その男、道化の家へ訪れる
ロキとの取引を行った数日後、モルディアたちは【ロキ・ファミリア】の本拠地である『黄昏の館』を訪れていた。モルディアが訪れる必要はなかったのだが、フィンから是非にと言われ折角お呼ばれしたのだから、という理由で同行した。もう一つの理由としては緊張しきりだったベルが付いて来て欲しいと言ったからだが。
かたやエリスはどうかと言うと、それほど興味を示してはいなかった。上級冒険者との鍛錬など望んでも得られない物なのだが、それはエリスの心をくすぐるものではないらしい。それよりもモルディアとの鍛錬かダンジョンに潜りたいと思っていた。それはエリスが獲得したスキルが影響している。
『
・あらゆる技能の習熟が早まる。
・
・戦闘時、発展アビリティ『剣士』の一時発現。
・戦闘時、発展アビリティ『魔導』の一時発現。
それがエリスの目覚めさせた破格のスキル。事実として、そのスキルに目覚めて以降はエリスの成長は著しいの一言だった。モルディアの教えた技術を文字通り、スポンジのように吸収していく。そのため、ベルとの実力差は如実に出来てきていた。
ちなみに、加速度的に強くなっていくにつれてエリスの態度も変化していき、その変化を見たベルは「お義母さんみたい……」と漏らしていた。ベルたちの親にそんな実力者がいるとはな、と思いつつも似なくて良かったなとも思っていた。おおよそ社会で生き抜くのは難しい性格をしていると感じたからだ。
強者たる才覚を有するが故に他者を平然と見下す。その全てを悪いと言う気はないが、弱者の総てを見下した結果いざという時に弱者に逆襲をくらう可能性を考慮していない。それすらも覆せる実力があるのなら問題ないが、今のエリスはそうではない。全ての敵を自分の実力のみで覆す手段はない。ある意味で敵を大量に作りかねない態度を矯正した方が良いのか、モルディアとしても悩みどころではあった。
エリスの実力は間違いなく、同レベル帯では抜きんでているからだ。いや、それどころか一つ上のレベル帯でも大半の相手は圧倒してしまうかもしれない。それだけの実力を持ち、まだまだ成長の兆しを見せるエリスだからこそここで自分よりも強者に揉まれてほしいとも思う。多くの壁に、試練に恵まれ成長してほしいと思う。
「まぁ、なんにしても行ってみない事には何も変わらないか」
話が通っていたのか門番に手を挙げて中に入る三人。その先では団長であるフィンを始め、三幹部であるガレス・ランドロックとリヴェリア・リヨス・アールヴ、そして第一級冒険者であり幹部であるアイズとティオナとティオネ、そして意外な事にベート・ローガが待っていた。それに加えて次期幹部勢も待機しており、大盤振る舞いと言っても良い歓迎具合だった。
モルディアが先日共に戦った四人に手を振ると、エリスの機嫌が急速に悪化していく。そう、エリスがここに来たがらなかったのは彼女らがいるからであり、同時に彼女のコンプレックスを刺激されるからだ。今の自分がモルディアの隣に立つには足らず、同時にまがりなりにも隣に立てていた彼女たちに嫉妬の感情を抱いてしまう。そんな自分が嫌だから、ここに来たくなかったのだ。
モルディアが聞けば一瞬呆然とした後に呵々大笑してしまうような理由でも、エリスにとってはとても大事な理由だった。エリスは自分の抱く感情がとても嫌なものだと思っている。自分の大切な人を助けてくれた人たちに嫉妬してしまう事が良い事だなどと思えるはずがない。全ては自分に力がない事が要因だと言うのに、ソレを棚に上げて尽力してくれた彼女たちを嫉んで良い筈がない、とそう思っている。
力を得たことで多少歪んでしまっても、エリスの性根は変わらない。誰かを慮ることが出来る優しい娘であるという本質まで変わる事はない。知りもしない他人でも困っているのなら助けてしまうという善性までもが消えてしまった訳ではない。
「お待たせして申し訳ないな、フィン団長」
「いや、気にしないでくれ。こちらが勝手に待っていただけの事だからね。鍛錬を始める前に、彼女たちがお礼を言いたいそうでね。少し時間を貰いたくて」
「この間はありがとう!モルディアのおかげで生きて帰ることが出来たよ~」
「この馬鹿、まだ団長が喋ってる途中でしょうが!……まぁ、この間は助かったわ」
「……ありがとうございました」
「どういたしまして。俺も協力してもらった身だし、そこまで気にする必要はないと思うけれど……礼は受け取らせてもらおう。それで、どうかしたのか?」
「……あの!この前の戦いで私に使った技術を教えていただけないでしょうか!?」
レフィーヤの申し出に目を丸くさせながら顎に指を当てつつ、フィンの方に視線を向けるモルディア。モルディアが講義することは交渉の中には含まれていなかったからだ。フィンはモルディアの視線に苦笑しつつも口を開いた。
「申し訳ない。でも、レベル3であるレフィーヤがレベル5であるアイズたちの全力の動きを捉えられた技術と言うのは僕も気になるところでね。追加で報酬を支払っても構わないからご教授願えないかな?」
「……まっ、それは構わないが。追加報酬もいらないから、代わりに相手はこちらで指名させてもらえるかな?」
「ああ、構わないよ。誰にしようか?」
「――――ローガ君を指名させてもらおうかな。二対一の形式でだ。問題はないだろう?」
「だそうだけど、問題はないね?ベート」
「……ああ。だが、1つだけ注文を付けるぜ」
「ふむ。交換条件に対して交換条件か。まぁ、良いけど。それで、何だい?」
「そいつらが気を失っている間、俺と戦え」
「へぇ?俺との実力差を知って、それでも挑むと?」
「テメェと俺の間にどれだけの実力差があろうが、それが戦うことを諦める理由になんのかよ。あれだけ偉そうな事を言ったんだ。断らねぇよな?」
「煽りのつもりなのかな?まぁ、良いけれど。ただし、気絶中というのは勿体ない。この子たちが戦闘不能となった段階で俺が回復を施す。そして体力を回復させるための休憩時間……そうだな、四半刻の間は相手をしよう。それで構わないかな?」
「ああ。それで構わねぇ。おら、さっさと行くぞ」
ベートが踵を返し、鍛錬場所として使用する中庭に向かう中でモルディアを見るベル。そんなベルと不機嫌な表情を隠さないエリスの背中を叩き、ベートに続くように歩みを進めるモルディア。そんなモルディアに続くようにベルとエリス、その他一行。
ベルとエリスがベートと向かい合う一方、モルディアは青空教室を開催していた。ティオナとガレスがベートがやりすぎないように監督役になり、その他の人物がモルディアの講義を聞く運びとなった。その講義では以前ベルたちに講義したものとほぼ同じ内容を説明した。
「さて、以上の説明を経た上でだ。何故、ウィリディス嬢がヴァレンシュタイン嬢らの動きを捉えられたかの説明に移ろうと思うが……何かな、ヴァレンシュタイン嬢?」
「アイズで良い」
「ん?」
「呼び方。アイズで良い」
「……そうか。では、気を取り直して。説明の続きだが、これはそう難しい話じゃない。そもそも今のウィリディス嬢であれば、アレを見切ることぐらいはできた。それだけの話だ」
「どういう事だい?」
「そもそも、人体にはリミッターがかけられている。それは本来の力を発揮すれば、その人体が崩壊しかねないからだ。しかし、ステイタスはソレを覆す。人体では到底なしえないことを神の恩恵がカバーすることが出来る。だが、考えたことはないか?そんな神の恩恵にもリミッターが掛かっていると」
「では、ステイタス上の能力を我々は発揮できていないと言うのか?」
「意識的に使うことが出来る分には制限が掛かっているだろうな。フルスペックとして使う事は出来ていない。本当に使うことが出来ているのなら、その程度な筈がない。事実として、俺が本来のステイタスぐらいの強化を施したウィリディス嬢は動きを捉えきれていただろう?……まあ、別なモノも見えたようだが」
「へ?」
「君は世界のマナの動きが見えたはずだ。生命が持つオドの輝きより強いマナの輝きを見れたという事は一種の未来予測が出来た、というのとあまり変わらない。といっても、ほんの数秒程だろうがな」
卜占を極めた術師が至る領域にモルディアからの強化ありきとはいえ片足一本ぐらい突っ込んでる辺り、素質なのか神の恩恵が由縁かは分からないがとんでもないなと思っていた。とはいえ、本当に極めた術者がどれほどの腕前なのかを知っている身としてはそういうこともあるのかー、という感想にしかならなかったが。そもそも、その程度の事はモルディアでなくても出来るのだから突っ込むのも面倒だっただけだ。
「私、そんな事をしてたんですか!?」
「未来を見るなんてそう難しい話じゃない。本物の卜者なら一つの事柄の結末を言い当てる、なんてことも出来るんだ。俺が知っている術者だったら対面する相手の動きを全て瞬時に演算して完封する、なんて事もやってのけたしな」
「それ、どうやったら勝てるんだい?」
「そういう奴に読みあいで勝つのは無理だ。だから、読まれたとしても問題ない方法で勝つ以外にはない。つまり、亀みたいに相手の攻撃を全部受けて、相手の選択肢を全部潰して殺す。圧勝か圧殺か、そういう手合いにはその二つの未来しかありえない」
「えぇ……」
「まぁ、そんな領域まで至れる術者はそういない。そこまで至る前に脳みそが潰れて死ぬからな。その手の能力は才能とセンスの両方が必要で、無理なら専門の器具か何かを植え付けるしかない。どちらか片方でも欠けていれば大成の道はない。実際、ウィリディス嬢はあの戦いの後、頭痛かっただろう」
「え、分かるんですか?」
「そりゃな。だって、ウィリディス嬢にその手の才能はない。これはウィリディス嬢が悪いんじゃなくて、大半の奴が持っていない類の才能だから気にする必要はない。情報の処理速度に脳が付いていかないんだ。だから、無理に習得させようとか思わない方が良いぞ。そういう奴、大抵早死にするから」
モルディアは本当につまらない話をしているかのように振舞う。事実として、モルディアも似たようなことはできるが率先してやりたいとは思わない。こんな力を持つ者はいない方が良いとすら思っている。何故なら、ひとたびこんな力を持ってしまえば勘違いしてしまうからだ――――自分には大いなる責任があるのだと。
「なんでよ?未来が読めるって相当強そうだけど」
「そりゃそうだろう。現実を認識しながら、未来の演算を行うんだぞ?今がどちらなのかを次第に脳が認識できなくなっていくし、演算によって酷使された脳細胞は次々に使い潰されていく。最後には自分で思考する事すらままならない人形のような生が待っている。……それの何が楽しいと言うのかね?俺は未来を持っている奴がそうやって自分の人生を使い潰すのがもったいないと思えてしょうがないんだよ」
「君はこの力を嫌っているようだね」
「ほんの占いぐらいだったら何も言わないさ。だが、これが明日、明後日、明々後日……来月、来年、10年後とか言い出したら止めるさ。個人の手の届く範囲は何時だって決まっている。せいぜい自分の手が届く範囲まで。それを超える枠組みはもうそいつが抱えきれる範疇じゃないんだ。
でも、未来演算ができる奴はそうは思わない。自分が未来を知っているから大きなことが出来る筈だと勘違いをする。そして、そういう勘違いは大きな間違いを犯す。そしてその責任に押し潰され、壊れて死んでいく。それは酷く愚かな事だ。見えていようが、そいつはただの個人であることは変わらないのにな」
「あなたも、そうだった時期があるんですか?」
「俺が?いいや、そんな事はないとも。俺は元々、自分の手が届く範囲しか守る気がなかった。それ以外がどうなろうが知った事じゃなかった。そのためなら他人を傷つけることも、蹴落とすことも問題ともしなかった。自分以外の有象無象がどれだけの被害が撒き散らそうが知った事じゃなかった。ただ一つ、俺の逆鱗にさえ触れなければ勝手にしていろとすら思った時期があるからな」
その言葉はフィンたちからすれば意外の一言だった。モルディアは理知的で、かつ紳士的ですらあった。もちろん他者と一線を引くことはあったが、そこまで他者に対してどうでもいいとすら思えるような態度を取れる人物だとは思わなかった。善か悪かで語るのであれば、彼は確実に善側の人間だと思っていた。
もし、モルディアがそんなフィンたちの考えを聞いていれば否、と答えただろう。彼は本質的に自分の大切なモノ以外はどうでもいいと思うタイプだ。ただ大切なモノが健やかに生きるためには環境も大事だと考え、無為な軋轢を生まないように振る舞っているだけに過ぎない。
彼は元々、小さなコミュニティで満足できる人間でそれ以上を求めていなかった。必要だったから力を積み上げてきただけで、必要がないのなら簡単に手放せる。まぁ、今は別な理由で必要なので手放せないが、それでも彼にとって力なんてものはその程度の価値しか持っていない。
モルディアが視線をやると、そこにはベートにひたすら罵倒されながらそれでも立ち上がってベートに向かっていく二人の姿が見えた。二人がベートに叩き伏せられながらも必死に成長している姿を視界に収めつつ、授業を進めていく。もう幾らかも持たないと思いながら、授業を進めていく。
「……余分な話をしたな。今はステイタスの超上昇の続きか。といっても、本題は話してるからな。まずは身体に魔力を慣れさせていくところからやっていくとするか……まぁ、その前に向こうかな」
モルディアが視線を向けると、限界ぎりぎりの状態で膝をつくエリスと何とか立ち上がろうとしているベル、そしてそんな二人を見下ろすベートの姿があった。外側から見ている他の眷属たちの蒼白さ加減からどれだけキツイ鍛錬を行っていたのかは察せられた。それですらモルディアからすれば優しいんだなとしか思わなかったが。
モルディアは自分が着ていた上着を脱ぎ、熱心に聞いていたレフィーヤに投げる。受け取って目を白黒させているレフィーヤとモルディアの上着を持っているレフィーヤを羨ましそうに見ているアイズ。そんなアイズを見て苦笑を浮かべるその他面子を見つつ、体をほぐしていく。流石に素面のベートと戦うのであれば、それなりに真面目に対応しなければならないからだ。
「悪いが、少しの間預かっていてくれ。授業の内容は俺が実践で見せるから、それで勘弁してくれ」
そう言いながら歩くモルディアの足元を中心に、中庭を覆うほどの魔法陣が出現する。その魔法陣の範囲内にいた者たちが知らず知らずのうちに抱えていた不調を含めて完全回復した。体力も魔力も使い果たして限界ギリギリだった二人も急に回復していく自分の体調を感じ、モルディアの方に顔を向ける。それに対して体の節々から骨が擦れる音を鳴らすモルディア。
「さて、待たせたな。注文通り、これから四半時の間は俺が相手をしよう。二人はその間、休憩時間兼見取り稽古の時間だ。それが終わったら鍛錬再開だから、そのつもりでいるように」
「モルディアさん、私はまだやれます!」
「ガッツは認めるけどもな。だが、ダメだ。今の状態のまま続けても何の意味もない。見ることも鍛錬だ。大人しく見ることに集中しなさい」
「でも……!」
「エリス、今はモルディアさんの言う通りにしよう。僕らは、何もかもが足りてないんだから」
「くっ……」
エリスを制止するベルに対して何も言えないエリス。モルディアが授業をしている間、二人はひたすらベートに叩きのめされていた。時には技量で、時には純粋なステイタス差で。何度かティオナが止めようとして、ソレをガレスによって静止されるほどの苛烈な鍛錬に二人は必死で食らいつき、その技量は受ける前に飛躍的に上昇していると言えた。しかし、それで足りているとはモルディアは思わなかった。
「さぁ、始めよう。だが、その前に言っておくことがある」
「あん?何だ?」
「俺はこれから25分間、君に攻撃しない。君の攻撃に対する対処はさせてもらうが、それ以上の事はしない。残りの5分で君を潰す。それを宣告しておこうと思ってな。ああ、回復魔法はそのままだから、心配せんでもすぐに復帰できるさ」
「……ハッ。舐めてくれんじゃねぇか、このクソ野郎がっ!」
「それだけのハンディキャップはあって然るべきだろう?強者と驕る君へ、俺が示してやろう。他者に追随を許さぬ本当の強者の力をな」
同時、モルディアの総身から魔力が溢れ出す。袖から覗く腕、そして顔面へ血管に添った幾何学模様が浮き上がる。五感から筋肉や神経系に至るまで純粋な魔力による強化を施されたモルディアの威圧感は、従来のソレとは全く比べ物にならない。モルディアが地面を踏みしめると、二人とそれ以外を分かつように結界が展開される。
「さぁ、かかって来いよイキリボーイ。お前の思い上がりを俺が潰してやるよ」
「……ハイエルフのクソ婆より分かりやすいなぁ、オイ!良いぜ、やってやるよ!」
ベートの啖呵に眉を顰めるモルディア。ベートから視線を外し、リヴェリアの方に視線を向ける。そんなモルディアの視線を受け、されども大きなリアクションを返すことなく見つめ返すリヴェリア。そんなリヴェリアの姿を見て、ベートの言葉をモルディアは鼻で笑う。
「ハッ。おいおい、何を言ってるんだ?千年以上を生きるエルフの、百歳になるかならんかの女の子がババア?だったら、お前はクソジジイだろうが。格好良くなりたいなら、後進に背中を見せる立場になったんなら、もうちょっと頭を働かせた方が良いんじゃないか?クソガキ」
「ああん?ババアの色香にでも惑わされたか?」
「いんや、そういう話じゃないが……格好のいい男にはそれなりの振る舞い方がある、って事さ。アールヴ殿は確かに別嬪さんだろうが、イジメたって振り向いちゃくれないぜ?」
「はぁ?何言ってんだ、オマエ?」
「ふむ?そういう感情じゃないのか?まぁ、どうだっていい話ではあるんだがな」
「そういうお前はどうなんだ?ババアに惚れてたりすんのかよ」
そういうベートの発言に対して、モルディアは鼻で笑う。こいつは一体何を言い出すのかと思いながら。ちなみに外で話を聞いていたリヴェリアは混乱しきっており、他のエルフたちはリヴェリア様に対して失礼なと思いながらもモルディアの言葉に一定の理解を示していた。他のエルフたちもベートの発言は酷いと思っているからだ。
「惚れる?馬鹿言うなよ。まぁ、ありえない話ではあるがよしんば彼女が俺に好意を持ったとしても、俺はこう返すだろうな――――百年経っても気が変わらなかったら応えてやるよ、ってな」
「よぼよぼのジジイになってか?」
「あん?……ああ、そう言えば、ヘスティア以外には言った事がなかったっけ。俺は神々を除けば、この場にいる誰よりも年長だ。喚いてんじゃねぇよ、クソガキ。テメェの言い分は聞き飽きたし、さっさとかかって来いよ犬ころ。それともダラダラ喋るのがお望みか?だったら、悪かったな」
「んな訳ねぇだろう、が!」
ベートが目にもつかない速度でモルディアに接近し、拳を振るう。拳が届く前に腕を掴んで後方に投げるモルディアと空中ですぐさま体勢を立て直し地面に足が着いた瞬間に加速するベート。続けて振るわれる拳と足の連撃の尽くが両手をポケットに突っ込むモルディアに届く前に止まる。
ベートがそれに顔をしかめるも、連続で放たれる攻撃が何かにぶつかっていたのは事実だった。それを証明するように攻撃が何かにぶつかり破裂する音が連続で響き渡る。だが、どちらにもダメージは入っていない……いや、正確に言えばベートだけがダメージを負っていた。回復魔法の効果で次瞬には回復していたが、次の攻撃で負傷するという連続だった。
「(何の攻撃もしてねぇ筈なのに、こっちの骨に亀裂が入るのは何でだ?こいつは一体何をしてやがる?)」
ベートは他の雑魚とは違い、モルディアの身体能力の高さを認めている。先ほどからベートが放つ攻撃の総てを視界で捉えているのを理解しているからだ。さらに酒場で見せた身体能力から上級冒険者に劣らない、いや上回っているのは確かで、推測でしかないが自分よりも否フィンたちよりも格上だと認めていた。
だからこそ、モルディアが何をしているのかが理解できなかった。いや、たとえベートでなかったとしても理解できなかっただろう。文字通り、モルディアはベートの攻撃に対して指の一本も動かしてはいなかったのだから。モルディアは先ほどの授業の応用を行っていたにすぎない。
過剰に強化された視力と演算能力を利用した未来予測。モルディアはベートの一挙手一投足、筋肉の動きから視線の先から次の行動を演算し、攻撃が飛んでくる先に極小サイズ――――指一本サイズの防御障壁を展開して攻撃を防いでいたのだから。
実に恐ろしきは、展開された防御障壁がベートの攻撃を防いだ瞬間に消えていること。それはつまり、ベートの攻撃の威力を正確に計算し、ちょうど相殺できる硬さの障壁を何枚も展開し続けているという事である。それはモルディアの中でベートの実力がどれほどの物か、観測が終わっていることを意味していた。
「まぁ、こんな感じで技術を極めればこんな事も出来るようになるという訳だ。ステイタス上げに執心するのも結構だが、他の部分にも視線を向けないとな?」
「授業気取りか、舐めてんじゃねぇぞ!」
「舐めてる、ねぇ……そりゃどっちのセリフだって話だろ?」
「あぁ……?どういう意味だ」
「どういう意味って、それは君が一番よく分かっているんじゃないのか?力を隠すのは君の自由だけれど、その結果として仲間の命が損なわれた時に君はどう言い訳するつもりなんだい?」
「……テメェ、何を知ってやがる?」
「何も。君の事なんて知った事じゃない。これまでどういう時間を過ごしてきたのかなんて知らないし、どういう気持ちで仲間をこき下ろしてるのかなんてどうでも良いと思っているよ。たださ、君はこれをただの鍛錬だと思っているみたいだし、一度体に刻み込んだ方が良いかと思ってさ」
「何を、言ってやがる」
「一々言わなくても理解できているだろうに……ああ、認めたくはないのかな?腑抜けの悪狼気取りが過ぎたのか、その牙まで腐らせているだなんて」
「テメェ……」
「死ぬ気でやれ。殺す気で牙を向けろ。その程度のことも出来ない奴が、どうして勝利できる?お前がどれだけ力を抜こうが知った事じゃないが、それで俺が助けた命が失われるのは不愉快極まりない。そうして手をこまねいているから、お前は大切なモノを失い続けるしかないんじゃないのか?」
「………………………やがれ」
「どれだけ力をつけても、間に合わなければ何の意味もない。その純然たる事実から目をそらし、他者を引き上がらせることにばかりかまけてどうする。お前がやらなければならない事は、そんな事ではないだろうに。ああ、それとも大切なモノを目の前で失ってからでなければ全力を出せないタイプだったか?だったら悪かったな。俺の買いかぶりだったようだ。お前は所詮」
「黙りやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
ベートの動きが加速する。モルディアはその攻撃の総てを、今度は防御障壁ではなく体捌きのみで凌いでいく。ベートの逆鱗を踏み荒らし、全力を引き出さんとするモルディアのやり方に、フィンたち事情を知る者は苦笑を浮かべ、事情を知らない者はベートの狂騒に戦々恐々としていた。
【戒められし悪狼よ】
「アレって、並行詠唱?」
「そんな……一体、いくつの魔法を持っているんですか?」
「……モルディアさんは自分で持っている魔法は二つだけだ、って神様が言ってました。それ以外の魔法はモルディアさんが自分で演算して使っている物なんだって」
「……え?どういう意味ですか?」
エリスの言葉にレフィーヤは思わず聞き返してしまう。だって、下界の常識ではありえないことを目の前の少女が口にしたから、脳死で聞き返すことしかできなかった。エリスはチラッとレフィーヤの方を見た後、再度口を開いた。
「……そのままの意味です。モルディアさんは言ってました。魔法を発現した人の体内にはその魔法を使うために必要な因子?とかいうのがあって、ソレを使う事で魔法陣を構築しているって。だから、私たちは詠唱と魔力を使うだけで魔法が使えるんだって。
でも、モルディアさんは違う。自分の魔力と独自の魔法文字を用いることで術式を構築しているって。ただ、それも周囲の環境でパラメータが変化しちゃうから、いつも調整を入れて使っている。それがどれだけ難しいのか、学がない私では分かりません。けど、途轍もなく難しいのは分かります」
【天高く嗤い、遍く総てを凍てつかせ】
いつの間にかポケットから出された両腕に冷気が纏わりつく。
【その胸に刻みし痛みを思い出せ、それこそ汝が背負いし罪科なれば】
両足に氷の脚甲が装着され、地面が凍りつく。
【
吐息が白くなり、空気中に霜が生み出される。
【汝、災禍の系譜たる狼公よ。太陽を呑み、その咆哮を持って天を裂け】
モルディアの顔と片方の瞳に氷の意匠が浮かび上がる。
【その
【スコル】
魔法が発動する。まるで氷河期の再来と言わんばかりの凍結能力に木々が、地面が、空間が凍りつく。絶対的な魔法の行使にその場にいた全員の顔が強張る。それに対して、モルディアはお前ならば超えられるはずだと言わんばかりに指をくいくいと振る。
「どうした?お前ならば、これぐらい食い破れるだろう?これ以上は言わんが――――さっさと本気を出せ。失えば総てが終わりなんだ。お前のプライドなぞどうでも良いが、仲間のためならばそんなモノは掃いて捨てろ。できないなら死んでしまえ。必要な時に使えない力に何の意味があろうかよ」
モルディアの言葉に覚悟を決めたのか、ベートは目を閉じる。モルディアはソレに対して手を出すことはせず、ただ黙ってベートの行動を見つめていた。
【戒められし
「ベートさんが……魔法を!?」
【
飢えなる
癒せぬ傷よ、忘れるな。この怒りとこの憎悪、汝の
傷を牙に
解き放たれる
怒りの系譜よ、この身に代わり月を喰らえ、数多を飲み干せ。
その
【ハティ】
モルディアの氷結とベートの炎熱がぶつかり合う。互いが互いの力を喰い合いながら成長していく。結界が膨張していくエネルギーを受け皹が入り、結界内にある魔力を喰らって強度を増していく。もはや結界の強度的にはその場にいる誰にも破れはしない程に高まっていた。しかし、そんな事を気にせずに二人は向かい合う。
「さて、二十五分経過だ。覚悟は良いか?」
「ほざけよ、好き勝手にほざいたその口を物理的に塞いでやるよ……!」
「そりゃ楽しみだ。それじゃあ、始めようか」
両者の攻撃がぶつかる。魔法の性能に関してはほぼ互角と言っても良い領域だったが、いかんせん魔力総量と出力、そして何より操作力の違いが浮き彫りだった。更に言えば、モルディアの格闘経験はベートの追随を許さぬ程に高かった。
だが、足りぬ者だからこそ、弱き者だからこそ狼は咆哮する。これで負けてたまるかと、弱い事が諦める理由になどなるモノかと弱者の咆哮が道化の館に響き渡る。それは見ている者の心を揺るがし、冒険への心を掻き立てる狼の遠吠えだった。
「――――合格だ」
しかし、現実は非情。どれだけ人の心を揺るがす光景であろうと弱者が強者に、それも格段にレベルの違う相手に対して勝てるなどという奇蹟は起きない。それが世界最強を誇る相手ともなれば尚更のことで。
氷結の力が炎熱の力を吞みこみ、強者の拳が弱者の肉体を沈める。気絶した状態で地面に倒れ伏すベートを見下ろしながら、モルディアは頬の傷に気付き流れ出る
「これは中々……先が楽しみだな」
モルディアに施された身体強化の魔力を貪り、表皮に施された
結界を解き、地面に倒れ気絶しているベートに回復魔法を施す姿にある者は羨望し、ある者は畏怖し、ある者は自身の予感の正しさを再確認した。そしてベルはベートの咆哮に感銘を受け、エリスはベートをもってしても届かないモルディアの高みへの道は遠そうだとため息を吐くのだった。
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