リュカたちをポートセルミに残し、馬車が見えなくなるまで見送ってから、ボクとパパスさんは言葉少なに視線を交わした。
ここから先は――大人の役目だ。
子どもたちに背中を見せる旅ではない。世界の裏側へ踏み込むための、静かな行軍。
パパスさんははリュカから預かっていたゴールドオーブを、そっと掌の中で確かめた。ずっしりとした重みを感じる。ただの宝玉ではない。天空と地上、そして魔界を繋ぐ鍵になるはずだ。
「行こうか」
短く言って、ボクたちは進んだ。水中に沈む天空城――その入り口へ。
辿り着いたのは、岩に塞がれた、空間だった。空気は熱を帯び、呼吸をするだけで肺の奥が焼けるように感じる。
ボクは、マグマの杖を構えた。この杖は、単なる武器ではない。世界の理そのものに干渉する、危険な代物だ。
「下がって」
そう言って、力を解放する。次の瞬間――人智を超えた爆発が起きた。轟音とともに、灼熱の光が洞窟を満たし、地面が大きく揺れる。岩盤が砕け、溶岩が飛び散り、やがて、壁だったはずの場所に、ぽっかりと“道”が開いた。
人工的に掘られた、巨大な洞穴。そこにボクたちは入っていく。
「……これは……」
パパスさんが、思わず息を呑む。
「いったい何なんだ? この、乗り物のようなものは?」
洞窟の奥には、金属製の車輪と、長く伸びる線路。時代錯誤とも言える構造物が、静かに眠っていた。
「確か……トロッコだね」
ボクは記憶を辿る。
「人や荷物を運搬するために使われていたはずだよ。かなり昔の文明のものだ」
近づいて調べてみる。埃をかぶっているが、致命的な破損はない。
「うん……乗って動かすこともできそうだ」
線路は奥へ奥へと続き、闇に飲み込まれている。
「とりあえず、このトロッコを動かす線路の周辺を歩いて行けば、どこかに繋がっていると思う」
「これか……」
パパスさんは線路を見下ろし、低く唸った。
「確かに、まるで道のようだな……」
「乗ってから押すこともできそうだけど、どうする?」
少し考えて、パパスさんは首を振った。
「……いや、乗らないでおこう」
「了解」
不用意な音は、敵に居場所を知らせる。ここは、間違いなく喉元だ。二人で、線路沿いの道を歩く。足音は最小限。呼吸も、意識的に抑える。
今は二人とも、完全に気配を隠していた。大魔王との決戦を、互いに強く意識しているからだ。
しかし体をなまらせるわけにはいかない。気配を隠していても敵と出会う。パパスさんは――凄かった。動きに一切の無駄がない。剣を振るう角度、剣を抜くタイミング、魔物との距離の詰め方。すべてが洗練されている。
彼は、すでにバトルマスターを極めかけていた。
ボクが後衛で賢者として支援し、パパスさんが前衛で敵を薙ぎ払う。
もしここにピエールが加われば、前衛・中衛・後衛が揃った、かなり完成度の高いパーティーになるだろう。……できれば、ボクが回復役に専念できるように魔法攻撃の専門家が欲しいところだけど。
ボクは思案する。大魔王と真正面から殴り合える魔物の存在は、そう多くない。多くの魔物は、その圧倒的な存在感だけで委縮してしまう。
ピエールは騎士としての精神力で耐えられるだろうと思う。何しろ、あのピエールと同じ名前なのだから。ボクの知っているピエールはデスタムーアの威圧にボクと同様に耐えていた。だが――最悪の場合。
ボクとパパスさん、二人がかりだ。
そこに、マスタードラゴンの加護が加われば……勝算は、ゼロではない。しかしできればそんな博打はしたくないけど
そんなことを考えている間にも、パパスさんは現れる魔物を、まるで技の練習台のように倒していく。斬る。砕く。叩き潰す。
レベルも、確実に上がっているはずだ。……正直に言えば。この辺りのモンスターなら。
(もしかして、ボクがいなくても……)
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
――いやいや。
すぐに、首を振る。
油断はいけない。特に、調子がいい時ほど、何が起きても不思議じゃない。ボクはベホマを唱え、パパスさんの受けた傷を丁寧に癒していく。戦いの合間に、確実に回復を挟む。
「さすがに……長いね」
ぽつりと呟く。洞窟は、思っていた以上に深かった。
やがて、道の先に奇妙な仕掛けが現れた。トロッコを使い、谷を飛ぶように進む構造だ。
「……これは」
ボクは下を覗き込む。かなりの落差がある。とはいえ――ボクは飛べる。パパスさんも、助走をつければ跳び越えられるだろう。
「パパスさん。どう? 越えられそう?」
「これぐらいなら、跳べるさ」
即答だった。
「良かった……じゃあ、トロッコは使わずに行こう」
そうして、道なき道を進む。
やがて、足元に冷たい感触が広がった。どうやら、水の中に道が続いているらしい。靴とマントを濡らしながら、二人で慎重に進む。
そして――気が付くと、空気が一変していた。熱も、重苦しさもない。代わりに、胸の奥まで染み渡るような、聖なる力が満ちている。
「……ここは?」
パパスさんが、周囲を見回す。
「分からないけど……」
ボクは目を閉じ、流れる魔力を感じ取った。
「多分、体力を回復できる場所だ。聖なる力を感じる」
まるで、世界そのものが一息ついているような空間。
「ここまで、かなり強行軍だったし……」
ボクは静かに言った。
「ここを拠点にして、探索を進めよう」
「そうだな」
パパスさんは短く答え、剣を下ろした。
嵐の前の、静けさ。
――この先に、天空城がある。
――そして、その向こうに、魔界がある。
ボクは胸の奥で、もう一度だけ決意を固めた。必ず、マーサさんを救い出す。そのためなら、どんな深淵でも、進んでみせる。
☆ ☆ ☆
聖なる力に満ちた場所で短く休息を取り、装備と魔力を整えた後、ボクたちは再び歩き出した。休めたとはいえ、空気は相変わらず重く、天空城の内部に近づくほど、世界の理そのものが歪んでいくのを肌で感じる。
石壁には古代文字が刻まれ、ところどころ崩れ落ちている。長い年月、いや――時間そのものがここでは正常に流れていないのだろう。
やがて、階段状に続く通路を下り、次の階層へと足を踏み入れた。その瞬間だった。
「わー助けてくーれ! 誰かこのトロッコを止めてくれー!!」
間の抜けた、だが切羽詰まった声が、洞窟中に反響した。ボクとパパスさんは、ほぼ同時に足を止める。
――人の声?
ここは天空城へ続く、忘れ去られた地下施設だ。魔物ならまだしも、人間がいるなど考えにくい。どうやって、ここまで来た? いつから、ここにいる? そもそも、生きているのか?
疑問が次々と浮かび、頭の中で絡み合う。だが、声は続いていた。
「頼むー! 目が回るー! もう限界だー!!」
トロッコだ。線路の先、暗闇の中を、古びたトロッコが狂ったように走り続けている。その上で、誰かが必死にしがみついていた。
「……やるよ」
ボクは短く言い、制御用らしきレバーに向かった。錆びつき、今にも折れそうだが、選択肢はない。力を込める。
――バキッ。
嫌な音がして、レバーは途中で砕けた。だが、同時に甲高い金属音が響き、トロッコは火花を散らしながら減速し、やがて完全に止まった。
「……ふぅ……」
トロッコの上から、力の抜けた声が漏れる。
「どなたかは知りませんが、ありがとうございました」
男はふらふらと降りてきた。
「うっかり乗ってしまいましてねぇ。かれこれ……10年近くは廻っていたでしょうか」
――10年?
その一言で、背筋に冷たいものが走った。ボクは即座に警戒を強める。それを察したのか、パパスさんも一歩前に出て、剣に手をかけた。
男はそんなボク達の緊張を意に介した様子もなく、服についた埃を払いながら苦笑した。
「いやー、まいったまいった」
そして、軽く頭を下げる。
「あっ、申し遅れました。私はプサン。信じられないでしょうが――かつて、天空の民だった者です」
……天空の民?
ボクは、思わず男の後ろ側を見る。
翼はない。だが、天空人の中には翼を持たない者もいた。だから、それだけで否定はできない。
だが――おかしい。
天空の民であるなら、ボクを知らないはずがない。勇者ソロ様とともに戦った、モンスターでありながら、最後まで仲間だったホイミスライムを。
「……」
違和感が、確信に変わりつつあった。
「プサンさん」
ボクは、あえて穏やかな声で問いかける。
「ボクが誰だか、分かります?」
「うん?」
男は首を傾げた。
「さて……私も長いこと生きていますからね。もしかしたら、どこかで顔を合わせていたかもしれませんが……」
その瞬間だった。
――シュッ。
風を切る音。パパスさんの剣が、男の首筋に突きつけられていた。
「わっ、わー!? な、何をするんですか!?」
男は慌てて両手を上げる。パパスさんの声は低く、鋭かった。
「私は、二人の天空人を知っている」
剣先が、微かに震える。
「そして二人とも、ホイミンを知っていた。ならば――」
鋭い視線。
「お前は天空人を騙る者だ。一体、何者だ!」
洞窟の空気が、凍りついた。男――プサンは、しばらく目を瞬かせた後、顎に手を当てた。
「ホイミン……ホイミン……ホイミン……」
何かを思い出すように、深く目を閉じる。
その姿は、まるで瞑想だ。記憶の底を、静かに探っているような――。ボクの胸が、ざわつく。知っている。
間違いなく、ボクはこの人を知っている。
誰だ?
誰に似ている?
この喋り方。この間の取り方。この、どこか世界を俯瞰するような視線。
「――ああ!!」
突然、男は声を上げた。
「ホイミンですか!!」
目を見開き、指を鳴らす。
「私より長生きしている、人間になることを願っている、ホイミスライム!! 勇者と共に世界を救った!!」
「……私より、長生き?」
思わず、声が低くなる。
彼は若そうに見える。それで自分より年上がいることが低い確率と言っている。パパスさんは剣を引いた。完全に信じたわけではないが、少なくとも敵意は感じ取れなかったのだろう。
ボクは、必死に記憶を掘り起こす。
長い年月。世界の行く末を見守る存在。深い瞑想。
――誰が、そんなことをしていた?
答えは、喉元まで出かかっていた。
胸が、どくんと鳴る。
まさか。
そんなはずは――。
でも。
「……マスタードラゴン?」
その名を口にした瞬間。
プサンは、にやりと笑った。
人間の笑顔なのに、
その奥に、途方もない時間と力が垣間見えた。
――間違いない。
この男は。
世界の秩序そのものだった。
☆ ☆ ☆
洞窟の空気は重く、湿り気を帯びていた。トロッコの軋む音が完全に止んだあと、奇妙な静寂が訪れる。水滴が岩肌を伝い落ちる音だけが、やけに大きく耳に残った。
松明の炎が揺れ、その影が壁に歪んだ形で踊る。ここがただの地下ではないことを、空気そのものが物語っていた。
「あなたはこんなところで何をしているんですか、マスタードラゴン」
ボクの声は、思っていた以上に硬く、刺々しかった。自分でも分かる。怒りが抑えきれていない。胸の奥で、長い年月をかけて澱のように溜まっていた感情が、今まさに噴き出そうとしていた。
――十年だ。マスタードラゴンは、人の姿で、力を封じ、トロッコに乗り続けていたという。その十年の間に、世界はどれほどの危機を迎え、どれほどの命が失われかけたか。天空城は沈み、勇者の血統になりうる子どもたちは、何も知らぬまま運命に巻き込まれつつある。
怒らずにいられるはずがなかった。
「いえ、私も人間と触れ合ってみたくなりましてね」
マスタードラゴン、今はプサンと名乗るその男は、困ったように、しかしどこか懐かしむように微笑んだ。
「力を封印して、人間として生きていたのです。いや……ホイミン、あなたが人間になりたがる理由が、ようやく分かりましたよ。私も人間として生きてみて、非常に楽しかったですからね」
その言葉が、ボクの胸に火を注いだ。
――楽しかった? 人間として生きることが? じゃあ、どうして。
「……何を言っているんですか」
ボクの声は震えていた。怒りだけじゃない。悲しみと、悔しさと、どうしようもない無力感が混ざっていた。思い出す。勇者ソロ様の背中。そして、引き裂かれた未来。
「マスタードラゴン!!」
叫びは洞窟に反響し、岩壁に叩きつけられて返ってくる。
「なら何で、ソロ様とお母さまを引き離した!!」
松明の火が大きく揺れた。まるで世界そのものが、ボクの怒りに応えるように。
「人間は素晴らしい!! それには同意します!! でもあなたは絶対者として生きることを選んだ!!」
一歩、前に出る。小さな体でも、今は引くわけにはいかなかった。
「なのに何故、こんなところにいる!! 天空城で暮らすことをソロ様への報酬とし、本当に願っていた幼馴染の蘇生を叶えなかった!!」
胸が苦しい。言葉を吐くたびに、過去が蘇る。
「今もそうだ!! 天空城は沈んだんだぞ!! それは世界に何かが起きている証拠じゃないですか!!」
拳が震える。
「何故、力を封印したままなんですか!! 何故、世界を混乱の真っただ中に落としているんだ!!」
パパスさんが黙って立っている。その背中が、ボクを支えてくれているように見えた。
「それじゃレック様が……ソロ様が!! みんなが!! 何のために世界を救ったのか分からないじゃないか!!」
声が掠れる。それでも、止まれなかった。
「皆、命を懸けて戦ったんだ!! あなたのためじゃない!! 今を生きる人たちのために!! ああ、そうだ!! ボクのことは忘れてもらってもいい!!」
――本音だった。ホイミンなんて、所詮は一匹の魔物だ。
「でも、あなたがソロ様たちを忘れるのは……それは、それはソロ様たちへの冒涜だ!!」
沈黙が落ちた。マスタードラゴンは、しばらく何も言わなかった。ただ、深く、深く息を吐き、まるで何百年分もの重荷を下ろすかのように、肩を落とした。
「……あなたの糾弾は、真正面から受け止めましょう」
その声は、かつての絶対者のものではなかった。悔恨を抱えた、一人の存在の声だった。
「もう、勇者ソロのことで私を糾弾できるのは……あなただけなのだから」
胸が、少しだけ痛んだ。
「あの頃の私は、若かった……」
マスタードラゴンは、遠い過去を見るように目を伏せる。
「人間のすばらしさを知らなかった。天空人と人間が交わるのは間違いだと、思い込んでいたのです」
洞窟の静寂が、その言葉を受け止める。
「今では、それが大きな間違いだったと分かっています。私は、自分が絶対者として存在していいのか、疑問を抱くようになりました」
だから――と、彼は続ける。
「人間として旅をした。その結果、私の在り方は、間違っていたと悟ったのです……」
長い沈黙。
「……もっと早く、悟ってほしかったですよ」
それが、ボクの精一杯だった。怒りは消えていない。でも、それ以上に疲れていた。ボクは静かにパパスさんへ視線を送る。今、言うべき言葉は、ボクじゃない。
パパスさんは一歩前に出て、深く息を吸った。
「……マスタードラゴン」
低く、揺るがない父親、妻を救うために命を懸けた男の声。
「今ここで、ホイミンの世界を救った報酬をもらい受けたい」
マスタードラゴンが、目を見開く。
「ホイミンは、その報酬を私に譲ってくれるという。だから――」
拳を握りしめる。
「私の妻、エルヘブンの巫女マーサを、大魔王の手から解放する力を貸してほしい」
洞窟の奥で、何かが鳴った気がした。それは、運命の歯車が動く音だったのかもしれない。
「……私が直接、力を振るうことはできません」
マスタードラゴンは静かに答えた。
「ですが、ミルドラースへの道は開きましょう。それはホイミンへの報酬ではなく――」
顔を上げる。
「私自身の過ちを、正すために」
そして、ボクを見た。
「ホイミン。すべてが終わったら、天空城に住みませんか」
意外な言葉だった。
「私の過ちを、正面から諫言できるのは、あなただけでしょう。私には……あなたが必要だ」
しばらく、言葉が出なかった。そして、ゆっくりと答える。
「……マーサさんを救った後に」
リュカたちの顔が浮かぶ。
「リュカたちの旅路を見送った後なら」
それが、今のボクの答えだった。
洞窟の奥で、かすかに風が吹いた。未来はまだ、闇の中だ。それでも――進むしかない。勇者たちが繋いだ、この世界のために。
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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