スマホから鳴り響くアラーム音が、彼の浅い眠りを破った。
昨日から寝泊まりを始めた、スターライト寮の脇にある居住用に改造された小屋……『J×Jハウス』にて。ハルキはアラーム音を止めてすぐに布団から出てストーブを点ける。内部で燃焼を始めたのを確認し、軽く伸びをしながら掛け時計を見ると、時刻は午前5時。プロテジェ学園の寮でいつも起床している時間帯であった。ハルキはぐっと手を伸ばし、洗濯ロープに掛けられている白のワイシャツを手に取った。
今日から本格的に、『ジュニア・ボディーガード・アライアンス』、通称JBAによるスターライト学園所属アイドルの護衛業務が始まる。
同じく学園に派遣された同期、
本日ハルキに任せられたのは、スターライト学園敷地内のシアターで開催される、多種多様なクレープを提供していることで人気を博している店舗……『PON_PONクレープ』のキャンペーンガール選定のオーディションに参加する2名のアイドルの護衛だった。
初日から2人のアイドルを同時に護衛する任務を命じられたのは、学園側から腕を見込まれているからなのか。はたまた2人だとしても容易く護衛できるくらいに簡単な任務であるからか。意図は不明だが、今日の任務の結果次第で学園側からの印象が決まるという点では、自分達は先方に試されていると思った方が良いだろう。どんな内容であろうと気は抜けないし、抜くつもりなど毛頭ない。
今後JBAの規模を拡大し、功績次第ではスターライト学園に派遣する人員を増やすという意向を耳にしている以上、半端な覚悟で業務する訳にはいかない。自分達は先方にとってのロールモデル。己の行動全てでJBAの未来が決まる責任重大な役割であることをハルキは自覚している。自分の役割を理解し、全うする。それこそが……自分が今果たすべき責務なのだと。
洗顔と歯磨きを終え、黒いスーツに身を包んだハルキは改めて今日の業務についてパソコンを用いて再確認する。
調べたところ、PON_PONクレープのキャンペーンガールを務めたアイドルは将来的に躍進を遂げる傾向にあり、アイドル界の登竜門の1つとしてイメージガールを目指す者は数多く、メディアの注目度も高い。それ故、オーディションの際に参加者が狙われる可能性が0ではない。
今までのオーディションで何か有事が発生したことがないのは調べがついているものの、どのイベントやオーディションにも100%の安全が保証される状況など何1つありはしない。少しでも依頼人に危害が及ぶ恐れがあるのなら、たとえ1%の可能性でも事が起きる前に潰す。それがボディーガードの役目であり、プロテジェ学園で最初に教わる基本要項だ。ノートパソコンを閉じて、ハルキはネクタイを締め直す。
「ボクが……ボクが守るんだ」
誓いを、自分に言い聞かせる。下手を打つ訳にはいかない。ボディーガードとして為すべきことを果たす。でなきゃ、何の為のJBAだ。心の中で自身に発破を掛けながら入口のドアを開け、朝の冷たい空気を吸い込む。冷気を纏ったそれが肺に満ちる感覚が妙に心地良い。懐から取り出したサングラスを掛けてから、ハルキは依頼人との待ち合わせ場所へ向かうのだった。
スターライト寮の門前で待機すること十数分。今日担当する依頼人2名が、ハルキの元へやって来た。
「おはよう! 待たせちゃってごめん!」
「いえ。お気になさらず」
明るいブラウンのセミロングヘアにピンク色のリボンが特徴的な少女は小走りでハルキに駆け寄り、すぐに頭を下げる。
「おはー! おおっ、いかにもボディーガードって感じ! 新しいっ!」
「……おはようございます」
続いてイエローゴールドのショートヘアーで、三つ編みにした前髪に星型のヘアピンを留めている少女も合流し、気さくに挨拶をする。ハルキは頭を下げてから、今日自分が担当する両者を交互に見る。
「わたし、
「
大空あかりと、新条ひなき。今日ハルキが護衛を行うスターライト学園所属のアイドルである。2人共初対面のハルキに対して明るく話しかけ、嫌悪感や懐疑的な感情は見受けられない。ハルキはあかりとひなきに再度礼をし、静かに口を開いた。
「本日はよろしくお願いいたします。申し訳ありませんが、スターライト学園の方々と仲良くなるために自分が派遣されている訳ではありませんので……遠慮させていただきます」
「おぉ、想像以上にお堅いですな〜」
感心したように頷くひなきの言葉を聞きながら彼は言葉を続ける。
「私はあくまで仕事としてお2人や他の方々と関わります。私の名前も、わざわざ覚えていただかなくて結構です」
「えっ……?」
あかりは目を丸くし、ひなきも首を傾げる。自分の名前を覚えなくて良い。ハルキは淡々とそう口にした。サングラスで目元が隠れているのも相まって、その声音や態度からは自分達との壁……隔たりのようなものが感じられた。
「ハルキ君、覚えなくて良いってどういう……」
「気にしないでください。本日のオーディション会場へ向かいましょう」
「あ……うんっ!」
ハルキが何故そんなことを言うのか、意図を聞こうとしたあかりであったが、彼は詮索されない為にかオーディションが行われる会場へ向かおうと提案し、彼女は頷きながらひなきと目を合わせる。自分達と同年代にもかかわらず非常に真面目できちんとしているハルキを純粋に凄いな、と思いつつも、同時にどこか距離をとられているような……若干の冷たさを感じるのだった。
数分後、スターライト学園の敷地内にあるシアターに到着したあかり達は入り口の手前で足を止め、周囲に集まり出す他のオーディション参加者や一般客を見渡す。
「いっぱい来てますな〜。それだけ注目されてるってことだよね? 次に選ばれるPON_PONクレープのキャンペーンガールが誰になるのか!」
「そうだね。たくさん練習してきたし、今できる精一杯のことをしよう!」
「ふふっ。ですなあ! ハルキ君は……あっ」
あかりとひなきが言葉を交わしている最中、ハルキは行き交う人々に注意深く顔を向けており、黒のスーツにサングラスという風貌だからかすれ違う人達は些か怖がってしまっているようで、さすがに良くないと思ったあかりは恐る恐るハルキに近付く。
「あのー……ハルキくん、わたし達を気にしてくれてるのは嬉しいんだけど……周りの人が怖がっちゃってるかも……?」
「構いません。それが仕事ですので。恐れられているのなら、こちらに何かしてくる可能性は低いでしょう」
「そ、そうなんだけど……うーん……」
ボディーガードたるもの、任務中は周囲の人やものに目を光らせるのが当然という認識の元、自分はそれを履行しているだけに過ぎないとハルキは思っているが、あかりは少し困ったように腕を組んでいる。ハルキは仕事だと割り切れているようだが、誰かに怖がられたり怪しい人だと思われてほしくはない。ハルキが護衛を続けながら、周りから怖がられない方法を考え込んでいるあかりの側で、ひなきが何かに気が付いたように「あっ」と声を出した。
「わかった! ハルキ君、サングラスかけてるから怖いんだよ! 服もスーツだし、話し方もちょっとピシッとしすぎてるといいますか……」
ハルキの容姿を改めて爪先から頭の先まで見つめて、ひなきがそう口にする。
ぴかぴかに磨かれた革靴に皺のない黒のスーツ、きちんと締められているネクタイ、整髪料で前髪を流したオールバックの髪型と極め付けのサングラス。ドラマや映画等でよく見るボディーガードを現実に持ってきたような姿で、2人の目にはハルキがとても格好良く映っている。しかし、決して悪い訳ではないもののそれなりに堅苦しさも感じていて、あかりとひなきはそこがなんだか気になってしまう。ハルキとしてはこれがボディーガードとしての正装であり、変えろと言われても無理な相談だというのを伝える為に唇を動かす。
「それがボディーガードですから。嫌だと言われましても、変える訳にはいかないかと」
「ううん、わたしもひなきちゃんも嫌な訳じゃなくて……あ、そうだ! ハルキくん! できれば、サングラス外してもらえないかな?」
「……はい?」
あかりからの急な頼みに、ハルキは思わず聞き返す。
「たしかに! あかりちゃん、ナイスアイデア!」
「ちょっ……待ってください、私は……」
「あ、あと一人称も! まだ中学生なのに『私』はちょっと堅苦しいぜ! そんなにかしこまらなくて良いんだよ? ねっ?」
「ですが……」
ひなきからもそう言われ、ハルキは口ごもる。これはボディーガードとしての正装。依頼人を護衛するのに相応しい見た目や立ち居振る舞いをしているのに、あかりとひなきからの反応はあまり良いものとは言えない現状にただただ困惑しているハルキに対し、あかりは言葉を続ける。
「それにサングラスだと、ちょっと怖くて……逆に緊張しちゃうっていうか……」
「緊張する」。あかりの発言にハルキはハッとする。ここで彼女達からの要望を頑なに断るのは簡単だ。仕事なのだからこれが普通なのだ、と。だが、このまま側で護衛を続ければあかりを緊張させたままになってしまい、そのせいでオーディション本番で調子を出せなかったら。それ以前に、その緊張がもし自分への警戒心に変わったら。JBAの印象が悪いものになってしまう。考え得る最悪のルートを想像し、ハルキは俯く。
自分にとっての当たり前は、他者に対しても適用されるものではないのかもしれない。けれど勝手にサングラスを外したりしても良いのだろうか。数秒思考した上で、ハルキは答えを出した。
「……私だけの判断では決められないので、1度上席に確認してきます。申し訳ないですが、少しお待ちください」
「わかった! ここで待ってるね!」
あかりから了承を得られた為、2人から少し離れた場所に移動し、周りへ目を配りつつスマホを取り出し、プロテジェ学園の長、
「お疲れ様です。
『お疲れ様、ハルキ。早速かけてきてくれたね』
いつも通りの穏やかな口調の中に嬉しさが混ざったような声音で返答を受け、張り巡らせていた緊張の糸が一瞬緩みかけるハルキだったが、スマホを握る手の力を強めて電話を続ける。
「すみません。業務のことで相談したいことがありまして……」
『うん、なにかな? すまないが、ハルキと護衛対象の状況が把握できていなくてね。任務をモニタリングする為に小型カメラを搭載したイヤホンマイクを作っているんだけど、あいにくまだ完成していないんだ』
「相変わらず、もの作りがお好きのようですね」
桑折は工作や機械いじりを趣味で嗜んでいる為に手先が器用で、JBAが護衛業務を行うにあたり便利なものを製作している最中だと以前聞いていた。桑折の口ぶりから察するに、それらが実用化されるのはもう少し先のようである。
『機械にミニチュア、プラモデルは今も好きなままだよ。あぁ、今週末に新作のプラモデルが出るんだけど……朝から打ち合わせや会食で忙しくて、買いに行く時間がなさそうなのが辛いところでね。どうしたものか……再販するタイミングを狙うか、いや……あれほど人気なものだから再販もいつになるか……うーん、なやまし……』
「状況を報告して、よろしいでしょうか……?」
恐る恐る発されたハルキの一言と共に数秒の静寂が流れ、微かに桑折の咳払いが耳に入る。
『すまない。つい語りすぎてしまった。では、現状報告を頼むよ』
「はい。本日の護衛対象は2名。大空あかりさんと、新条ひなきさん。両名は大手のクレープショップ、『PON_PONクレープ』のキャンペーンガール選考のオーディションに参加するため、その護衛を担当します」
『初日から2人同時の護衛か。期待されている証拠だね。それで、相談というのは?』
桑折の問いに、ハルキは先程の2人の会話を脳内でまとめ上げる。
「護衛対象の2名から、「サングラスを外してほしい」、「堅苦しくしなくていい」と言われており……その通りにして良いか判断がつかず、学園長の指示を仰ぎたくてご連絡しました。学園長、いかがいたしますか?」
『もちろん良いよ』
「承知しま……はいっ!?」
即答、且つ一切の迷いのない快諾に危うく流れで返事をしかけたハルキだったが寸前で驚きを露わにし、桑折は電話越しで愉快に笑っている。駄目だと言われるか許可されるか、正直半々くらいだと考えていたのだが、まさか即座に了承を得られるとは思っておらず、ハルキの顔が徐々に引き攣っていく。
「良いの、でしょうか……? こんなイレギュラーを認めてしまっても……」
『
「ですが……ボディーガードとしての正装はこれです。さすがに崩す訳には……」
『……ハルキ。前に僕が、JBAをどのような組織にしたいか語ったことを覚えているかい?』
桑折の問いにハルキは押し黙る。昨今のボディーガード需要に応えられる組織、大切なものを守れる組織……桑折の言葉を思い出した上でパッと出たのはこの2つだった。だが、これらは桑折からの質問の答えにはならなそうな気がした。では、何と答えれば良い? 少し考えてみたが、適した回答はできそうになかった。流れ行く沈黙の中で、桑折はふっ、と笑う。
『「既存の常識に囚われない、まったく新しいボディーガードが集う組織にしたい」。あの時僕が言った願いだよ』
「常識に……囚われない……」
常識に囚われないボディーガード。固定化されたボディーガードのイメージを覆し、且つ依頼人を守れる存在を揃える。それが桑折の求める理想で、JBAを設立した理由の1つだ。
『アイドルと同じように、ボディーガードに求められるものも日々変わっていくと僕は考えている。これからハルキ達が、新しいボディーガードの形を作るんだ。その為に、ハルキをJBAに選んだんだよ』
要は依頼人ときちんとコミュニケーションをとり、それでいてボディーガードとして強く在れということだろうとハルキは考える。一体、自分に何を期待しているのか。桑折の求める理想に、果たして自分は近付けるだろうか。遠い未来の話になりそうな気がしてならないが、そう悠長なことを言っていられるほど現実は甘くもない。組織の存亡が自分達に委ねられている以上、今やれるだけのことをやるしかない。たとえ自分の意にそぐわないものだとしても。
故に、サングラスを外して敬語をやめろと言われたら呑むしかない。それが学園長の指示ならば。眉間に皺を寄せる彼の耳に桑折の声が更に響く。
『でもハルキは真面目だし、急に全てを変えるのは難しいだろうから……少しずつ変えていくことにしようか。ここで肝要になってくるのは、アイドルや周囲の人達に不信感を抱かれないこと。だからサングラスは外そう。一人称も、普段みたく『ボク』にしようか。でも、言葉遣いは敬語のままで良いよ』
桑折からの意外な提案に、ハルキは目を丸くする。口調は敬語のままで構わないというなら非常にありがたいが、それは桑折の本意なのかどうかが気になる。
「よろしいのですか?」
『ボディーガードたるもの、誰に対しても敬意を持って接するべきだからね。余裕があれば、護衛対象の2人にどんな言葉をかけたら安心するか、喜んでくれるかを考えてみよう。オーディション本番は緊張するだろうから』
「依頼人にそこまでの干渉は不要では……?」
代わりと言わんばかりに謎の課題を提示してきた桑折に対し、自身の意見を率直に述べるハルキ。自分が何も言わなくともアイドル達は成すべき事を成すだろうに、あの2人を励ます必要性があまり感じられない。ハルキの質問を受けて、桑折は再度小さな笑い声を出した。
『大事なことだよ。特に……
声音は優しいままだったが、その一言は本心でそう思っているであろうことが電話越しでも分かった。特に自分にはと、含みを持った言い方をしたのはどういうことなのだろうか。
「学園長、それは……」
『おっと、長電話で護衛対象を待たせる訳にはいかないから……そろそろ持ち場に戻ろうか。サングラスと、一人称を変えるんだよ? それとさっきの件もね。学園長の権限を以て、君に命ずる』
お茶を濁すように桑折からそう言われ、改めて指示を受ける。彼の言う通りこれ以上あかりとひなきを待たせるのは良くない。学園長からの指示は絶対。言われたことはそのまま履行するのみ。腹を括ったハルキは片手でネクタイを締め直し、耳にしっかりとスマホを当てた。
「承知しました。学園長の仰せのままに」
『よし。それじゃあ、よろしく頼む。また何かあったら連絡してくれ。期待しているからね、ハルキ』
「光栄です。自分にできることをやります」
『それが良い。健闘を祈るよ。では、失礼』
桑折から電話を切られ、ツーツー音が流れる。護衛初日から予想できないことが起こるものだな、と思いつつハルキはスマホをしまい、サングラスを外してジャケットに納めると、陽光が眩しく目に入ってくる。
サングラスは便利だ。太陽の光も、自身の表情さえも遮ってくれる。名前も存在も他人に覚えられる必要のないボディーガードにとっては、とても都合の良い道具なのだ。だから、着けていたかったのに。
けれど桑折は、ボディーガードとしての固定概念よりも大切なものを見出しているのだろう。でなければ、あのような指示を下す筈がない。ハルキはそう割り切って、2人が待っている場所へと向かう。サングラスを外して一人称を普通に、そして彼女達にかける言葉を考える。大切なことだと彼が言うのなら、きっと大切なのだろう。理解はまだ、できないけれど。
『期待しているからね、ハルキ』
学園長である桑折から期待されている。その期待は重たいし、彼の理想には程遠いだろうが……今はその期待こそが自分をボディーガードたらしめる。
「お待たせしました。大空さん、新条さん」
ハルキの声が聞こえて振り返った2人は、先程と異なる彼の姿に小さく声を上げた後、優しく笑った。
「「おかえり!」」
そう言ってくれたあかりとひなきに軽く頭を下げ、改めて気を引き締める。
今日の護衛業務はまだ始まったばかり。2人を危険な目に遭わせずに必ず守り抜く。それが、JBAに選ばれた者の責務。桑折からの期待を背負い、まずは己の役割を果たそうと、ハルキは心に決めるのだった。
はじまりと、はじめまして。