。自分でやるのが嫌だから他の人間にやらせるだけじゃないですか」
「……」
「綾波さんだけでも……」
そう言って、吹雪の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
吹雪は綾波に自分を重ねている部分があった。そして、艦娘が幸せになる結末を見てみたいという、願望だった。
「吹雪……」
提督は手で吹雪の涙を拭ってやる。
「……綾波に二度とあんな目にはあわせないって誓ったんだ。ありがとう吹雪。思い出したよ」
提督の手の暖かさを吹雪は以前の提督と重ねていた。
「司令官……」
酔っていた勢いもあったのか、吹雪も寂しかったのか、吹雪は目を瞑り、提督へ向けて顔を上げた。
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[chapter35: 謝意 ]
吹雪が仮眠室で目を覚ますと、提督が隣で眠っていた。
流れの上でそのようになってしまったことに、わずかばかり後悔していた。
提督を励ますつもりが、吹雪も励まされることになってしまっていた。歪な二人が何かを求めて、与えあい受け取った。
吹雪は呑気な顔で眠っている提督が少し憎たらしくなり、鼻を摘んでやる。よく眠っているので、提督は不快そうな顔をするものの目を覚まさない。
まだ起床ラッパが鳴る時間には少し早い。提督を起こさないように気だるげにベッドから出ると、服を着て身支度を整える。
「司令官は私の“提督”ではないですけれど。私、司令官のこと好きですよ」
そう言い残すと、吹雪は仮眠室から出て行った。
起床ラッパによって提督の目が覚めた時、ベッドのぬくもりはすっかり冷めていた。
業務開始時刻に提督執務室に到着した提督は昨日のことを反芻していた。
情けなくも酒に酔って弱気を見せてしまったこと。卑怯にもその勢いで吹雪を抱いてしまったこと。
だが、吹雪は全て受け入れてくれたおかげで、心は少し軽くなっていた。しかし心が軽くなった分だけ、頭と胃は酒により耐え難いほどに重かった。
「おはようございます。球磨だクマ」
球磨が執務室に訪れた。
「どうしたクマ? 体調悪そうだクマ」
「ああ、二日酔いだ。昨日飲みすぎた。水を持ってきてくれないか?」
球磨は提督に言われたとおり、水差しと硝子器を盆に乗せて持ってきた。
「だいぶ飲んだみたいだクマ。昨日木曾から話を聞いたクマ。すごい慌ててたクマ」
「木曾には悪いことをしたな。謝っておこう。それと球磨」
提督は水差しを受け取りながら球磨の目を真剣に見据える。
「いつもありがとう。助かってる」
突然の提督の謝意に球磨は、
「大したことしてないクマ。急にどうしたクマ?」
と少し照れている。
「クマ?」
急に球磨が鼻をくんくんと鳴らし提督の体の匂いを嗅ぎ始める。
「お、おい……」
「……別にいいクマ。球磨は提督が誰と何をしようと気にしないクマ」
じとっと提督を睨むと秘書席に戻っていった。
「しまったな……これは気づかれたか……」
提督は朝の時間が足りなく十分には身を清められなかった。
「吹雪には何か礼をしなくてはな……」
何が良いか。意外と酒で良いかもしれないと提督は考えていた。
「――見つけたでち。間宮さんが言ってた。ゴーヤは提督に捨てられたって。もう二度と会えないって。外に出られれば――!」
静かに進行している事態に誰も気づいてはいなかった。