短編   作:dolph

4 / 9
ちゅーちゅー2

 チュー太は、自分の持てる限りの全力で走っていた。

 ただ走るだけでなく、下水道のあちこちに這う太いパイプの上を走ったと思えば、どこへ通じているかわからない細い配管の中を潜り抜ける。

 自分が知ってる道の全部を駆使して、なるたけ複雑な道を全力で走っている。

 チュー太がここまで必死になる理由は一つしかない。

 敵だ。

 

 チュー太のねぐらを押し流した濁流は、チュー太のねぐらだけを押し流したわけではなかった。

 あそこに棲んでいた生き物たち全てのねぐらを押し流してしまったのだ。

 その中にチュー太にとって、いや他のネズミにとってもカエルにとっても最悪の生き物が混じっていた。

 頭全てが口で出来ている恐ろしい生き物だ。体は長いくせに頭よりも細いため、小さな隙間に潜り込んでも速度が落ちることなく追ってくる。

 長い体は無数の鱗に覆われて、汚水やヘドロ以外の何かで濡れて光っている。

 あいつに追いつかれたら一巻の終わり。

 もし、あいつが頭を持ち上げてジャンプの姿勢をとったら、チュー太に避ける術はない。

 チュー太の野生を上回る速度で飛来し、あの大きな口で一飲みにされてしまう。

 

 蛇だ。

 巣を流されて気が立っていたところに、チュー太は真正面から出くわしてしまった。

 

 蛇は足が一つもないのに、全力で走るチュー太から引き離される気配がない。

 曲がり角を細かく曲がって蛇からは見えない場所に隠れても、チュー太がどこを通ったのかわかっているかのように、蛇は一直線にチュー太のいる場所に向かってくる。

 顔の先から頻繁に伸びる舌が恐ろしい。

 

 蛇は長い舌でチュー太の温度を舐めとり、それによって目で見えなくともチュー太の位置を把握しているのだ。

 逃げるためには水中に潜って温度を消してしまえばよかったのだが、生憎チュー太はそのことを知らないでいた。

 

 走り続けるうち、ついに知らない場所まできてしまった。

 背後を振り返るまでもなく、シュルシュルと不気味な息遣いが首筋の毛を逆立てる。

 今のチュー太に何かを考える余裕はない。本能が命じるままに足を動かし続けるだけ。闇雲に走っているのだから蛇があきらめない限り、いずれ力尽きるか、袋小路に追い詰められるのかのいずれかしかなかった。

 そして後者に行き当たった。

 道は突然途切れ、暗い壁が目の前に迫るにいたってようやく思考を取り戻した。

 

 蛇は迫ってくる。

 野に生きるチュー太は、蛇の恐ろしさをよく知っていた。

 食べられるのはもちろん恐怖だ。それでも食べられ方というものがある。

 一瞬で絶命し、暗闇に落ちるなら――それが死への恐怖を和らげるわけではないが――少なくとも痛みを感じずに済む。

 だけど蛇の食べ方は違う。

 蛇は丸呑みにするのだ。

 蛇に体の半ばまで飲まれ、死を悟ったネズミの目を見たことがあった。最後の泣き声を聞いた。あれは忘れられるものではない。今でもチュー太の夢に現れて、暗がりを警告してくる。

 ネズミの体を全部飲み込んだ蛇は、細い体をぷっくりと丸く膨らませる。蛇は生きたまま丸呑みにし、体の中でじっくりと溶かしていく。

 その間中、死の恐怖がずっと続いていく。

 耐えられるものではないし、絶命するまでに気が狂ってしまう。

 

 蛇に食べられるのは絶対にいやだ。

 ネズミだけではなく、カエルも小鳥にも共通する思いなのだ。

 

 立ち止まったチュー太を見て、蛇が鎌首を持ち上げる。

 一瞬後には番えられた矢が飛ぶより速く、蛇が大口を開けて飛んでくる。

 一秒でも長く生きてやると、チュー太は垂直な壁を登り始めた。ネズミの鉤爪は、僅かな凸凹さえあれば地面と同じように体を運ぶ。

 すぐに天井まで登りきってしまう。蛇の跳躍はこの程度の高さなんてものともしない。

 そこに細い縦坑を見つけたのは幸運だった。

 チュー太の小さい体でやっと通れるほど細い配管。

 配管は真上に向かって伸びていたかと思うと急に折れ曲がり、今度は真下に向かっていく。水がたまっていたけれど、そんなことを気にしている場合ではない。

 水にもぐると幾らも進まないうちに、真上に向かって折れ曲がっている。水をくぐり抜け、尚も登り続けると広いところに出た。

 蛇は、追ってこない。

 細すぎる配管に頭が入らなかったのか、途中にあった水溜りを抜けられなかったのか。

 

 助かった。

 

 久しぶりの全力疾走で疲れきったチュー太は、その場の安全を確認せずに眠り込んでしまった。

 

 

 起きたのはそれから三時間後。

 空腹に叩き起こされた。

 今日の狩で食事を八分目にしたのがまずかったらしい。

 いつもならゴキブリを探しに下水道を走り回るところなのだが、来た道を戻るわけにはいかない。

 戻ったところに蛇がいたら目も当てられない。戻るにしても、別の道から戻らなければ。

 改めて現在の居場所を確認すると、やたらに広い場所だった。

 

 夜行性であるネズミは、鼻は利いても目は悪い。

 現在の環境を調べるには、走り回るしかないのだ。

 つるつるした不思議な石の床と壁。見たこともない光る出っ張り。床の様子が突然変わって木でできてたものに変わる。

 走り回るうちにゴキブリを見つけて追い回し、空腹を満たしたところで気づいた。

 もしかして人間の家ではないだろうか。

 

 チュー太が期せずして入り込んでしまったこの家こそ、下水工事を行い、チュー太を始め数々の生き物たちの巣を押し流してしまった元凶であった。

 下水工事に加えて風呂の浴槽を交換する工事も行っており、下水へ通じる配管が一時的に開放されていた。それによってチュー太の侵入を許す羽目になってしまった。

 下水を無許可でドブに流し、家屋には下水道からネズミの侵入を許すこの業者は、厳重注意では止まらない。

 もしもチュー太の存在が家人に知れ、侵入経路が浴槽工事現場からと知れれば訴えられても仕方ない。

 彼らの運命は、いまやチュー太が握っていると言って過言ではない。

 しかしチュー太には関係ないことであるため、かの設備業者が手抜き工事の末にどうなるのかはやはり割愛していく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。