チュー太が入り込んでしまったのは木造平屋建ての一軒家。
住人は八十八歳のお爺さんと七十二歳のお婆さん。
二人が若い頃は舅・姑が元気にしており、子供が生まれてからはいっそう賑やかになった。ところが、小うるさくも嫌いになれなかった舅・姑が片付いたと思ったら子供達が順々に巣立っていってしまった。
今は結婚してから初めての二人暮しを楽しんでいた。
この家は、いわゆる終の棲家と言う奴である。
そんな事情をチュー太が知る由もなく、彼は少しずつ人家内の行動範囲を広げていった。
侵入経路となった浴室と脱衣所兼洗面所、廊下を挟んで台所がチュー太の主な活動場所となっていた。
台所の向こうにある洋間の食堂には中々足が運べないでいる。人間がいることが多いからだ。台所にはたくさんのゴキブリがいるのだから、わざわざ危険を冒すことはない。
暗くなって人間がいなくなってからがチュー太の時間だ。
湿ったところや暖かいところに棲んでいるゴキブリをあぶり出し、以前と同じように狩る。
住む場所がドブから人家になってもチュー太の生活はあまり変わっていない。
しかし、内心では野望があった。
ネズミーから聞いていたチーズケーキだ。
人間の家に来てしまったのだから、狙わないわけにいかない。
そのために必要なのがフォークである。
ネズミーは言っていた。
「ドブに住んでる君がフォークを知ってるわけがなかったね。フォークっていうのは銀色をしているのさ。先が二つや三つに割れていて、そいつをケーキに突き刺すんだ」
銀色で先端が二つか三つになっているもの。
数日間を過ごす内に見当がついていた。
人間(お婆さん)が何度も突き刺しているのを見ている。
銀色で、先が二つになっていて、突き刺す。
それがフォークであると確信をもっていた。
時刻は真夜中の二時。住人は寝静まっており、チュー太は二匹のゴキブリを食べ終えて食休みも済んだところだ。
視線の先には窓から入る月光を受けて、二枚連なった板が宙に浮いて銀色に光っている。
フォークの入手はいつでも可能。時間にも腹具合にも余裕ある今でも問題はない。
床と調理台との往復は何度もやってきた。
目指すフォークは白いコードの先端にくっついており、コードは調理台の上から伸びている。
出来ればコードを引っ張って、フォークを手元に引き上げてから手に入れたいところだが、小さいチュー太にそんな力はない。
とすればする事は決まっている。コードを伝ってフォークのところまで行き、コードを噛み千切ってフォークだけを手に入れればいいのだ。
住人は寝ている。邪魔はどこからも入らない。チュー太にとっては簡単すぎる仕事だった。
ぶら下がっているコードを噛み千切り、フォークを床に落とす。
床に落ちたフォークを素早く回収し、食器棚の最奥にこしらえた寝床に駆け戻る。
フォークは大きさの割りに重かったけど、チーズケーキのことを思えばちっとも辛くなかった。むしろ重さが心地よい。体に掛かる重さがチーズケーキに近付いたことを教えてくれるようで、チュー太は愉快になってきた。
チュー太が手にいれたものを、人はプラグと呼ぶ。
炊飯器が動くために必要な電力を、コンセントを経由して確保するのに必要な器機だ。間違ってもフォークではないし、食事に使うものでもない。
もしチュー太がきちんとフォークを手に入れたとしたら、住人達は気付かなかったに違いない。
子供に孫達が一斉に集まった時のために、お婆さんは色々なサイズのフォークをそれぞれ十本以上用意しているのだ。一本や二本なくなったところで気付くわけがない。
しかし、炊飯器のプラグが噛み千切られていたとしたら、気づかない方がおかしい。
次の日の朝は、お婆さんの悲鳴から始まってしまった。
なお、下水に風呂場の工事はいまだ完了していない。と言うか、チュー太が侵入してからまったく進んでいない。
設備業者があらかじめ見積もっていた代金より、高額な工事費が必要と言い出したからだ。それに腹を立てたお婆さんが、工事費の追加なんて一切認めない、早く工事を終わらせろと言い張る。
業者の方も相手がごねるのくらい慣れたもので、だったら工事なんてやってやらんとふんぞり返る。
それに困ったのがお爺さん。
家の風呂が使えなければ外に行くしかないし、トイレだって庭に設置した簡易トイレを使うしかない。
御年八十八歳の老人には堪える。老人だから風呂は三日に一度、トイレの頻度もそう多くはないが手間なものは面倒なのだ。
お婆さんがぷんぷんしているのもいけない。
若い頃は蝶よ花よだったお婆さんだが、長の年月がどう変えていったのかを身に沁みてよーっく知っている。
疲れ果てたお爺さんは癒しを求めていた。