初めての護衛業務を終えた翌日、ハルキは自身の居住スペース、『J×Jハウス』にて、昨日の護衛についての報告書類作成と、今日の仕事についてリサーチを行なっていた。
今日は午後のみ護衛の仕事が控えており、午前の時間は丸ごとフリーとなった為、書類作成に時間を充てることにし、作業が良い具合に捗ったことで思っていたよりも早めに書類が出来上がったので、残りの時間は今日足を運ぶスタジオの避難経路等の情報を調べている最中であった。
護衛業務の入れられ方はどうにもまちまちなようで、プロテジェ学園の長である
ふと、ジャケットの内ポケットに収まっていたサングラスを取り出す。照明に当たって黒光りするそれを見つめながら、ハルキは思考を巡らせる。
ボディーガードとして相応しい姿で居る為に、サングラスは必要不可欠だと思っていた。それを着用するのが普通で、正しいことだと考えていた。しかし桑折が言うには、JBAはまったく新しいボディーガードを揃える組織であるべきで、固定概念に囚われてはいけないと説いた。だから、護衛対象に警戒心を与えかねないサングラスは外すべきだと。
最初は戸惑いを隠せなかったが、彼に言われるがままにそうしたら、昨日護衛を行ったあかりやひなきから「そっちの方が良い」と褒められた。桑折の指示は正しかったし、もしかしたらスターライト学園での業務においては、『正しさ』よりも優先されるべきことがあるのかもしれないと思える。
であれば、もうハルキにとってサングラスは不要となる。他のアイドルの前で着用すればきっとまた昨日と同じようなことが起きそうな気がするし、そんなに高価な物でもないので必要になった時はまた買い直せば良い。決心がついたハルキは、サングラスをゴミ箱に落とす。その場の状況に適さないものは捨てる。今までだって、そうしてきただろう。捨てられないものはいくつかあれど、使わない物は処分するに限る。念の為専門店へ出向いて購入したそれも、今は要らない。ハルキは表情を変えることなく、黒のネクタイを締め直す。
特に未練なくゴミ箱に放ったサングラスを一瞥し、彼は今日の待ち合わせ場所であるスターライト学園の校門を目指してハウスを出るのだった。
「ハルキ君ー! おつかー!」
「お疲れ様です。
スターライト学園の校門で待機すること十数分。学園の制服に身を包んだ少女、新条ひなきがダッシュで向かってきて、程なくして合流した。昨日に引き続き、ハルキは本日もひなきの護衛業務にあたることとなっていた。
「2日連続でハルキ君がついてくれるなんて嬉しいぜ! 今日もよろしくねっ!」
「よろしくお願いいたします。今日はファッション誌のグラビア撮影と伺っていますが、間違いありませんか?」
「そうそう! さっすがハルキ君! やっぱしっかりしてるね〜!」
今日の予定がきちんと頭に入っているハルキを称賛するが、ハルキは無表情のまま言葉を返す。
「当然です。バスが来ましたし、行きましょうか」
「はいはーい! あ、もうサングラスしなくなったんだね?」
「ええ。他の方の前でもサングラスをしていたら、きっと怖がらせてしまうと思いましたので。先程ゴミ箱に捨てました」
「捨てたの!? めちゃめちゃ即断即決ですなあ。新しいっ!」
「新しい……? どこに新しい要素が……?」
「ハルキ君そのものが! ハルキ君見てても、「良いなぁ」って思うんだ! ……うん、良い!」
何か含みのあるような言い方をしたひなきを見てハルキは僅かに首を傾げる。自分のどこに新しさや良い点を見出しているのか。何も分かりはしないが、仕事に遅れてしまっては困るので今は何も言わないことにした。
「よくわかりませんが、今は現場に向かいましょうか」
「おっけー! さて、行こうか!」
2人はスターライト学園が手配している送迎バスに乗り込み、グラビア撮影が行われるスタジオへ向かうのだった。
「お疲れ様でした! またよろしくお願いします!」
「お疲れひなきちゃん! 今日も良かったよ〜! また頼むね!」
「はいっ! ありがとうございました!」
スタッフ達に挨拶を交わしてスタジオを出るひなきの後ろに、ハルキが着いていく。今日の雑誌グラビア撮影は、滞りなく無事に終了したようだった。
業界人しか居ない場であった為スタジオに不審な人物は見かけず、最後まで警戒は緩めなかったものの特に何もすることなく、ハルキの今日の仕事が終わりを告げようとしていた。
スターライト寮へ向かうバスへ乗り、隣同士で座った2人は軽く言葉を交わす。
「新条さん、お疲れ様でした。意外と早く終わりましたね」
「おつかー! 今回は上手く進んだから良かったぜ! 撮り直しが発生すると、今日みたく早めにスタジオ出れないからね。ハルキ君、今日も護衛してくれてありがとう!」
「ボクは今日何もしていませんよ。ファッションには疎いので、何かを言う筋合いはありませんし」
「でもずっと……ひなのために気を張ってくれてたんだから、やっぱありがとうだよ! 何も起きないのが1番だしね!」
「そうですね。大事なくて良かったです。あとは、寮へ戻るだけですね」
「ですなあ。ふぅ、今日はなに食べようかなぁ」
ひなきが今日の夕飯に何を食べようか考え始めたので、ハルキは口を閉じて横を向く。生徒達のほとんどはスターライト寮で食事を済ませているらしいが、寮に足を運んだことがない為どんなメニューがあるのかは知らない。何より、女性しか居ない建物に異性の自分が足を踏み入れるのは気が引けるので、彼は極力寮には近付かないようにしていた。無用なトラブルを避ける為にハルキができる最適解のリスクヘッジだ。
バスの中とはいえ、ボディーガードに『油断』の2文字はない。ハルキは車窓から怪しいものがないか覗き見て、最後までひなきに危害が及ばないように注意を払っている。
数分経った後、ハルキの背後から小さな溜息が聞こえた。
「あかりちゃん、眩しかったなぁ……」
『あかり』。彼女の口から出たのは、昨日の護衛対象の
『色んな人と出会って、話をしてみなさい。それが君にとって不要と判断するのは、試してみてからでも遅くないだろう?』
本当は、スターライト学園の生徒達と仕事以外で関わりたくはない。話をするのだって正直気が進まない。だが、桑折の言う通りその行いが本当に要らないものと断ずるのは、実際にやってみてからでも遅くはない。それにスターライトのアイドル達を、同校学園長の
知らないというのは、時に罪だ。無知でいるのは簡単だが、その状態でい続けた時に起こる災いがゼロとは言い切れない。アイドル達にとってのよき隣人となる為の第一歩として、ハルキはひなきに話をしてみようと口を開く。
「大空さんのことですか?」
彼に話しかけられると思わなかったのか、少し驚いたような顔を見せたが、ひなきは軽く笑んで返答する。
「うん。今日ね、仕事行く前に『PON_PONクレープ』のポスター撮りの練習に付き合ってたんだ」
ポスター撮り。『PON_PONクレープ』のキャンペーンガールに選ばれたあかりの最初の仕事で、明日はハルキがその撮影現場であかりの護衛を行うスケジュールが組まれていた為、すぐにピンと来た。
「ポスター撮りに、練習が必要なんですね」
「まぁね。毎回トランポリンを使って、跳んでポーズをとるキャンペーンガールを撮影するから……感覚を掴んだ方が良いと思って、ひなから提案したんだ。「練習しよう!」って」
「そうだったんですね」
生徒同士が助け合って、仕事に臨む。それもきっと『アイカツ』なのだろう。自分が通っているプロテジェ学園とはまったく異なるその価値観はハルキにとって新鮮で、些か羨ましくもあった。もしひなきのような人間が居れば、実力こそが全てと言わんばかりの学園の空気が、少しでも変わっていたかもしれない、と。
「あかりちゃんはすごいんだ。思いついたこと、なんでも形にして……実行できて。それがなんだか……眩しくってさ!」
ひなきはハルキの顔を見つめながらはにかんだ笑みを見せる。もしや彼女は、あかりに劣等感を抱いているのだろうか。そう感じたハルキは、自分の思うことを声に出す。
「大空さんにとっても、新条さんは眩しい方なんじゃないですか?」
「ん、どうして?」
「新条さんの方が芸歴が長く、業界にも詳しい。それに今日の撮影も滞りなく終えている。アイドルとして、充分に輝いているとボクは思いますが。……申し訳ございません。あまり知らないのに、こんなこと言って」
「ううん! ハルキ君がそう言ってくれて、嬉しい! ひなのこと、調べてくれたんだね?」
「仕事で最低限必要ですからね。当然のことです」
ひなきはクスッと笑って、自身の髪を耳にかける。彼女のような人間でも羨望に近い気持ちを抱くのだな、とハルキは思う。今日のグラビア撮影でも、最初から最後までひなきは周囲のスタッフへの気配りを欠かさなかったし、スタッフからの印象もとても良さそうだった。
仕事のこなし方、丁寧な心配りや普段の性格……それらを総合的に見ても悩みとは到底無縁そうな彼女が見せた一面。ハルキは昨日よりも、ひなきのことを知れたような気がした。どんなに優れていたり恵まれた境遇に見える人にも、本人にとってはそうでもなかったり、悩むこともあるのだと。
「たしかに、仕事は上手くいってる方だと思う。ファッション誌の撮影とかでリテイクになることも減ったしね。でも……任されたものをただその通りにするだけで良いのかな、って思ったりもするんだよね」
「言われたことを言われたままにやるのを、間違いだとは思いません。一概には言えませんが、指示に反した行動はリスクを伴うこともありますから」
「それは、そうなんだけどね。なんかこう……
「お気になさらず。こちらこそ、すみません」
なんだか微妙な空気になってしまい、2人は互いに謝ってから暫し沈黙する。ひなきが時折口にする『新しい』という単語は、羨ましいと思う気持ちも乗せられていたのだろうか。必ずしも新しければ良いというものでもないし、ひなきの仕事のしかたは決して間違いではないとハルキは思うのだが、ひなき自身は腑に落ちていないような、迷いが生じている様子だった。
けれど、芸能界で活動したことのない彼には、ひなきの悩みに寄り添うことができない。彼女にとって最適解のアドバイスをすることは叶わない。そう思った時に、ハルキの頭にもあかりの姿が浮かんだ。
「大空さんなら、新条さんの悩みに寄り添えるのでしょうね」
「えっ?」
「ボクは芸能界のことも、ファッションのこともわからないので、新条さんに気の利いた言葉を言えません。何が正しいのか、どうするのが良いのか。あるいは、これから何をすべきなのか……」
自分の今居る立場を弁えて思考した上で、ハルキは正直にひなきに告げる。
「少なくともボクは、その答えを持ちません」
淡々と告げられた言葉だったが、ひなきはそれをしかと心に受け止めて、笑った。
「やっぱ律儀ですなあ、ハルキ君は。そんな大したことじゃないのに真剣に答えてくれて……ひなはとっても嬉しいぜ?」
「嬉しい……? 新条さんのためになるようなこと、ボクは何も……」
「そんなことないよ。真面目に聞いてくれて、自分の立場とかを色々考えた上で言ってくれたんでしょ?」
「それは……そうですが……」
そう聞いたひなきは、安堵したように笑みを浮かべる。
「ひなにとっては、それが嬉しかったの! ちゃんと聞いてくれてるんだな、考えてくれてるんだなってわかったから! さんきゅー、ハルキ君! やっぱハルキ君のその感じ、すっごく良いよ!」
「そ、その『良い』の基準がやはりよくわかりませんね……」
「基準とかそういうのじゃなくて、良いものは『良い』んだぜ! ……よっ、と! おお〜っ! ハルキ君、風が気持ちいいよ!」
会話の途中でひなきがバスの窓を開け、吹き込んでくる風に当たる。車内の暖房で火照った身体が爽やかに冷えて心地良い。
「たしかに、そうですね」
「でしょ? ハルキ君と話してたら、ちょっとすっきりした! ありがとねっ! ハルキ君!」
「いえ、それなら何よりです」
そう言って歯を見せて笑うひなきの髪が揺れる。少しでも気分が晴れたのなら、JBAとしての役目は果たせただろうか。桑折ならきっと、アイドル達のメンタルケアもJBAの役目だと言う筈だから。こうして言葉を交わすのも、何かの役に立つと信じたい。そうする意義も意味も見出せなくても、今はそう信じたいと思えた。ワックスで整えた髪が崩れないように手で額を押さえながら、ハルキは窓から流れ込む風に当たる。
「良い風が、吹いていますね」
「ふふっ。ですなあ!」
オレンジ色の陽光が差す夕暮れ、アイドルとボディーガードという異なる立場の2人を共に乗せたバスが、真っ直ぐに道路を駆け抜けていくのだった。
隣人でいる為の、第一歩を。