特急呪霊、バラガン・ルイゼンバーン 作:海鮮丼
どこまでも広がる無。
おおよそ生命の息吹を感じることのできない砂原の只中に己が立っていると、そう理解するのにそれほど多くの時間は必要なかった。
この空間に立つ以前の記憶は、なんらそれまでの日常と変わらないものだった。普段通りに出勤し、普段通りに残業をした。人付き合いの得意でない俺は、入社してから三年間毎日のように上司から仕事が遅いだのやる気がないだのなんだのと叱責され、遅れを取り戻せとの御命令をうけて昼食を取ることもなく働いた。働いて働いて働いた。そうして時計の針がもう直ぐ頂点を回る位置にあるのを見て、長時間のデスクワークに岩のようになった体をバキバキと鳴らしながら伸び。作業の終わった開いていたファイルを閉じるとデスクトップには、好きな漫画のキャラクターのイラスト。ぼうっとそれを眺めて手元のマグカップを口元で傾けると中は空で。ガソリンがわりのカフェインを補充してこようかなと、デスクチェアを軋ませながら立ちあがろうとしたところで。
ぷつりと意識が途切れた。
目が覚めるとこの虚無の砂原に両の脚でしっかりと立っていた。今この瞬間も自身を襲う謎の喪失感。大切なにかを喪ってしまったという感覚が先程から妙に冴え渡っている己の脳を苦しめている。仄かな喪失の苦しみとは裏腹に砂を踏みしめる音も体に触れる空気の質感も恐ろしく鮮明に感じ取れる。さらに、自身の周りに霧があるかのように、何かが漂っているような感覚。だが俺の目には霧など映っていない。とにかく、苦しみを味わいながらこの何もない場所に一人でいると気が触れてしまいそうだった。誰かに助けを求めようと一歩、また一歩と歩みを進めた。
いくつもの丘を越え、谷を越え、しかし、どこまで行こうと景色は変わらず周囲にあるのは砂、砂、砂。一面に広がる砂原は神秘的な光景で、ここが天国なのだと言われたら納得がいくほど壮観である。小さな山ほどもあるであろう砂の丘陵をえっちらおっちら登ると先ほどよりも遠くまで見渡すことができた。地の果てとも言えるほどの遠方に随分と背の高い木々が生い茂っている。木があるということは水があるということだ。水があるということはそこには自然、生き物があり、文明があるということだ。
希望は見えた。
さあ、もう一息である。
--それは、きっと甘い考えだったのだろう。
もう、気が遠くなるほど歩いた。しかし、肉体的な疲れはない。どれだけ遠くとも、目に見えたのだ。だったらいずれそこまで行き着くはずだ。
--足がとられる砂地を歩き続けて、疲労がない?
川でもあればそこで喉を潤してみよう。そうすれば、この喪失感もいくらか紛れるかもしれない。
--希望は人を盲目にするのだ。それは、人ならざるものもまた同じ。
だが、なぜか木々に近づかない。
どこまで歩けど、木々にたどり着かない。たどり着けない。
--そして、希望という丘に登って遠くを見渡してばかりいては、足元の絶望の谷に気がつかない。希望の只中にいれば深い絶望に落とされたとき、その落差はより大きなものとなる。
おかしいな。こんなにも遠かったかな。もう少し歩いてみようか。歩きながら考えてみよう。
…ああ、わかった。わかったよ。認めるよ。
木々は、消滅している。
何かの超常的な作用で。
だが、ここにあるのは砂だけ。いるのは俺だけ。ならば。
「俺の、せいなんだろうな」
随分と嗄れた声が出たが、それに驚く余裕もない。
木々の幻覚を見ているわけではない。ひどく鋭敏な五感が確かに現実だと知覚している。
遠くの木々に異常なものは何もない。異常なのは己だ。
己の体に集中してみると、周りを奇妙なものが取り囲んでいるのがわかる。その流れを読み取りそれの出どころを探ると、その先にいるのは俺自身だった。
俺は、人間ではなくなってしまった。
悲しみはない。あるのは、恐怖。
木々を消し去る力が己にあり、それを操ることのできないという恐怖だ。
あるいは、真実木々を消し去るほどの力ならば。もし、俺の歩みの先に生命体がいたのなら、それらも全て消滅したのだろう。
俺自身に宿る力なのだろうか。きっと良いものではない。この妙なものに触れてみるとその性質を感じ取れた。これは、なんと言い表せばいいのかな。
「
否。
「
近いが、否。
「
老、老い。
そう口にすると、自身の内にある力がすとんと腑に落ちた。言葉にすることで、力の形がぴたりと定まったのを感じた。
それは、雛がただの体の一部だと思っていた翼を、幾度もはためかせることでその機能に気づき、そのうちに大空を羽ばたくためのものであると自覚するように。
一度意識してしまえば、そのエネルギーを操ることは容易かった。その老いのエネルギーを自身の内に収束させる。
その後確かめの意味も込めて、再び歩き始める。
しばらく行くと、青々としげる林とその間を流れる小川が間近に迫った。
まずは水でも飲んでみようか。
小川のそばに立ち、水を手で掬おうと覗き込むと、そこには。
水面に映る、筋骨隆々の老人。その髪はいっそ美しいほどに白く染まり、口元には威厳を感じさせる髭を蓄えている。
「おいおい、まじかよ」
そこにいたのは、虚を束ねる王。
バラガン・ルイゼンバーンその人であった。
バラガンの二次創作もっと増えろ…!
という思いで頑張ります。
よろしくお願いします。