登場人物
・星北(ほしきた)ハルキ
主人公。スターライト学園専属のボディーガードを務める少年。生真面目で責任感が強く、感情の起伏が少ないが、あかり達や師である桑折に何かと振り回されがち。
・桑折 守(こおり まもる)
ハルキの師であり上司の立場。ハルキに助言をしたり時に試練を課すことも。穏やかな話し方が特徴。
・氷上スミレ
スターライト学園所属の1年生。『ステージに咲く氷の華』という異名を持つ新星アイドル。ハルキがスターライト学園で最初に会話した生徒。ハルキに何度か護衛してもらい、彼と仲良くしたいと思うようになる。
掌編 素敵な言葉じゃなくても
冷たい夜風がカタカタと窓を揺らす今日この頃。スターライト学園専属のボディーガードを務める少年、
本日の護衛についてまとめた日報を作成し、彼が所属しているボディーガード養成学校、『プロテジェ学園』の学園長宛に報告メールを送信し、ハルキはふぅ、と息を吐く。
スターライト学園へ派遣されて以降、護衛業務自体は順調で、特に目立ったトラブルやインシデントもなく業務を遂行できているが、スターライトは元より全寮制の女子校。それ故関わる依頼人は全て女性で、異性のハルキにとっては距離感や接し方を四六時中考えながら任務にあたる為、毎日気苦労が絶えない。
そんな中でも、自分と同い年である
あかり、スミレ、ひなきそれぞれの活動記録やプロフィールが記載されており、好物や嫌いな食べ物も網羅してある。マウスを操作しながら、彼は目線を上から下へ流す。自分が彼女らの情報を知ったところで何かある訳でもないだろうが、いずれどこかで役に立つかもしれない。そう考えて情報に目を通していたその時。ふと、生年月日の欄にハルキの目が留まる。
誕生日。その人がこの世に生を受けた特別な日……というのが世間一般の認識だろうが、ハルキからしてみればそれは平日と変わらない。幼い頃は家族にお祝いしてもらったり、プレゼントやケーキを買ってもらったりしたが、今はもう叶わない。プロテジェ学園に入学して以降は毎日が勉強と鍛錬の日々で、自分が産まれた日のことなど気にしている暇はなかった。同期含め他の生徒も自身の誕生日など知る由もないし、祝う者も誰1人として居ない。
故に、自分の誕生日は祝われるほどのものでもないし、覚えられなくたって、悲しくもない。彼個人はそう思っているが、他人はどうだろうか。誕生日を誰かに祝われたら、やはり嬉しいのだろうか。ハルキは一瞬そう思うが、すぐに首を横に振る。
余計なことを考えるな。自分はスターライト学園の生徒と馴れ合う為に来ているのではない。守る為に居るのだ。関わりの薄い自分ごときに祝われたところで嬉しくもなんともないだろう。お前は業務のことだけを考えていろ。そう心に言い聞かせ、平常心を保とうした刹那、作業用に流していたFMラジオが次のコーナーに移る。話題は、リスナーからのお悩み相談。なんの変哲もない内容だが、耳に入るMCの声が、ハルキの目を大きく見開かせた。
『私には付き合っている彼氏がいたんですが、カレは記念日などに無頓着で、いつも私が教えたら「あぁ、そうだったね」と返します。この前、私の誕生日にデートをしましたが、ディナーに連れて行くこともプレゼントを渡すこともせず、祝われもしなくてカッとなった私は、その場でカレを振って、別れました。自分のカノジョの誕生日さえ覚えてない彼氏ってホントサイテー! こんな男、お2人はどう思いますか?』
「……」
ハルキの頬に、一筋の汗が流れる。
誕生日を覚えていないことで別れ話にまで発展するのは些か行き過ぎなような気がしなくもないが、誕生日というのはそれ程に重要なものだとしたら……誕生日を祝わないことでスターライト学園のアイドル達から反感を買うかもしれないし、それがきっかけで信用を損なう可能性も0とは言い切れない。
せめて、あの3人の誕生日は覚えておかなければ。最低限祝ったり、何か贈り物でも渡せるよう事前に備えておこうと、ハルキはあかり達の生年月日に改めて目を向ける。あかりが4月1日、ひなきが6月11日、最後にスミレの生年月日欄を見たところで、ハルキの動きが止まる。
スミレの生年月日は、10月20日と記載されていた。今日は10月19日のため、明日がスミレの誕生日ということになる。それに気付いた瞬間、ハルキの背に悪寒が走る。
「何ひとつ……準備できてない……」
見ようと思えばいつでも見られた筈のアイドル達の仔細なデータの中で、皆のアイカツ経歴のみしか見ていなかった自身の行いを、初めて悔いることとなるのだった。
『ほう。
翌日の朝。スミレの誕生日を目前になんの事前準備も出来なかったハルキは、プロテジェ学園の長であり彼の師である男性、
「ええ。誕生日は……ボクが思う以上に皆さんが大切にしているものなのかと思い、もし祝わなければ……今後のアイドル達との関係に支障が出ると考えまして」
『いやぁ、さすがにそこまでは……』
そう言いかけた桑折だが、突如言葉が止まる。その後、何故か少し笑うような声がハルキの耳に入る。
「学園長? 聞こえますか?」
『あぁ、すまない。些か電波が良くないようだね。
「誕生日は……皆さんにとってそれ程までに大切なもの、なんでしょうか……」
『大事なものだ。ハルキだって、誰かに誕生日を祝われたら嬉しいものだろう? 同じことだよ。祝ってもらえたら、誰だって心が浮き足立つものさ』
「……祝われて嬉しい気持ちは、今はありません。そうされる資格があるとも思っていませんから」
あの日から、決めたのだ。自分を肯定する自分を捨てる、と。この世に産まれた意味も、理由も要らない。ただ強くなる為に、誰かを守る為に生きると決めた時から、自身の誕生日もどうでも良くなった。祝われたいと望むこともなくなった。その資格すら、自分にはないと思うから。ハルキの返答に、暫しの間桑折は何も発さなかったが、少しして微かに息を吸う音が聞こえた。
『ハルキはそうでも、他の人たちがそうとは限らない。誕生日は1年に1度しか来ないからこそ特別だし、大切にする人が多いんだと思うよ。だからこそ、失敗は許されない。護衛任務と思って心して向き合うように』
スマホを握る力を強め、ハルキは前を向く。運良く今日は休みで、贈り物を購入する時間はたくさんある。夕方までにスミレへの誕生日プレゼントを用意し、渡す。それが、ハルキのミッションだ。
「承知いたしました。では、学園長。プレゼントはどのようなものを渡せば良いか、教えていただいてよろしいでしょうか?」
『それはね……』
桑折からの回答をじっと待つハルキだったが、なかなか声が返ってこない。
『自分で考えてみようか。ハルキの自発性を養う良いチャンスだしね』
「……はい?」
『だって、僕からアドバイスしちゃったらあまり意味がないだろう? プレゼントは、ハルキが自分で選ぶべきだ』
「急にそんなこと言われましても……ボクだけでは、氷上さんに相応しい贈り物を選べるとは到底思えません。由々しき事態とおっしゃるのなら、学園長のお力添えをいただきたいのですが」
『ふむ。……もしかして、ハルキは
桑折に問われ、ハルキは押し黙る。
『たしかに、怖いよね。
「前にも言いましたけど、ボクはスターライト学園の皆さんと仲良くするために派遣されている訳ではない筈ですが」
『それはそうだけれど……そうやってやらない理由を探すのも良くない。プレゼントを渡す上で大事なのは、『気持ち』さ。その人を思う気持ちや心は、案外相手に伝わるものだよ』
「気持ちが、大事……」
『そう。今ハルキに最も欠けているのは、踏み出す勇気だ。自分が素敵だと感じたものを贈ると良い。大丈夫、ハルキなら問題ないさ』
「わかり、ました。やれるだけのことをやります。氷上さんのために……ボクたちの、今後のために」
『その意気だ。では、健闘を祈るよ』
プツッ、と電話が切れる音がして、ハルキはスマホをジャケットの内ポケットにしまう。繁華街の雰囲気と似つかぬ黒いスーツ姿で、ハルキはネクタイを締め直す。スミレの誕生日を祝う為、最高の贈り物を用意することを決めたのだった。
数時間後。ハルキはまたしても何の成果も得られずに店を出て、唇を噛みながら早足で街を歩く。
ああでもない、こうでもない。違う、もっと何かある。そんな自問自答を繰り返しているうちにあっという間に午後を迎え、未だに贈り物の1つも買えずに居る状況であった。
お菓子の詰め合わせはカロリー制限をしていたら無意味なので却下、ちょうど先日ひなきが宣伝していたリップグロスも目に入り、候補に上がったが贈り物としては不相応と思い却下。ティーカップは既にたくさん持っていそうだし、紅茶の茶葉もきっと充足しているだろう。服を買おうにもスミレの好みが分からないし、本を渡すのもなんだか少し違う気がする。
ハルキは今、近年稀に見る勢いで脳をフル回転させていた。既に知恵熱を起こしそうなくらいに、頭が熱暴走する手前のところまで来ている。プレゼント選びにこんなにも苦戦を強いられるということはつまり、自分はスミレについてほとんど知らないということに他ならない。
ふと立ち止まり、ハルキは電柱に肩を預ける。自分は、スミレのことを何も知らないんだというのに気が付いた。当然だ。まだ知り合って少ししか経っていないのだから。しかしそれも結局は逃げの理由を盾にしているだけだ。これではまた同じことを繰り返してしまう。
どうにかしなければ、とひとり焦燥に駆られるハルキの目に、とあるものが映る。
フラワーショップ。周囲にカラフルな花が咲いていて、それらが陽光に照らされてより美しさが際立つ。
何の気なしに花たちの方へ近付き、気付けばハルキはフラワーショップの店内に足を運んでいた。様々な花と、色んな香りで彩られた店内は、まるで別世界に来たかのように彼にとって新鮮に映る。甘い匂いやどこか切ない匂いをまとう、売り物として咲いている花たちに、ハルキは思わず魅入られていた。
彼の目線の先に、苗に植えられた紫色の花があった。鮮やかな紫の、小さくて綺麗な花。色がそうだからか、彼が贈り物を渡したいと願う張本人に似ている気がした。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
店員に話しかけられ、ハルキは会釈で返す。
「いえ、特定の花を探している訳ではないのですが……この花が、綺麗だと思って……」
「あぁ、こちらは
「秋でも、こんなに綺麗に咲くものなんですね」
店員から説明を受け、ハルキはもう1度菫の花に目を向ける。たとえ季節外れ、時期ずれだとしても、美しいものは美しい。この花の美しさを、誰かに共有したい。そう感じた瞬間に、ハルキの脳内で点在していた線と線がひとつに混ざり合っていった。
そうか、それが……答えか。
自分の中ですとん、と腑に落ちてから、彼の決断は驚くほど早かった。
「すみません。こちらのお花、購入してよろしいですか?」
「もちろんです! ありがとうございます! 贈り物ですか?」
「ええ、そんなところです」
「まぁっ! 素敵ですね! きっと喜ぶと思います!」
笑顔で店員に言われ、ハルキは思わず目を逸らす。
「そうだと、良いですね」
彼女が喜んでくれるかは、まだ分からない。要らないと言われたら、それで構わない。しかし、この花を渡したい理由が明確になった今、ハルキに迷いはない。丁寧に飾りのリボンを結んでもらい、花を保護する為のビニールシートを被せてもらった苗を受け取り、彼は急いで学園へと戻るのだった。
すっかり日が落ち、鈴虫の鳴き声があちこちで響き始めた夜。ハルキはスターライト寮の前で、スミレが帰ってくるのを待機していた。
今日、スミレは朝からインタビューや打ち合わせ等が入っており、誕生日であろうとお構いなしの過密スケジュールであった。予定表を見るにそろそろ帰宅する頃かと思い、ハルキは先程購入した苗を背中に隠しながらスミレを待つこと十数分。遠くからヘッドライトの灯りが見え、送迎用のバスが寮の前で停車し、ドアが開いた。
アメシストのような双眸に紫色の長髪。絹のような髪に結ばれている青色のリボン、スターライト学園の制服を乱れなく着用している少女が、ハルキの目の前に降り立った。
「ハルちゃん。こんばんは」
「本日もお疲れ様です。氷上さん」
「おつかれさま。ここで、なにしてたの?」
「いえ……少し、夜風に当たりたいなと思いまして」
「ふふっ、そっか。夜の風、気持ちいいもんね」
「ええ。ほんとうに」
スミレは真っ直ぐ寮に向かって歩き、ハルキは背中に苗を隠し持ったまま横歩きで着いて行く。何をしていたのかとスミレに問われて咄嗟に誤魔化したことで、渡すタイミングを見失ってしまったハルキ。走る緊張が、彼の挙動を僅かに狂わせる。
「ハルちゃん、今日はいつもと歩き方が違うね」
「そうでしょうか。いつも通りですよ」
「そう? カニさんみたいな歩き方、してたかな?」
「そ、そういう気分なんだと思います。おそらく」
「どんな気分だ……」と己で己の言動に突っ込みを入れるくらいに、ハルキはとことんこの状況に追い詰められていた。
「そうなんだ。あ……ハロウィンが近いから、仮装の練習?」
「その通りです。あぁ、カニになりたい……カニになりたい、です」
もう自分でも何を言っているのか分からなくなり、今すぐこの場から消え去りたい気持ちを必死に堪えながらプレゼントを渡すタイミングを探るハルキだったが、不意にスミレが立ち止まる。
「ねぇハルちゃん。実は今日、わたしの誕生日なんだけど……」
聞いた瞬間、口から心臓がまろび出そうになる程の驚きをなんとか押し殺し、ハルキはスミレと目線を合わせて無表情を貫く。
「はい。それが、どうかしましたか?」
「今日の朝にね、あかりちゃんとひなきちゃんがプレゼントをくれたの。あかりちゃんが紅茶の茶葉、ひなきちゃんはハンドクリームの詰め合わせ。どれもすごく、嬉しくて……幸せだなぁって、思ったんだ」
そう語るスミレの表情は、とても嬉しそうだった。その顔を目にして、ハルキは悟る。
別に自分じゃなくても、他の誰かの贈り物でスミレは幸せな気持ちになれる。あかりもひなきも、きっと彼女が何が好きなのかをよく知っていて、それを元にプレゼントを選んだのだろう。自分の勝手な、押し付けがましい私欲が混ざった贈り物と違って。
当然だ。あの2人の方がスミレと関わる機会が多いし、話すことも多いだろう。出会ってから日が浅い自分なんかより、あかりとひなきから誕生日を祝ってもらった方が余程嬉しいだろう。
最初から、分かりきっていたことだった。よく考えるまでもない。自分の行いは無意味で、なんの価値もない。見た目の綺麗さで選んで、いずれは萎れて枯れてしまう花を贈ろうとした自分の不甲斐なさに、ハルキは俯く。
「……ハルちゃん? なんだか顔色悪いよ、大丈夫?」
スミレが、心配そうに覗き込んでくる。ダメだ、誕生日を迎えた人間に気を遣わせるなんて言語道断だ。ハルキはひたすら自分に言い聞かせて顔を上げる。
「大丈夫です。なんでもありません」
「そう? それなら、よかった」
「プレゼント、もらえて良かったですね」
「うん。嬉しい」
そうだ。それで、良い。たとえ自分じゃなくたって、スミレの周りにはたくさんの仲間が居る。贈り物を渡すのは、自分じゃなくて良い。部外者がしゃしゃり出る幕なんてない。それで良い。それで。
「寮に着いたから、ここでお別れだね」
「ええ」
「じゃあ、また明日ね。ハルちゃん」
ひらひらと手を振り、背中を見せたスミレにハルキは手を振り返せない。彼の両手にはまだ、苗が持たれているから。もう何の役目も果たさないその苗を落としてしまえば踏ん切りもつくのだろうが、震えながらもその手はしっかりと苗に添えられていた。不甲斐なさに歯噛みするハルキの脳裏に、朝に聞いた桑折の声が過る。
『ハルキは少し、足踏みをしすぎかな。自分が思う以上に、君は他者と関わることに奥手だ』
何も言い返せなかったのは、否定できるだけのものを持ち合わせていないからだ。人と関わるのが、他者の領域に踏み入るのが、本当は怖い。今だって、スミレを幻滅させてしまうのが嫌で言いたかった言葉も贈り物も渡せない。その勇気が、ない。そこでまたしても桑折が脳内で語りかけてくる。
『今ハルキに最も欠けているのは、踏み出す勇気だ』
噛み締めた奥歯を、ハルキはゆっくりと緩める。桑折の言う通り、やらない理由を探すのは良くない。そうして楽な方向へ逃避するのは誰だってできる。大事なのは、勇気を示すこと。勇気を出して、言葉に、行動に変えること。ハルキは、少しずつ遠ざかっていくスミレの背中を見据える。
『プレゼントを渡す上で大事なのは、『気持ち』さ。その人を思う気持ちや心は、案外相手に伝わるものだよ』
確実かどうかは分からない。伝わらないかもしれない。けれど、それは「どうせ伝わらないから」と諦める理由にはならない。
「ボクに……勇気を……」
ハルキは小さく呟いて、真っ直ぐに1歩踏み出した。勇気を以って、自分はスミレに渡したかったものを渡す。諦める理由ばかり探す自分から、脱却するために。
「……氷上さんっ!!」
大きな声で彼女を呼び、スミレが振り返る。目線の先にはハルキが居て、彼女は何事かと思い彼の元へ駆け寄る。
「ハルちゃん?」
渡せる距離まで近付いたところで、ハルキはその手にずっと隠していたものをスミレに差し出した。
「お誕生日、おめでとうございます。氷上さん」
彼に差し出されたものを見て、スミレの瞳に光が宿る。
「これって……菫の花?」
苗に水色のリボンが掛けられ、ビニールシートで保護されている小さな紫色の花を、スミレはじっと見つめる。
「はい。これを、氷上さんに……渡したくて」
「ハルちゃん……?」
彼の声がいつもと違うことに気付き、スミレは1歩ハルキと距離を詰める。
「……ボクは、誰かに贈り物をしたことがなくて。氷上さんに相応しい贈り物は何か……考えてもわからなくて、でもっ……この花を見つけて……とても、綺麗で……」
ぽつぽつと、ハルキは今日あった出来事をスミレに語る。
「『こんなに綺麗なんですよ』って、誰かに共有したくて……そう思ったら、氷上さんに渡したくなって……でもボクは、大空さんや新条さんのように……素敵な贈り物も、言葉も渡せないけど……」
それでも。自分は、スミレに伝えたいことがある。
「せめて、誕生日は……祝わなくちゃって……ボクから祝われて、嬉しくもなんともなくても……ただ、それだけは……伝えたいって……勇気を出して伝えなくちゃって、思った、からっ……」
過度の緊張で呼吸が荒れ、いつもの敬語が外れてしまっていたが、スミレはハルキの言葉を何度も頷きながら聞いていた。彼女はそっと、ハルキから菫の花が植えられた苗を受け取る。
「とっても、綺麗……」
「氷上さん……」
「わたしの誕生日、覚えててくれたんだね」
「知ったのは、つい昨日で。今日急いで贈り物を用意しようと……それで、この花を。……ごめんなさい。これしか、お渡しできなくて」
「謝らないで。このお花は、ハルちゃんがいっぱい考えて……悩んで、その上で買ってくれたんでしょ?」
「はい。お恥ずかしながら……そうです」
「恥ずかしくなんてないよ。わたしは、すごく嬉しい」
「え……?」
「ハルちゃんがわたしのために、たくさんのことを考えてくれて。わたしの誕生日を祝いたいって、思ってくれて。それが……本当に嬉しい。ハルちゃんの気持ちも、いっぱい伝わったよ」
宝物を見つけた子供のように、スミレはハルキから受け取った菫の苗を両腕で大事に抱える。
「ありがとう。ハルちゃん。大切にするね」
そう言って、スミレはハルキに満面の笑みを見せた。彼女の花が咲いたような笑顔に、彼は安堵しながら瞼を閉じる。少しでも、ほんの少しでも喜んでもらえたのなら。素敵な言葉じゃなくても、スミレにとって価値のあるものになれたのなら。それだけで良い。ハルキはスミレに、渡したい言葉の全てを渡すことができたのだ。
「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします。氷上さん」
「こちらこそ。今よりもっと、ハルちゃんのことを知りたい。これからも……仲良くしてね」
「……光栄です」
「ふふっ。あ、これからあかりちゃんとひなきちゃんと一緒にケーキを食べるんだけど、ハルちゃんも食べない?」
「ケーキ……皆さんが、嫌じゃ……なければ」
「嫌じゃないよ。行こう、ハルちゃん」
勇気を出した末の1歩。僅かな歩みでも、その1歩は確実に己と周りの世界を変え始める。そのことにハルキが気付くのは、もう少し先のお話。
少年少女の夜は更ける。弾む声と笑顔、飾られた小さな花に彩られながら。
素敵な言葉じゃなくても、想いはしかと胸に届いている。