短編   作:dolph

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ちゅーちゅー4

 チュー太が潜む木造平屋建ての一軒家、伊豆家ではお爺さんとお婆さんによる家族会議が開かれた。ここのところ二日に一度は開かれている。

 今まではやくざな設備業者への対策が主だった。

 今回は違う。千切れた炊飯器のコードについてだ。

 電気のコードは細い銅線を何本も束ねたものを、適度に固く適度に柔らかい樹脂で包んだ構造をしている。

 道具を使えば切断は容易だが、少し引っ掛けた程度で千切れるほど柔な作りでもない。

 それが千切れている。

 倹約を美徳とするお婆さんだから、コンセントに刺しっぱなしにすることは絶対にない。よって何かが引っかかって千切れることは考えられない。

 切断面を見てみよう。

 小さな刃物で何度も切りつけたように、ギザギザしている。

 爪きりの様な刃物で、少しずつ切っていけばこんな断面になるかもしれない。

 結論はすぐに出た。ネズミだ。

 しかし、どこから侵入した?

 戸締りについては子供らに厳しく仕付けた二人である。戸や窓からとは考えらない。

 考えてもわからないことは考えない。そういられるのは年の功。

 ネズミのことはさておいて、やはりチンピラ業者への対策会議に戻っていった。

 

 癒し計画についてお婆さんに告白する機会が遠のき、ため息をつくお爺さんであった。

 

 当然のことながら、そんな事はチュー太の知ったことではない。

 フォークを入手してからのチュー太は、狩りもそこそこにとどめてチーズケーキがやってくるのを待っていた。

 所詮チュー太の脳みそは3ビット。ネズミの限界である。

 フォークさえ手に入れれば、次はチーズケーキが来るものと信じていた。

 天から降ってくるのか、地から湧いてくるのか、はたまた寝て起きたら目の前に現れているのか。そのいずれかが必ずやってくると固く信じていた。

 そんな事はけしてあり得ないと、誰しも知っている。

 しかし、チュー太は知らなかった。信じていた。待ち続けた。

 狩りをしないではない。ねぐらの近くまでやってくるゴキブリを捕え、一匹あたり一時間以上掛けてじっくりと食べる。それを日に三度繰り返す。

 味わいたくてゆっくり食べているのではない。急いで食べてしまうと、お腹が空くまでの時間が短くなる。急にお腹が膨れすぎると、体に悪いというのも知っていた。

 チュー太が怠惰になったわけではない。

 その内チーズケーキがやってくるのだから食事はほどほどにしよう、と思っているわけでもない。

 生きる=食べること、であるチュー太が、面倒だからと狩りをさぼるわけがないのだ。

 チュー太は、チーズケーキを待っているのだ。

 いつ、どのようにしてやってくるのかわからないチーズケーキを待っているのだ。

 

 もし、自分がフォークから離れた隙にチーズケーキがやってきて、そして去ってしまったら?

 

 そう考えると、とてもじゃないがねぐらから離れる心持にはなれなかったのだ。

 しかし、少ない食事は確実にチュー太の体力を奪っていった。

 それ以外にも、チュー太の精神を削る要因がある。

 人間だ。

 暗くなるとすぐに床についていた人間達が、最近はそうでもなくなっていた。

 いつの間にか起きだしてごそごそがさがさ。

 夜はチュー太の時間だというのに、人間が起きて動いている。

 生活エリアを侵害される小動物がどれほどのストレスを抱え込むか、今のチュー太が示している。

 栄養不足に睡眠不足、ストレスがそれらを大加速して、チュー太はほとんど朦朧としていた。

 チーズケーキへの想いがなければ、とっくに倒れていたかも知れない。

 そのチーズケーキへの想いが、チュー太を再び動かした。

 

 人間が夜中に動き出しているのは、チーズケーキを食べているからかも知れない。

 

 チュー太の頭には、チーズケーキしかなかった。

 

 日が落ちてから、昼の間に捕まえていたゴキブリをゆっくりと食べつくし、わずかな食休みを挟んで久しぶりに食器棚から離れた。

 フォークをかついで動ければそれが一番なのだが、重いフォークをかついで走り回るのは元気一杯だった時でも無理だったのだ。寝床の最奥に隠し、出来る限り早く戻ろうとこれからの行動を考える。

 人間はまだ起きだしていない。

 何をやっているのかは、ねぐらにこもりきりのチュー太にわかるわけがなかったが、どこでやっているのかは検討がついていた。

 フローリングの床を駆け、畳の上を忍び足で歩き、襖の隙間から素早く中へ滑り込む。

 カラカラと小気味良い音が響いている。

 

 そこには自分がいた。

 

 チュー太は生まれて初めての衝撃に打ちのめされた。

 透明な壁の向こうに自分がいた。

 3ビットとは言え、鏡に映る自分を見違えたわけではない。

 虚像ではない実像が、透明な壁の向こうで駆けていた。

 まあるい筒の中で一心不乱に駆けている。

 小さな体に大き目の耳。毛の色もよく似ている。

 チュー太が今までに見てきたどんなネズミとも違う。違うが、自分にだけはよく似ている。いや、そっくりと言っていい。

 同属だと思っていたドブネズミ達とは決定的に違う。

 たまに顔を合わせるネズミーのような家ネズミとも違う。

 自分は、これ、なのか。

 

 チュー太が受けた衝撃は大きかった。

 なにせ自分がいたのだ。自分しかいないと思っていた自分が、自分以外にいたのだ。

 チュー太が受けた衝撃は、人間にとっての天地開闢に等しい。

 そしてチュー太は、前述のように体が弱っていた。精神が削れきって意識が散漫としていたところにこの衝撃。

 野に生きるチュー太にして痛恨の忘我。

 だから、それに気づいた時には何も出来なかった。

 

 空が降ってきた。

 青くて、白くて、ふわふわしている。これが空でなくて何が空か。

 空がチュー太目掛けて落ちてきた。杞憂の語源を得意げに触れ回る者は、今のチュー太に誠心誠意わびなければならない。

 空にとらわれたチュー太は、必死に暴れるも出口がなかなか見つからない。

 空が途切れた瞬間を見計らって飛び出すと、大嫌いなあれがあった。

 洗剤だ!

 いつのまにか大きな池に飛び込んでいた。

 池の水は只の水ではない。チュー太にはわかる。うっすらと洗剤が溶け込んでいる。

 これだったら空につかまってた方が千倍マシだ。

 その想いが通じたのかどうか、チュー太はまたも空につかまった。

 精も根も尽き果てたチュー太にはもう暴れる気力は残されていなかった。

 

 

 チュー太を襲った怪異を俯瞰するとこうなる。

 チュー太を捉えたのは空ではなく、青地に白い模様が入ったタオル。

 大きな池は洗面器で、それらの実行者はお爺さん。

 

 チュー太ほどではないが、お爺さんも驚いたのだ。

 なにせ、こっそり飼っているハムスターがいつの間にかケージの外に出ていたのだから。

 しかも泥や油で汚れきっていた。

 いけないとは知りつつもちょっとだけお風呂にいれてやり(本当はしちゃいけません)、優しく水気をふき取ってやってからケージに戻したのだ。

 ハムスター飼育をお婆さんに告白するのは、もうちょっと時間が経ってからと決めていた。

 なのに、ネズミと間違われて退治されてはたまらない。

 

 お爺さんは耄碌(もうろく)してドブネズミとハムスターを間違えたのではない。

 間違えていたのはチュー太のほう。

 彼はドブネズミではなかった。

 ドブに住んでいたからそうと思い込んでいたのだ。

 小さな体に大きな耳。仲間とは違いすぎる外見。そして、群れを作らずに独りを好む性。

 チュー太は、キャンベルハムスターだった。

 

 

 ちなみに、お婆さんはネズミの侵入経路は下水工事が中途半端だからとあたりをつけ、設備業者への怒りに油を注いでいた。

 お爺さんは違うんじゃないかなと囁いていたが聞く耳持たずであるし、我々はお婆さんの言こそ真実であると知っている。

 爆発した怒りにお婆さんの行動は超加速した。

 不良業者に泣かされたご近所を持ち前のカリスマで纏め上げ、集団訴訟を起こしたのだ。

 訴訟にまで至ればお上の耳に入らないわけがない。

 設備業者は町の指定業者との肩書きを外され、慰謝料に損害賠償に遅延していた工事の完遂を命じられてしまった。

 踏んだり蹴ったりどころではなく、撲殺蹴殺の域である。

 設備業者とて、好き好んであくどい事をしていたわけではないのだ。そもそも、元からそんなやくざだったら町の指定業者になれるわけがない。

 取引先から支払われた手形が不渡りとなったのだ。

 額面は一千万だったのに、回収できたのは僅かに五%。つまり五十万円。九百五十万円が泡となった計算だ。

 更に悪いことに、不渡りは不渡りを呼ぶ。

 あっちにこっちにと倒産が連鎖し、設備業者が回収できなかった金額は五千万円を越えた。

 真面目に働いたのに、お金が入ってこなかったのだ。五千万円も。

 苦肉の策と、やくざな商売を始めたが行きついた末は集団訴訟。

 設備業者の社長は、裁判の結果が出る前日に夜逃げした。

 

 お爺さんは二匹に増えてしまったハムスターを見て、一人心癒されていた。

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