【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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第17話 一生

 そしてベルギス王の治療は――一時的にではあるが、成功した。

 

 短剣で切り開いた腹部から、ボクは慎重に、慎重に、腫瘍を取り除いた。触手の先に伝わる感触は、正直、何度経験しても慣れるものじゃない。生き物の内側に手を入れるというのは、治療だと分かっていても、どうしても心が重くなる。

 

 切除した腫瘍は、想像以上に大きかった。それがこの王の命を蝕んでいたと思うと、胸の奥が締めつけられる。

 

 すぐに回復呪文を重ねがけする。ベホマを……体力を底上げするように祈る気持ちで魔力を注ぎ込む。

 

 血の流れは落ち着き、ベルギス王の呼吸は次第に安定していった。部屋に満ちていた張り詰めた空気が、ゆっくりとほどけていく。

 

 ――だが。

 

 ボクは知ってしまった。触手で体の外側から丹念に確認した時、違和感は一か所ではなかった。腹部だけじゃない。胸、脇腹、背中の奥……微細だけれど、確実に存在する影。

 

 転移。

 

 一番大きなものは切り取れた。けれど、すべてを消すことはできなかった。

 

 ボクにできたのは、寿命を引き延ばすことだけ。完全な治癒ではない、時間を稼ぐだけの治療だった。

 

 それでも――ベルギス王は、ボクを責めなかった。目を覚ました王は、弱々しくも穏やかな笑みを浮かべて、こう言った。

 

「……ありがとう、ホイミン。これで、ヘンリーが王になる姿を見ることができる」

 

 その言葉に、ボクは何も返せなかった。胸の奥が、じんわりと熱くなった。人間は不思議だ。自分の死を前にしてなお、未来を生きる者のことを思えるなんて。いや、勇者様たちもそうだったかもしれない……時代が違えば、ベルギス王も勇者の仲間だったのかもしれない。

 

 ヘンリーは、父の手を握ったまま、何度も何度も頭を下げていた。涙を必死にこらえながら。

 

 ――王としての覚悟が、もう芽生えている。

 

 治療が終わった後、ボクはラインハットの大臣さんに、グランバニアから預かっていた手紙を手渡した。本当はすぐにでもグランバニアへ戻るつもりだった。

 

 けれど、大臣さんに呼び止められた。手紙とともに。

 

「ホイミン様……しばらく、この城に滞在していただけませんか。状況が安定するまで」

 

 読む時間なんて、なかったはずだ。だからこれは、正式な返書というよりも――状況説明。

 

 ボクは頷き、いったんパパスさんの状況を説明してくると大臣さんに言ってあらためてその手紙を受け取った。

 

 そして、ルーラでグランバニアへ。

 

 城下町に降り立つと、見慣れた石畳と人々の喧騒が広がる。この国は、今日も平和だ。パパスさんのいる場所へ向かいながら、ボクは胸の奥で整理できない感情を抱えていた。

 

 人を救うって、なんだろう。延命でも、救ったと言えるのかな。

 

「パパスさん! ベルギス王が危篤だ!」

 

 思わず声が大きくなる。

 

「詳細は、ラインハットの大臣さんが書いた手紙がある。これを読んで!」

 

「……分かった」

 

 パパスさんは短く答え、手紙に目を通す。周囲にいた大臣たちやオジロンさんも、固唾を飲んで様子を見守っていた。

 

 読み終えた後、パパスさんは深く息を吐いた。そして、無言で手紙をオジロンさんたちに回す。

 

「ホイミン。報告は正しくしてほしい」

 

 少し厳しい口調だったが、その奥に責める気持ちはなかった。

 

「ベルギスをよく治療してくれた。感謝している」

 

 その言葉に、胸が少し軽くなる。

 

「ラインハットの大臣から要請があった。しばらくの間、ホイミンを貸してほしいとな」

 

 パパスさんは難しい顔をした。

 

「本音を言えば、マーサを優先したい。だが、ベルギスは友だ」

 

 一瞬、視線を伏せる。

 

「友の命を見捨てるような真似をしたら……マーサに、何を言われるか分からん」

 

 それは、王としてではなく、一人の男としての言葉だった。

 

「とにかくだ。ラインハットへ向かう。私とホイミン、リュカたちも一緒だ」

 

 大臣に向き直る。

 

「向こうは、私を王として、リュカを王子として、譲位の儀式に参加してほしいそうだ」

 

「左様でございますな。いかがなさいますか?」

 

「参加しない選択肢はない」

 

 即答だった。

 

「ベルギスは親友だ。ヘンリーとリュカも、かけがえのない友人だ」

 

 パパスさんの声には、揺るぎがなかった。

 

「ヘンリーの王位継承を盤石にしたい。準備ができ次第、ラインハットへ向かう。リュカの礼服、立ち振る舞い……サンチョに任せれば問題ないな。とにかく、準備を頼む」

 

 席を立つパパスさんの背中は、いつも以上に大きく見えた。ボクは後を追いながら、疑問を口にする。

 

「ビアンカはどうする? 護衛のことを考えるなら、そばにいた方がいいと思うけど」

 

「リュカの女官として参加してもらおう」

 

 少し疲れたように息を吐く。

 

「……予定は狂ったがな」

 

 そして、ボクを見た。

 

「ホイミン。お前から見て、ベルギスはあとどれくらい生きられる?」

 

 一瞬、答えに詰まる。

 

「……長くて、三か月」

 

 正直に告げた。

 

「そうか……」

 

 パパスさんは静かに頷いた。

 

「リュカは、十一歳になりそうだな」

 

 親友の最期を思い浮かべているのだろう。

 

「ベルギスは親友だ。仕方がない」

 

 その声は、重く、しかし迷いはなかった。

 

「ベルギスの葬儀まで参加しよう。その後で、マーサの故郷へ向かう」

 

「……分かったよ」

 

 ボクはそう答えながら、胸の奥で静かに誓った。

 

 ――せめて、残された時間だけは。彼が父として、王として、友として生ききれるように。それが、ホイミスライムのボクにできる、最後の行いなのだから。

 

☆ ☆ ☆

 

 準備が整うと、ボクたちはすぐにラインハットへ向かった。ルーラの光に包まれる瞬間、胸の奥がひやりとする。何度経験しても、この移動には少しだけ覚悟がいる。空間がねじれ、風景が砕け、次の瞬間にはまったく違う土地に立っている――魔法とは便利だけれど、人の生き死にが関わる旅では、どうしても気持ちが引き締まる。

 

 パパスさん、リュカ、ビアンカ、サンチョさん。リュカの仲間たち。そしてボク。

 

 グランバニアの城を離れる前、マグダレーナさんには城に残ってもらった。酒は当然禁止、医師付きでの安静。あの人は不満げだったけれど、今回は誰も譲らなかった。冗談のように見えても、彼女もビアンカの成長に必要な存在だから。

 

 ラインハット城に降り立つと、空気が違うのがすぐに分かった。張り詰めている。城全体が、国王の命の行方を息を殺して見守っているようだった。

 

 自然と役割は分かれた。ボクとパパスさんはベルギス王の元へ。子どもたちはヘンリーの元へ向かう。

 

 廊下を進む間、兵士たちが深々と頭を下げる。その視線の中には、敬意と同時に、祈りのようなものが混じっていた。

 

 ――どうか、助けてほしい。言葉にしなくても、痛いほど伝わってくる。

 

 ベルギス王の私室は静かだった。厚手のカーテンが外光を遮り、香草の匂いがほのかに漂っている。治療の名残だ。

 

「パパス、よく来てくれた」

 

 弱々しいが、はっきりとした声。ベッドに横たわるベルギス王は、以前より痩せていた。それでも、その目には確かな意志が宿っている。

 

「親友を見舞うのに、理由はいらない」

 

 パパスさんはそう言って、王の傍らに立った。肩書きも、国境も、今は関係ない。ただの友として。

 

「ふっ……パパス。あの頃は楽しかったな。一緒に冒険できて」

 

 ベルギス王は遠くを見るような目で、微笑んだ。

 

「ああ」

 

 短い返事だったが、それで十分だった。二人の間に流れる時間は、言葉を必要としない。

 

 ボクは、その様子を見て、そっと部屋を出た。ここは親友同士が過去を語る場所だ。ボクがいるべき場所じゃない。

 

 扉を閉めると、廊下の静けさが戻ってくる。城の中は広いのに、どこか息苦しい。

 

 そのまま、ラインハットの大臣さんと話しているサンチョさんの元へ向かった。目的は一つ。礼儀作法だ。

 

 かつて、レイドック城で学んだ記憶はある。でも、あれは遥か昔の話。時代が変われば、作法も変わる。

 

 謁見の仕方、立ち位置、歩幅、視線。特に今回の儀式は、王位の譲渡という極めて重要なものだ。失敗は許されない。

 

「ホイミン様」

 

 大臣さんは、ボクを見るなり深く頭を下げた。

 

「本当に、本当に感謝しております。ラインハットはあなたに二度も救われた」

 

 その言葉は重かった。国を代表する人の言葉は、いつだって責任が伴う。

 

「我々は、あなたの窮地には必ず駆け付けます。これはヘンリー王子を含めた、ラインハットの総意です」

 

「……ありがとう」

 

 胸の奥が、少しだけ熱くなった。

 

「なら、とりあえず……ボクたちにも礼儀作法を教えてもらってもいいかな? 昔の作法なら覚えているけど、今の時代に合っているか分からないから」

 

「もちろんでございます」

 

 サンチョさんが胸を張る。

 

「このサンチョが、リュカ殿下と一緒にお教えいたしましょう」

 

 そう言ってから、大臣さんに向き直る。

 

「譲位の儀式は、一か月後で間違いありませんな?」

 

「ええ。その通りです」

 

 大臣さんは頷いた後、少し言い淀んだ。

 

「ただ……こちらの本音を申し上げますと、ホイミン様にはできるだけ国王陛下の近くにいていただきたい」

 

 嫌な予感が、胸をよぎる。

 

「譲位の儀式では、国王陛下の手を取って歩く者が必要になります。できれば、その役目をホイミン様にお願いしたいのです」

 

「……ボクに?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 

「ボクは魔物だよ? そんな大事な儀式に、ボクでいいの?」

 

 城の格式を考えれば、当然の疑問だ。

 

「問題ありません」

 

 大臣さんは即答した。

 

「リュカ王子の友であり、ホイミン様ご自身も勲章を授与されています。誰にも文句は言わせません」

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「なにより、ヘンリー殿下がそう望まれております」

 

「……そっか」

 

 胸の奥で、何かが静かに決まった。

 

「なら、一か月で儀礼典範を叩き込んでください」

 

 ボクは、はっきりと言った。

 

「ベルギス王の最後の門出を、素晴らしいものにしたい」

 

 一瞬、言葉が詰まる。

 

「……それと、ヘンリー王子のはじめての門出も、ね」

 

 王になるということは、失うものも多い。でも、だからこそ、支える存在が必要だ。ボクは魔物だ。人間にはまだなれていない。

 

 それでも――誰かの人生の節目に寄り添うことは、できる。それが今のボクに与えられた役割なら、全力で果たそう。たとえ、その先にどんな結末が待っていようとも。

 

☆ ☆ ☆

 

 譲位の儀式は、滞りなく終わった。長い歴史を刻んできたラインハット王国に、新たな王が誕生した瞬間だった。

 

 玉座の間は、重厚な静けさに満ちていた。高い天井から吊るされた紋章旗が、わずかな風に揺れる。石畳に反響する足音一つひとつが、この国の歴史そのもののように重く響いていた。

 

 王冠を戴いたヘンリーは、もう王子ではなかった。その背筋は真っすぐで、旅立つ前に見せていたあどけなさは消えている。だが、緊張と責任の重さは隠せていない。それでも――その瞳には、はっきりとした決意が宿っていた。

 

 この国を守る。何があっても、決して揺るがせない。その想いが、ボクにも伝わってきた。

 

 ボクはベルギス前国王の手を引いた後は、定められた位置で静かに立っていた。魔物であるボクが、この場にいることに違和感を覚える者もいたかもしれない。それでも誰一人、異を唱えることはなかった。それが、ヘンリーという新王の意思であり、ベルギス前国王の遺志でもあったからだ。

 

 そして――儀式の後、時は確実に流れ、避けられない瞬間が訪れた。ベルギス前国王の最期の時。

 

 部屋は静まり返っていた。重たい空気が、胸にのしかかる。集まっているのは、ごく限られた者たちだけだった。ヘンリー王、パパスさん、リュカ、ビアンカ。スラリンたち、デール王子、そして長年仕えてきた臣下たち。

 

 誰もが言葉を選び、息を殺していた。死が、すぐそこまで来ていることを、全員が理解していた。

 

 ベルギスさんは、ゆっくりと目を開いた。その視線は、まずヘンリーを捉える。

 

「ヘンリー……」

 

 かすれた声だったが、確かに届いた。

 

「私は、お前が誇らしい」

 

 その一言に、ヘンリーの肩がわずかに震えた。

 

「デールと力を合わせて……国を導いていってくれ」

 

「……承知しました、父上」

 

 必死に声を震わせないようにしながら、ヘンリーは答えた。

 

「兄さんと仲たがいせずに……全力で支えます」

 

 デール王子もまた、静かに頭を下げる。

 

 ベルギスさんは、満足そうに微笑んだ。その笑顔は、王としてではなく、一人の父としてのものだった。やがて、その視線がパパスさんへと移る。

 

「パパス……」

 

 名前を呼ぶ声には、長い年月が込められていた。

 

「お前と出会えたことが……私の人生で一番の奇跡だった」

 

 パパスさんは、何も言わず、ただ静かに聞いている。

 

「お前がいたから……私はホイミンに出会えた。そして、ここまで生き永らえることができた」

 

 その言葉に、胸の奥が締めつけられる。

 

「どうか……マーサ殿と、再会できることを……あの世で祈っているよ」

 

「ああ……」

 

 パパスさんの声は、低く、しかし確かだった。

 

「また会おう、ベルギス。あの世で」

 

 最後に、ベルギスさんの視線が、ボクに向けられた。

 

「……ホイミン」

 

「うん」

 

 自然と、返事をしていた。

 

「お前には……本当に感謝している」

 

 その声は、もうほとんど風のようだった。

 

「お前がいなければ……私は、あの暗殺騒ぎで死んでいた」

 

 そうだ。ボクは思い出す。あの混乱、血の匂いを。

 

「心から……感謝している」

 

 一瞬、言葉を探すように間を置いてから、ベルギスさんは続けた。

 

「お前が……人間になれることを……あの世で祈っている」

 

 ――その時だった。ヘンリーが握っていた手から、ゆっくりと力が抜けた。それは、とても静かな別れだった。

 

 誰も、すぐには声を上げられなかった。やがて、誰かが嗚咽を漏らし、それが連鎖するように広がっていく。

 

 ベルギス前国王は、確かに息を引き取ったのだ。

 

 その後は、慌ただしかった。泣きながら、しかし王としての責務を忘れず、皆が葬儀の準備を進めていく。

 

 土が、棺の上に積み重なっていく。一握り、また一握り。別れの言葉と共に、過去が土に還っていく。

 

 夜。静まり返った部屋で、リュカたちと並んで座っていると、スラリンがぽつりと言った。

 

「ねぇ、ホイミン……」

 

 その声は、小さく震えていた。

 

「なんでかな……僕たち、悲しいんだ」

 

 リュカも、ビアンカも、同じ表情でボクを見ている。

 

「ベルギスさんと……そんなに親しくなかったはずなのに……」

 

 スラリンは首をかしげる。

 

「なんでだろう。ホイミンは分かる?」

 

 ボクは少し考えてから、ゆっくりと答えた。

 

「……そうだね」

 

 言葉を選びながら。

 

「それは、リュカと友達になったからだよ」

 

 リュカが瞬きをする。

 

「人は……。誰かと繋がると、その人の大切な人のことも、自然と大切になる。まだ、その感情が何なのか分からなくてもいい」

 

 ボクは微笑む。

 

「君たちは、まだ若いんだから」

 

「……ホイミンは知ってるの?」

 

 スラリンが尋ねる。

 

「うん」

 

 ボクは、はっきりと答えた。

 

「レック様たちが亡くなるのも、ソロ様たちが亡くなるのも……ボクは、全部、看取ってきた」

 

 あの時代。勇者たちが、なぜ世界を救おうとしたのか。

 

「文字や伝説じゃない。その感情を知っているのは……今となっては、ボクだけなんだ」

 

 沈黙の中で、リュカがゆっくりと口を開いた。

 

「……ホイミン」

 

「なに?」

 

「ボクが亡くなったら……ホイミンは、悲しい?」

 

 即答だった。

 

「もちろん」

 

 そして、少し強く言う。

 

「寿命以外では、死なせないよ。リュカ」

 

 リュカは、少しだけ笑った。そして続けていった。

 

「……ホイミンは、ボクの子どもたちを導いてくれる?」

 

「そうだね……」

 

 ボクは天井を見上げる。

 

「きっと、命を懸けて守るよ、約束する」

 

 リュカも、リュカの子どもたちも。

 

「さあ、もう寝よう」

 

 優しく声をかける。

 

「暫く喪に服したら……冒険が始まるんだから!」

 

 それは、別れの先に続く物語。そして――ボク自身の運命へと繋がる、長い道のりの始まりでもあった。

ルドマンさんはトルネコの

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