「いや〜、やっぱサングラスない方が良いですなあ。一人称も普通だとかわいいし! ね、あかりちゃん!」
「そうだね、わたしもそう思う! 自然体が1番だよね!」
「……お気に召したのなら、良かったです」
シアター内に入り、あかり達の後ろに付いてハルキも楽屋へ続く廊下を歩いていた。しばしば自分についての話題が2人から上がり、その度に彼は何かしら返答するよう意識しているが、「自分のことなんて気に留めなくて良いのに」。というのがハルキの本音であった。けれどサングラスを外したお陰か、あかりとひなきに先程のような緊張や不安は見受けられず、
桑折はいつも、自分に正しい道を示してくれる。これまでも、これからも……彼には一生頭が上がらないだろうと思う。ハルキにとってはそれくらい偉大で、尊敬する教育者だ。
数分の後に楽屋へ到着し、3人は共に入室して束の間の待機時間を迎えた。護衛するにあたり、あかりとひなきが同じ楽屋なのは都合が良く、内側からドアを施錠可能なので、基本的に楽屋から出ないようにすれば最低限の安全は保たれる。ハルキは今のうちにシアター内に不審物がないか確認を行うことに決め、2人の方を向く。
「ボクはこれから、施設内に不審なものがないか見回りに行ってきます。何かあれば電話してください。失礼します」
「あっ……ちょっと待って!」
いそいそと楽屋を出ようとするハルキをあかりが引き止め、彼はぴたりと足を止める。
「なんでしょう?
「さっきのこと、聞きたくて。なんで、自分のこと覚えなくて良いって言ったのかなって……」
先程2人に言ったことを気にされていたようで、ハルキはばつが悪そうに視線を逸らす。気にしないよう伝えていたはずだし、本当は目の前のオーディションにだけ意識を向けていてほしいのに、楽屋に到着してすぐに聞いてきたことから、何故そう言ったのかを早くに知りたがっているのだろう。
「それ、ひなも気になってた。ハルキ君、どうして?」
あかりの疑問に同調したひなきから問いかけられ、彼は無言で数秒思考する。
正直に答えれば納得してもらえるだろうか。自分に関心を持たなくなるだろうか。元より、ボディーガードの自分のことなど気にしてほしくはない。目の前のことだけに集中してほしい。そんな思いで、ハルキは口を開いた。
「自分に、その価値がないからです」
「えっ……?」
驚く2人に構わず、彼は言葉を続ける。
「依頼人を守るために我々が行使するのは『暴力』です。殴ったり、蹴ったり……どんな肩書きがあろうと、暴力には変わりないんです」
『ボディーガード』、『JBA』……たとえ肩書きがどれ程立派なものでも、職務を全うする為に自分達が使うのは紛れもない暴力。正当防衛の定義は学園で学んでいるし、依頼人を守るという名目だってあるけれども、それでも暴力に変わりない。むしろ、自分は暴力しか生めないのだ。
「そんな野蛮な人間の名前なんて、記憶に残しておく価値はありません」
言いながらハルキは眉間に皺を寄せて目を細める。できることなら、誰も暴力など使いたくないだろう。無論、それはハルキも同じ。しかしボディーガードであるならば、少なからず使わなくてはいけない場面もある。人を守る為というのは、暴力が許される免罪符にはならない。だからこそそれを振るうことの重さをハルキは身をもって知っているし、その上で思うのだ。「暴力を振るう人間のことなんて覚えなくて良い」のだと。
「ですが……ボディーガードは誰かがやらなくてはいけない仕事です。できる条件が揃えば、それは義務です。なのでボクは、ボクの職務を全うします。そのための努力も欠かさないつもりです。ボクが……あなた達2人を守ります」
真剣な表情で、彼ははっきりとそう言い切った。
存在を覚えられなくて良い、けれど絶対に依頼人を守る。その為にプロテジェ学園で努力を重ね、自分を叩き上げてきた。JBA所属のボディーガードになれたとはいえ、そこがゴールではない。もっと強くなる為の努力は欠かさない。ハルキはただ、依頼人をこの手で守りたいという意志ひとつでここに立っている。その思いを、あかりとひなきはひしひしと感じ取る。淡々とした声音で放たれた彼の返答に、2人は何も言葉を返すことができなかった。
暫く沈黙が続き、話は終わりだと判断したハルキは早足で楽屋の出入口へ向かう。
「見回りに行ってきます。何かありましたら、すぐにご連絡を。それでは」
あかりとひなきを一瞥し、静かに楽屋を去るハルキ。きっとこれで、あの2人はこれ以上自分と関わりたがらなくなるだろう。そう思うと、少し気持ちが軽くなった。JBAとしてやるべきことをやる。ただそれだけで良い。ハルキは黒のネクタイを強く締め直し、自身のやるべきことを心に再認識させながら歩を進めるのだった。
「あっ! もしかして……ウワサのJBAさん?」
会場内を歩き回り、怪しいものがないかくまなく探すこと十数分。ハルキはすれ違ったスターライト学園の生徒の3人組の内の1人から声を掛けられる。青色の髪をサイドに結んでいる少女は、ハルキにキラキラとした目線を向けている。
「はい。今日から、スターライト学園所属のボディーガードとして、護衛業務に就いています」
「おぉ〜っ! 『護衛業務』……ドラマではよく聞くセリフだけど、まさか実際に聞けるなんて! これは穏やかじゃない!」
「ボディーガード、やっぱりかっこいい! わたし達にもいつかついてくれるかな?」
「ふふっ。案外、近々お世話になっちゃうかもよ?」
「わぁっ! 楽しみだねっ!」
「おいおい、2人だけで盛り上がるなよ。ボディーガードの子が置いてけぼりだぞ」
熱の籠った青髪の少女を皮切りに、頭頂部に赤いリボンを結んだ明るい黄色の長髪の少女も反応を示し、両者で話を弾ませる。2人のやり取りを見ながら、側に居る赤茶色のストレートヘアーの少女は呆れたような声を出す。
「あぁっ! ごめん! 本物のボディーガードを見るのは初めてで、つい……」
「いえ、お気になさらず」
青髪の女子生徒は即座にぱん、と手を合わせてハルキに謝る。3名共、昨日スターライト学園の敷地を見学した際には姿が見えなかった為、仕事やオーディションで不在だったのだろうかと考える。雰囲気もあかりやひなきよりも大人びており、もしかしたら高等部の生徒かもしれないと思い、ハルキはより一層肩に力を入れる。
「まぁたしかに、これからアタシ達の護衛についてもらうこともあるかもな。その時はよろしく頼むよ」
「はい。……こちらこそ」
赤茶色の髪の少女はそう言って笑みを浮かべ、ハルキは控えめに言葉を返す。彼の振る舞いに、青髪の少女は更に興奮を露わにする。
「く〜っ! クールでカッコいい! アイドルじゃないけど……推せちゃうかも! ううん、ぜひ推させてください!」
「アイドル博士だけじゃ飽き足らず、ボディーガード博士にでもなるつもりか……?」
「あっ、それアリかも!」
「アリなのか……」
「アリといえば、そろそろ
「急になんの話だ……?」
黄色髪の少女も話に混ざるが、前後の脈絡がまったくない話題にハルキは僅かに首を傾げ、ストレートヘアーの少女も即座に突っ込む。
「え? みかんのお話」
「いやそうじゃなくて……って、これじゃまた置いてけぼりだ! 仕事の邪魔になるから、もう行くぞ!」
「わわっ、押さないでよ
「あぁ〜っ、もっと話したかったのにぃ……」
『蘭』と呼ばれた少女はこの場から去ろうと強引に2人の背中を押し、青髪の少女は名残惜しそうな声を上げているのを構わずに、ぐいぐいと彼女の背を押し続けた。どうすれば良いか分からず棒立ちしていたハルキに蘭は目を向け、ゆっくり彼の元へ近付く。
「仕事の邪魔しちゃってごめんな。あいつら、いつもああなんだ。アタシも何度ペースを乱されたことか……」
蘭に謝られたハルキは首を軽く横に振って、改めて彼女を見つめる。身長は自分より高く、先程の2人より大人びた印象を受ける。現にこうして声を掛けにきてくれているし、きっと常識人且つ思いやりのある人物なのだとハルキはそう思った。
「気にしないでください。3人共、仲がよろしいのですね」
「まぁな。前より一緒にいられる時間は減ったけど、あの2人とはなんだかんだ長い付き合いだな。
友人は居るのかと蘭に聞かれ、ハルキは少し俯く。取り繕う理由はないし、問われたことをそのまま正直に伝えようと口を開く。
「いいえ。わた……
寸前で一人称を変え、蘭からの質問に答えた。彼女は少し驚いたような表情を見せた後、軽く笑んで頷く。
「そっか。アタシで良ければいつでも話し相手になれるからさ、気軽に声かけてな。護衛、頑張れよ」
「ありがとうございます。失礼します」
ハルキは一礼し、見回りを再開する為に歩き出す。彼の背を見送った蘭は、少し離れた場所で待つ2人の元へ急ぐ。
「ごめん。お待たせ」
「おかえり蘭! JBAさんは?」
「仕事に戻ったよ。まったく……あおいは興奮しすぎだ」
「えへへ……ごめんごめん。こんなにすぐ会えると思ってなかったから」
蘭が『あおい』と呼んだ少女は笑いながら後頭部に手を回す。
「あの子にもみかん、おすそわけしてあげたいな。次はいつ会えるかな?」
「その話まだ続いてたのかよ……おすそ分けしたとしても、あのカンジじゃ普通に受け取ってくれるかわかんないぞ」
「あ〜。礼儀正しいから、ちょっと遠慮しそうだよね」
あおいが蘭の言葉に同意して頷く。見たところかなりしっかりしているようだし、生真面目故に遠慮してしまうのではないかとあおいは感じだが、蘭はその他にも彼に対して引っ掛かる点があった。
「それもあるけどさ。なんか、あの子……」
言い淀んでいる蘭の代わりに、隣に居るいちごが沈黙を破った。
「わたし達と出会った頃の蘭に似てる?」
「……! いちごにも、そう見えたか?」
「うん。なんとなくだけどね、あの頃の蘭みたいに……寂しい目をしてたから」
蘭に『いちご』と呼ばれた黄色髪の少女は、こくりと首を縦に振る。いちごとあおいはスターライト学園へ編入生として入学した経緯があり、蘭とはスターライトに在籍している時期がずれていた為にちょうど今時期の秋に3人は出会っている。出会った当初の蘭はとある理由で基本的に独りで居ることが多く、そうしている時の蘭と、先程ハルキがほんの一瞬見せた表情が似ているといちごは直感でそう思った。彼女にそう言われた蘭は思わず苦笑を溢す。
「アタシ、そんな顔してたか?」
「してたしてた。教室とか、食堂に1人でいる時とか」
「マジか。……いや、アタシのことは良い! さっき星北とちょっと話した時、仲良い人はいないって言ってたから……ちょっと心配なんだ。
「あー。もしかしたら知ってるかも!」
JBAと提携する判断を下した織姫であれば、ハルキについて何か知っているかもしれないと考え、蘭は1つ決心する。
「だよな。アタシにできることはないか、織姫学園長に聞いてみるよ」
「珍しいね、蘭が自分からそうするなんて。星北君のこと、気になる感じ?」
「明らかにワケありの……これから関わることが増えそうな子を、放っておく理由はないだろ」
スターライト学園所属のボディーガードなのだから自ずと関わることが増えるのは違いないし、勿論理由の1つであるのだが、どうしてか彼を放っておけないという気持ちを抱いた。優秀なのは一目見れば分かる。スターライト学園での護衛業務を任されているのだからきっと実力は折り紙つきなのだろう。けれど、どこかへふっと消えてしまいそうな……そんな儚さが彼にはあった。蘭自身も上手く言葉にできている自信などないが、今はハルキの為に何かしてあげたいという思いが確かに在ることだけははっきりと分かっている。
蘭の返答を受け、あおいは人差し指を立てて優しく微笑む。
「だね! まずはリサーチから始めないと! 星北君について、あとで織姫学園長に聞いてみようよ!」
「良いと思う! わたし達ももっと知っていかなくちゃね。ボディーガードさんのこと」
いちごもあおいの提案に賛同し、楽しげに笑う。スターライト学園にやってきた3名のボディーガード。彼等と自分達がどんな関係を築いていけるか、ハルキと顔を合わせたことでより楽しみになった。その為にはまず、相手をよく知ることから始めようと3人は考えを一致させる。
「そうだな。でもまずは、『PON_PONクレープ』のキャンペーンガールが誰になるか見届けよう」
「もちろん! 一体誰が選ばれるのか……うぅ〜っ! オーディションもJBAさんも、穏やかじゃないっ!」
「ねっ! ドキドキする! あっ、緊張したらお腹空いてきちゃった。あおい、蘭! オーディションまでまだちょっと時間あるし、何か食べに行こうよ!」
「良いね! ドーナツでも買いに行っちゃう?」
「ははっ。いちごもあおいも、ホント……変わらないな」
またも気持ちを昂ぶらせるあおいと、緊張でお腹を空かせるいちごを目にし、蘭は安堵したように笑みを浮かべるのだった。
一通り見回りを終え、あかりとひなきが居る楽屋への帰路を、ハルキは桑折から下された指示を思い出しながら歩いていた。
『護衛対象の2人にどんな言葉をかけたら安心するか、喜んでくれるかを考えてみよう』
どんな言葉をかけたら。そんなもの、まるでわかりやしない。何故、ボディーガードである自分が護衛以外で依頼人に気の利いたことを言う必要があるのか、ハルキには未だわかりかねていた。
ただ依頼人を危険から守るだけではいけないのだろうか。依頼人を守ることが何より大事なのに、他のことに気を取られる方が良くないのではないだろうか。しかし桑折が必要だと言うのなら、きっと正しい。故に、わからない。わからないが、できる限り考えてみることにした。
「頑張れ」、「あなたならできる」、「リラックスが大事」……ぱっと思い浮かんだ言葉を、ハルキは首を横に振って脳内からかき消す。どれもありきたりで、無責任で、あの2人にとって確実にわかりきっているものだ。頑張っているからオーディションに参加するのだろう。それに安易に「できる」などと口にするのは良くない。
ならば、何を言えば良い。自分の立場で言えて、且つ依頼人が安心し、喜んでくれそうな言葉など本当にあるのか。
「あの2人に、ボクが言えることなんて……」
思わずそんな呟きが漏れたその時。すれ違った観客達の話し声がハルキの耳に入る。「誰が選ばれるのか楽しみ」、「期待の新星」、「応援する」。断片的だが、そのようなことを楽しげに話しながら去っていった。
誰かの期待を背負っているのは、アイドルもボディーガードも変わらないんだな、とハルキは気が付く。先程見回りしていた際、通りがかったジョニーと織姫にばったり会い、両者からも「期待している」と言ってもらえた。アイドルにもオーディションの結果を期待して、楽しみにしているファンが居る。この『期待』の重みを知っているという点で、アイドルとボディーガードは共通していると言えるだろう。
ならば、アイドルとしてのあかりとひなきはどんな気持ちなのか。ハルキは今日の護衛業務に緊張していない訳ではないし、重要な責務だという自覚を持って行動している。もし、アイドルも同じだったら? きっと緊張もするし、オーディションに落選することや、ファンの期待を裏切ってしまう可能性があることを、もしかしたら怖いと思うかもしれない。
けれど、だからこそ安易な言葉は逆効果になってしまうのではないかと彼は感じる。今回のオーディションはステージライブで選考を行う為、ステージに立てばボディーガードはもうそこに立ち入ることができない。全てアイドル自身の力でなんとかするしかないのだ。そう思うと、ボディーガードにできることはたかが知れている。彼女達にしてあげられることなど、自分が考えていたよりも少ないと気付く。そう気付いた時、ハルキの脳内にパッと1つの言葉が浮かんだ。
「正解かどうか、わからないけど……」
正否はわからないけれど、自分の立場で唯一伝えられそうな言葉を彼は見つけた。その時が来たら2人に言ってみることを決め、ハルキはあかり達が居る楽屋のドアを3度ノックしてから静かに開ける。
「ただいま戻りました。一通り見て回りましたが、不審物はありませんでした。ご安心を」
楽屋内に居たあかりとひなきに見回りの結果を端的に報告すると、2人はソファから立ち上がってハルキに近付く。
「おかえり! ハルキくん!」
「ハルキ君、おつかー! ありがとう!」
妙に明るい笑顔で自分に近付いてきた2人に対して疑問符が浮かぶ。自分を覚えておく価値も、関わる価値もないと伝えた筈なのに、逆に何故距離を詰めてくるのだろうか。ハルキはますます依頼人達のことがわからなくなってきた。
「あの、お2人とも……どうされたのですか?」
「ハルキくんがさっき言ってたこと、わたし達なりに考えてみたんだ。それで、思ったの」
あかりはそう言ってひなきと顔を見合わせてから改めて言葉を紡ぐ。
「ハルキくんが言う『暴力』は……暴力じゃないんじゃないか、って」
「……? どういう、意味ですか?」
意味がわからず、ハルキは2人にどういうことなのか問うてみる。
「暴力って、相手を苦しめたり……傷付けることだって思うんだ。ハルキ君は、ひな達を守るために動いてくれてる。それは、暴力って言わないと思う!」
暴力はまず前提として、相手の人格を尊重せずに支配やコントロールをしようとする行為を指す。ハルキが用いるのはあくまで差し迫ったものや事象に対し、自分や依頼人の身を守る為にやむを得ず行う最低限度の反撃……謂わば正当防衛だと言いたいのだろう。その観点なら、ひなきの言い分は一理ある。
だがハルキにとってその主張は、とうの昔にプロテジェ学園で頭に叩き込まれたものだ。ハルキ個人としては、正当防衛にせよ相手を殴ったり蹴ったりする自分が、他者に覚えてもらえて良いような人間じゃないと考えている。それが身の丈に合った生き方なのだと、学園に入学して以降思い続けてきた。
「ハルキくんは野蛮な人なんかじゃない。誰かを殴ったりすることの重さを知ってて、わたし達のことを第一に考えて……守ろうとしてくれた! 優しくて、かっこいいボディーガードだよ!」
「大空さん……」
あかりは真っ直ぐにハルキを肯定する。ひなきと話し合ったことで彼の人間性が少し見えてきて、両者共にハルキはとにかく真面目で優しい人物なのだと結論を出した。彼は暴力だと言うけれど、他者を殴ったり蹴ったりすることの重みを理解していて、それでも依頼人である自分達を守ると言ってくれる。そんな人が、野蛮である筈がないと。
「でもでも、名前を覚えないでってお願いはちょ〜っと聞けない相談だぜ」
ひなきはいたずらっ子のような笑みでハルキにそう言い、彼は何故だと言わんばかりに表情を強張らせる。その理由は、ただ1つ。
「だってひな達、ハルキ君と仲良くなりたいもん!」
「は、はい……?」
「ジョニー先生がさっき楽屋に来た時、言ってたんだ。ハルキくんたちと良い関係を作ってほしいって!」
「ジョニー先生が、そんなことを……」
ハルキが見回りを行っていた最中にジョニーが楽屋を訪れ、まさかそのようにあかりに伝えていたとは。ジョニーの性格から、自分を想ってそう言ってくれたのだろう。
「わたし達はもっとハルキくんを知りたいし、仲良くなりたいの! だから、「価値がない」なんて言っちゃだめだよ!」
あかりの言葉にひなきは強く頷き、彼女もハルキの方を向いて笑う。
「ふふっ。あかりちゃんの言う通りだぜ! と、いう訳でっ! ひな達は絶対、ハルキ君のこと忘れてあげない! ハルキ君もひなのこと忘れないでね?」
「ボクは忘れる訳にいきませんが……と、とにかく! 今はオーディションに集中してください。そろそろ会場のスタッフに呼ばれる頃でしょうから」
ハルキは半ば強引にオーディションの話題を持ち出し、そう言ってすぐにスタッフの男性がドアから顔を出した。2人は返事の後に楽屋から出て、ハルキもそれに続く。あかりとひなきは1度、他のオーディション参加者と共に壇上に上がるとのことで、ハルキは暫しの間別室で待機することとなった。待ち続けて十数分後、2人は揃ってこの大広間にやって来た。
大広間に設置されている扉から、ライブ用の衣装へ着替えられる『アイカツシステム』の機器が設置されていると、ハルキは昨日リサーチしている。いよいよ、あかりとひなきの出番となった。扉の前に並び立つ2人の背を、ハルキは無言で見守る。
「あかりちゃん、準備はオッケー?」
「おっ……オッケー……!」
「大丈夫、『おいしいの練習』頑張ったし!」
「が、頑張った……!」
「じゃあ、緊張しすぎなくらいで行ってみよっ!」
「うんっ……!」
ひなきは大丈夫そうなのだが、あかりが見るからに緊張してしまっている。背後から見て分かるくらいに肩が震えていた。程良い緊張ならば良いが、過剰なのはあまり良いこととは言えない。
この言葉で、果たして緊張を和らげることができるのだろうか。正直、わからない。でも言わなければ伝えられない。ハルキはなんとか迷いを振り切り、ぎゅっと強く拳を握る。
「あのっ……」
「ん、ハルキ君?」
「ハルキくん……?」
後ろに居るハルキに声を掛けられた2人は振り向いて彼に視線をやる。こちらに顔を向けられたハルキは一瞬口を噤むが、道中で考えた末に浮かんだ言葉を何度も心の中で繰り返し、そして……声に出した。
「……お気を付けて、行ってらっしゃいませ」
紡がれたのは、たった一言。ありふれた見送りの言葉だった。
ひとたびアイドルがライブのステージに立てば、あとは自分自身の力でどうにかするしかない。どんなに優れたボディーガードだとしても、ライブが始まれば無力となる。依頼人を助けられなくなってしまう。
そんなボディーガードが唯一できることは、依頼人の無事を祈ること。無事に帰ってくるのを誰よりも望むことだと思った。その為に、ハルキは自身の立場で言える言葉として「気を付けて」を選んだ。ありきたりで、何も特別じゃない。他の誰でも口にできる言葉だ。喜んでくれるかどうかは皆目検討もつかなかったが、紛れもなく、ハルキが自分の意思を持って伝えられる精一杯の一言だった。
ハルキなりに考えに考え抜いて答えを出した一言を伝えられた当の2人は、ぽかんと口を開けていたが、ひなきが堪えられずに吹き出した。
「ふふっ……あははははっ!」
「ちょっ、笑わないでよひなきちゃん! ……あはははっ!」
ひなきの笑い声に釣られ、あかりも声を出して笑う。2人の様子を受けて、ハルキは「しくじったな」と自嘲する。余程おかしなことを言ってしまったのだろう、と。
「申し訳ございません。ボクとしたことが、出過ぎた真似を……」
「あっ、ごめん……違うの! 「行ってらっしゃい」って言ってくれたハルキ君の顔が、すっごく真剣で……新しいなぁって!」
「そうそう! あんな真剣に行ってらっしゃいって言われたの初めてだったから、つい……」
笑ったことで目尻に浮かんだ涙を拭いながら、ひなきはそう言った。「行ってらっしゃい」というのは普通もっと軽く言える見送りの言葉の筈であるが、あまりにも真剣な表情でそれを伝えたハルキが、ひなきのツボにはまったらしい。
「そう、でしたか……本番前におかしなことを口走ってしまって、すみません」
「ううん! 逆だよ! ハルキくんにそう言ってもらえて、すっごく嬉しかった!」
「え……」
嬉しかった、とあかりに言われたハルキは僅かに目を大きくする。
「ですな〜! シンプルな言葉が、大きな力になることだってあるんだよ! 実際、めっちゃ元気出たし! 緊張も良い具合にほぐれたぜ! ハルキ君、さんきゅ!」
「あ……わたしも! さっきより全然……緊張してない! ありがとう! ハルキくんっ!」
「そ、それなら……良かったです」
両者から謝意を述べられ、ハルキは困惑しながら返答する。言葉選びを間違えたと思ったが、それで2人の緊張が解れたのなら良しとするべきだろう。今は結果オーライということにして、ハルキは改めて2人を見送ることを決める。
「大空さん、
「ありがとうっ! じゃ、あかりちゃん!
「うん! ハルキくん、いってきます!」
あかりは先程まで見せていた硬い表情から一変し、自然な笑顔をハルキに向ける。そうして、ひなきとあかりが互いの手と手を繋ぎ合わせてから、一気に駆け出した。
「「アイ・カツ……ダ〜〜〜〜ッシュ!!」」
大きな声を上げて走り、2人はアイカツシステムに続く扉をくぐっていった。あかりとひなきがこの場を去り、1人残ったハルキはふぅ、と軽く息を吐く。
「どうか、ご武運を」
オーディションという名の勝敗争いに出向いた2人に対し、ハルキはボディーガードとして彼女達の無事を祈るのだった。
今日のオーディションを勝ち抜き、『PON_PONクレープ』のキャンペーンガールに見事選ばれたのは、大空あかりだと報じられた。
オーディションを終えたあかり、ひなきと合流したハルキはスターライト寮まで2人の護衛に着き、無事に今日の任務を終えた。彼女達からは護衛をしてもらったことへのお礼をたくさん言われ、「ハルキのおかげで練習の時以上の力を出せた」と、2人は口を揃えてそのように言っていた。少々大袈裟な気がしたが、アイドル活動を行っていない自分には何も言えることがなく、2人がそう言うのならきっとそうなのだろうと思い、口には出さなかった。
初めての護衛を終えた夜、今日の任務について報告する為にハルキはスマホで桑折に電話を掛ける。1コールの後に、桑折が通話に応じた。
「星北です。夜分遅くに申し訳ございません」
『今日はお疲れ様。どうだい? JBAとしての初仕事は』
桑折の聞き触りの良い柔らかな声が耳に響く。今日起きた出来事を思い出して、ハルキはシンプルに自身の中での総括を言語化する。
「……学園長が掲げる理想には、まだ程遠いと感じる1日でした。ですが……」
初めは依頼人の2人を無駄に緊張させてしまったり、通行人に警戒されたり。あかりとひなきと会話した際、一瞬平常心を崩しかけたり。ボディーガードとしての基礎さえままならず、ましてや桑折からの課題にも散々悩まされた始末だ。桑折の望むボディーガード像とは剥離が生じる結果に終わった。けれども、ボディーガードとしての本来の目的は達することができた。
「大空さんと新条さんに、大事ありません。護衛自体は……無事に終われたと思います」
『ふふっ。そうか。1歩前進だね』
嬉しそうに声を弾ませて、桑折はそう言った。報告が完了した為、ハルキは今日、ずっと気になっていたことを彼に聞こうと口を動かす。
「学園長。今日の電話での件、詳しく聞かせていただけないでしょうか。ボクには特に大事なことだと、おっしゃっていたことについて……」
『あぁ。そのことか。うーん、そうだね……』
数秒、電話越しの環境音だけが聞こえた。そして、再度桑折の声が響く。
『ハルキにはね……
「人を見て、人を守れる……」
桑折の言葉をリピートし、ハルキなりに思考してみる。つまり……依頼人から目を離さず、依頼人を確実に守れるようなボディーガードになれ、ということだろうか。たしかに大事なことに違いないが、基本中の基本の話なような気がしないでもない。
「……それは、ボディーガードなら当然のことでは?」
『たしかに当然かもしれないね。けれど、僕が言いたいのは単に
桑折にそう言われ、一気にわからなくなった。依頼人から目を離さないことが正解ではないのなら、一体どうするのが正しいのか。考えても答えが出なかったハルキの耳に『ふっ……』と桑折の笑んだ声が聞こえた。
『
答えを引き伸ばされるのではないかと思ったが、その解答は意外に早く提示された。依頼人を深く知る……ということはつまり、スターライト学園の生徒と打ち解け、仲良くなれと言いたいのか。風が冷たくて肌寒い夜だが、ハルキの頬に一筋の汗が流れる。
「ボクは、スターライトの方々とあまり親交を深めたくないのですが……」
『気持ちはわかるよ。でも……ハルキにはもっと、人を知ってほしいんだ。これからもボディーガードとして生きるのなら、とても大事なことさ。色んな人と出会って、話をしてみなさい。それが君にとって不要と判断するのは、試してみてからでも遅くないだろう?』
桑折に諭され、ハルキは暫く言葉を返せなかった。たしかに人を知ることのメリットは間違いなくあるだろう。しかし、勿論デメリットもある。そうしたことで、護衛に支障をきたしてしまわないか。本来の力を出せなくなるのではないか。そうなるのが嫌だからこそ、ハルキは必要以上に依頼人と関わらず、ただ任務を遂行する……要は仕事としてだけの関係を望んでいた。桑折の願いは、それと真っ向から相反するものだ。
依頼人と関わって、話をして、深く知る。そうすることの葛藤や迷いは変わらずハルキの中で渦巻いている。だが、「やりたくないから」という理由でそれを履行しないのは人として、ボディーガードとして失格だ。恐らく、桑折が自分に求めているのは柔軟な思考なのだろうな、と話していて感じる。だからこそ難しい。それでも……やれるだけのことはやらねばならない。自分が何故JBAの創設メンバーに選抜され、そこで築いてほしいものを考えれば、「やる」以外の選択肢は用意されていない。
「……そうですね。できる限り努力します。今日担当した大空さんと新条さんのこと、何も知らないですし。お2人が言っていた言葉も、よくわからなくて」
『ふむ。たとえば?』
ハルキは桑折の言う通りにできる限りのことをすると誓う。その走り始めの段階から、依頼人であるアイドル達についてわからないことだらけであった。今日、あかりとひなきに言われたことを思い出し、言われたままの言葉を桑折に共有する。
「あの人達が、ボクと仲良くなりたいと言った意味がわかりません。ジョニー先生も昨日、「力になる」とおっしゃいました。通りがかったスターライトの生徒からも「いつでも話し相手になる」、って。どうして、ボクにそこまで……」
桑折の優しい笑い声が、再度ハルキの耳に届く。
『仲良くなりたいとか、力になりたいという気持ちはね……理屈じゃないのさ。そうしたいと思ったから、そう言ったんじゃないかな。そのくらいの価値が、ハルキにあると感じたんだと思うよ?』
自分自身の価値。その単語で、あの時あかりが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
『わたし達はもっとハルキくんを知りたいし、仲良くなりたいの! だから、「価値がない」なんて言っちゃだめだよ!』
あの時のあかりは、なんだか少し悲しそうで、怒っていたようにも見えた。お互いに今日知り合ったばかりの他人なのに、あのようなことを言われるとは思わなかった。もう1人の依頼人であるひなきも、ハルキに対してとても友好的だった。誰に対してもその距離感でいるのだろうけど、自分とも距離を詰めてくるとは恐れ入る。
自分の存在を覚えられなくたって良いのに、関わらなくても平気なのに、あの2人は自分と「仲良くなりたい」と言った。それが理屈でないのなら、ハルキはますますわからなくなる。そうやっていつも悩むのが煩わしいから、邪魔だったから、心も感情も、あの日の悲しみも痛みも苦しみも全て殺した筈なのに。自分にはなんの価値もない、その価値を本当の意味で見出してくれるのは家族だけ。そう思っていたのに。
「そう……なんでしょうか」
『きっとそうだよ。本心で思っていなければ、絶対に出てこない言葉だって……僕は思うよ』
仮に皆が本心でそう言ったのなら、警戒はされていないとみなして良いだろうか。そう思うと、肩の荷が下りた心地だった。警戒心を抱かせていないのなら、少なくとも業務上で関わることを拒否されていないのならと、ハルキは安堵した。
「では、その気持ちに報いるためにも……業務に励まなければなりませんね」
『さすがハルキ。頼もしいね。初めての護衛業務で不慣れなこともあっただろうけれど、
ハルキ的に今回の反省点はいくつかあると思われるが、依頼人は怪我なくオーディションに出場、周囲への被害もなく、無事に依頼人を寮まで送り届けられている。初めての護衛を完遂したハルキを、桑折は喜びを声に乗せて称賛する。
『今日が平和で、何よりだよ』
穏やかな声で、彼はそう口にした。桑折は何よりも平和を愛している。警察やボディーガードが在れど、彼等が何もしなくても良い世界を心の底から望んでいる。本来、そんなことはあり得ない。100人に語れば100人が須く「馬鹿げている」と唾棄するであろう。でもその馬鹿げた理想が、ハルキはとても好きだった。
「はい。平和で、良かったです」
ハルキも桑折の言葉に同意する。何はともあれ、今日を平和に終われたことは自信を持つべきだ。課題は山積みだが、日々の護衛を通じて、いつか自身の願望を叶える為に、彼は誠心誠意努力する決意を固める。
『明日以降の護衛もよろしく頼むよ。アイドル達にとっての、
「承りました。JBAの、今後のために」
『ありがとう。今日は早めに寝て、英気を養うと良い。おやすみ、ハルキ』
「はい。おやすみなさい。失礼いたします」
スマホを耳から離し、ハルキは画面のボタンを押して電話を切った。夜風が、手の甲や頬を撫でる。秋特有の程良い冷たさを纏った風が心地良い。
「よき隣人、か」
電話を切った後で、桑折が日頃から口にする単語を呟く。依頼人にとってのよき隣人。『よき隣人』とは一体何なのか。どうすれば、よき隣人になれるのか。そもそも、自分は果たしてそうなれるのだろうか。
今後どのようなアイドルと顔を合わせて、どんな関係でいられるのか。今は、考えてもわからない。先の見えない未来を思い、ハルキは頭上に広がる夜空をひとり見上げるのだった。
交わる先に、どんな未来が待つだろう。