浅葱の影   作:CATARINA

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時系列戻し……


秋無出雲という男

 少しばかり時を戻そう。

 秋無(あきなし)出雲(いずも)という男が生まれたのは天保十年、冬のいつか。

 後に天保の大飢饉と呼ばれる災禍。明日食うものもなく、赤子など到底育てられぬ____

 かくして、生まれて間もなく年の瀬。

 京の路地に独り打ち捨てられていた。

 

 赤子は冬の寒きにみるみる衰弱していき、僅かにか細く泣くばかり。

 なれど誰一人助けはせぬ。

 誰もそのような余裕はなく、関わることもしなかった。

 ふぎゃあとひと声最後に泣けば身体は硬直し、そのまま動かなくなれば。

 息を引き取る刹那、偶然通りかかった夫妻がいた。

 名を秋無大五郎、京の豪商である。

 

 京でも有数の大商人である秋無家には、然し跡継ぎとなる子が生まれなかった。

 ほとほと困り果てた夫妻は子宝祈願に出雲の大社へと参り、遠く旅路から帰りついた時。

 夫の大五郎は微かな赤子の声を聞き取ったのだった。

 凍える赤子を哀れみ、迅速かつ丁寧に家に連れ帰った大五郎。

 生来の生命力もあってか間もなくして回復した赤子を『まさに出雲ノ神のお恵みだ!』と喜んだ夫妻はこの子を養子とする。名の由来は言うまでもなかろう。

 二年後、秋無家には待望の実子……それも男子……が生まれるも、父母の情け深さは揺らぐ事なし。

 実子と養子に分け隔てなく……兄弟もまた、血の繋がりなど感じぬように共に育った。

 

 兄弟どちらが実家を継ぐにせよ、もう片方には十分な金子と暖簾分けを許すつもりで。

 弟もまた、歳上の兄こそが継ぐべきだとさえ思っていた。

 しかし出雲はこれを拒み、若干十四にして独立。

 海千山千、老獪な商人たちとの苛烈な競争に身を投じる事となる。

 手記に曰く『父母からは身に余る程全てを与えられん。故、我が身一つで立身出世を志さん』

 出雲の父母への情は深く。この時代は誰しも幼名から改め、成人した後に役職や地位で名を変える事は珍しくもない事であったが、彼はその生涯『出雲』の名を使い続けたとされる。

 そこから数年、二十を過ぎた頃には一帯の顔役となるまで成長。

 体格も人数倍恵まれ、一説には七尺近い巨漢とされる。

 このまま商人として生活していたなら、一介の大商人として名を残したろうが……

 

 

 

 歴史が動くのはさらに先。

 時は流れ文久三年____

 秋無出雲、二十三の歳である。

 


 

 ……………………………

 

 暇だ。

 いや、仕事は忙しいんだが。

 今日も今日とて奉公人らを指揮して御用聞き。

 店頭に訪れるお客様に愛想笑いを浮かべながら商談。

 北は蝦夷地南は琉球国、果ては南蛮の品まで。

 何でも取り揃えるのが我が問屋春夏冬亭だ。

 

 しかしまぁ、なんというか。

 商売というのは初動が全て。

 流れに乗る為に騙し騙され時に抗争、客を奪い合い立地を確保……

 そういった派手な仕事さえ乗り切れば案外安定したものだ。

 問屋の業績は右肩上がり。最初期から苦楽を共にした奉公人の左衛門、と言っても歳はそこまで変わらないが……を早々に番頭に格上げしたのが最近。恐らく京で最も歳若い番頭じゃないか?

 顔中の穴という穴から液体を垂れ流して感謝するので少しばかり引いたが……

 これまで以上に精力的に働いてくれてるし、俺にしか出来ない仕事というのもほぼない。

 そういやずっと好き合ってた娘が居たんだっけ?そりゃ何より、さっさと祝言挙げちまいな。

 

 そんな話を実家でしたのが間違いだったというか。

 やれ嫁は取らないのか、孫が見れるのは何時になるのか。

 やいのやいのと父母から突っ掛けられてしまった。

 游雲の二人目が生まれたばかりでしょうが。

 あんな可愛い甥っ子と姪っ子で満足出来ないかね?

 

 いやまぁ、自分らが苦労した分過度に世話焼きなのかもしれないが。

 今のとこそこまで興が乗らないというか。

 贅沢な話と笑えば良い、女体よりも今は仕事をしたい感じなのだ。

 ただその仕事も一つの区切りを迎え、段々と将来像が……

 このまま働き続けた未来が見えてきたところで、少しばかり疲れてきた。

 情熱というべきか?そういったモノが若干ながら薄れてつつある。

 独立したばかりの頃のギラギラした、油断したら相手を喰ろうてやろうといった熱。

 そういった()()を感じない。

 ここらで一つ何か画期的な事業でも始めて取り戻せないモノか。

 灰になったようなこの心身では、嫁とか子とか自分の事にまで思考が届かないのだ。

 

「兄貴! 兄貴ィ!!!」

「どうしたよ正吉、また弥彦が財布を落としたか。それとも太一が喧嘩でもしたか?」

「違ぇけど大変なんだ!向こうの辻で若い芸者さんが浪人どもに絡まれてて……」

「同心に連絡はしたか?」

「太一の奴が行ったよ!でもここまで来るのはいつになるやら……」

 

 奉行所まで距離はそこまでないが、奴らの動き出しは遅い。

 咎めるつもりはないが、ここら一帯の同心らは昼行灯ばかりなのだ。

 

「仕方あるまい、正吉案内しろ。この街で好き勝手されちゃ俺が舐められる」

「分かった!こっちで!」

「おう、悪いが店番頼むぞ左衛門」

「……お気をつけて」

 

 佐吉に急かされながらいつもの鉄下駄を履く。

 酔狂で婆娑羅な品だがこれが案外役に立つ。

 幾度となくこれでやくざ者の顔を踏み砕いたモンだ。

 

 

 

「止めときなアンタら」

「何だァテメェ? 人の恋路を邪魔すんな」

「無理やり引っ立てる恋路ねぇ……随分怯えてるように見えるけど?」

 

 何か居る。

 身の丈は……七……いや八尺くらいか?

 俺も俺で商人会の店主じゃ一番大柄だけど、最早人なのかすら危ういぞ。

 長崎なんかから来た異人らは結構デカいがそれにしても……。

 そして何より気になるのは背にした大太刀。

 太刀でも、打刀でもない。戦場でだけ見られた巨大な刀剣。

 合戦でもあるまいに、あんな馬鹿でかい刃物を持ち歩く奴は絶対ヤバい。

 下手したらこの場でずんばらりだ、この馬鹿は何故それに気付かない?

 ……しまった気が散った、止めねば。

 

「おうおう、その辺にしときな。」

「ッ……! テメェは秋無の……!」

「お前さん、銀狼親分のとこのガキだろ。見た顔だ、俺ァ人の顔は忘れん性分でな」

「テメェのせいで俺ァ……! 俺ァ破門に……! 指まで……!」

 

 そりゃ自業自得だろ。

 親分とウチは不可侵の取り決めをしてたのに若いの引き連れてウチの店襲ったよな?

 偶然俺と左衛門が揃って見回ってたから返り討ちにすんのは容易かったけど。

 そんでボロ負けして、俺がチクったから部下共々破門。

 更に責任を取らされて指まで落とされたか。

 

「なぁ、一つ聞いて良いか。小指無くなると力が入らなくなるたァ良く聞くが、尻を拭う時もやっぱり持てないのか?そんで昔の部下どもに舐めさせてるってのは本当(マジ)?」

「殺す!」

 

 男は短刀を抜き、此方に突進してくる。

 それを見た野武士も大太刀をぞっと抜こうとしているがそれはまずい。

 辻斬りなど珍しくもないが、日中の往来でそりゃ困る。

 お侍に喧嘩の作法を教えてやろう。

 

 前のめりに両手でドスを握り締め猛進する。

 突き刺さった際に体重で強く押し込める、合理的な構えだと言えるだろう。

 とはいえ、あまりに遅く。そして身の丈は低過ぎた。

 一尺を超える身長差、それはどういう事か。

 視点が違う、腕の長さが違う、脚の長さが違う。

 それは技量を必要とせぬ喧嘩に於いて圧倒的な力の差となる。

 狙うはドスを持つその手。

 

 力任せに蹴り上げて手首を砕き、刃を空へ跳ね飛ばす。

 これだけで最早武器は持てず、無力化はしてるといえるが……

 下手に禍根を残しても面倒だ、馬鹿は後先考えん、店に火でも放たれたら大事だろ?

 確実に、徹底的に心を折り二度と逆らえないようにする。

 それがこの街で生き残る為の術だ。

 

 天高く蹴り上げた脚を翻し、垂直に落とす。

 蹴り上げる時は下駄に当てた、しかし殺す気はない。

 一旦下駄だけを下に落とし、素の踵を脳天に打ち込む。

 

 衝撃に脳揺れ、意識が飛ぶ。

 運が良ければその内起き上がるだろ、運が悪けりゃかもしれねぇけど。

 暴力だけでのし上がって来た男が力を奪われ、更なる暴力で捻じ伏せられる。

 哀れだな、仮に目を覚ましても最早正気では居られまい。

 俺の知ったことではないが。

 

 ドスッ……

 打ち上がった短刀が肩に突き刺さる、ぎゃああ。

 どうも俺は変なとこで運が悪い……締まりが悪くなってしまった。

 痛ぇ……とはいえそこそこの品だ、小銭にはなるか?

 

 

「悪いね娘さん、お稽古に行く途中かい?」

「え……あ、はい!」

「そりゃ殊勝なこった。詫びにゃ少ないがこれで美味しいモンでも食いな。」

 

 銭袋から二朱銀を取り出し、困惑する娘に持たせる。

 ドスよりも全然高いが致し方ない。

 傷付いた娘っ子を放ったとなりゃ此方の面子がない。

 商人とは見栄なのだ。

 

 恐縮する芸者さんに無理やり持たせて送り出す。

 真面目に励む人間は大好きだ、頑張ってな。

 

「そこなお侍さんも助かった、お陰で誰も傷つかず済んだよ」

「……アンタは?」

「俺か?姓は秋無、名は出雲。ここら一帯でちょいと商売をしてる者さ」

「なるほど、強いね。商人とは思えない」

 

 ……さっきまでは後ろ姿しか見てなかったから気付かなかったが、コイツ女か。

 声も低く、身の丈はデカく武器は厳つい。

 その上しっかり男装までして……不躾だがサラシで潰し切れていない胸を見てようやく気付いた。

 

「お侍には負けるさ、刀など振った事もないしな。しかしアンタ女か?」

「………それが何か?」

「いやさ、気を悪くしたなら詫びる。とはいえちと珍しくはあるんでな」

「女でも情けない木っ端よりはずっと腕は立つさ、アレみたいなね」

「言えてる。ウチも親父は他所にゃ亭主関白。家長として家の実権握ってますーなーんてツラしてやがるが、その実家内じゃカカア天下で平伏すばかり。天子様将軍様御母様、その気になりゃ男は女子にゃ適わん」

「何だい、随分と話が分かるじゃないか。私は中澤琴、江戸から来た浪士組の一人さ」

 

 浪士組?

 話を聞けば彼女らはかの十四代将軍家茂様のご上洛が為に募った浪人集団で。

 その為にわざわざ江戸から遥々行軍してきたというワケだ。

 

「まぁ道中色々あって大変だったけどね……」

「距離が距離、致し方あるまい」

「途中で宿取り忘れちゃってさ、それに怒った奴が道のど真ん中に火を放ったり」

「本当に何やってんだそりゃ……」

「まぁともかく、アンタ商人だろう?アタシらも京都には来たばかりで何かと入り用なんだ」

「ふむ……商機としちゃ悪かない」

 

 悪くない。なんなら良い機会だ。

 ここ京都は天子様のお膝元、故に江戸の内府との関係は薄い。

 三代将軍家光様以来、将軍による上洛という文化が途絶えて久しいからだが……

 ここで少しでも幕府との繋がりが出来れば儲けもの。

 将来的には京都を起点に長崎、神戸、江戸、蝦夷辺りに支店を作るのが夢なのだ。

 足がかりが見えずにいたが急に降って湧くとは。

 

「それにアンタくらい腕っぷしがあるなら浪士組に入るのも悪くないんじゃないか?」

「俺がか? 何故?」

「如何せん人手が足りないしね」

「冗談キツいぜ、俺ァ侍のように刀で人を斬るなんざ無理だ」

「でもアンタ、まだ何か隠してるだろ?」

「………何の話?」

「幾ら情けなくとも刃物を構えた相手に肝が据わり過ぎさね、それに同心を呼ぶでもなくわざわざ店主が揉め事に割って入るんだ……確実に無力化出来る算段が何かあった、違うかい?」

 

 うお、すげぇ観察眼。

 良い目利きになるよアンタ、めちゃくちゃバレてる。

 

「それはまぁ、慣れって事よ。ここらは治安が悪くてなぁ」

「それはそうさね……いつもなのかい?」

「ここまでじゃあない、ご上洛が広まってから尚更にな」

 

 何だったか、尊皇攘夷……?

 政権を天子様に戻し、国の実権をお江戸から京に移す。

 長らく続いた徳川家の支配を崩し、国の不安を取り除く…

 その為に活動する憂国の士というのが攘夷志士という奴だ。

 ()()憂国の士だなありゃ。

 

 実際やってる事は治安を悪化させているだけだからな……

 天誅と称して役人や同心を切り捨てる、だけならまだしも。

 攘夷活動の資金と称して商家から金子を奪ったり、断れば切ったり。

 やってる事が押し入り強盗と大差ない、しかも畜生働きする方の。

 

 身を守る為もあり左衛門の奴はいつからか見知らぬ拳法など身に付けてきた。

 曰く南に遙か琉球、起源を辿れば唐の国から伝わった拳法だとか。

 なので左衛門は強い。喧嘩殺法の俺と違い地に足ついた強さがある。

 まぁ左衛門が本格的に不逞浪士と戦う為に自警団作る!とか言ったら張り倒すが。

 想い人がいるのに命を粗末にするんじゃないよ。

 

「まぁそれはそれとして商人としてなら、顔を出さんでもない」

「そりゃ良い。浪士組の皆は今、壬生村に滞在して暇を潰してる筈さ。いつでも来な」

「壬生か……」

 

 距離もここから遠くない、運が回ってきたか。

 

「そんじゃ出会いを記念して、飲みに行こう! 良い店くらい知ってるだろう?」

「持ち合わせはあるのか?」

「無い! 情報料って事で、ここは一つ」

 

 気の良い奴だな……全く……

 

 

 

 

 この後二人して潰れるまで飲んだ。

 気付いたら家の土間で重なるように潰れてた。

 そして泥酔する琴を続いて起こしたら寝起きに吐瀉物をぶち撒けられた、最悪。

 




今作のオリキャラ、中澤琴。
理由はデカい女を出したかったからです、我が生涯に一片の悔い無し。
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