エルヘブンへ帰還したボクたちは、これまでに起きた出来事を包み隠さず報告した。天空城で起きた異変、マスタードラゴンの不在。
それを聞いた長老たちは沈黙し、重い空気が広間を満たした。エルヘブンの白い石壁に反射する光さえ、どこか翳って見える。
パパスさんは悩んだ末、リュカたちをもう少しの間、この地に預ける決断をした。
マスタードラゴンに起こった異変……それが何なのか、ボクにもまだ分からない。だけど、それさえ解決できれば、マーサさんを救い出せる。確信に近い予感が、胸の奥で静かに燃えていた。
パパスさんの表情は厳しかった。けれど、ほんのわずか――本当に、気をつけて見なければ分からないほどだが、その目の奥には希望の光が宿っていた。
もう少しで、再会できる。そう信じている人の顔だった。
そして、一旦リュカたちの様子を見に行こうとした、その時だった。廊下を進む途中、護衛の兵士たちが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「陛下……一人のモンスターが、部屋を占拠しております」
「占拠、だと?」
兵士の声は困惑と緊張が入り混じっていた。外から様子を探ると、すぐに事情が分かった。マーサさんを守るために、騎士を生やした存在。
――スライムナイト。
後で聞いた話だが、その騎士――ピエールは、マーサさんが攫われた後、生きる希望を失っていたらしい。主を失った騎士は、剣を握る意味すら見失っていた。だが、そこに現れた少年が、自らを「マーサの息子」だと名乗った。
ピエール、ピエールか。しかもスライムナイト。同じだ。レイドック城……。ボクは途中で旅立った。だけど彼なら、最後の時までレイドック城に……レック様に殉じそうだ。きっと殉じただろう。
それが、少しだけ寂しい。
「……どうした、ホイミン?」
「ふふ……少し昔のことを思い出しちゃって……それより」
偽者なら斬るつもりだった。けれど、その瞳を見ただけで分かったという。あの人の子だ、と。
今、部屋の中ではマーサさんの過去が語られていた。リュカ、ビアンカ、スラリン、ドラきち、プックル、サンチョさん、そして教育係の女官さん。マーサさんの幼少期、エルヘブンで過ごした日々、そして笑顔。
それらを、皆が静かに、真剣に聞いている。
「うん……ちょっと順番は変わったけどさ」
ボクは小声でパパスさんに話しかけた。
「マーサさんの過去を知ってる人から、リュカが直接話を聞けて良かったと思うよ。特に、子ども時代の話も」
「そうだな」
パパスさんは頷いた。
「できれば、私も詳しく聞きたいぐらいだ。だが、そうも言っていられん。一旦、リュカに顔を見せたら、すぐに天空城へ向かおう」
「……そうだね」
短いやり取りの後、ボクたちは部屋に入った。その瞬間だった。
「父さん!!」
弾けるような声。リュカが立ち上がり、駆け寄ってくる。同時に、空気が変わった。殺気。はっきりとした、研ぎ澄まされた敵意。
ピエールから、パパスさんへ。あまりにも露骨な殺意に、周囲の護衛たちが一斉に身構えた。剣がわずかに鳴り、緊張が走る。
だが、パパスさんは静かに手を上げ、それを制した。
「外からだが、大まかな話は聞かせてもらった。リュカに、マーサの話をしてくれて感謝している」
「お前か……お前か!!!!」
ピエールの声は震えていた。怒りだけじゃない。悲しみと後悔が、剣のように尖っている。
「マーサを攫ったのは!! ああ、この際だ、攫ったことは許そう!! だが何故だ!! 何故マーサを守らなかった!!」
剣に手がかかる。
「マーサは、ずっとお前を待っていたのに!! 何故、その期待に応えなかった!!」
その瞬間、リュカが前に出た。
「だめだよ! ピエール!!」
小さな体で、パパスさんをかばう位置に立つ。
「ああ……マーサの子、リュカ! 何故です!! 何故、その男をかばうのです!!」
「違うよ!!」
リュカの声は、必死だった。
「父さんは、今も母さんを探してる! それも、あと一歩のところまで来てるんだ!!」
「――なんですと!?」
ピエールの剣が、わずかに下がった。
「そうだな」
パパスさんが静かに言った。
「お前も、マーサに関係がある。ホイミン、事情を説明してくれ。私より、第三者から聞いた方がいいだろう」
「分かったよ」
ボクは一歩前に出た。
「マーサさんは、大魔王に誘拐された。おそらく……リュカよりも、強大な力を持っていたから」
「……っ」
ピエールの肩が落ちた。
「マーサが、そこまでの力を……。だからこそ、私が守ると誓ったのに……」
剣を握る手が、震えている。
「でもね」
ボクは続けた。
「もう少しで、マーサさんを救える。だから今は、リュカが狙われないように護衛が必要なんだ。エルヘブンも、ここにいる兵士たちも、みんなリュカの護衛だよ」
ピエールを見る。
「君はどうしたい? ナイトを生やせたスライム。絶望する? それとも、リュカにマーサさんの話を聞かせながら、護衛する?」
少し間を置いて、言った。
「決戦の時には、君も連れていく」
沈黙。そして――
「……守りますとも!!」
ピエールの声は、もう震えていなかった。
「リュカを!! マーサの小さい頃の話も、いくらでもしましょう!! ですから……決戦の時には、必ず私をお連れください!!」
「了解だよ」
ボクは、にっこりと笑った。
「じゃあ、顔も見せたし……行こうか、パパスさん」
「ああ」
パパスさんはリュカの頭に手を置き、優しく言った。
「リュカを、頼む」
その言葉は、騎士にも、ボクにも、そしてこの地そのものにも向けられた誓いのように響いていた。
☆ ☆ ☆
そして、リュカたちをエルヘブンに預け、ボクとパパスさんだけで再び旅立とうとした、その瞬間だった。エルヘブンの森は、相変わらず静かだった。
古い樹々が作る天蓋の下、柔らかな木漏れ日が地面を淡く照らしている。葉擦れの音と、遠くで鳴く鳥の声だけが、時間の流れをゆっくりと刻んでいた。
この村は、優しい。だからこそ、これから向かう天空城への道との落差が、胸の奥で不安として膨らんでいた。背後から、小さくもはっきりとした足音が聞こえた。
落ち葉を踏みしめる、迷いのない歩調。振り返るまでもなく、誰なのかは分かっていた。
「父さん!」
張りつめていた空気を、鋭く切り裂くように、リュカの声が響いた。その声には、子ども特有の甘さはなかった。揺れも、戸惑いもない。ただ、覚悟だけが、まっすぐに込められている。
振り返ったパパスさんの表情が、わずかに強張るのが分かった。
「ボクも、母さんを取り戻す手伝いがしたい! 一緒に連れて行って!!」
リュカは拳を強く握りしめ、真っ直ぐにパパスさんを見つめていた。その背中には、スラリン、ドラきち、そしてプックル。
誰かに与えられた仲間じゃない。彼が自分で選び、自分の意思で「友達」と呼んだ存在たちが、静かに並んでいた。
「ボク、もう十三歳なんだ!! ベホマだって使えるようになった!!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、ちくりと痛んだ。
十三歳。本来なら、剣を振るうより先に、夢を見ていていい年齢だ。誰かを守るより、守られていていいはずの年齢だ。
けれど、この世界は、あまりにも早く彼から子どもでいる時間を奪っていく。スラリンが、ぷるりと身体を揺らして、一歩前に出た。半透明の体に、木漏れ日の光が反射して、きらりと輝く。
「ぼくたちが、絶対にリュカを守るよ。だから、お願い。一緒につれていってあげて」
その声は小さくて、でも震えていなかった。ドラきちは低く喉を鳴らし、プックルは短い尻尾を左右に振る。言葉にしなくても分かる。彼らは、もう決めているのだ。
リュカの隣に、ビアンカが立った。
「パパスさん! 私だって、リュカの友達よ! リュカのお母さんを助ける手伝いをさせて!」
その声には、無理に背伸びをしている響きがあった。怖くないはずがない。それでも、ここで引き下がる気はない――そんな覚悟が、はっきりと伝わってくる。
サンチョさんが、困ったように「ぼっちゃん……」と呟いた。止めたい。でも、止める資格が自分にあるのか分からない。そんな迷いが、その背中ににじんでいた。
護衛の兵士たちも同じだった。剣に手をかけながらも、一歩を踏み出せない。教育係の女官も、口を開きかけては閉じ、ただ戸惑いの色を浮かべている。
――参ったな。
ボクは、心の中でそっと呟いた。昔から、こういう目に弱い。必死に前を向く子どもの目も、友達を守ろうとするモンスターの覚悟も。
そして、きっと――パパスさんも同じだった。
「リュカ……」
パパスさんは、言葉を探すように黙り込んだ。大きな背中が、ほんの少しだけ小さく見えた気がした。
「力不足なのは分かってる!」
リュカが、一歩踏み出す。
「だけど、何もしないままで、父さんたちを待っているだけなんて嫌だ!!」
その叫びは、反抗じゃない。怒りでもない。置いていかれることへの、純粋な恐怖だった。
「パパスさん」
ボクは声を潜め、そっと隣に歩み寄った。
「ポートセルミだったかな。あの辺りなら、リュカたちでも十分戦えると思う」
一瞬、言葉を選ぶ。
「それに……一か所に固まっている方が、危険な時もある。マスタードラゴンに会えれば必要なくなるけど、次善の策は、用意しておくべきだよ」
パパスさんは、しばらく地面を見つめたまま動かなかった。
王としての理性と、父としての感情が、激しくぶつかり合っているのが分かる。
「……天空の武具、か」
低く呟く声。
「そう。魔界への扉を開く鍵になる」
長い沈黙の末、パパスさんは顔を上げた。そこにあったのは、迷いを抱えたままでも前に進む者の表情だった。
「分かった。リュカたちには、天空の武具を探してもらう」
「……それがあれば、母さんを取り戻せるの?」
震える声。
「ああ」
パパスさんは、はっきりとうなずいた。
「魔界への扉さえ開ければ、後は私とホイミンだけでも、マーサを取り戻せる」
リュカは目を伏せ、深く息を吸い込んだ後、力強くうなずいた。
「分かった! ピエール君も来るでしょ?」
「もちろんです!」
即答するピエールの声は、騎士としての誓いそのものだった。
「マーサの代わりに、あなたを全力で守りましょう、リュカ!」
その言葉に、リュカはほんの少しだけ、子どもらしい笑顔を見せた。
「……なら、一旦グランバニアに戻るぞ」
こうして長老たちと別れを告げ、ボクたちは再びグランバニアへと向かった。城に戻ると、大臣たちが集められ、パパスさんは簡潔に指示を出した。
「リュカも、マーサを取り戻す旅に参加したいと言っている。ポートセルミ周辺を探索させる。馬車と護衛の準備を頼む」
そして、視線がこちらに向く。
「ホイミン。ポートセルミに行ったことはあるか?」
「うん。何十年も前だけどね。多分、ルーラで飛べる」
「なら頼む。リュカたちと護衛を連れて、送ってやってくれ」
その声には、信頼と、ほんのわずかな不安が混じっていた。
「分かったよ」
ボクは、できるだけ明るく答えた。――大丈夫。この選択は、きっと最善になる。そう、自分に言い聞かせながら。
☆ ☆ ☆
そうしてボクは、リュカたちを連れてポートセルミへと飛んだ。
ルーラの光が弾け、視界が反転する感覚は、何度経験しても慣れない。一瞬の浮遊感ののち、潮の匂いと湿った風が、いきなり全身を包み込んだ。
ポートセルミ。海と交易で栄える港町は、グランバニアとはまるで違う顔を持っている。石畳の道には人と荷車が行き交い、白い帆を張った船が桟橋に並んでいた。遠くではカモメが鳴き、潮騒が絶えず耳に届く。
活気に満ちたこの町は、一見すると戦争や魔界などとは無縁に思える。けれど、その賑わいこそが、失われれば取り戻せないものの象徴でもあった。
馬車を手配し、護衛の兵士たちが周囲を固める。リュカは町の景色に目を奪われながらも、すぐに表情を引き締めた。遊びではない。これは、彼にとって初めての「任務」なのだ。
馬車の中で、鎧の擦れる音とともに、ひとりのスライムナイトが近づいてきた。騎士としての立ち居振る舞いが、無意識の所作にまで染みついている。
「ホイミン殿」
静かで、それでいて芯のある声だった。
「あなたは、死者の蘇生ができると聞きましたが……まことですか?」
ずいぶんと核心から来たな、とボクは内心で苦笑した。
「三十分以内に、病気以外で亡くなった人ならね……」
できるだけ軽く答える。
「誰か、蘇生したい人でもいた?」
「いえ、そうではなく……」
青年――ピエールは一瞬、言葉を探すように視線を伏せた。
「あなたは、勇者とともに戦った伝説の生き残りだとも聞きました」
ああ、と納得する。
「リュカたちが、そう話しちゃった?」
そう言って、馬車の窓から外に目をやる。
そこでは、リュカとビアンカが護衛の兵士たちに囲まれ、馬車の操作や戦い方について説明を受けていた。リュカは真剣な顔でうなずき、ビアンカは剣の持ち方を何度も確認している。足元にはスラリンとドラきちがいて、プックルは馬車の影で落ち着きなく動いていた。
キメラの翼も積んである。いざという時は、すぐにグランバニアへ戻れる。理屈の上では、安全策は十分だった。
「確かにボクは、勇者様と一緒に大魔王と戦ったよ。でも……」
言葉を切り、ピエールを見る。
「それは、もう昔の話だ」
ピエールは、少しだけ身を乗り出した。
「あなたは……数百の魔物から、リュカたちを守ったと聞きました」
その声には、わずかな震えがあった。
「あなたなら……マーサを、守れましたか?」
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
「……どうだろうね」
ボクは、すぐには答えられなかった。もしも、という問いほど残酷なものはない。
「でも、一つだけ言えることがある」
ピエールの目を、正面から見据える。
「ピエール君は、多分……守れなかった後悔を、マーサさんやリュカに断罪されたいと思っている」
ピエールの指先が、わずかに震えた。
「でもね、君の償いは、そこじゃない」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君がすべきことは、リュカを守ることだ。それが、マーサさんへの償いにもなる」
長い沈黙。
「……お見通しでしたか」
絞り出すような声だった。
「長い年月、生きているからね」
ボクは小さく笑った。
「みんなを頼むよ。生きてさえいれば、ボクが必ず治療する」
そして、声をさらに落とす。
「それと、君にだけ話しておく」
ピエールの表情が引き締まる。
「今回の冒険は……マーサさんを救うことには、ほとんど影響しない」
「……」
「これは、リュカが暴走しないようにするための方便なんだ」
ピエールは、静かに息を吐いた。
「左様で……」
「だから」
ボクは続ける。
「何があっても、リュカを守り抜いてほしい」
ピエールは、迷いなく頭を下げた。
「もちろんです。リュカの仲間たちと共に、たとえこの命を使いつぶすことになろうとも、必ず」
「それは、きっとリュカもマーサさんも望まない」
ボクは、きっぱりと言った。
「君も生き延びるんだ。マーサさんを助けるために」
ピエールは、しばらく黙っていたが、やがて深く頭を下げた。
「……承知しました」
そして、わずかに微笑む。
「どうやら私では、あなたを測ることはできないようだ。最初の友達と伺っていましたが……」
視線の先には、馬車の操作を必死に覚えようとしているリュカの姿。
「リュカは、本当にマーサ様の才能を受け継いでいるのですね」
「そう、だね」
ボクは、そう答えながら、胸の奥でそっと祈った。
二人で馬車での戦い方を学ぶリュカたちの姿は、あまりにも真剣だった。それが誇らしくもあり、同時に、少しだけ怖かった。
――どうか、この冒険が、彼の糧になりますように。
――そして、マーサさんを救うことに、悪い影響を与えませんように。
潮風に揺れる港を見つめながら、ボクは静かに祈り続けていた。
次回、トロッコおじさん
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない