そしてそれから、リュカたちの時間は、確かに、だがあまりにも静かに、ビアンカの出産の日へと流れていった。
季節は移ろい、城を囲む木々の葉は色を変え、城下町の空気もどこか浮き立っていた。人々は未来を信じて疑わず、明日を祝う準備に忙しい。けれど、その明るさの裏で、ボクだけはずっと、胸の奥に小さな棘のような違和感を抱え続けていた。
城壁の上に立ち、外を見渡す。城下町からは、笑い声や怒鳴り声、酒場の歌まで、雑多な音が風に乗って届いてくる。
「男の子だ」「いや、女の子だ」
そんな声が聞こえてきて、思わず小さく息を吐いた。
――賭け、か。
それが悪いとは思わない。人々は祝福しているのだ。新しい命を、王家の未来を。けれどボクは知っている。生まれるということが、時にどれほど過酷な運命を連れてくるかを。
城内、ビアンカが出産する部屋の隣には、スラリンたちが控えている。小さな体で、普段よりも背筋を伸ばし、まるで自分たちが盾にでもなるかのように、じっと扉を見つめていた。
リュカもいた。まだ少年の面影を残した顔は、期待と不安が入り混じり、落ち着かない様子で何度も立ち上がっては座り直している。
ダンカン夫妻も、静かに、だが確かな覚悟をその表情に刻んで寄り添っていた。パパスさんだけは、その場にいない。
国王として、政務という名の責務を果たしている。だが、それは離れているという意味ではない。城全体に、張り詰めた警戒が敷かれているのを、ボクは肌で感じていた。
本当は――
本当は、ボクも隣でビアンカの出産に立ち会いたかった。
新しい命が、この世界に生まれ落ちる瞬間を、この目で見届けたかった。リュカとビアンカが、親になる瞬間を、祝福したかった。
けれど、ボクは城壁を離れなかった。直感が、ずっと囁いている。今日、とてつもないことが起きる、と。それが何なのか、具体的には分からない。
けれど、勇者ソロ様の時――あの、取り返しのつかなかった悲劇と、同じ匂いがする。
嫌な汗が、体を伝う。誰も、犠牲にさせない。ボクがいれば、大丈夫なはずだ。たとえ、ゲマが数千の魔物を率いて現れようとも。この城を、この家族を、必ず守り抜ける。
……いや。
それは慢心かもしれない。
レック様たちがいれば、間違いなく守れた。ソロ様たちがいれば、恐れるものなどなかった。けれど、今この世界に残された勇者の仲間は、ボク一人だ。
もし――もし、リュカとビアンカの赤ちゃんが勇者なら。宿命は、必ず牙を剥く。それは逃げられない。歴史が証明している。
だけど。
だからこそ、ボクとパパスさんがいる。その宿命を、子どもたちの肩に背負わせないために。普通に笑って、泣いて、成長して。
王子として、王女として――いや、一人の人間として、生きられる未来を。
必ず、守る。
(皆……)
胸の奥で、必死に祈る。
(皆、ボクに力を貸して)
もうこの世界にいない仲間たち。レック様、ソロ様、その仲間たち。そして、共に戦った名もなき者たち。
どうか、見ていてほしい。
そして――
「ホイミン殿!!」
鋭い声が、緊張を切り裂いた。
「生まれました! 生まれました! 王子様と王女様! 双子様でございます!!」
一瞬、世界が止まった気がした。次の瞬間、胸に溜まっていた息が一気に抜ける。
「……そっか」
思わず、笑っていた。
「よかった……本当に、無事に生まれて」
兵士の顔も、興奮と安堵で赤くなっている。
「城下町では皆、酒盛りをするらしいですが、ホイミン殿もいかがですか?」
その言葉に、首を振る。
「……いや、ボクはいいよ。パパスさんや兵士の皆さんも、お酒を飲むの?」
「いいえ!」
兵士は即座に答えた。
「我々には、マーサ様を攫われたという、兵士としての屈辱があります。無いとは思いますが、同じ事態を繰り返さぬため、厳戒態勢を敷いております!」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
「パパス様もお酒は口にせず、王子様と王女様のお顔を見に行っております!」
「……そっか」
小さく頷く。
「なら、よかった。パパスさんに伝言をお願いできる?」
「もちろんです! 陛下には何と?」
「油断だけは、しないでねって」
「承知しました!」
兵士は一礼し、続けて言った。
「それと、リュカ様とビアンカ様が、ホイミン様に王子様たちを見てほしいと」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……そっか」
行きたい。今すぐ、会いに行きたい。小さな命を、この目で確かめたい。
けれど。
「明後日、必ず会いに行くから、待っててって伝えて。……本当は、今すぐ行きたいんだけどね」
「承知しました。その言葉もお伝えいたします!」
兵士はそう言って、駆け去っていった。一人、城壁に残される。空には、雲一つない。まるで何事も起こらないと、世界が言い張っているみたいだ。
でも、ボクは目を逸らさない。
どんな運命が牙を剥こうとも。どれほど残酷な未来が待っていようとも。リュカたちを守る。その誓いだけは、決して揺るがない。
――そう、ボクは心に刻み続けていた。
☆ ☆ ☆
静寂が、城壁の上に満ちていた。
夜風が、石造りの壁をなぞるように吹き抜ける。月明かりは雲に隠れ、空は暗く、まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった。ボクは城壁の上に座し、目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
――瞑想。
いつでも戦えるように。どんな事態が起きても、即座に反応できるように。魔力の流れを体内で巡らせ、剣の感触、盾の重み、足場の感覚を一つ一つ確かめる。不思議と、心は静かだった。
確信があった。来ると。
そして――
背筋を、冷たいものが走った。空気が、歪む。魔力の濁流のような気配が、城の外側から押し寄せてくる。ボクは、目を開いた。
「ほっほっほ! お久しぶりですね!」
不快な、耳障りな笑い声。
「ホイミスライムのホイミン!」
闇の中から現れたその姿を、ボクは決して見間違えない。
「……お前は」
兵士から借り受けた剣を抜き、盾を構える。心臓が、強く打つ。
「ゲマ!!」
迷いはなかった。言葉よりも先に、体が動く。
「マヒャド!!」
凍てつく魔力が一気に解き放たれ、鋭利な氷柱となってゲマへと迫る。
――だが。
光が弾け、氷は軌道を変えた。
(――マホカンタ!!)
反射されたマヒャドが、今度はボク自身を襲う。咄嗟に剣を振る。火炎斬り。炎の刃が氷を砕き、衝撃が空気を震わせる。
煙が晴れた、その先。
――空が、埋まっていた。
無数の魔物。翼あるもの、這いずるもの、巨大な影、小さな影。地上にも、黒い波のようにモンスターが広がっている。
……数が、違う。
想定していた最悪を、遥かに超えている。
(五万……六万……いや、十万、かな)
攻撃呪文は封じられた。マホカンタの光が、ゲマの周囲で不気味に揺れている。
……それが、どうした。
ボクは、勇者の仲間だ。呪文だけが、戦いのすべてじゃない。
「お前たち!!」
ゲマの声が、戦場全体に響く。
「城壁を狙いなさい!! 自由に行動させてはいけません!!」
次の瞬間。炎、雷、冷気、闇。無数の攻撃が、一斉に城壁へと放たれた。だが――
ボクは、すでに動いていた。
マジックバリア。
フバーハ。
スクルト。
重ねがけされた防御の光が、城壁を包み込む。
「……ここからだ」
勝負は、ここから。
ゲマを討つ。それさえ果たせば、城内の安全は確保できる。
「行くぞ!!」
剣を振り上げる。
「しんくうは!! さみだれけん!!」
真空の刃が、群がる魔物を切り裂く。数体、数十体、数百体――それでも、減った実感がない。
――多すぎる。
攻勢に出ることで、城壁は守れる。だが、このままでは……。
(体力が……持たないかもしれない)
なら。
命を、削る。この命は、リュカたちのためにある。人間になりたいとの未来が消えるのは、少しだけ――ほんの少しだけ、惜しいけれど。
「――グランドクロス!!」
光が、夜を引き裂く。聖なる十字が、無数の魔物を薙ぎ払う。
「ほっほっほ!」
ゲマは、笑っていた。
「さすがのあなたでも、この数は相手にできないでしょう」
忌々しい声。先ほどから敵の首魁であるゲマを狙おうしているが他のモンスターを盾に使っている。このままでは届かない。
「調べさせてもらいましたよ。裏切り者のホイミスライムさん」
「それが……どうした!!」
飛びかかってきたドラゴンを、ドラゴン斬りで叩き落とす。
「あなたは異端だ。この時代に、ダーマ神殿の加護を受けた者が生きているとは……ですが、それも今日までです」
放たれたメラゾーマを、マヒャド斬りで切り捨てる。さらにかまいたちの技でゲマに追撃をするが、魔物を他にして逃れられる。
「な、め、る、な!!!!」
叫びが、喉を焼く。
「この程度のモンスターが! 十万や二十万で襲ってきても、ボクには脅威じゃない!!」
「そうでしょうとも!」
ゲマは、待っていたかのように手を広げる。
「ですので! 魔界のモンスターを百ほど、追加しました!!」
嫌な予感が、現実になる。魔界のモンスター……。それが百体。勝てるだろうか……。いや負けるわけにはいかない!
「さぁ! 城壁を破壊するのです!!」
「……やらせるか!!」
魔界の魔物たちの前に、飛び出す。剣で切り伏せ、特技で薙ぎ、傷を呪文で癒す。
だが――
(くっ、攻撃呪文をゲマのマホカンタがあるせいで使えない……しかも自由に動くこともできない……いや、グランバニアの兵士の人たちはどうしてる? なぜ、戦いに参戦しない。パパスさん以外は足手まといだ。だがそれでも彼らは命を懸けてモンスターと戦うはずだ。なのに、戦っていない……まさか)
「……まさか! この攻勢は囮!?」
「ほっほっほ!」
ゲマの笑いから、それが確信に変わる。
「さすがです! ですが、知ってどうします?」
闇の視線が、ボクを貫く。
「あなたには、この場で死んで頂きます! 確かにこの攻勢はあなたをくぎ付けにして別動隊に攻めさせるための物ですが、あなたの命を奪うのも目標なのですよ!! あなたは目障りですからね!!」
――違う。
ここで倒れるわけにはいかない。
(リュカ! ビアンカ! パパスさん!!)
心の中で叫ぶ。
(持ちこたえて!!)
必ず行く。
必ず、救援に――。
剣を、強く握り直した。
☆ ☆ ☆
王子と王女が産まれたという報せを受けた瞬間、私はほんの一瞬だけ、肩の力を抜いてしまったのだと思う。
城全体が祝福に包まれ、兵士たちの顔にも安堵と喜びが浮かんでいた。城下町から聞こえてくるざわめき――酒盛りの準備をしているのだろう、笑い声や楽器の音が、風に乗ってかすかに届いていた。
……だが、それはあまりにも短い平穏だった。
「陛下!!」
扉が乱暴に開かれ、兵士が息を切らして駆け込んでくる。
「モンスターが攻め込んでまいりました! 数は十万を越えます!」
その言葉で、胸の奥に灯った安堵は一瞬で消え失せた。
「……何だと?」
嫌な予感は、当たるものだ。
「兵士たちに命じて城下町の民を避難させろ! 一人でも多く守れ!!」
「承知しました!!」
兵士が踵を返した、その直後だった。
「陛下!! 城下町にもモンスターが侵入しております! 外壁を越えた痕跡はありません! 魔法陣によるものかと!」
「……やはりか」
拳を強く握りしめる。
「民を守れ!! 私も前線に出る! 宮廷魔術師は魔法陣を探し、直ちに破壊せよ!!」
「承知しました!!」
こうして、私は剣を手に取り、城下町へと駆け出した。胸の奥では、祈りが渦巻いていた。
――リュカ、ビアンカ、そして生まれたばかりの子どもたち。どうか、無事でいてくれ。
(城下町への魔法陣……これは陽動だ)
剣を振るいながら、頭は冷静だった。
(本命は、あの子たちだ。勇者の可能性を持つ存在……狙わぬはずがない)
だが、できることはある。
「下級大臣の屋敷へ向かえ!!」
血に濡れた剣を振り上げ、命じる。
「裏切り者の可能性がある! 屋敷内を徹底的に調べろ! 魔法陣があるかもしれん!」
「承知しました! ですが陛下の護衛は……!」
「不要だ!! 私一人の命より、民の命を守れ!! 行け!!」
「はっ!!」
私は戦い続けた。斬って、斬って、斬り伏せる。魔物の数は尽きないが、民の悲鳴が減っていくのが分かった。
(ホイミン……)
城壁の外で、十万近い敵を一人で引き受けているであろう、あの友の姿が脳裏をよぎる。
(お前の方が、よほど危険なはずだ……)
だが、優先順位は決まっている。それは、ホイミンも承知の上だ。――まずは、リュカたちを守る。
「陛下!!」
血に塗れた兵士が駆け寄ってくる。
「魔法陣を発見! 下級大臣を拘束しました!! 宮廷魔術師が魔法陣を破壊しております!」
「よくやった」
剣を下ろし、息を整える。
「残敵を一掃せよ。私は……息子の元へ向かう」
別塔へと走る。嫌な予感が、胸を締め付けていた。扉を蹴破るように開いた瞬間、視界に飛び込んできた光景に、言葉を失った。
――倒れている仲間。
血に染まった床。
息をしていないキメラの、メッキーの姿。
「……リュカ!」
奥へ進むと、他の仲間たちも倒れていた。
そして――。
リュカが、床に伏していた。
「リュカ!! 無事か!!」
膝をつき、手を掲げる。
「ベホイミ!!」
淡い光が彼を包み、リュカは苦しそうに呻きながら目を開いた。
「父……さん……」
その声に、胸が締め付けられる。
「ビアンカが……テンが……ソラが……誘拐されて……母さんの命令だって嘘をついて」
必死に言葉を紡ぐ息子。
「ビアンカが追いかけた……僕も……行かなくちゃ……」
「待て!!」
私は息子の肩を掴んだ。
「まず仲間たちを回復させる。それからだ。戦力を整えねば、全員死ぬ」
「……分かった」
その後、ダンカン夫妻、プックル、ピエール、ロッキーを回復させていく。そして最後に、倒れている大きな影の元へ向かった。
――ガントフ。
息が、あった。
そして……かすかな、子どもの泣き声。
「ガントフ……?」
リュカが声をかける。
「リュカ……」
ガントフは、震える手で腹部を示した。
「赤ちゃん……守った……」
その腹の下には、双子の子どもたちがいた。
「スラリン……言った……赤ちゃん……守れって……」
その言葉を最後に、ガントフの体から力が抜けた。気づけば、私の頬を涙が伝っていた。本当に……命を賭して、守ってくれたのだ。
「ガントフ……」
リュカの声が震える。
「ガントフ、ガントフ! 目を開けてくれ、死なないでくれ!! 頼む……いやそうだ! 父さん、ホイミンはホイミンはどこにいるんですか! ホイミンならまだ救えるはずだ!!」」
その問いに、私は歯を食いしばった。ああ。ホイミンが来れれば確実に蘇生してくれるだろう。だが今は難しい
「……十万近いモンスターを、一人で引き受けている」
事実を告げるしかなかった。その言葉にリュカは驚きの表情をしていた。
「今のホイミンには……蘇生に割ける余裕はない」
「……そんな……」
ホイミンがいれば何とかなる。そう考えていたのかもしれない。ああ、確かに敵が十万も用意しなければすぐに蹴散らしてくれるだろう。
息子が呆然としている。
「リュカ!!」
声を張り上げる。
「お前は、ビアンカを救うのだろう!!」
その言葉で、息子ははっと我に返った。視線に力が戻った気がした。
「……父さん、仲間たちの亡骸と……子どもたちをお願いします」
「分かった」
私は、強く頷いた。
「必ず助け出してこい。状況が変われば、私もすぐに追う」
――必ず、生きて再会する。
それが、父としての誓いだった。
ゲマP「十万に勝てるわけないだろ!!」
ホイミン「馬鹿野郎、お前、俺は勝つぞお前!!(天下無双)」
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない