第21話 緊急事態
「そう、ですか。ではまずは天空城へ向かいましょう。何故、天空城が墜落したのかを探らなくては……」
マスタードラゴン、今はプサンと名乗る男の声は、以前よりもずっと静かで、抑制されていた。かつて世界の均衡を司っていた存在とは思えないほど、人間的な迷いが滲んでいる。
「恐らく、ゴールドオーブが落ちたからだと思います」
そう答えながら、ボクはパパスさんへと小さく視線を送った。言葉にしなくても通じる。長い旅路で培われた信頼だった。
パパスさんは黙って頷き、腰の袋を開く。中から現れたのは、鈍いながらも確かな輝きを放つ金色の球体――ゴールドオーブ。
「何と……」
マスタードラゴンの目が、わずかに見開かれた。
「原因が分かったのは、幸先がいいですね」
だがその声には、安堵よりも自嘲が混じっているように聞こえた。原因が分かっても、失われた時間は戻らない。 それを彼自身が、誰よりも理解しているのだろう。
それから三人は、ほとんど言葉を交わすことなく天空城へと向かった。洞窟を抜け、かつて空に浮かんでいた神域へと続く道を進む。
パパスさんは、きっとマスタードラゴンに思うところがあるはずだ。彼が「絶対者」としての役割を全うしていれば――大魔王がここまで世界に干渉することも、マーサさんが攫われることもなかったかもしれない。
それはもしもの話だ。でも、そのもしもは、あまりにも重い。
ボクも同じだ。マスタードラゴンが反省していることは分かる。でも……遅すぎる。もう、世界は動いてしまった。
リュカたちは運命に巻き込まれかけている、ソロ様たちの件は……。取り返しは、つかない。
マスタードラゴンも、それを受け入れているのだろう。彼から話しかけてくることはなく、ただ黙々と先を歩いていた。その背中は、以前よりも小さく見えた。
やがて、これまで避けてきた場所へと辿り着く。レールが途切れず続き、深い闇へと伸びる――トロッコの通路だ。
「……ここは、トロッコを使う必要がありそうだね」
ボクがそう言うと、マスタードラゴンが苦笑する。
「そうですね……まさか、あなた達がトロッコを使わずに力技で来ているとは思いませんでしたよ」
マスタードラゴンの言葉には、少しだけ驚きと呆れが混じっていた。
「マスタードラゴンのように、回り続けたくはなかったからな……」
パパスさんは肩をすくめ、こちらを見る。
「大丈夫だと思うか? ホイミン」
「何かあれば、ボクが飛んで止めればいい。だから大丈夫」
それは事実だった。ボクは飛べる。そして、もう二度と、誰かを無力なまま回り続けさせるつもりはなかった。パパスさんは、短く頷く。
「じゃあ、進もう」
トロッコが動き出す。車輪の音が洞窟に反響し、やがて光が見えた。
――天空城だ。
湖の底に沈むその姿は、どこか幻想的で、かつてレック様と旅した際に訪れた、海中に眠る城を思い出させた。水に包まれているはずなのに、息苦しさはない。
「……呼吸も問題ないですね」
「やはり、何らかの加護が残っているのでしょう」
マスタードラゴンが呟く。かつて自分が与えた加護を、今は他人事のように語るのが、少しだけ痛々しかった。プサンを先頭に、ゴールドオーブが本来掲げられていた場所へと向かう。そこには、無残にも大きな穴が開いていた。
ここから、世界を支えていた要が、落ちたのだ。
「まずは……穴を塞いだ方がよさそうですね……」
「そうですね。また同じように落ちるのはごめんですから」
ボクは一歩前に出る。
「ボクがルーラでグランバニアに戻って、板を借りてきます」
「お願いします。私は、他に異変がないか調査しておきましょう」
マスタードラゴンがそう言い、周囲を見渡す。
「パパスさんは、マスタードラゴンの護衛をお願い」
ボクは続けた。
「力を封印している以上、何かあった時に護衛は必要だと思うから」
「そうだな」
パパスさんは頷いた。
「板さえ持ってきてくれれば、穴は私が塞ごう。本格的なものは無理だろうが、一応、大工の真似事くらいならできる」
その言葉に、少しだけ安心する。役割が決まるというのは、心を落ち着かせる。こうして、ボクとパパスさんは別行動を取ることになった。
ボクはルーラでグランバニアへ戻る。城の上空に降り立つと、すぐに兵士の一人がこちらに気づいた。
「……あっ、ホイミン殿!」
この国では、ボクはもうただの魔物じゃない。リュカの仲間として受け入れられていた。
「兵士さん。穴を塞ぐために、板を用意してくれませんか?」
「分かりました……」
兵士は頷きつつも、少し困ったような表情を浮かべた。
「ただ、オジロン殿下と大臣閣下が……陛下の帰還をお待ちしております。我々には知らされていませんが、何か重大なことが起きているのではと……」
「そうなの?」
胸が少しだけざわつく。
「なら、ボクが伝言役になるね」
「ありがとうございます」
そう言って、ボクは城の奥へと向かった。オジロン殿下や大臣たちが待つ場所へ。世界は、確実に動いている。その中心に、リュカたちがいる。
――急がなくちゃ。ボクは、小さな体で走り出した。
☆ ☆ ☆
ボクはオジロン殿下や大臣たちが集まっている広間へと向かった。城内は、どこか落ち着きがなかった。普段であれば整然としているはずの空気が、ざわつき、揺れている。兵士たちの視線は宙を彷徨い、女官たちの動きもどこか慌ただしい。
嫌な予感が、胸の奥でじわじわと広がっていく。
広間に足を踏み入れると、案の定、そこには混乱があった。大臣たちは円陣を組むように集まり、低い声で言葉を交わし合っている。オジロン殿下は玉座の前に立ったまま、腕を組み、珍しく険しい表情を浮かべていた。
「どうしたの? 何かあった?」
ボクが声をかけると、何人かがはっとこちらを振り返る。
「これはホイミン殿!!」
オジロン殿下が、縋るような声を上げた。
「陛下は……兄上は、どちらにおられるのですか!!」
「天空城にたどり着いたよ」
ボクはできるだけ落ち着いた声で答えた。
「今から天空城を浮遊させる。マーサさんを助け出す最後のカギも、もう手に入った」
その瞬間、空気が変わった。張り詰めていた糸が、一瞬だけ緩む。
「それは……それは!!」
オジロン殿下が、思わず声を上げる。
「これで兄上も、グランバニアも……ようやく報われる!」
だが、その喜びは長くは続かなかった。
「殿下」
年長の大臣が一歩前に出る。まるで何か問題が発生したことを思い出させるように。
「確かに、これ以上ないほど喜ばしい報せです。しかし……問題も、同時に発生しております」
その言葉にボクは首を傾げた。
「……問題?」
オジロン殿下の眉が寄る。
「一度、陛下には帰還していただかなければなりません」
「むっ……そうであったな」
オジロン殿下は一瞬考え込み、そして決断したようにボクを見る。
「ホイミン。今すぐ兄上を連れて帰ってきてほしい。兄上でなければ、対処できない問題ができたのだ」
胸が、嫌な音を立てた。
「パパスさんしか、対処できない問題?」
ボクは思わず前に出る。マスタードラゴンに協力を取り付けた。もうあと一歩なのだ。あと一歩でマーサさんを救出できるのだ。それ以上に優先すべきことはないと思うのだが…。
「今、マーサさんを救うあと一歩まで来ているんだ。パパスさん抜きじゃ、どうにもならないの?」
「それは……」
オジロン殿下は言葉を濁し、視線を横へと逃がした。まるで自分ではうまく説明できないかのように。
「女官長。事情をホイミンに説明してくれ」
「……承知しました」
一人の女性が、静かに前へ出た。彼女は確か――リュカたちに同行し、帝王学を教えるために付けられた人物だ。礼儀作法、政治、国を背負う覚悟……そしてリュカの最後の護衛でもある。
まさか。
胸が嫌な予感で締め付けられる。
「リュカたちに、何かあったの!?」
ボクの声は、思った以上に強く響いた。もし何かあったのなら、急いでリュカたちの元へ向かわなければ。ボクの大切な友達を守るために。
「その……あったと言えば、あったのですが……」
女官長の歯切れの悪さに、確信が深まる。
空気が重い。だが、命に関わる怪我ではない。もしそうなら、ボクはこの場に呼ばれる前に現地へ飛ぶように言われているはずだ。
「……とにかく、概要だけ説明して」
ボクは深呼吸し、言った。
「それを、ボクがパパスさんに伝える」
女官長は一度、目を伏せ、覚悟を決めたように口を開いた。
「私は帝王学を教えると同時に……将来のお世継ぎを、リュカ殿下にお作りいただくため、そのための心構えや作法もお伝えしておりました」
嫌な予感が、現実味を帯びてくる。
「もちろん、私自身が関わることはありません。ありませんが……陛下が指名されたリュカ殿下付きの女官である、ビアンカにも……同様の教育を行いました」
……うん?
「それで、殿下も十三歳になられましたので……私の目の届く範囲で、段階を踏んで……」
女官長は言葉を選びながら続ける。
「必要な配慮も、万全にしておりました……ですが……」
ボクの背中を、冷たいものが走る。
「……殿下とビアンカは、深く想い合っておられたようで……」
――ああ。
「……私の目を盗んで……」
その先は、聞かなくても分かってしまった。
「……ビアンカ様のお腹の中に……お世継ぎ様が、宿っておられるようなのです」
頭の中が、真っ白になった。次の瞬間、ボクはもう動き出していた。いや、走るより早い。ルーラ。天空城。風を切り、空間を越え、ボクは一瞬で天空城へと戻った。
「パパスさん!!」
天空城に、声が反響する。
「パパスさん!! 大変だ!! 緊急事態だ!!」
「なんだ!?」
パパスさんが振り返る。
「まさか、リュカたちに何かあったのか!? それとも、グランバニアか!!」
ボクは、一息で叫んだ。
「ビアンカが……リュカの子どもを、身ごもったらしい!!」
一瞬。世界が、止まった。
「―――――はっ?」
パパスさんの声は、完全に思考が追いついていない音だった。
……ああ。これは、本当に――とんでもない緊急事態だ。
☆ ☆ ☆
マスタードラゴンには本当に悪いと思った。けれど――父であり、王であるパパスさんにとって、今この瞬間、マーサさんよりも優先せざるを得ない事態が起きてしまったのも事実だった。
パパスさんは一言も文句を言わなかった。ただ、奥歯を強く噛みしめ、短く息を吐き出すと、
「……戻るぞ」
それだけを告げ、グランバニアへ向けてボクがルーラを唱えるのを待っていた。その背中は、先ほどまで大魔王討伐を見据えていた夫のものではなく、完全に父親の背中だった。
そして、ほぼ同時だった。キメラの翼の羽音が、城の上空を切り裂いたのは。リュカたちも、ポートセルミから帰還してきたのだ。
城門前の広場に降り立った彼らの姿を見て、ボクは一瞬、現実から目を逸らしたくなった。リュカは確かに少し成長していた。表情は引き締まり、立ち姿にも覚悟が宿っている。だが、それでもまだ十三歳だ。
そして、その背後には――。
「……また、ずいぶん増えたね」
思わず、そう呟いてしまった。
キメラのメッキーが大きな翼をたたみ、周囲を警戒するように唸っている。腐った死体のスミスは、包帯の隙間からこちらを見て、ぎこちなく頭を下げた。ビッグアイのガントフは、その巨大な目を細め、ボクを見つめている。爆弾岩のロッキーは、ずしんと音を立てて立ち止まり、おどる宝石のジュエルは、くるくると宙を舞いながら、どこか楽しげに輝いていた。
……さすがだ、リュカ。こんな状況でも、彼は確実に仲間を増やしている。
どうやら、彼らにはすでにボクのことが伝えられていたらしい。全員が、まるで申し合わせたかのように、ボクに向かって頭を下げた。
その仕草に、胸の奥が少し痛んだ。力量差を理解しているというのは、時として残酷だ。
――だが。
現実逃避をしている場合ではない。ボクにしかできない役目が、今、目の前にある。ルーラでアルカパへ飛び、ビアンカのお父さん、ダンカンさんを呼び出した。同時に療養中の、マグダレーナさんにも城へ来てもらう。
二人には、詳しい事情は伝えていない。ただ「国家と家族に関わる緊急事態」だとだけ告げた。重苦しい空気の中、会議室には必要な人間だけが集められた。
リュカは、ビアンカと一緒にいた。
兵士たちが、サンチョさんが一度、二人を別々にしようとしたらしいが、リュカははっきりと拒絶したという。それだけではない。
スラリン、ドラきち、プックル。
幼い頃から二人を見守ってきた仲間たちは、まるで壁のように立ち塞がり、決して二人を引き離させなかったそうだ。
彼らにとって、リュカとビアンカは守るべき友達なのだ。それが、たとえ王命であっても。他の仲間モンスターたちは、何が起きているのか分からず、ただ緊張した様子で周囲を見回している。
そして、この場にはもう一人。一人の騎士として、ピエールにも参加してもらった。重い沈黙を破ったのは、パパスさんだった。
「……それでだ、女官長」
低く、抑えた声。
「いったい何があったのか。ここにいる全員に説明してくれ」
「は、はい……」
女官長は深く頭を下げ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「私は帝王学をリュカ殿下に教えておりました。同時に、将来お世継ぎをもうけていただくための心構えや作法についても……」
「……なに?」
マグダレーナさんの顔色が変わる。
「国王陛下が、ビアンカ様をリュカ殿下付きの女官とされましたので……私は、その……てっきりそう言うことなのかと思いまして……」
「なっ、なんだって!!」
マグダレーナさんが叫んだ。
ダンカンさんは、完全に言葉を失い、目を見開いたまま固まっている。
「……目を離さないよう、最大限配慮しておりました。ですが……」
女官長の声は震えていた。
「お二人は、友達としてだけでなく……男女としても、深く想い合っておられたようで……」
「……」
「幼少期から殿下の友であったモンスターたちも……結果的に、その……私の目の届かない状況を作ってしまったようで……」
「なんてことだ……!」
ダンカンさんが机を叩いた。
「パパス!! どう責任を取ってくれるんだ!!」
「もちろんだ」
パパスさんは、逃げなかった。
「リュカには、必ず責任を取らせる」
だが、続く言葉は慎重だった。
「……だがその前に、なぜ二人がそんな行動に及んだか知る必要がある。リュカが無理やり……二人の様子を見るにないと思うが、それも考慮して別々に呼び出して――」
ボクは、首を振った。
「いや、パパスさん」
皆の視線が、ボクに集まる。
「後で、大人同士で話す必要はある。マグダレーナさん、ダンカンさんとビアンカも。パパスさんとリュカも」
少しだけ、言葉を区切る。
「でも、その前に……ボクに、リュカたちと話をさせてほしい。お願いします」
ボクは深く頭を下げる。パパスさんは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……そうだな」
苦い笑み。
「今の私では、感情が先に出てしまうかもしれん」
そして、静かに頷いた。
「一先ず、ホイミンに任せよう。その後で、どうすべきかを決める」
その瞬間、ボクははっきりと覚悟を決めた。これは戦いじゃない。呪文も剣も使えない。だけど、誰かが、子どもたちと大人たちの間に立たなければならない。その役目を果たせるのは、たぶん、今は、ボクだけだ。
「それでピエール。二人は今どうしている?」
「……離れ離れにされるのではないか、子どもを無理やり堕ろさせられるのではないかと恐れています」
その言葉に会議室がこわばった。
「……とりあえず、ボクがリュカたちと話してくるね」
そう言って会議室から僕は出て行った。
トルネコさんのアンケートはそろそろ締め切ります
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない