そしてボクたちは、しばらくの間グランバニアに滞在することになった。
城での生活は、旅のそれとはまるで違っていた。分厚い石壁に囲まれた広い部屋、常に整えられた食事、警備兵たちの規則正しい足音。安心できる場所ではあるけれど、どこか落ち着かない。パパスさんも同じだったようで、何度か廊下で顔を合わせるたびに、
「やはり私は野営のほうが性に合っているな」
と、苦笑していた。
船長たちとの約束の時期まではグランバニアに留まり、時期が来たらラインハットへ飛ぶ。そこから、マーサさんの故郷を目指す――それが決まった大まかな予定だった。
その合間に、ビアンカとマグダレーナさん、そしてアルカパの村の人たちに顔を見せることになった。パパスさんもリュカも一緒だ。
「久しぶりだな、アルカパは」
「ビアンカの街だよ、父さん」
「そうだったな。だが……」
パパスさんは村を見回し、どこか懐かしそうに目を細めた。
「静かでいい街だ」
アルカパの街は、昔と何も変わっていなかった。木造の家々、風に揺れる洗濯物、畑の土の匂い。冒険に明け暮れていた日々が、少し遠いものに感じられる。
村に着くと、ダンカンさんがすぐに気づいて駆け寄ってきた。
「おお、ビアンカ! ……って、ずいぶんと大人数だな?」
「ただいま、ダンカンさん! それでね、聞いてほしいことがたくさんあるの!」
その場に集まると、自然と話は長くなった。船での出来事、嵐の夜、山を数カ月かけて越えた話。下山の苦労。仲間たちのこと。
そして――。
「それからね、パパスさんが……」
ビアンカは一瞬だけ間を置き、パパスさんの方を見た。
「グランバニアの王様だったの」
沈黙。
「……は?」
ダンカンさんの目が見開かれ、そのまま固まった。
「いや、確かに只者じゃないとは思っていたが……王様?」
「はは……面目ない」
パパスさんは頭をかきながら言った。
「事情があってな」
「事情で済ませる話じゃないだろ……」
ダンカンさんはしばらくパパスさんを見つめ、それから深く息を吐いた。
「……でも、不思議と納得はいくな。あんた、立ち姿が王様そのものだ」
「そう言われると、照れるな」
しばらくして、ダンカンさんはふと思い出したようにリュカを見た。
「それで、リュカ君も……もう10歳か」
「はい」
リュカは背筋を伸ばして答えた。
「私が心配することじゃないとは思うが……王としての務めは、勉強させなくていいのか?」
少しだけ、重たい話題だった。
「ああ」
パパスさんは即答した。
「リュカは賢い。少し遅いかもしれないが、間に合うだろう」
「……随分と楽観的だな」
「私は長生きするつもりだしな」
その言葉に、場の空気がふっと和らいだ。
「そうかい。まぁ、あんたがそう言うなら問題ないんだろうな」
ダンカンさんは肩をすくめて笑った。
「今日は泊まっていくんだろう?」
「そうだな」
パパスさんは頷いた。
「グランバニアでは、どうも肩がこってな」
「王様は大変だねぇ」
すると、マグダレーナさんが勢いよく立ち上がった。
「なら今日は、飲まないとね!!」
「え?」
「え?」
「え?」
全員が一斉に声を上げた。
「暫く飲んでなかったから、楽しみだよ!!」
「いや、マグダレーナ……」
「今日は無礼講だよ!!」
そう宣言して、彼女は酒盛りの準備を始めてしまった。ボクはその様子を見ながら、思わず苦笑する。
(まぁ……ずっと冒険続きだったしね)
夜は賑やかだった。笑い声が絶えず、食卓には懐かしい料理が並ぶ。リュカたちは久しぶりにゆっくり食事をして、お風呂に入ると、あっという間に眠ってしまった。
「さすがに疲れてたんだね」
「子どもは正直だな」
ボクたちはその後も、マグダレーナさんに付き合って酒盛りを続けた。
「ホイミンも飲むかい?」
「ボクは遠慮しとくよ」
「つまらないねぇ!」
「回復役だからね」
笑い合う時間は、久しぶりに平和だった。
(楽しいな)
心からそう思えた。ボクをモンスターじゃなく、仲間として受け入れてくれる人が、こんなにもいる。それが、何より嬉しかった。
やがて夜は更け、ボクも静かに目を閉じた。
――その時だった。
「――マグダレーナ!! マグダレーナ!!」
ダンカンさんの叫び声。飛び起きる。胸がざわつく。
「どうしたの!?」
「ママ!?」
子どもたちも次々と起きてくる。ボクも急いで部屋へ向かった。中から、ビアンカの泣き声が聞こえる。パパスさんが部屋から飛び出してきた。
「――ホイミン!」
その声は、はっきりと震えていた。
「マグダレーナの呼吸が止まっている! 蘇生呪文を頼む!」
「――分かった!」
迷いはなかった。ボクは部屋に飛び込む。横たわるマグダレーナさん。顔色が悪く、胸が動いていない。
(……脳出血? でも病気じゃない)
怪我だ。なら――。
「大丈夫。間に合う」
自分に言い聞かせるように呟き、呪文を唱えた。
「ザオリク!!」
暖かな光が部屋を満たす。柔らかく、でも確かな力。
――ごほっ。
「……あれ?」
マグダレーナさんが目を開いた。
「何だい、みんな集まって」
「ママ!!」
ビアンカが泣きながら抱きつく。
「良かった……本当に……」
「ありがとう、ホイミン!!」
口々に安堵の声が上がる。事情を聞いたマグダレーナさんは、ゆっくりとボクに頭を下げた。
「命の恩人だね……」
だから、ボクは少しだけ真剣な顔で言った。
「マグダレーナさん」
「何だい?」
「――お酒、禁止だからね」
「え?」
「お酒が原因みたいだから」
その瞬間。
「……」
マグダレーナさんは、絶望した顔で天井を見上げた。
「……生き返ったのに……」
その呟きに、思わずみんなで笑ってしまった。命が助かった。それだけで、今夜は十分だ。
☆ ☆ ☆
アルパカの街を訪れた後、ボクたちは再びグランバニアへと戻り、そこで一週間ほど滞在することになった。城下町は、連日お祭りのような賑わいだった。石畳の通りには人が溢れ、城門の前では毎日のように誰かが声を張り上げている。
「リュカ様だ!」
「パパス様が戻られたぞ!」
「我らの王様だ!」
その声は、義務や形式ではなかった。心からの歓声だった。城を離れ、王座を空け、長い年月を旅に費やしたはずの王を、国民たちは責めるどころか、まるで長い旅から帰った家族を迎えるように受け入れていた。
(……愛されてるんだな)
ボクは城の高い回廊を漂いながら、その様子を見下ろしていた。人々の顔は明るく、笑顔が多い。手を振る子ども、深々と頭を下げる老人、涙を浮かべる女性。胸の奥が、じんわりと温かくなった。
(パパスさんが守ってきたもの……それは、リュカだけじゃなかったんだ)
リュカもまた、城下で多くの人に囲まれていた。まだ幼いながらも、堂々と挨拶を返し、時には照れくさそうに笑う。その姿を見て、誰もが「王子だ」と自然に受け入れているのが分かる。
そんな穏やかな日々の中で――別れの日は、容赦なくやってきた。ヘンリーの旅は、ここグランバニアまで。ベルギス王がそう決めた以上、それは覆らない。王子である以上、背負うべき責任がある。
城門の前。朝の空気は澄んでいて、少しだけ冷たかった。リュカとヘンリーは、互いに向かい合い、ぎゅっと拳を握りしめている。涙をこらえようとしているのが、見ていて痛いほど分かった。
「ヘンリー……」
声が震える。
「絶対、また会おうね!!」
ヘンリーは一度だけ目を伏せ、それから強く頷いた。
「ああ!! リュカ! お前は俺の親友だ!!」
声は少しかすれていたが、はっきりとしていた。
「ビアンカ、頑張れよ!!」
「えっ? が、頑張れって……」
一瞬顔を赤くしたビアンカは、すぐに笑顔を作った。
「……ううん。分かったわ。ヘンリー、また会いましょう!」
三人の間に流れる空気は、子ども特有のまっすぐさと、避けられない別れの寂しさが混じり合っていた。それを見守るのは、パパスさん。そして酒を禁止され、少しだけ顔色の悪いマグダレーナさん。城の兵士たちや、大臣たちも静かにその場に立っていた。
誰も口を挟まない。この別れは、子どもたち自身のものだから。
やがて、準備が整う。その直前、大臣さんがボクのもとに歩み寄ってきた。
「ホイミン殿」
「なに?」
大臣さんは一通の封書を差し出した。
「この書状を、ラインハットの大臣に届けてはいただけませんかな」
「親書?」
「ええ。本来ならパパス様の名で届けるべきですが……お二人はご友人同士。形式ばらない方が、かえって良いかと」
ボクは封書を受け取り、軽く頷いた。
「外交、だね」
「その通りです」
「分かったよ。届けるぐらいなら任せて!」
そう言ってから、少しだけ笑った。
「まぁ、王子様同士も仲良しだし。友好関係は、きっと大丈夫だと思うよ」
「……そうですな」
大臣さんは目を細めた。
「国王陛下が旅立たれた、唯一の成果かもしれませんな」
その言葉に、ボクは少し考え込んだ。
「……大臣さんは、パパスさんが旅に出るの、反対だった?」
「当然です!!」
即答だった。だが、そのあと苦笑が続く。
「……と言いたいところですが、旅に出なければホイミン殿とも会えなかった」
「……」
「難しいところですな」
「……そうだね」
ボクは城門の向こうを見た。
「パパスさんが旅に出る決断をしなければ……ボクも、リュカとも出会えなかった」
言葉にすると、改めて重みを感じる。
「難しいね」
「ええ……」
そう話しているうちに、子どもたちの別れの挨拶は終わったようだった。ヘンリーがゆっくり僕に近づいてきて最後にリュカの方に振り返る。その瞬間、パパスさんがボクのそばに来た。
「ホイミン」
「なに?」
「ベルギスに、感謝していると伝えてくれ」
「分かったよ」
それから、ふと思い出して聞いた。
「パパスさんは、一緒に行かなくていいの?」
「ああ」
短く、しかし迷いのない答え。
「私とホイミン、二人ともがグランバニアを離れるのは危険だろうからな」
「……そっか」
確かにそうだ。一番の戦力の高い者と二番目の者が同時に離れるのは避けた方がいい。
「じゃあ……行ってくるね」
ボクはヘンリーの方を見た。
「行くよ、ヘンリー」
彼は力いっぱい頷いた。
「またな!!」
「うん!!」
ボクは空中で一度深呼吸し、呪文を唱えた。
「――ルーラ!」
光が包み込む。振り返ると、グランバニアの城が、朝日に照らされていた。
(また、戻ってくるよ)
そう心の中で呟きながら、ボクはラインハットへと飛び立った。
☆ ☆ ☆
光が収まった瞬間、ボクとヘンリーはラインハット城の前に立っていた。見慣れた石造りの城門。だが、以前と違うのは、そこに漂う空気だった。張り詰めている。重い。まるで城全体が不安を抱え込んでいるようだった。
ボクの姿を認めた兵士たちは、ほんの一瞬だけ目を見開き、それからはっきりと安堵の色を浮かべた。
(……やっぱり)
ボクがいるだけで、「まだ間に合う」と思ってしまう人は多い。それが希望になることもあれば、残酷になることもある。
「ヘンリー王子! お帰りなさいませ!!」
兵士の声は震えていた。喜びと、それ以上の焦りが混じっている。
「それと……国王陛下がご危篤です!」
その言葉が、城門前の空気を凍りつかせた。
「ホイミン様!! お願いです! 国王陛下を治療してください!!」
縋るような声だった。
「――なんだと!!」
ヘンリーが叫んだ次の瞬間、彼はもう走り出していた。兵士たちを押しのけるように、ただ一直線に城へ向かって。
「待って、ヘンリー!」
ボクも慌てて後を追う。浮遊する身体を低く保ち、廊下を疾走するヘンリーに遅れないよう必死に進む。城内は混乱していた。走る足音、指示を飛ばす声、祈るように手を組む人々。
「ヘンリー王子が戻られたぞ!」
「ホイミン様も一緒だ!」
その声に、希望が混じるのが分かる。
(……怪我なら治せる)
ボクは自分に言い聞かせる。
(脳出血のような一過性のものなら、治療できる)
でも――
(腫瘍のような慢性的な病気は……)
嫌な予感が、胸の奥で渦を巻いていた。
「父上!!」
ヘンリーが扉を蹴破るようにして部屋へ飛び込んだ。そこには、デール王子、大臣、兵士長、医官たち。皆、疲れ切った顔で、それでも必死に希望を探していた。寝台の上に横たわるベルギス王は、以前よりもさらに痩せて見えた。
胸は上下しているが、その呼吸は浅く、苦しそうだ。人々の視線が、一斉にボクに集まる。
(……期待している)
助かると。ボクなら何とかできると。ボクだって救いたい。だけど限界があるんだ。死者の蘇生だってできるボクでも、僕以上に死者蘇生の呪文を使いこなしていて、医療知識があったチャモロさんでも、できないことはある。そしてボクの知識はチャモロさん以下だ。それでも今の時代ではボクが到達点なのだろう。だから皆が期待する。
「ホイミン!!」
ヘンリーが振り返り、叫んだ。
「父上の治療を頼む!!」
その声は、命令ではなかった。懇願だった。ボクは静かに頷き、寝台へと近づく。魔力を抑え、慎重に容態を探る。その瞬間――
「……いいんだ、ヘンリー」
か細い声が響いた。ベルギス王が、わずかに目を開けていた。
「父上!!」
「病気は……回復呪文では治せない。それが原則だ」
一語一語、噛みしめるように語る。
「いくらホイミンでも……それを覆すのは、難しいだろう」
「そんなことありません!!」
ヘンリーが叫ぶ。
「ホイミンは死者の蘇生だってできるんです!!」
涙を浮かべながら、必死に訴える。
「諦めないでください父上!! ホイミン!! 父上を治療してくれ!!」
その声を聞いて、ボクは深く息を吸った。
「……ボクにも限界はある」
静かに、でもはっきりと言う。
「脳出血のような一過性の病なら治療できる。でも……」
視線をベルギス王に向ける。
「ベルギス王の病は、腫瘍だ。体力を回復させることはできても、根本の治療は……」
「そんな……!!」
ヘンリーが崩れ落ちそうになる。
「ホイミン!! 何か方法はないのか!!」
拳を握りしめ、歯を食いしばる。
「父上を助けてくれ!!」
その姿を見て、ボクは決断した。
「――一つだけ、方法がある」
部屋が静まり返る。
「ほ、本当か!?」
「ただし……」
ボクは続ける。
「ベルギス王に、強い痛みが伴う」
ざわめきが起こる。
「腫瘍を、消毒した短剣で切除し、その後で回復呪文を重ねる」
息をのむ音が聞こえた。
「成功すれば……助かる可能性がある」
「可能性があるならやってくれ!!」
ヘンリーが叫ぶ。
「失敗しても、誰もお前を責めさせはしない!!」
振り返り、大臣に向かって。
「それでいいな!?」
「もちろんでございます!!」
大臣は即答した。そしてヘンリーが叫んだ
「医官!! 急いで短剣を消毒しろ!!」
医官が走り去る。ボクはベルギス王を見つめた。
「……よい覚悟だな、ヘンリー」
ベルギス王は、かすかに微笑んだ。
「頼む……ホイミン」
その声は、王ではなく、父のものだった。準備が整う。ボクは呪文を唱え、深い眠りをもたらす。
「ラリホーマ」
ベルギス王の呼吸が穏やかになる。
(……絶対に、成功させる)
短剣を手に取り、ボクは深く集中した。これはただの戦いじゃない。命を救う戦いだ。ボクは、覚悟を決めて――刃を進めた。
腫瘍を切り取ればベホマで綺麗な臓器ができるのは独自設定です('ω')
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない