PCの電源をいれると、真っ暗な画面が現れた。
何がなんだかわからなかった。
バイトにいく前にPCをいじっていた時はなんともなかったはずだ。その時にしていたのはオフラインゲームだったし、ブラウザを立ち上げてあちこち回ったわけじゃないから、それで何か変なものを拾った可能性はまずない、と思う。
それとも夏の暑さでばてたか?
電源を切り、もっかい試してみてもやはり駄目。
何かの間違いだ。ちょっと時間をおけばなんとかなる、はず。
儚い望みを抱いて、とりあえず一服することにした。
バイト上がりに吸ったばかりだったが、吸わずにはいられない。
「たばこ吸うの?」
部屋から廊下に出たところで妹と鉢合わせた。こいつの部屋は俺の二つ隣。
五つも離れてると少しくらい生意気でも背伸びしてるようで可愛いものだと思う。なにせこっちが小学六年の時に一年生だ。その頃の小さな子供感が今でも抜け切れない。
同じく妹もちのNは喧嘩が絶えないとかなんとか。うちも年子だったらそうだったのかも知れん。
「ん」
「もう二十になるんだから止めたら? 二十歳になったら禁煙する人もいます、って言うよ」
今まで何度聞いてきたことか。母親よりこっちの方がよほどしつこい。
「二十になったんだから堂々と吸えるんだろうが」
「でも高いし一箱五百円だっけ? 体に悪いし良い事ないじゃん」
「良いことあるから皆吸ってるの」
「適当ばっか言って」
話しながら歩いてたら庭まで付いて来た。我が家はスモーカーが俺だけなため、屋内では基本的に禁煙なのだ。なのでベランダか庭で吸う。トイレで吸ってたら、
「くさい! 中学生じゃないんだから外で吸って!」
と怒られてしまった。それからは夜だろうが雨が降ってようが、タバコを吸うには外に出なきゃならなくなった。
庭の濡れ縁に座って、ソフトケースから一本取り出す。フィルターをトントンと軽く叩いてから、ターボライターで火を点けた。
「そのトントンって意味あるの?」
「あんまない」
「ふーん」
タバコ吸ってるのなんて珍しくもなんともないのに、少し離れたところに座ってこっちを見てくる。
「なんか用?」
外はもうとっくに夜。玄関の明かりをつけてるから手元足元は問題なく見えるけど、妹の顔は逆光になっててよく見えない。
なにかおかしい。
どちらかと言えば仲が良い兄妹だと思ってるが、こんな時間に俺のタバコに付き合うことは滅多にない。たまにはある。その時は決まって頼みごとをされてきた。
前の時は、読書感想文の宿題だった。大学生が中学生のレポート書いちまって、他の生徒のから浮いてたんじゃないだろうか。
「パソコンの調子どう?」
何か変なことを聞かれたような気がした。
「んん??」
「だから、パソコンの調子どう?」
「おまえか!!」
思わず大きな声が出た。さっきのは何かの気のせいじゃなくて、原因がここにいたのか。
「ちょ、声大きい。近所迷惑になるでしょ!」
「バイトしてる時に俺のPC触ったな?」
「ちょっと……」
「ちょっと触っただけじゃあーならないんだよ。何した?」
「携帯じゃ見れないサイトがあったから、ちょっと借りただけ」
「ネット見てるだけじゃあーならないんだよ。何した?」
「だって、お父さんのパソコン古いし、お兄ちゃんの方が使いやすいから」
「だから、何した?」
「だから、パソコンが軽くなるようにって、教えてもらったことをやってみたんだけど……」
語尾が薄く消えていった。
「具体的になにしたんだよ?」
「えーと、軽くなるコマンドをいれました」
まさかBIOSから設定いじったとかそーゆーのか? と一瞬思ったが、妹にそんなこと出来るわけがない。俺だって、そういう事が出来るらしいってのを知ってる程度なんだから。
「コマンドって?」
「ふぉーまっととか言うやつ? なのかな?」
一気に脱力した。
あーとか、うーとか、うめき声しか出てこない。
「これでパソコンが速くなるって教えてもらったんだよ!」
誰にだよ……。
突っ込む気力も失われてしまった。
とりあえず、タバコが灰になるのが勿体無くて深々と吸ってみた。
むせた。
「ほら、タバコやめなよ」
「うるさいバカ!」
もし妹でなく弟だったら。間違いなくグーが出てる。
「あのなぁ。ふぉーまっとって言うのは、パソコンを初期化するコマンドなの。パソコンの中身をすっからかんにするわけ。写真とか動画だけじゃなくて、OSもなくしちゃうの。つまり、それしちゃうと動かなくなるの」
「中身が全部消えちゃうの?」
「そーなの」
「でも、パソコンが速くなるって教えてもらったんだけど」
「どこで教えてもらった?」
「よくわかんない。どっかの掲示板」
我が妹ながら、なんて純心なんだ。
「そんなの嘘に決まってるだろ。しかも、掲示板に書かれてるようなことを信じるお前がバカ」
「えー!? 嘘だったの?」
「いまさらかよ……」
可愛い妹は、少しバカかもしんない。素直なバカは可愛げがあるが、たまに狙ったかのような致命的なバカをやってくれる。
やっちまったものはどーしょもない。
PCを復帰させるための手順を思い出しながら、二本目のタバコに火をつけた。
妹は、自分がしでかした事の重大さをようやく気付いたようで、申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ている。
八月も半ばを過ぎた夜の空気は、夏とは言っても少し涼しい。
肌寒いのか、両肩を抱いて中に戻ろうとしない。
「ごめんなさい……」
小声でぼそぼそと謝ってきた。謝るだけましか。これがNだと、どういうわけかN以外の何かが悪いことになってる。あーいう図太さが羨ましい。
「あーもういいよ。なんとかするから」
「怒ってない?」
「怒ったけど、怒っても元に戻らんし」
「ごめんなさい」
「もう怒ってないよ。これからはネットの掲示板なんて信じるなよ」
「うん。何かするときはお兄ちゃんに聞いてからにする」
「マジでそうしろ。俺も戻るからお前も中入れ」
復帰手順を脳内確認して部屋に戻った。
悪いことをした自覚が十分芽生えた妹も、部屋までついてきた。最後まで付き合うつもりなんだろうか。
出来れば親父のPCを借りてネットで調べてからにしたかったが、生憎奴らはもう寝てる。
まずはPCの電源を入れて……
「これだけ?」
「これだけって、再インストに時間掛かるんだよ」
外付けHDにリカバリ領域作っておいてよかった。
作業自体はファンクションキーを数回、エンター数回という非常に単純なものなのだ。
ところが妹は自分のやったことを棚に上げて、復帰作業が簡単なのが気に入らなかったらしい。
もう私の仕事は済みましたと言わんばかりに、隣で正座してたのがベッドに寝転びやがった。
「もっとなんかすごいコマンド打ち込んで色々しなきゃいけないんだと思ってた」
「それは変なマンガの見過ぎ」
そして俺もマンガを読み出す。
時々ディスプレイを見て、再インストが進んでることを確認する。
三冊読み終わったところで、再インスト完了。
クリックすると、PCを買ったとき以来の懐かしいスタート画面が出てきた。
「へー、最初はこーいうのするんだ」
ベッドから降りた妹が、ディスプレイを覗き込んでくる。
「もう一時過ぎなんだから寝ろよ。明日、部活は?」
「休み。だけど寝る。おやすみなさい」
「おやすみー」
「今日はごめんね」
最後にもう一度謝って部屋を出ていった。
こーいう素直なところがあるから怒るに怒れない。それ以前に下手に怒って妹を泣かせたら、俺が親父に泣かされる。
「さて、と」
初期設定を終え、ウイルス対策をして、ブラウザをIEから黒目に変えれば作業は大体お仕舞い。
画像や音楽などのファイルは外付けのHDにいれてあるので、データ被害はほとんどない。しいて言うならやりかけのゲームのセーブデータが飛んだくらい。
山を乗り越えたぜ。
デスクトップにショートカットを適当にいれ、ブラウザに以前のお気に入りサイトをブックマークしていく。
幾つか忘れてたサイトがあるが、そんなとこはもう行かないだろうからなかったことにする。
早速今日の出来事をブログに書こうとして、いつも行ってるSNSにログインしようとしたら再度問題が発生した。
『IDかパスワードが間違っています』
最初は打ち間違えたかと思った。
『IDかパスワードが間違っています』
パスワードをサイトごとに変えるほどまめじゃないが、一応念のために五つのパスワードを使いまわしている。ID用の文字列も三つ使っているので、全部の組み合わせを試してみたんだが、
『IDかパスワードが間違っています』
PCの電源をいれた時、ディスプレイが真っ暗になったのと同じ嫌な汗が出てきた。
サイトのパスワードなんて、いつもブラウザに覚えさせてたから自分で打ち込むことなんて全くない。
IDは大体見当がついたんだが、パスワードが全くわからない。
仕方ないから、『パスワードを忘れた人はこちら』項目をクリックし、メールで再発行してもらおうか。
すぐに届くはずのメールが届かない。
入力したら自動返信ですぐ返信が来るんじゃなかったか?
それともメアドを間違えたか?
一文字一文字確認しながらメールアドレスを入力。クリック。返信無し。
覚えてる限りのサブアドを入れてみたんだが、何か基本的なことを間違えてるんだろうか。サイトからの返信が全く来ない。
我が家にネット環境が来た時、調子に乗ってサブアドをとりすぎた。
IDもなんだか自信がない。パスワードは全くわからない。登録時につかったメールアドレスもさっぱりだ。
どうやら俺は、パスワードを忘れたらしい。