普段の遅筆がウソのようです。
中央暦1639年4月13日
クワ・トイネ公国・蓮の庭園
蓮の庭園――そう呼ばれる評議場で、緊急政治部会が開かれていた。
水面には蓮が静かに浮かび、薄明の光が葉の縁を鈍く照らしている。だが、その静謐は、この場に漂う重苦しさを覆い隠すものではない。
議題はただ一つ。ロウリア軍の侵攻に、どう対応するかであった。
「現状を報告せよ」
首相カナタの命に、軍務卿が言葉を選ぶように答えた。
「はっ。現在ギム以西はロウリア王国の勢力圏となっております」
軍務卿は資料をめくった。
「先遣隊は地上兵力だけで三万以上。これは戦場で確認された投入兵力です。
さらに、国境監視部隊からの報告、強行偵察、脱出してきた者の証言など、複数の情報が一致しており、後続を含めたロウリアの作戦兵力は、三十万から五十万に達する可能性が高いと判断しています」
「……五十万?」
誰かが、乾いた声で繰り返した。
「数が大きすぎるため誇張も疑いました。しかし敵は国境線に沿って補給地を複数構築し、街道を押さえ、隊商規模では説明できない輸送を継続しています。
国境侵犯ではなく、大規模侵攻の規模だと予想されます」
軍務卿は続けた。
「次に敵の飛竜部隊。ギム戦で投入されたのは七五騎。
しかし監視部隊が捕捉した飛竜の連続した越境と、後方地での飼料などの集積量から推定すると、敵が西部戦域で運用可能なワイバーンは総数で五百前後と考えられます」
全員が息を呑んだ。
「五百が同時に空を埋めるという意味ではありません。
ですが七五を先遣として惜しげなく投じられる規模であり、我が国の飛竜部隊は、段階的に擦り潰されるものと見ております」
「第三文明圏が支援している可能性は?」
誰かが問う。
「未確認情報ながら、第三文明圏フィルアデス大陸の列強、パーパルディア皇国が軍事支援している可能性があります。
戦場で従来のロウリア軍に不釣り合いな装備が見つかったとの報告がります。捕獲できていないため断定はできませんが、無視できるものではありません」
そして最後に、軍務卿は言った。
「加えて敵艦隊、四千隻以上。
これも誇張を疑いましたが、港湾監視に加え、沿岸の複数地点で出航した様子が確認されています。
内訳は軍艦だけではありません。輸送船、上陸用舟艇、徴発された漁船まで含めた総数と見てください。
つまり――ロウリア軍は海からも攻めて来ます」
皆が沈黙した。
兵力五十万。飛竜五百。四千隻の艦隊。
どれも誇張だと切り捨てたくなる数字だが、複数の情報を統合した結果である。
何より、ギムが一日で陥ちたという事実が、予想を現実のものにしていた。
外務卿が手を挙げた。
「首相、よろしいでしょうか」
「何だ」
「政治部会の直前、ロワの国の大使から連絡がありました。全文を読み上げます」
外務卿は紙を開く。
「――『私、フェル・ニ・ロワは、貴国に侵攻したロウリア軍を看過できない。徹底した抗戦を望む。なお、貴国の要望があれば、ロワは騎団を派遣する』――以上です」
「フェル王女殿下!援軍を送ってくれるのか!」
「巨人騎士が来てくれれば、窮地を凌げるかもしれませんな!」
「彼らは食料自給率が低いと聞きます。我が国からの輸入が途絶えては困るのかと。また、マイハークを中心にロワの民が滞在しています。彼らを保護する必要もあるのでしょう」
カナタは即断した。
「よし。すぐロワの国に援軍を要請しろ。兵糧は我が国で準備すると伝えよ」
「また、排除完了までの間、領土・領空・領海の往来の自由を認めるとも伝えろ」
「――そして軍務卿!」
「はっ!」
「全騎士団および飛竜部隊に、ロワの国に協力せよと通達しろ」
「了解しました!」
絶望の底に、微かな光が見えた。