サンチョさんを見送り、山を越え、谷を抜け、いくつもの夜を越えて――ボクたちは、ついに辿り着いた。
リュカの故郷、グランバニア。
高くそびえる城壁が遠くからでも見える。その威容は、山の国と呼ばれるにふさわしいものだった。岩山と一体化するように築かれた城は、まるで大地そのものが王を守っているかのようだ。
城門を開門した兵士たち……彼らの顔にも喜びがあふれていた。城下町は城門の中にある。城下町の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ざわめき。どよめき。
そして――確信に満ちた声。
「……パパス様?」
誰かが、そう呟いた。
次の瞬間だった。
「パパス様だ!!」
「我らの王様が帰ってこられたぞ!!」
「生きておられた!!」
「お妃さまは!? マーサ様はどこに!?」
声は連鎖するように広がり、街全体が揺れる。窓という窓が開き、人々が雪崩のように道へと溢れ出してきた。老人も、若者も、子どもも。誰もが同じ名前を叫んでいる。
――パパス。
それは、グランバニアにとって「王」の名だった。
(……すごい)
ボクは思わず、息を呑んだ。
長い年月、不在だった王。国を捨てた、と陰で言われてもおかしくない存在。それでもなお、これほどまでに民の心に残り続けていたなんて。
その中心にいるパパスさんは、少し困ったように、けれどどこか懐かしそうに、街を見渡していた。
そして――。
「……父さん、王様だったの!?」
リュカの声が、少し遅れて響いた。
驚きで目を丸くし、完全に思考が追いついていない顔だ。無理もない。つい昨日まで、一緒に山を登り、野営をし、剣の稽古をしていた父親が、突然「国王」だと知らされたのだから。
「マジかよ……」
ヘンリーが呆然とした声を漏らす。
「いや、パパスさんが王様って言われたら……納得しかしないけどよ……。だから父上と、あんなに仲良かったのか……」
「パパスさんが、王様……?」
ビアンカも、目を見開いたまま呟いた。
「パパス、友達に黙ってるのは無しだろう」
マグダレーナさんの声には、呆れと優しさが混じっていた。
リュカを含め、全員が一斉にパパスさんへと視線を向ける。その視線を受けて、パパスさんは頭の後ろを掻きながら、苦笑した。
「……すまんな」
その一言が、すべてを物語っていた。
そんな中で、不思議と落ち着いていたのが――スラリンたちだった。
「ということは……」
スラリンが、ぴょこんと跳ねながら言う。
「リュカって、王子様なの?」
「そうにゃっ!」
プックルが、なぜか誇らしげに鳴いた。
ドラきちは空でくるりと回りながら、「すごいすごい!」と騒いでいる。
パパスさんは、もう一度苦笑を漏らした。
「まさかな……国を、民を捨てた私が、ここまで歓迎されるとは思ってはいなかったが……」
その声には、驚きと、そしてほんの少しの後悔が滲んでいた。
――その時。
「道をお開けください!!」
聞き慣れた、よく通る声が人波を割った。
「お帰りなさいませ、旦那様! ――いえ、国王陛下!!」
サンチョさんだった。
胸を張り、深く頭を下げる。
「オジロン殿下たちが、城でお待ちです!!」
その瞬間、民衆の歓声は最高潮に達した。
パパスさんは、剣を手に取り、高く掲げる。そして――民に向けて一歩踏み出した。
「皆の者!!」
その声は、驚くほどよく通った。
ざわめきが、少しずつ、確実に静まっていく。
「まずは、感謝する!!」
パパスさんは、まっすぐに民を見つめて言った。
「私は、お前たち国民よりも――妻マーサを探す道を選んだ! そのことに、後悔はない!!」
はっきりとした宣言だった。
「だからこそ……ここまで歓迎されるとは、思ってもみなかった!! 心から、感謝する!!」
「俺たちに、パパス様以上の王様はいません!!」
誰かの叫びが、また歓声を呼ぶ。
「ありがとう!!」
パパスさんは続けた。
「だが私は、まだ旅の途中だ!! 妻を見つけることも、できていない!!」
一瞬、静寂が落ちる。
「だが――大きな手掛かりを得た!!」
その言葉に、民の目が輝く。
「私が王座に戻るのは、妻マーサを取り戻した時になるだろう!! それまで……待っていてくれるか!!」
答えは、最初から決まっていた。割れんばかりの歓声。否定の声など、どこにもない。誰もが、王の選択を受け入れていた。それ以上に、王妃を取り戻すことを、心から願っていた。
「パパス様!!」
誰かが叫ぶ。
「王子様を、見せてください!!」
「ああ、分かった!!」
そう言って、パパスさんは――リュカを抱き上げた。
「えっ!?」
突然のことで、リュカは目を白黒させる。それでも、逃げることはなかった。
「私とマーサの息子、リュカだ!!」
高らかに、宣言する。
「リュカは、正しくマーサの血を継いでいる!! モンスターすら仲間にできる……まるでマーサのように!!」
ボクの胸が、きゅっと締めつけられた。
「お前たちは……そんなリュカを、受け入れてくれるか!?」
答えは、言葉ではなく――歓声だった。
「リュカ様万歳!!」
「お世継ぎ様万歳!!」
「王子様!!」
無数の声が、リュカを包み込む。
リュカは、少し恥ずかしそうにしながらも――背筋を伸ばし、胸を張っていた。
(……ああ)
きっと、思っているんだ。父さんに恥じない自分でいたい。その想いが、幼い背中から、はっきりと伝わってきた。
ボクは、その姿を見つめながら、心の中でそっと誓う。
(大丈夫だよ、リュカ。君は、ちゃんと――王子様だ)
そして、その旅を、ボクは最後まで見届ける。
そう、強く思っていた。
☆ ☆ ☆
リュカを先頭に、子どもたちとマグダレーナさん、そしてスラリンたちは、城内の見学へと向かっていった。長い旅路の果てに辿り着いた巨大な城は、どこを切り取っても目新しく、きらきらとした好奇心を刺激するのだろう。
高い天井。壁一面に描かれた歴代王の肖像画。石造りの回廊に響く足音。スラリンが跳ねるたびに、ぴちゃりと軽い音が反響していた。
その背中を見送りながら、ボクは一歩引いた位置に留まった。
――引き止められたのだ。
「ホイミン、少し……付き合ってくれ」
パパスさんの声は低く、けれどどこか迷いを含んでいた。これから話されるのが、軽い世間話でないことは、声色だけで分かった。
案内されたのは、玉座の間の奥。普段は重臣たちが集う執務室だった。重厚な木製の扉が閉まると、城の喧騒は遠のき、空気が一変する。
しばらくして、扉が再び開かれた。
「兄上!!」
感極まったような声とともに現れたのは、オジロンさんだった。礼服に身を包み、王族の威厳を纏いながらも、その顔には純粋な安堵と喜びが浮かんでいる。
「よくぞご無事でご帰還されました! オジロンは……オジロンは、嬉しゅうございます!!」
深く、深く頭を下げるその姿に、ボクは胸の奥がじんと熱くなった。
「留守の間、迷惑をかけたな、オジロン」
パパスさんはそう言って、ゆっくりと歩み寄った。
「本当です……。あまりにも玉座の不在が続いたもので、私に王座に座れと進言する者も多く……」
苦笑交じりの言葉だったが、その裏にどれほどの重圧があったかは、想像に難くない。
「オジロン様」
一歩前に出たのは、大臣の一人だった。
「これだけの年月、国王陛下が帰還されなかったのです。そうした声が上がるのも、仕方のないことかと」
「……ああ」
パパスさんは短く頷いた。
「大臣の言うとおりだ。悪いのは、私だ」
その言葉に、室内の空気が張り詰める。
「今まで国を支えてくれたこと、心から感謝する」
そう言って――パパスさんは、頭を下げた。王が、臣下に。それは、決して軽い意味を持たない行為だった。
「へ、陛下!!」
「どうか頭をお上げください!!」
オジロンさんも、大臣も、慌てて制止する。
「我々は臣下として、当然のことをしたまでです!!」
「いや……」
パパスさんは静かに言った。
「これから先の話題に触れるためにも、この謝罪は必要だ。どうか……受け入れてくれ」
その言葉には、王としてではなく、一人の男としての覚悟が込められていた。数秒の沈黙のあと、オジロンさんはゆっくりと頷いた。
「……確かに、謝罪を受け取りました」
大臣たちも同意するように頷く。そして――視線が、パパスさんに戻った。
「私は、これから天空城へ向かおうと思っている」
その一言で、空気が変わった。
「マスタードラゴンに、マーサを取り戻す協力を……直訴するために」
「な、何ですと!?」
大臣の一人が思わず声を上げる。
「しかし……天空城へは、どのように向かわれるおつもりで?」
その問いに、パパスさんは、ちらりとボクを見た。
「そこにいるホイミンはな……」
突然話題にされ、ボクは背筋を伸ばした。
「先の時代、勇者とともに戦った、心優しきモンスターだ」
……やっぱり、少し恥ずかしい。
「実力もある。剣だけで戦っても……今の私でも、敵わん」
「……兄上が、ですか?」
オジロンさんの目が、見開かれる。
「さらに、ラインハットの国王と王子、私やリュカの暗殺を――たった一人で阻止してみせた。数百近いモンスターを相手にな」
室内が、完全に静まり返った。視線が、ボクに集中する。
(う、うわぁ……)
思わず、身体が小さくなる。自分では「やるべきことをやった」だけなのに、こうして語られると、どうにも居心地が悪い。
「……なんという……」
誰かが、息を呑む音が聞こえた。
「それでだ」
パパスさんは話を続ける。
「リュカを、マーサの生まれ故郷に預けるつもりだ。そして私とホイミンの二人で、天空城へ向かう」
その言葉に、兵士長が一歩前へ出た。
「……グランバニアで、お守りするという選択肢は?」
確かに、それも一つの答えだった。ボクも、心の中で同じことを考えていた。
「いや……」
パパスさんは首を横に振った。
「できれば、リュカに……マーサの生まれ故郷を知ってもらいたい」
その声は、父のものだった。
「迷惑をかけるのは承知している。それでも……頼めないか?」
重臣たちが、互いに視線を交わす。言葉はないが、確かな意思疎通が行われているのが分かった。
やがて、大臣が一歩前へ。
「……承知しました」
静かだが、はっきりとした声だった。
「ただし、殿下には帝王学を学んでいただきます。そのための教育係を、サンチョ殿とは別にお付けいたします」
「……頼む」
短く、それでも深く頷くパパスさん。こうして――グランバニアでの、大きな方針は決まった。
王として。父として。そして――世界に挑む者として。ボクは、その場に立ちながら、胸の奥で静かに思った。
(……この旅は、きっと……誰かを守るための、旅なんだ)
それが、誰であれ。
☆ ☆ ☆
「それでだ、ホイミン。お前に会わせたい人がいる」
パパスさんがそう切り出したとき、ボクは城の回廊の窓からグランバニアの街を見下ろしていた。高台に築かれたこの城からは、石造りの家々と、忙しなく行き交う人々の姿が一望できる。王の帰還を祝う空気はまだ街全体に満ちていて、遠くからも笑い声や音楽が微かに届いてきた。
「ボクの知り合い? この辺りに誰かいたかな?」
首をかしげながら振り返る。正直なところ、グランバニアに知り合いがいるとは思えなかった。ボクの知っている人間は、旅の途中で出会った者たちか、遠い過去――勇者ソロ様、勇者レック様、彼らとともに戦った仲間たちや古い友人たちだけだ。
「会ってみれば分かるはずだ」
そう言って、パパスさんは踵を返した。その背中には王としての威厳と、父としての苦悩が同居している。ボクはその後を、少しだけ胸騒ぎを覚えながら追った。
案内されたのは、城の奥まった静かな一角だった。人の気配が少なく、壁には古い壁画が描かれている。天空城や竜を思わせる図柄があり、思わず足を止めそうになる。
パパスさんが一室の前で立ち止まり、扉をノックした。
コン、コン。
間を置かずに、落ち着いた声が返ってくる。
「どうぞ」
「失礼する」
扉が開かれた瞬間、部屋の空気が一変したように感じた。柔らかい光に包まれた室内には、どこか人間とは異なる雰囲気をまとった人物が立っていた。背は高く、衣服は簡素だが、その布地は見たこともないほど滑らかで、淡く光を反射している。そして背中に翼が生えていた。
「これはパパスさん! 声が聞こえてましたけど、本当に帰ってこられたんです……!?」
その声を聞いた瞬間、ボクの中で何かが確かにつながった。
――天空人だ。
はっきりとした確信があった。話したことはない。でも、覚えている。天空城の回廊の片隅で、勇者ソロを見送っていたあの姿。高みから地上を見つめる、どこか孤独そうな瞳。
そして、その天空人も、ボクを見て言葉を失っていた。
「……まさか……」
視線が交差する。懐かしさと戸惑い、そして驚きが入り混じった沈黙。
「あなたは……勇者ソロと一緒に大魔王に立ち向かったホイミスライム、ホイミン」
「……覚えててくれたんだ」
思わず、そんな言葉がこぼれた。名を呼ばれることが、こんなにも重く、温かいとは思わなかった。
「パパスさん? 天空人を保護していたの?」
「ああ。すまんな。だが私はこの天空人に聞きたいことがある。無駄足にならないようにな」
その言葉に、胸が少しだけ締めつけられる。無駄足――それはつまり、天空城へ向かう覚悟がすでに固まっているということだ。
「無駄足?」
「あなたに聞きたいことがある」
パパスさんの声は静かだったが、芯が通っていた。
「天空城のマスタードラゴンは、ホイミンを天空城に入る資格がある者と認めると思うか?」
部屋の空気が張り詰める。天空人は少し目を伏せ、過去を探るように沈黙した。
「……ソロ様のころでしたら、恐らく認めなかったでしょう」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。あの頃のマスタードラゴンは、人間と天空人を分けようとしていた。
「ですが、今のマスタードラゴン様は人間への興味を増やしていたはずです。人間を別の側面から見ることができるホイミンは……恐らく門前払いはされないでしょう」
少しだけ、安堵の息が漏れる。
「それに、ホイミンの装備も天空城で預かっています。その点からも、受け入れる可能性は高いかと」
「そうか、情報提供感謝する」
パパスさんは一つ頷き、すぐに次の問いを投げかけた。
「もう一点。ゴールドオーブが天空城から落ち、今は息子が持っている。天空城に何かあった可能性はあると思うか?」
天空人の表情が曇る。
「……それは」
短い沈黙。
「確証はありませんが、かなりの確率で、天空城に――マスタードラゴンに、何かがあった可能性があります」
胸の奥がざわついた。天空城は、世界の均衡そのものだ。そこに異変があるというのなら、それはただ事ではない。
「そうか……」
パパスさんは目を閉じ、深く息を吸った。
「もう一点、質問させてくれ」
再び視線が天空人に向けられる。
「ホイミンは、マーサを救うために、自分が勇者様と戦った功績を私に譲ってくれると言っている。その勇者の仲間としての功績で、魔界への道を開いてくれると思うか?」
「……それは、難しいですね」
天空人は正直だった。
「勇者しか開けない道は、力なき者が迷い込まぬようにするためのものです。ただし……」
その視線が、まっすぐボクに向けられる。
「勇者以上の力を示せば、可能性はあります」
静かな断言だった。
「――感謝する」
パパスさんは短く言い、踵を返した。
「行くぞ、ホイミン」
その一言に、すべてが込められていた。ボクは小さく頷き、胸の奥で決意を固める。勇者ではない。王でもない。ただのホイミスライムだ。それでも――誰かを救いたいと願う心だけは、きっと本物だ。
その心を、天空城に、マスタードラゴンに、示す時が来たのだと。
ルドマンさんはトルネコの
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