ただ静かに、ボクは城外の掃除をしていた。
夜明けからずっと、同じ作業を繰り返している。剣で斬られ、呪文で焼かれ、あるいは押し潰されたモンスターたちの亡骸が、城壁の外にはまだ無数に残っていた。血と土と焦げた肉の匂いが混じり合い、鼻の奥にこびりつく。
「……ベギラゴン」
両手を掲げ、炎の奔流を放つ。赤い炎が地面を舐め、死骸を包み込み、やがて灰へと変えていく。骨が爆ぜる音、脂が燃える音。そのすべてが、ボクの耳と心を削っていった。
メガザルは……唱えられなかった。
あの時、パパスさんに、マスタードラゴンに、仲間たちに止められた。分かっている。分かっているんだ。それが間違いだということは。
(……ボクの贖罪は)
心の中で、何度も繰り返す。生きること。テンとソラを守ること。そして、必ず――リュカとビアンカを、再び家族のもとへ戻すこと。
それが、ボクに課せられた罰であり、使命だ。
石化の呪いを解く呪文を、メガザル以外、ボクは知らない。どれだけ古い呪文書を読み漁っても、どれだけ記憶を辿っても、その答えは出てこなかった。
だけど――。
(天空城なら……)
確信に近い予感がある。あそこには、世界の理から外れた呪いを解くための叡智が、必ず残されている。石化を解く呪文、あるいはそれに等しい秘術が。
しかし、ボクがグランバニアを長期間離れるわけにはいかない。
テンとソラはまだ幼い。今この国を狙っているのは、ゲマだけではないだろう。大魔王の配下は、必ず次の一手を用意しているはずだ。デスピサロはそうだった。
だから、ボクは選んだ。ルーラの呪文で、宮廷魔術師さんたちを天空城へ送ったのだ。別れ際、彼らは深く頭を下げ、誓ってくれた。
「必ず……必ず、石化の呪文を解く方法を見つけて戻ります」
その言葉を、ボクは信じるしかなかった。
テンとソラの護衛は、リュカが仲間にした、今回生き延びたモンスターたちが務めている。スラリンやドラきちほどの古参はプックルだけだ。だが、それでも彼らは命を懸けた。
いや――これからも、何度でも命を懸けるだろう。古参であろうと新参であろうとリュカの仲間なのだから。
テンとソラを守るために。それが分かるからこそ、胸が痛んだ。虚しかった。守れなかった。ボクは守ると誓っていた。
準備は、万全だったはずだ。
(敵が多かった……なんて)
そんな言い訳は、何の慰めにもならない。パパスさんは、ボクを責めなかった。一言も、責めなかった。それが、余計につらかった。
(責めてほしかった……)
いや、それは逃げか。
パパスさんの顔を思い出す。もしかしたらパパスさんもボクに責めて欲しいのかもしれない。ボクは十万のモンスターを撃退した。なのに何で、パパスさんはリュカたちを守れなかったのか、と。
お互い罪悪感を持っている。これでは断罪できないだろう。
誰かに断罪されれば、少しは楽になれたのかもしれない。だが、それでは何も変わらない。ボクは再び、ベギラゴンを放った。
炎の中に、スラリンの笑顔が一瞬だけ重なった気がして、思わず目を伏せる。
(……どうするべきだ)
テンとソラを守る。
それは絶対だ。
だが、どう守る?
もしゲマが、パパスさんの言う通り、今回と同じことをしてきたら。十万規模の囮と、本命の強襲を同時に仕掛けてきたら。今度は――手が足りない。ボクがこれ以上強くなるのは、正直難しい。
パパスさんには、まだ伸びしろがある。だが、それでも限界は近い。何よりパパスさんはバトルマスターだ。たくさんの敵を倒すこともできるが、それよりも強敵と戦うことの方が役目だ。周囲の敵を薙ぎ払うのはボクの役目だ。
(何か……何か、手は……)
そう考えていたときだった。背後から、足音が聞こえた。振り返ると、グランバニアの兵士たちが、数人、整列して立っていた。
「どうしたの?」
ボクは声をかける。
「ベギラゴンに巻き込まれないように、下がっててって言ったよね?」
すると、兵士の一人が、一歩前に出て、深く頭を下げた。
「――ホイミン様」
その声は、硬く、だが真剣だった。
「私たちは……恥ずかしいのです」
続く言葉が、胸に刺さる。
「王妃様を……王太子妃様を……我々は、二度も守れなかった」
拳を握りしめる兵士たち。その目に、悔しさと覚悟が宿っている。
「お願いがあります。我々兵士を、鍛えてください」
「十万のモンスターに襲われても……守り抜けるように」
――兵士たちも、恥じているのだ。
その事実が、ボクの中で一つの答えを形作った。
(そうだ……)
ボクやパパスさんが、これ以上強くなるのが難しいなら。ならば――国そのものを、強くすればいい。兵士たちを鍛え、数で押されても、簡単には崩れない防壁にする。
時間稼ぎができれば、ボクはグランバニアを離れることができる。リュカとビアンカを救うための鍵を、探しに行ける。
「……覚悟はある?」
ボクは、兵士たちを見渡して言った。
「ボクの訓練は、厳しいよ?」
「当然です!!」
即答だった。
「これは、グランバニア兵の総意です!!」
「今度こそ……今度こそ、我々は王子様と王女様を守り抜くと誓っています!!」
その言葉に、胸の奥が、じんと熱くなった。
「……分かった」
ボクは、ゆっくりと頷く。
「一年だ。一年で、君たちを鍛え上げる」
「呪文も覚えてもらう。剣だけじゃない。連携も、判断も、全部だ」
「そして……ボクやパパスさんを相手に……十万の魔物を相手に、時間を稼げるようにいや、撃退できるようになってもらう」
「承知しました!!」
兵士たちは、声を揃えて答えた。そして、最後にもう一度、深く頭を下げる。
「最後になりましたが……ホイミン様に、感謝を」
「あなたがいなければ……犠牲は、もっと増えていたはずです」
そう言い残し、彼らは去っていった。ボクは、その背中を見送りながら、静かに呟いた。
「……待っててね」
灰の舞う空を見上げる。
「リュカ、ビアンカ」
そして、胸の奥で、三つの名前を呼ぶ。
「スラリン、ドラきち、スミス。君たちが紡いだものを……ボクは、絶対に無価値にはさせない」
炎の熱が、まだ頬に残っていた。
☆ ☆ ☆
「――はぁっ!!」
鋭い気合とともに、剣が打ち合う音が訓練場に響いた。金属同士がぶつかる乾いた音、踏み込む足音、荒くなった呼吸。それらが混ざり合い、グランバニア城の訓練場は、もはや戦場と変わらぬ緊張感に包まれていた。
リュカたちが石にされてから、一週間近くが経過していた。
その時間は、長いようで短く、短いようであまりにも重い。毎朝目を覚ますたびに、あの光景が脳裏をよぎる。石像となったリュカとビアンカ。動かない身体。閉じられた瞳。
(……まだだ。まだ、終わってない)
そう自分に言い聞かせながら、ボクは今日も訓練場に立っていた。
兵士たちは全員、真剣だった。そこに油断や慢心は一切ない。相手がホイミスライムであるボクだからといって、侮る者もいなかった。
むしろその逆だ。
彼らは知っている。ボクが、十万のモンスターを一人で押し返した存在だということを。だからこそ、必死だった。
(この人たちを鍛えることが……)
剣戟を受け流しながら、ボクは思う。
(テンやソラを守ることに繋がる)
剣を振り下ろしてきた兵士の一撃を、わずかに角度をずらしていなす。衝撃を逃がし、すぐさま懐に入り、首筋へ剣を当てた。
「――止め」
兵士は息を呑み、動きを止める。
「うん、いいね。基本はできてる」
剣を下ろしながら、穏やかに声をかける。
「後は、連携をどれだけ積み重ねられるかだね」
「はっ! ありがとうございました!!」
兵士は深く頭を下げると、すぐに仲間のもとへ戻っていった。そこからまた別の兵士たちと連携を組み、今度は集団でボクに挑んでくる。
前後左右、死角を埋める動き。以前より、格段に洗練されていた。
(……成長してる)
剣でいなし、盾で受け、体勢を崩させ、無力化する。だが、わざと一瞬だけ隙を見せる。
「君たちは、何を考えている!!」
声を張り上げる。
「テンとソラを守るんだろう!!」
兵士たちの動きが、一瞬だけ止まる。
「相手は巨大な呪文を唱えてくる! 一撃で戦況を変える存在だ! それを……今のままで、どうにかできると思っているのか!!」
「いいえ!!」
全員が声を揃えて答えた。
「我々は、強くなります!!」
「今度こそ……今度こそ、陛下たちを守れるように!!」
その叫びに、胸の奥が震えた。
「よし……」
ボクは一歩下がり、両手を広げる。
「なら、ベギラマの呪文を唱える! 耐えてみせて!!」
その瞬間だった。盾を持った兵士たちが、即座に前に出る。互いの盾を重ね、庇うような陣形を取った。
(……いい判断)
連携は、確実に身についている。ボクは呪文を放った。炎の筋が地面を走り、兵士たちを包む――寸前で、彼らは耐え切った。
さらに驚いたのは、その直後だった。
槍を構えた兵士の一人が、迷いなくそれを投げてきたのだ。詠唱中の隙を突く、的確な判断。
(これは……いい)
普通の呪文使いなら、対応できない。ボクは触手を伸ばし、槍を絡め取りながら笑った。
「いいよ!! 呪文を唱えられるのは危機だけど……同時に、チャンスでもある! だけど忘れないで。君たちが相手をするのは、ボクみたいな存在だ! もっと……もっと、強くなってもらうよ!!」
兵士たちは歯を食いしばり、再び構え直した。
その時だった。
「ホイミン、少し時間を貰っていいか?」
振り返ると、パパスさんが立っていた。その表情は、いつになく真剣だった。
「いいよ」
ボクは兵士たちに向き直る。
「君たちは模擬戦を続けてて」
「承知しました、ホイミン様!!」
そして、パパスさんと並んで歩き出す。
「マスタードラゴンが……教えてくれた」
その言葉に、思わず足が止まりそうになる。
「石化の呪いを解くには、ストロスの杖が有効だろう、と」
「……!」
驚愕だった。地上に関わらないと宣言していた存在が、ここまで具体的な助言をくれるなんて。
「一度使えば壊れるらしいが……」
パパスさんは続ける。
「ホイミンなら、一度見れば呪いを解く魔法――シャナクを覚えられるだろう、と」
「シャナク……」
その名を噛みしめる。
「なら……動くべきかな?」
「いや」
パパスさんは首を振った。
「しばらくは動けない。今、エルヘブンに連絡を入れている。兵を借りられないか、打診しているところだ」
「確かに……」
頷く。
「彼らは魔法に長けている。戦力になりそうだね」
「あとは……」
パパスさんは中庭を見渡す。
「リュカの仲間たちも含めて、全員のレベルアップが必要だろう。私も、な」
「……そうだね」
短く答える。
「訓練は、お前に任せるぞ。ホイミン」
「……分かった」
少し考えてから、続ける。
「なら、中庭で……テンとソラがいる場所で訓練しよう」
「そうだな……」
パパスさんは、遠くを見るような目をした。
「できれば、テンとソラには……戦いを知らずに育ってほしいな」
「本当にね……」
ボクも、同じ方向を見つめた。中庭の向こう。陽だまりの中で、眠る二人の小さな命。
(だからこそ……)
ボクは、剣を握り直す。
(この国を、絶対に守る)
戦いを知らずに笑える未来のために。
☆ ☆ ☆
ボクとパパスさんは、今、並んでテンとソラを見ていた。
グランバニア城の一室。大理石の床は冷たく、昼下がりの光が高い窓から斜めに差し込んでいる。戦いが終わってから、城はずっとこんな静けさをまとっていた。まるで、誰かが息を潜めて、取り返しのつかない何かが起こった事実を、城そのものが理解してしまったみたいに。
テンとソラは、小さな寝台の上で寄り添うように眠っている。まだ言葉もおぼつかない二人は、何も知らない。ただ、温かい毛布に包まれ、穏やかな寝息を立てているだけだ。
その毛布には、ガントフの毛皮が使われていた。
プックルとピエール、ロッキーとジュエル――そして、名前を呼ぶこともできないほど多くの仲間たち。彼らは、リュカと双子を守るために散っていった。逃げなかった。引かなかった。最後まで前に立ち続けた。
二人には、そんな重荷を背負わせたくはない。それでも、いつかは伝えなければならないのだろう。君たちは、これほどまでに深く愛されていたんだと。命を投げ捨てることを、誰も迷わなかったほどに。
ガントフのことを、ボクは思い出す。
最後の瞬間、彼は自分で内臓を取り出して、そこに双子を隠した。並大抵のことじゃできない。普通は痛みで発狂する。それでもガントフはやり遂げた。彼は最初から命を捨てていたのだと思う。
そしてパパスさんはガントフの命を懸けた献身にどうすればいいか悩んだらしい。普通に埋葬するだけじゃ足りないと思ったのだろう。
パパスさんは、ガントフの毛皮を剥ぐことを考えて、ひどく悩んだらしい。
死者を冒涜するのではないか、と。
だけどパパスさんは選んだ。ガントフは、ずっと赤ちゃんと会いたがっていた。きっと赤ちゃんの傍にいることを望むだろうと。
ずっと、テンとソラの傍に。最後まで、守り続けるために。正しかったかどうかなんて、ボクには分からない。でも――テンとソラは、嬉しそうに毛皮を触っていた。小さな手で、もふもふと、安心するように。
その光景を見て、パパスさんは小さく息を吐いた。
「……多くを失なったな」
低く、重い声だった。王としてではなく、父としての声。
「そう、だね」
ボクは正直に答えた。
「撃退はできたけど……負けだね」
敵は退いた。だけど、守るべきものを守れなかった。
テンとソラの前には、リュカとビアンカの石像が並んで立っている。石化した二人を、そのまま外に置くわけにはいかなかった。せめて、この部屋で。せめて、子供たちの成長を見守れる場所で。
石像の表情は穏やかだった。眠っているみたいに。ピエールが、一歩前に出た。鎧を着たまま、深く頭を下げる。その肩は、わずかに震えていた。
「私は……リュカを守れなかった」
声が、かすれる。
「仲間たちも、リュカを守るために散っていったのに……私は生き残った。騎士失格です」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。プックルは耳を伏せ、ロッキーは転がる、ジュエルは目を伏せていた。悲しみの形は違っても、同じ痛みを抱えているのが、ボクには分かる。
「ボクも失格だよ」
そう言って、ボクは続けた。
「守るって誓ったのに、結果はこれだ。でも……今度こそ助ける」
胸の奥で、何度も繰り返してきた言葉。
「もう手がかりはある。ストロスの杖。城の防備さえ整えば、探しに行ける」
ボクは、テンとソラに視線を落とす。
「ボクはグランバニアを離れられない。だけど、絶対にこの子たちは守る。勇者様たちに誓うよ」
パパスさんが、一歩前に出た。
「そして私が、ストロスの杖を探しに行く」
その声には、迷いがなかった。
「必ずだ。マーサだけではなく、私たちの息子に手を出したけじめは、必ずつけさせる」
王の言葉であり、父の言葉だった。
「そうだね、パパスさん」
ボクは仲間たちを見回す。
「プックル、ピエール、ロッキー、ジュエル。ボクは外を警戒する。二人の傍での護衛を、お願いしてもいいかな?」
「もちろんです」
ピエールが即答した。
「サンチョ様や女官の方々と共に、必ず守り抜きます。石像にされたリュカ様、ビアンカ様、そして王子様、王女様を」
プックルが、声を押し殺して泣いた。それでも彼は顔を上げる。――任せてくれ、と言っている。スラリンたちの分まで守る、と。
ロッキーとジュエルも、無言でうなずいた。
ああ。
リュカ、待っててね。
必ず、テンとソラを会わせる。マーサさんも、取り戻す。これは、まだ終わっていない。終わらせるわけには、いかないんだ。