Nemo   作:参号館

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これで、おしまい。

※再三ですが、作者は法律に詳しくありません。あしからず。


葵藿の志

樹寧蒙(うえきねも)という、片割れが居そうな名前を聞いて思い出すのは、幸せな記憶だ。

蛍光灯が差す中、冷房のよく効いた書庫で、内緒話をしながら読んだ本。

親の目を盗んで、枕元の明かりを頼りに、勧めてくれた本をひっそりと読んだ夜。

親戚行事で会えなかった日は、親戚が集まる部屋の隅でネモくんが好きと言った本を、パラパラと眺めた。

誰も居ない読み聞かせコーナーでしかけ絵本を開きながら涼を取った時。

順番に並んだカウンターで、司書に仲良しだねと言われた日。

幸せだった。

 

待ち合わせも約束もしていないけれど、祖父母の家にいる夏の間だけ会える、学校の友達にも家族にも内緒の、秘密の友だち。

夏休みの間は毎日のように通った。

閉館日前日は絶対新しい本か、お勧めやお気に入りを交換した。

本棚の森奥にあるスツールに腰掛けて、本の山を読み漁る絡繰人形と化したネモくんに自分が小さく声をかけると、蛍光灯に冷やされた人形のような顔に色が乗り、感情が咲いて、嬉しそうに小さく手を振ってくれる。

幸せだった。

 

学区が違うのに似たような宿題。

交換こして書いた日記。

暇つぶしに書いた小説とも言えないなにか。

頬を紅潮させて、興奮したように唯一無二な頭脳を使ってあらゆる言葉で褒めてくれた。

ネモくんの手を引いて無理やり参加した夏祭り

花火大会はネモくんから誘ってくれたから、おばあちゃんに頼んで浴衣を着て精一杯お洒落をした。

辞書みたいに分厚い本を2人でゆっくりと読んで、分からない言葉を簡単にして説明してくれるソプラノが好きだった。

幸せだった。

 

読んだ本の感想を囁き合って、おすすめの本を紹介し合って、夕立の通過を待って、”また”と言いながらお別れして

そして、木漏れ日から溢れた夏が終わる。

 

 

――――

ネモくんと小学校2年生の夏から連絡が取れなくなってから時間が経ち中学に上がると、心の片隅に居た”ネモくん”も大分風化するもので、祖父母の家から帰る車の中で、もう会えないと認識して大泣きし、家族に秘密にしていた弊害で理由も言えず、家族を大変困らした事件を『そんなことあったなぁ』と片付けられるぐらいにはなる。

 

再開は突然だった。

 

「バムとケロ、マジック・スクールバス、三びきのやぎのがらがらどん、タンタンの冒険、落第忍者忍たま乱太郎、おしいれのぼうけん、ダヤン、ズッコケ3人組、はれときどきぶた、エルマーの冒険、霧の向こうのふしぎな街、西の魔女が死んだ、原論、ナルニア国物語、ドリトル先生、はてしない物語、星の王子様、………覚えてる?」

 

綺麗な上級生だと思った。

 

外国の血が少し入った、背のとても高い女の子に小橋は、肩をつつかれてやっと気づいた。

中学校の蔵書に目を輝かせて、端から読もうと適当に取った本を開いたところだった。

ぬばたまの癖っ毛が、小橋が顔をあげたことで揺れて、微笑んだ。

 

私知ってる。

 

見たことのある微笑みだった。

精悍な顔つきは、随所に面影はあるものの決定打にならず

しかし、小さく咲くような微笑みは見たことはある。

昔はもっとこう、お人形みたいだった……

 

あの本棚の森奥で、スツールに座ったお人形みたいな顔が―――

 

「ねっ…ねも……くん?」

 

え?ネモくんは男の子では?

でもスカート履いて……え??????

 

目に見えて混乱する小橋にぬばたまの少女はクスクスと声を落として答える。

 

「そう、ネモくん。

本当はネモちゃんだったけどね。

信じられないなら、もっと作品言ったほうが良い?」

 

いたずらっぽく並べられた言葉に、小橋は喜びしか無かった。

あの、ネモくんが!!

小学校2年生の夏休みの途中からいくら図書館に行っても会えなくなったネモくんが!!!!!

顔面をべしょべしょにし、過呼吸まで起こす大泣きをして、狭い車内で家族を大変困らせた原因のネモくんが!!!!!!

 

「ねっネモくん!

え?うそ、ほんとにねもくん?!」

 

はわわと段々大きくなる声に、カウンターに居る司書の咳払いが図書館に響いた。

吹き抜けの反響で、声が響いていたらしい。

小橋は恥ずかしさに顔を赤くし、俯きながら本を棚に返して樹の手を引き、勢いよく図書室を出ることとなる。

 

 

あまり話が聞かれないような場所と、校庭の片隅で雑木林とフェンスを背に、小橋は樹にその後の話を詰め寄った。

 

小2のあの夏、樹寧蒙は両親が亡くなってしまい、色々あって海外へ引っ越すことになってしまったらしい。

今まで連絡が出来なくてごめん、と5年越しに謝られたが、今更だったし、無事に再会して元気な姿を見れただけで小橋は十分だった。

 

保護者の意向で日本にいずれ帰る予定だったので、今後のために日本の義務教育は卒業しておいたほうが良いだろうと、保護者より一足先に帰国。

今住んでいるところは保護者の持ち別荘で、一応ハウスキーパーは入るが、一人暮らしらしい。

樹は丁度長野だし夏休みにでも、あの図書館へまた通い詰めて小橋を探すつもりだったらしく、入学初日に見つけられるとは思わなかったとカラカラ笑う姿は、身長も相まって大人に見え、少し寂しさを感じた。

 

今後は、学生の間は日本にいる予定とのことだったので、小橋は共にティーンを過ごせることが嬉しくて思わず樹に抱きつくと、樹は優しく抱きしめ返してくれて、小橋はじわりと染み出してきた懐かしさと涙をごまかす必要があった。

あの夏の日々は夢だったんじゃないかと、もう一生会えないと、そう思っていたから。

 

なんか、恥ずかしいね。と濡れたまつげをごまかすように目をこする小橋に

そう?と抱きしめていた腕を解いた樹は、なんでも無いように答える。

 

「昔は良く寝転びながら同じ本覗き込んだり、手も繋いだし、ハグとか会う度にしてたじゃん。」

 

「だって、すっ好きだったし、初恋だったの、図書館のネモくん……。

当時女の子だって知らなかったから……凄いお人形さんみたいな男の子が優しくしてくれて…どんな話も嬉しそうに聞いてくれるし……あれは紛うこと無き初恋キラーだったわ!」

 

「勘違いしてるなぁとは思ってたけど、初恋だとは……」

 

呵々とわらう樹に小橋はもうっ、と返して機嫌を損ねる真似をする。

樹はごめんねと謝ってくるがそれも本気じゃない。

最後には2人で笑いあう。

 

久しぶりに会う幸せだった。

 

――――

「事が落ち着くまで、一旦私に関わらないでくれ。」

 

再会の喜びもつかの間、入学してから数週間経って小橋は樹に、忠告でも、勧告でもなく、通告を受けた。

原因に心当たりがないなんてことはなく、帰宅部の小橋が放課後あしげく図書館に通う傍ら、樹がバレー部の顧問にほぼ毎日呼び出されている関係だろう。

隣のクラスの小橋の耳にもその噂は入ってきていた。

 

発端はその恵まれた体躯から、バレー部への勧誘だった。

いつまでも首を横に振る樹に、顧問は焦れて声が大きくなってくるので、職員室であろうが、相談室であろうが、内容は物理で廊下に響く。

噂が回るのもすぐだった。

それにプラスして、元々女バレに入っている部員や、これから入る新入生には面白くない話だった。

樹が女バレに入ったら、その体躯から試合に出るようになることは必須。

普段の様子から運動神経も悪くなさそうな所を見ると、すぐにスタメンに入るのは自明だ。

 

いじめが無かったとは、とても言えない。

ハブや無視はもちろん、教科書や学校へ置いておく物への悪戯は、時間が経つごとにジワジワとエスカレートしていた。

樹の体格が恵まれている関係で、直接的な暴力には発展しなかったが、その代わり嫌がらせは陰湿さを増すという結果を出す。

 

しかし、女バレ部員からの嫌がらせに気づいていたのは、ほぼ女子だけだった。

特に初学年の女子は物理的距離の近さから、その陰湿な悪戯に気づかずにはいられない。

されど次のターゲットにされても堪らないので、その気持の良くない現状を放置するしかなく、女子の間でフラストレーションが溜まっていくのは隣のクラスでも感じられた。

男子でも気づいている人も居ただろうが、表層の顧問の方に目が取られて、どれだけのものかは把握して居ないだろう。

巧妙に隠された、陰湿ないじめだった。

 

樹が小橋を巻き込まないよう遠ざけるのも納得である。

そして、樹はその問題を片付ける方法を認知していたため、”事が落ち着くまで、一旦”と明言していた。

樹からその説明がなければ小橋は無理にでも介入していただろう。

 

 

流れが変わったのはバレー部の顧問が逮捕されてからだ。

学校は顧問の逮捕という自体に、バレー部の中体連への出場を辞退する形とした。

 

そこそこ地域で強豪だったため、その対応に保護者から苦情が出るかと思いきや、

実際は、樹が今まで損害内容の記録を取っていたため、いじめに加担していた生徒が全員バレー部と判明した後、警察か示談か迫られた結果、学校と相手側の保護者の意向により示談となった。

このまま警察沙汰にして子どもの経歴に傷をつけるより、金銭と顧問不在という形で部活を謹慎することで型を付けた方が、いくらか外聞が良いと思ったのだろう。

 

樹の被害をほぼ全容知っていた小橋は、示談というやさしい()対応に憤りを覚えたが、本人がそれで良いと納得をしているので小橋は何も言えなかった。

小橋など外野には詳しい説明はされなかったが、学校側はバレー部の成績を考えれば、早急に顧問を別で付けたかったのは自明でしかし、この部活内で行っていたいじめ(器物破損、傷害、名誉毀損)や顧問の恫喝、恐喝という犯罪に対して樹が提示した示談の条件により女子バレー部は、樹らが卒業するまでは再開できない状況であったので、生徒への落とし前としては十分であった。

 

しかし顧問をつければ良いところを探しもしない状況に、小橋ら外野の一部はある程度察することはできる。

帰宅部として放課後図書館で勉強する小橋に優しい言葉をかけてくれた諸伏も、事態をおおよそであるが察した一人だった。

 

「大変なことになっているようですが……大丈夫ですか?」

 

「……ありがとう。でも一番大変なのは本人だろうから。」

 

「それでも小橋さんが落ち込んでいる事には変わりありません。

愚痴でもいいので、何か相談したいことがあれば是非頼ってください。」

 

小橋が、樹へのいじめ情報を又聞きする状況に参っているのは、同じクラスの諸伏にはバレバレだったらしい。

誰かが自分達の状態を把握して心配、応援してくれていることが、小橋には嬉しかった。

 

 

その後いじめ事態は、少々のぎこちなさを残して無くなった。

腹いせの下品な噂はいくつか流れたが、中体連に出れない詳しい理由は保護者も含めバレー部全体に罪状と共に勧告されているため、目ぼしい報復はそれぐらいで、クラスで浮いてはいるが特に問題は起こっていなさそうだった。

その後樹より”一旦”は終わったと報告されたが、まだ小橋が樹に話しかけられるのは少々限定されるようで、学校の人目がないところや、図書館内のみだった。

噂が落ち着くまではこの状態が続きそうである。

不謹慎だが、またあの頃に戻ったようで、小橋は少し懐かしく思っていた。

 

樹が、クラスで問題は起きてはいないが色んな意味で浮いていたため、林間学校をパスするという話を聞いたのは近所の図書館で勉強会をしたときだった。

休憩に図書館手前のホールで飲み物を手にソファーベンチに座ると、そういえば…と説明してくれるが、小橋は学校行事に一緒に参加できないことが残念で仕方なかった。

 

「折角ネモちゃんとお泊りできると思ったのに……。」

 

「まあ特別、行事に思い入れ無いし、いいかな。

出席代わりの登校が面倒くさいけど……。」

 

「ちょっと!」

 

ちょくちょく露悪的な側面を見せる樹は、林間学校にいけないことに特に何か思うことはないようだった。

得てして、学校行事への参加はクラスメイトと距離が物理的にも精神的にも近くなれるため、小橋は現在クラスメイトから遠巻きにされている樹に参加して欲しいと思っていた。

だが樹自身はクラスから浮いていても、個人主義過ぎて問題意識がないためどうにもならないのも確かで、隣のクラスの小橋ばかりがヤキモキするだけだ。

 

「この間ね、私と同じクラスの諸伏くんがネモちゃんの事心配してたよ。」

 

「……知らない人に心配されても。

今回のあれは相手が自分の首絞めてたことに気づくのが遅かっただけだし、心配するほどのもんでもないだろ。」

 

「もう!!

心配ぐらい素直に受け取りなさいよ!!

諸伏くん、関係ない私の心配もしてくれてたんだから!」

 

肘でドスッと脇腹に攻撃入れると、樹は痛いと顔をシワシワにする。

少しスカッとしたので、小橋は話の続きをすることにした。

 

「諸伏くんは小学校からの仲なんだけど、多分ネモちゃんのいじめを知って心配して私にいつでも相談してねって話しかけてくれたの。優しいよね。」

 

「……へぇ、そう。」

 

樹がなにか言いたそうな目で返事を帰すので、小橋はまた樹の顔をシワシワにしてやった。

 

 

 

学校中が騒然としたのは林間学校が終わってからだった。

生徒の家が強盗にあったと連絡が回ってきたのは、林間学校が終わってすぐで、警察から学校へ数日自宅謹慎をしてほしい旨と、集団登校の指示があった。

 

3日で自宅謹慎は解けたが、諸伏一家襲撃事件は一向に収束を見せなかった。

それと同時期に樹の両親がもう亡くなっている噂が回るのも早かった。

職員室から漏れたそれは、樹にとっては何でもない情報だったが、学校を賑わせるには十分である。

流石にどうかと思ったので、集団登校に慣れた頃小橋は、樹の気分転換にお泊り会をしようと声をかけた。

最初は普通にゲーセン等で遊ぶ予定だったが、帰る頃には日が暮れてしまうので、流石に今、夜遅くになるのは……と親が心配したためお泊りになったのだ。

そこでの話題はやはり一家惨殺事件だった。

 

「諸伏くん、大丈夫かな?」

 

「さぁ?」

 

「もう!!

ネモちゃんの時、諸伏くん心配してくれてたんだから、少し位気を揉みなさいよ!」

 

酷い八つ当たりだと分かっていても、樹の様子に小橋は少し腹が立った。

あの落ち込んでいた時、諸伏が樹と小橋の友人関係に気づいて声をかけてくれたのは、樹のことを待ち続ける確かな勇気になったのだ。

 

「私、諸伏くんになにか出来ないかな?」

 

だから、そう思うことは自明の理だった。

 

「何かって……何?」

 

「それが分からないから困ってるのよ……。」

 

クッションに顔を埋め悩ましい声を出す小橋に、樹は水で喉を潤してから口を開いた。

 

「……私はそのもろふし?のこと知らないから本当に欲しいものは分からないが、

まあ、経験から言うとそっとしておくのが一番だと思うよ。

葵が味方だって事を向こうが分かっていれば、必要な時声をかけてくるだろ。

いつもの通りで十分じゃないか?」

 

「そうかな?」

 

「私の時に向こうがそう言ったんだから、おんなじ事を返したら良い。」

 

樹は、人は鏡だよと優しく笑ってくれた。

 

「そもそも、なんでそんなもろほし?ふし?が気になるんだ?」

 

「う゛」

 

優しい笑顔が、ニヤニヤとゲスい笑顔に変わるのはすぐだった。

粗方小学校の頃から最近の様子までダイジェストした頃には、満足したのか小橋は解放されたが、樹は何か考えているようだった。

しかし小橋がどうしたのかと声をかけても、樹は明確な答えを帰すことはなかった。

 

 

諸伏の忌引きが明けて数日、小橋は昼休みの図書館で、諸伏に早速声をかけた。

図書館の奥で、人目を避けるように本を読んでた諸伏に声をかけるのは、だいぶ勇気が必要だったが、小橋の顔を見てほっとしたように返事を帰す諸伏に、声をかけてよかったと小橋は逆に安堵した。

 

「諸伏くん、その、大変な時期だと思うけど、私諸伏くんの味方だから。

困ったことがあったら相談してね。

それこそ愚痴とかでも良いからね!」

 

「ありがとうございます。

……あの時と反対ですね。」

 

ふと、こぼれるように笑った諸伏は、笑ったことに驚いて、そして静かに涙を流し始めてしまい、小橋は大慌てで諸伏の顔面にハンカチを押し付けることになる。

すみません。と言ったきりハンカチを握りしめうつむいてしまった諸伏に小橋は、諸伏を隠すように(隠せてないが)横に並び、震えている諸伏の手をずっと握っていた。

 

諸伏は親戚の家に帰りづらいのか以降、放課後は図書館に通うようになり、本の貸し借りしか用がない樹と変わるように、小橋と放課後を過ごすようになった。

その代わりと言っては難だが、樹と登下校をするようになった小橋は、放課後教室で時間を潰す樹と大和に、ニマニマと悪い笑みを浮かべることになる。

 

 

 

話の全容が小橋まで届いたのは全てが終わった頃だった。

 

「樹さんが手を回してくれたみたいで……

人づてで申し訳ないのですが、樹さんにお礼を伝えておいてください。」

 

「え?」

 

知らない情報に戸惑う小橋に、話が行っていないことを察した諸伏は、小橋さんも当事者だと思うのでと、全て話してくれたことで判明したことだった。

 

曰く、諸伏への取材と称したストーカー及び付き纏いの内一番酷かった記者が、樹の両親に関しても嗅ぎ回っていたらしく、樹が警察を介して接触禁止命令をもぎ取り、裁判も起こしたため、総じて同じ学校へ通う諸伏へも一旦近付けなくなったそうだ。

他にも、大和経由で諸伏に忠告したりと色々して居たらしく、小橋は、樹がそれなりに小橋の言葉を聞いて動いてくれていた事に驚いた。

 

「禁止命令は半年ほど*1ですし、僕への接触禁止ではないのでやろうと思えばできるでしょうが、警告手続きは現在行っているので最悪僕の方でも接触禁止命令を出すことは出来ます……樹さんの接触禁止命令は、それまでの時間稼ぎの意味もあったのでしょう。

それに時間が経てば熱りも冷めて嗅ぎ回ることに意味をなさなくなります。

だから、樹さんにお礼をと。」

 

「そういう事だったのね……。

多分、ネモちゃんの方に私が相談したから……ネモちゃんの問題と一緒に手を打ってくれたんだと思うわ。伝えておくわね。」

 

 

伝えておく、と言ったが小橋はこのことに関しては樹に直接伝えるべきだと思っていたため、夏休み前に2人を引き合わせる事にした。

 

「ねもちゃん、こちら私と同じクラスの諸伏高明くん。

諸伏くん、こちら私の親友、樹寧蒙ちゃんよ。」

 

樹は、サプライズ的に引き合わされた諸伏を訝しんでいたが、事前に相談していた諸伏が口を開くとその理由に納得したようだった。

 

「―――というわけで、小橋さんに直接伝えるべきだと言われまして。

確かに、伝えれるなら直接伝えたかったので今日のセッティングをお願いしました。」

 

「なるほど。

あれはこちらも序だし、ああいうヤカラはしつこいから……

まあ、時間稼ぎぐらいしか出来ないから、後はそっちで好きに対応してくれ。

必要であれば弁護士の相談や、裁判内容の共有は出来るので声をかけてくれたら対応する。」

 

「禁止命令も含めて、弁護士の相談や裁判内容まで……ありがとうございます。

保護者の方と相談してみます。」

 

頷いた樹は、序とばかりに口を開く。

 

「あ、今弁護士とPTAで、学校の名簿その他個人情報が漏れたことを(つつ)こうとしているから、そちらの気は揉まなくて大丈夫だ。

難なら、情報管理のリテラシーについては、休み明けには解決してると思う。」

 

「え?!私知らないんだけど!」

 

「PTAから保護者へ連絡は回っているはずだ。

後日PTA側から不審者に話しかけられたか等アンケートが取られるはずだから、正直に答えてくれれば良い。」

 

PTA迄動かすとは……

抜け目ない樹に、諸伏と小橋は空いた口が塞がらなかった。

 

――――

 

樹のトラブルメーカーと、トラブルシューティングのお陰で中学1年生の前半は波乱万丈であったが、それと同時に、上の学年は風通しが良くなったと感じていたらしい。

 

夏休み明けに、文化祭委員の小橋は先輩と関わる事が増え、いくつか学校の雰囲気について話を聞くことができた。

諸先輩方曰く、教師によるパワハラまがいの状況であったり、女子バレー部員の横柄さが鳴りを潜め、更にはPTAが個人情報の漏洩について学校側に訴えたおかげで、学校の個人情報の取扱が厳しくなったので、学校側の対応も以前より丁寧(慎重)になって助かっているとのことだった。

まだ入学して間もないが、小橋には見えていないものが樹には見えていた事が分かり、小橋は『凄いでしょネモちゃん!』と樹を自慢したくて堪らなかった。

 

夏休み明け数週間後に樹は、普通に話しかけても小橋に危害はいかないだろうと判断したらしく、潔く謹慎を解いた。

舞い上がった小橋は休み時間ごとに樹を尋ねるようになり、流石に呆れた樹より、顔面どまんなかへ優しいチョップを食らう。

小橋が嬉しそうに樹にまとわりついて話す様子に、クラスメイトはどう接したらいいか分からない爆弾の認識を改めたらしく、遅ればせながら樹はそれなりにクラスに馴染み始めた。

 

諸伏は、手を回してくれた樹がクラスから浮いていることが気がかりだったらしく、小橋と樹が文化祭を2人で周ると知ると、樹と同じクラスの大和も加えて一緒に回らないかと、小橋に声をかけた。

小橋はまた、サプライズすることとなる。

 

「おんなじクラスだから知ってるだろうけど……

ネモちゃん、こちら諸伏くんのライバル、大和敢助くん。

大和くん、こちら私の親友、ネモちゃん。」

 

「「知ってる。」」

 

「でしょうね。

僕のことについて樹さんが手を回してくれたようで、他にも小橋さんと勘助君にはとても助けられたので、小橋さんに頼んでお礼の場をセッティングしてもらったんです。」

 

どうやら、諸伏は保護者の方に頼んでお小遣いを多めに貰ったらしく、気持ちばかりのお礼として樹達3人に奢りたいとの話だった。

樹と大和を見上げる小橋は、嫌な予感を感じて袖を引っ張るがそんなか弱い力で止まるはずもなく。

2人はチラとアイコンタクを取ると同時に口を開いた。

 

「俺、焼きそばとラムネ。」

「私、唐揚げとドクペ。」

 

「ちょっと、二人とも!」

 

「保護者の方にちゃんと説明をして、是非と言われているので、このまま持ち帰るとなると叔母夫婦はとても残念に思うでしょう。

それに、もっと持たせられる所をセーブしたところなので、次に機会があった場合は更に金額を増やしてくるのは間違いありません。

今のうちに奢られておくのがちょうどいいかと思います。」

 

旧知にしても遠慮が無さすぎる大和と、この前まで知らない人呼ばわりしていた樹に、小橋は待ったをかけるが諸伏の説得には勝てず、撤退を余儀なくされた。

 

「ごめんね、諸伏くん…奢ってもらっちゃって……私何もしてないのに……」

 

「気にするだけ無駄だぜ、コーメーはこれと決めたら梃子でも動かねぇ。」

「気持ちなんだから、遠慮するほうが失礼だろ。」

 

「二人とも!礼儀って物があるでしょう!!!」

 

「小橋さんには励まされましたし、色々心配させてしまった部分もあります。

それに美味しく頂いて貰った方が、僕の心も些か晴れるので、気にせず食べてください。」

 

小橋たちの様子にクスクスと笑う諸伏。

ダメ押しの諸伏の言葉に小橋は唸るしか無く、渡されたかき氷がまた頭痛を誘発した。

 

――――

その後の学生生活は()()平和であった。

大和と諸伏の推理対決だったり、樹の長期休みの宿題問題だったり、同時開催の大和のお料理教室集中合宿 in大和祖母宅だったり、愉快犯の樹による騎馬戦の戦略魔改造事件だったり、文化祭にて清廉メイド高子ちゃんが誕生したり、樹のバレンタイン雪崩事件だったり、小橋が図書館で教科担任の自主制作本発掘したり、生徒会に樹が拉致され地下労働(PC作業)に勤しんだり、諸伏と小橋が付き合ったり、大和の堪忍袋爆発事件だったり、諸伏が樹にブチギレたりetc....

とにかく色々あったが、中1前半のような逮捕者や学校組織を巻き込むような事態は訪れず、平和の範疇であった。

 

実というと、中高6年間と青春の多くを共に過ごして尚、諸伏と大和と樹は、そこまで仲良くなかった。

そもそも、諸伏と大和はライバルであって、いわゆる”仲良く”とは程遠いし、樹は人類皆友達の対角を走るような人間のため、3人とも利害が一致しなければ手をつなぐことは無かった。

特に会話さえ無かったのは諸伏と樹で、どこかピリピリとした空気まで漂うことさえある。

 

大和曰く、諸伏と樹は対極にいすぎて同一と化し、同族嫌悪を拗らせているらしい。

小橋的には左右どころか上下にも対極にいるように見える二人ではあるが

一応、いくら対極であろうとも、”人間”や”黒髪”という基本的なカテゴリの共通以外にも、微々たるものだが共通点は存在した。

 

一つは"賢さ"だ。

諸伏と大和は学校のテストで1位を争う関係だが、樹に関しては院卒という筋違いな位置にいるので、どう賢いかという説明も難しいのだが。

例えるなら、諸伏と大和が推理対決をしている横で樹は、最初のインシデント時点で根本的な解決をし、再度問題が起きないよう調節しているような差だ。

これは諸伏たちの頭が悪いとかそういう問題でなく、場数の問題であるので賢さの違いとは言えないのだが、それ位賢さの”使い方”に違いがあったことは確かだった。

 

諸伏がテストで本気を出さない樹にキレた関係で、一時期、樹があらゆるテストの1位を独占した部分はあれど、樹としては『1位は必要な人が勝手に取ればいい』と思っており、”日本の学校を卒業した”という実績が欲しいだけの樹にその成績は必要のないものだった。

取ろうと思えば100点も0点も何点でも取れるが、樹にとってはそれは重要でない事が問題で、残念ながら『今更ハイスクールの成績に凝るほど大人気なくはないし、取りたいなら取れば良い。』という樹の心情を理解していたのは大和だけだったため、事情を知らない諸伏が、いい加減な樹に発破をかけることになってしまった部分は否めない。

 

推理や成績を競っていた関係もあり、頭脳では”諸伏”と”大和”という二巨頭と思われていた部分は大きいが、樹にもどこか頭一つ抜けた物があったことをクラスメイトは敏感に感じていた。

その最たるものが騎馬戦の戦略魔改造事件だったわけだが、以降魔改造した関係で樹は騎馬戦を出禁になり、その後生徒のブーイングにより特別顧問と化した樹によって体育祭の騎馬戦が激化したことは想像に容易い。

高校に上がった際、上級生のぬるい騎馬戦を見た大和は”あいつは地獄を作っていた”と言わしめた。

(※ちゃんと高校にも地獄は作った。)

 

 

閑話休題

例えるなら

諸伏は、事実を積み重ね、真実を暴き出す賢さで

樹は、根本からの捻じれを解消し、自分が居なくても永続するシステムを作り上げる賢さだった

 

そんな二人に挟まれた大和と小橋は、時々起こる賢すぎる言葉の応酬に、少し引いていた部分はある。

しかし大和と小橋は上記2人にない、人の感情や機微を推し量ることが得意だった。

というか上記2人が疎すぎた。

あまりよろしくない共通点である。

 

恋愛方向にだいぶ(大いに、とても、沢山)疎い大和でも、性悪(せいあく)的な部分はあれどある程度の心の動きは察することが出来るし、大和のカリスマ的リーダーシップは大衆の心の動きを察する鋭さによるところが大きい。

物書きを目指していた小橋は言わずもがな。

小橋は、自分が感情の機微を察しすぎて上記2人から逆に引かれていた部分は積極的に自認していく所存である。

 

人の機微に疎い2人はそんな小橋達を見て『ニンゲン』というものを学び直しているように思えた。

大和曰く、諸伏が小学生の時は、登校時や友人と放課後遊ぶ際、置いていかれて寂しい(景光)を心無い言葉で何度も泣かした経験がお有りだとか……

仲直りの方法が分からず大和に助けを求めたことが何度か……

大和の幼馴染の幼女に窘められた事が少々……

小橋と付き合うに当たって女性の情緒について大和と樹に沢山の相談……

幼少の諸伏が、なんでも言葉に出してしまう大和の性格に、大いに助けられた事なんて自明の理だろう。

 

小橋も、樹の情緒に関しては出会った当初からあまり、期待していない部分はあった。

幼少の樹との会話は小説の内容が殆どで、樹は伏線回収やトリック等に関しての感想は述べるものの、感情面への造詣は深くなく、幼少の小橋の感想に対していたく感動していた記憶がある。

中学生時に再会してからもそれは感じていたし、幼少より更に酷くなったとも感じていた。

大人の男性から恫喝や恐喝にあっても、個人情報漏洩や名誉毀損に当たる噂が広まっても、人殺しと糾弾された時も、何処か他人事のように捉えているように見え、それは図書館の隅で小橋の言葉に瞳を輝かせた樹が、露と消えてしまったようで、小橋はとても危うく思えた。

 

樹の情緒面が育っていない関係で、クラスメイトとの軋轢がいくつか産まれてしまったことは確かだった。

ただ、樹なりに周りを大切に思っていることは日々感じていたので、事あるごとに小橋が感情を言語化して伝えることで衝突を免れてたことも多々あっただろう。

軋轢が生まれそうな時、樹は感情の迷宮に取り残されているようで小橋は、いつも後ろを振り返って樹の手を握り直している気分だった。

 

 

上記を踏まえて大和と小橋は二人から尊敬の目を向けられていた自負がある。

どちらかと言うと思考回路は、大和は樹と、小橋は諸伏と似ていて、男女差や好みの相違、色々違うところはあれど、丁度良くそれぞれ似ていて、似ていない4人であった。

 

そう、丁度良かったのだ。

だから一人でも消えたら、その丁度良さは消えてしまう。

 

 

「葵、ここでお別れだ。」

 

「え?お別れ?ってなんの話?」

 

きょとんと返事を帰す。

高3の最後の夏休み、いつもの分かれ道でかけられた言葉は、いつもとは言えない言葉だった。

夏休み前の長野は、避暑地にかかわらずとても暑い。

帰路の途中、強い紫外線から逃れるために入った日陰で樹は微笑んだ。

木漏れ日が樹の顔を揺らす。

先程渡された仰々しいノートパソコンが入った紙袋が揺れた。

 

「言葉の通り、お別れだ。」

 

「えっ急になんの話?

夏休みでちょっと会えなくなるだけでしょ?お別れだなんて大げさな―――」

 

また、夏休み終わりの1週間前位から会えるはずだ。

だって寧蒙は宿題を3日で終わらせようとするから。

それを無理やり勘助くん家に引っ張っていって、諸伏くんは笑って途中から合流するのだ。

それが、いつもだ。

 

「この夏から連絡が取れなくなる。

いずれ何かしらの方法で生存報告はするかもしれないが、電話やメール、手紙なんてのも送り返されるようになる。」

 

「何で、そんな…急に……」

 

長期休暇ごとに、実家の家業とやらのために連絡が取れなくなるのは、いつものことだった。

でも樹の口ぶりからは長期休暇後も連絡が取れなくなるのは必須のようである。

 

「そんなに、急じゃないんだ。

ずっと言おうと思ってた。

この間一緒に遊びに行ったとき、放課後の帰り道、葵にそのラップトップを渡したとき。

ずっと、言わなければと思ってた。

でも、言えなかった。

葵に嫌われて、傷つきたくなかった。」

 

臆病なんだと、まだ何も所感を伝えていないのに、傷ついた顔でネモは続ける。

 

 

「……私は人殺しだ。

今まで長期休暇の度に、人を殺していた。

私は人を殺したことがあるし、これからも人を殺す。

この夏も、私は人をたくさん殺して来る。

だから、お別れだ。」

 

小橋は息を飲む。

長期休暇の度に樹が傷を作って帰って来るのは知っていた。

でも、家業の関係でそう言う護身術的なものだと小橋達は認識していた。

 

「そんな…ねっ寧蒙ちゃんが、人殺しなわけないじゃん。

だって違うでしょ?

中学校の時も、私がクラスの人に反論したとき何も言わなかったし今まで、そんな素振りもなかった……

諸伏くんと喧嘩してても、大和くんと夫婦みたいな言い合いしてても殺さなかったし、仲良しだった。

違うでしょ、人殺しなんかじゃないでしょっ

寧蒙ちゃんは人を殺せない、ちょっと頭が良い、勉強を先取りできる、普通の女の子じゃんっ」

 

静かに花の名を囁く声に、葵は出そうになった言葉を飲み込む。

 

「訓練された人間は無闇に人を殺さないよ。

犯罪者は人を殺した手を友に差し出し、神に感謝を、恋人に愛をささやく。」

 

「ぐっ軍隊みたいなところに行くの?

アメリカの任務かな?

そうだよね、寧蒙ちゃんずっと向こうに居たんだもんね、国籍あっちだったんだよね?

寧蒙ちゃん流石だなー

頭が良いから米軍にまで話が行ったんだ!凄いや!」

 

小橋の見当外れと分かって尚、発した言葉に、ネモは首を振って答えた。

 

「葵、それは憧れで鏡像で、樹寧蒙()の一辺でもない。

嘘を、付いていたんだ。ほかでもない葵に。

だから、嘘がバレたから、ここでお別れ。」

 

「な、なにそれ?

此れからは猫を脱ぐの?

私気にしないよ、寧蒙ちゃんがどんな人でも。

私知ってるんだから、寧蒙ちゃんが優しいって、

だからっ私が、寧蒙ちゃんが大好きなことは変わらないんだからっ

だからそんなっお別れなんて……きゅっ急に……」

 

「そうだね。

猫を脱がなくちゃいけなくなった。

だから、

ふとした時に、幸せの絶頂で、辛くて死にたい時に、おばあちゃんになっても、死ぬ最後まで

葵の中でずーーーーっと私が傷になって、ずっと葵の中にいる私を見捨てられないようにするために。

一生私を忘れない呪いを、葵にかける。」

 

何を、と吐いた息が夏の日差しに炙られる。

じわじわと強い紫外線が小橋を焦がす。

何かいけないことを言おうとしてる。

それしか分からなかった。

だから寧蒙を止めるために手を伸ばして、

 

「ねもちゃ――」

 

すかと、何も掴めなかった。

樹が腕を、一歩を引いたから。

 

「好きだよ。

葵が好きだ。

諸伏がお前を慕うように、大和があの女の子を思うように、幼いお前が私に恋慕したように。

私はお前が好きだ。

愛してる。」

 

何処かの神様のような綺麗な顔で

短く切られたぬばたまの髪型に、寧蒙の制服が違和感と神聖さを発する。

いっとう綺麗に笑う頬に涙が伝って、汗で張り付いた前髪だけが唯一、寧蒙を人間足らしめていた。

 

「さよなら」

 

そう言って背を向けた寧蒙は蜃気楼に沈んでいった。

 

 

 

―――

 

夏の暑くて寝苦しい日

そんな日に決まってあの夢を見る。

 

小橋が、幼い頃の思い出から物書きを目指して幾年も経た。

学生時から出版に漕ぎ着けた関係で、旧友の諸伏高明と大和勘助と共に二十歳を過ぎた辺りに成人と出版のお祝いで、共に飲み交わした酒の席

 

『小説を書いて出版したら、いつか寧蒙ちゃんの手に届くかもしれない』

 

ポロリと出てしまった欲は本心だったし、実は二人(主に諸伏)に聞かせる予定がなかった事だった。

なにせ樹と諸伏は利害の一致がなければあまり仲がいいとは言えず、小橋の『あわよくば樹に誉めて欲しい』という欲はそれを助長させるだけだったからだ。

小橋は例えそれが夢物語であっても、大好きな友人二人が仲良くしてくれることを一応望んでいた。

 

 

寝苦しく起き上がった小橋は、体を巻き込んで締め付けるブランケットを引っ剥がし、ベットから足だけを投げ出して涼を探す。

枕元にあった団扇で首元を仰ぐが、湿度の高い暑さのせいで、汗が全然乾かない。

人が住むインフラが整っているのは、どうしても高山地帯から降りた盆地になってしまう。

低地よりはマシだが、森中と言えど盆地は湿気がよく溜まるのだ。

 

 

あの言葉は樹の思惑どおり、ずっと呪いのように小橋について回った。

その年の終わりに諸伏と別れたときも、初めて本を出版するときも、大和達と会うときも、現在の夫である明石周作と付き合い始めたときも、結婚をするときも、旅行雑誌を見てる時も、美味しいご飯を食べた時も、つまらない映画を見た時も、ふと幸せの絶頂で、不幸のどん底で、なんでもない日々に、病める時も健やかなる時も、ずっと樹の言葉がリフレインする。

 

小橋はあの日樹に言われた言葉で、なぜ諸伏と樹があんなに合わないのかの一片を、やっと察することが出来た。

恋愛事情に疎いはずの大和の、『同族嫌悪を拗らせている』という表現は正中線ど真ん中だったというわけだ。

思えば、樹が両親を亡くした諸伏に色々手を回してくれていたのは、小橋が諸伏を気にかけていると吐露したからで、樹がそれ以外で小橋の恋模様に応援の態度を見せたかと言うと些か頷け無かった。

 

諸伏の数々の愚痴を聞けばいくらでもそれは補強されるだろう。

小橋へのプレゼント選び中に、ものの数秒でゲーセンに消え(大和と共に白熱したレースを開催して人だかりが出来ていた)

デートコースの相談を最近読んだ論文への感想(文句)で潰され(悔しいことに結構面白かった)

8末のお祭りや初詣等イベントが寧蒙の宿題処理に追われ(途中に挟まる愚痴のような豆知識が休み明けテストに出た)

小橋は、なんやかんや仲良しじゃんと思っていたが、流石に付き合った報告が「へぇ。」で終わったのは冷めすぎてる。

さもありなん。

※その全てに付き合わされている大和を思えば、諸伏の愚痴の数々など微々たる物である事を、ここに明記しておく。

 

 

流石に汗が止まらない。

まだ7月上旬なのにエアコンを付けたほうが良いだろうと、小橋は寝室の窓を締めた後エアコンのスイッチを入れ、一時の涼を取るためにキッチンで水を飲む。

 

3年前に小橋と共に籍を入れた明石周作は仕事のために、ここの所アトリエにこもりっきりだ。

お互いに仕事に誇りを持っており、小橋自身も締切近くは部屋にこもるので、特別というわけでもなく、いつものことだ。

結婚する前に出版してしまったので、籍を入れた当初はペンネームを変更をするか悩んだが、やはり『小説を書いて出版したら、いつか寧蒙ちゃんの手に届くかもしれない』という策を手放すのは惜しかった。

 

小橋は、あんな別れ方をしたので、もう寧蒙からの連絡は来ないだろうと思っていた。

そして案の定、大和を介しての生存報告に、思わず絶対最後までついて行ってやると心を決めてしまう位には連絡は来ていない。

あれから10年ほど経っているので、そろそろ連絡があっても可笑しくないのだが、大和にも諸伏にも連絡は来ていないようだった。

 

小橋は飲んだコップをそのままに、暑さが和らいで伸し掛ってきた眠気に従うことにする。

 

温暖化が進んで年々暑くなるばかりの避暑地と言えないこの館には、あの青春の記憶は一片もない。

実家に全て置いてきたとも言う。

実家に帰る度に片付けなさいと言われていたが、沢山の思い出が詰まった(を押し込んだ)部屋に手を付けるのは、まだ辛く苦しく、心理的に難しかった。

父親が心臓病で亡くなってまもなく、母親も亡くなってからは、実家は本当に手付かずになってしまったので、そろそろ掃除をしなければなとは思っている。

遺伝的な関係で自分もいつか心臓の病気で亡くなることは分かっているので、実家を売り出すことも考えていたが、寧蒙の連絡が実家に来る可能性がある限りそれは難しかった。

 

いつも、大事な決断の裏に樹がいることに、小橋は気づいていた。

本当に呪いだ。

 

自嘲気味に息を吐くと、小橋はぬるくなった空気のなか眠りにつくことにした。

 

―――――――

 

<樹さんから、連絡は来ましたか?>

 

<なにも、そっちは?>

 

<こちらも音沙汰なしです。>

 

<また東都に行った時は連絡するわね>

 

<弟にも何か事情があることは認識しているので、そう無理に探さなくても大丈夫ですよ。

そういえば新作読みました。

途中から年齢や性別を忘れて読んでしまうぐらいには沁みるような、初々しい心の歩み寄りで……

こういう小説はいくつか読みましたが、郡を抜いて素敵な話でした。

きっとお仕事の方が忙しくなると思うので、そちらに専念してください。>

 

<新刊読んでくれたの?! ありがとう!

ちょっと人好きのする作品だから賛否両論あるだろうけど、諸伏くんに素敵と言われると嬉しさも一入(ひとしお)ね。

弟さん心配する気持ちはネモちゃんで十分わかるわ。

こちらも序だし、気にしないで。>

 

<ありがとうございます。>

 

―――――

<新作読んだ。児童小説じゃねぇだろありゃ。>

 

<えへ。やっぱり? でもいい話でしょ?>

 

<クソ悔しいことに泣いた。>

 

<え?!大和くんが泣いた?!

洗濯物取り込まなきゃ!!>

 

<槍も雪も雨も降らねぇよ!!

俺はコーメーのより今回のが好きだな。>

 

<大学の時から書いてたからだいぶ嬉しい。

ありがとう。>

 

<また新作出たら教えてくれ。>

 

<勿論。楽しみに待ってて!>

 

―――

 

朝、スッキリと起きられた気がする。

小橋は夜中の蒸し暑さを忘れたカラリとした空気に安堵の息を吐いた。

今日は暑くなりそうだ。

 

昨日の夕立でこもった湿気が、カラリとした風にさらわれていく。

洗濯日和のため、アトリエにこもっている夫に声をかけ洗濯物を集める。

 

つい半年前に書き終えた小説は、児童小説ながら同性愛を扱っている。

昨今の、性自認に対してオープンになりつつある情勢に乗った形になったが、児童書として出すのには出版社内でも賛否両論があった。

『児童が読むにはまだ早いのではないか』という声と、『一番悩む時期だからこそ良いのではないか』という種種雑多していたが、最終的に出版できるのなら、小橋にとってはどうでも良かった。

なにせこれは”樹寧蒙”に当てたラブレターだったのだから。

 

『ネモちゃんに届けば良い。』ただ、その一心で大学時代から推敲に推敲を重ね書き上げた。

小橋は、あの日の返事を出来なければ、樹に手紙も送ることも出来ない。

忘れるなと、呪いのように生存だけが確認できる状態になっている現状、小橋はもう、

樹にはこのまま一生会えないだろうという確信があった。

 

だから大和と自称叔父の話を聞いたあの日、返事を書こうと思った。

小橋の名で出版し、樹が手に取った時気付けるように、あの夏休みの思い出を綴った。

世界で一番幸せだった思い出を。

 

どれだけ嬉しくて、悲しくて、楽しくて、辛くて、幸せだったか。

例え、樹が最初から女の子だったと知っていても、その記憶に遜色はなく、ずっと色鮮やかな初恋だったろう。

そして今も、ずっと大切だと伝えられれば十分だった。

 

小橋は自分の心臓のリミットを察していた。

父親の享年はとっくに過ぎ、母親の享年が近い。

もう、長くはないだろう。ここが限界だ。

 

あの本は、読者でも、恩師でも、友達でも、大和くんでも、諸伏くんでもなく、樹寧蒙に読んで欲しかった。

あわよくば、あの類まれなる頭脳を使って、目一杯言葉を使って褒めて欲しかった。

もう一度、好きと言って欲しかった。

 

悔しい

 

こんなに好きなのに。

こんなに愛しているのに。

伝える手段はこれしか無い。

 

ねもちゃんに会いたい

 

あの日、無理矢理にでも引き止めればよかった。

傷ついた顔を見て躊躇してしまった。

これ以上樹を傷つけたくなかった。

 

面と向かって伝えたかった

 

表情を見て、その人形のような(かんばせ)を綻ばせる様を、一番近くで、真ん前で見たかった。

樹とやりたかった事ばかりが増えていく。

旅行だって、食べ比べだって、ショッピングも、映画も、新刊も、全部共有したかった。

幸せの絶頂で、不幸のどん底で、なんでもない日々に、病める時も健やかなる時も

ずっと一緒が良かった。

 

 

 

 

 

氏名:小橋葵(女性)

希望の館と呼ばれる館に住む小説家

自宅(希望の館)倉庫にて死亡。

半日後(--:--頃)、明石周作(夫)により遺体を発見される。

当時夫はアトリエにて作業中で、妻(小橋葵)が倒れたことに気づかなかったと証言。

既往歴あり、両親共に心臓に病を持ち、自宅より両親の診断書も発見された。(※添付2)

小橋葵のかかりつけ医よりカルテの写し回収済み。(※添付1)

検死結果:心臓発作

死亡推定時刻:(--:--)

*1
現行は2024年より1年に改正。




時系列順にすると獣→葵藿→嵐
ただ、時系列順で読んでも何もご褒美はないし、話がよくわからなくなる可能性が大きい。
それぞれ原作より(-13)→(-3)→(-2)年の計算。
間違ってたらすまん。

光くんの話が読みたいか

  • ”力”が欲しい
  • 過ぎたる”力”はいらない
  • ショタハスハス
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