第28話 献身
リュカとビアンカが石にされてから、四年近くの歳月が流れた。
グランバニアの城壁は高く、厚くなった。兵士たちは鍛え抜かれ、連携も完成に近い。見張り塔には常に人が立ち、魔物の気配を察知すれば、鐘が鳴る前に部隊が動く。
今なら――例え十万のモンスターに襲われても、犠牲は出るだろうけど、撃退できる。
これで、テンとソラを守れる。
それでも、ボクはグランバニアを離れなかった。
パパスさんも同じだった。
ストロスの杖を探す旅は、部下たちに任せた。優秀な兵や魔法使いたちが、世界中を巡って情報を集めている。それでも、決定的な手がかりは未だ見つからない。
その代わりに、ボクたちは選んだ。リュカとビアンカの代わりに、テンとソラに愛情を注ぐことを。
それは、逃げではないと信じたかった。 テンとソラは、すくすくと育っていた。それだけが、ボクの救いだった。
城の中庭を走り回り、転んでは泣き、泣きながら立ち上がる。絵本を読めば途中で飽きて、剣の形をした木の棒を振り回す。
時々、石化したリュカとビアンカの石像に抱きつき、頬をすり寄せる。意味が分かっているわけじゃない。それでも、そこにお父さんとお母さんがいると、感じ取っているのだと思う。
手紙を読んでみたりもする。
まだ文字は読めないから、ただ紙をめくるだけだ。それでも満足そうに笑う。普通の家庭とは、違う。でも、きっと――リュカとビアンカも、満足してくれるはずだ。
そう、思いたかった。
けれど、時々。
テンとソラは、ふと寂しそうな表情を浮かべる。
夜を迎える前、窓の外を眺めながら、じっと黙り込む。誰かを探すような目で。当然だ。まだ四歳なのだ。リュカとビアンカと遊びたいに決まっている。
一緒に野原を駆け回り、一緒に眠り、肩車をしてもらい、怒られて、抱きしめられる。
したいことは、山ほどあるはずだ。
情報は、見つからない。時間だけが、静かに過ぎていく。このままでいいのだろうか。ボクとパパスさんは、夜ごと話し合っていた。
その夜も、城の灯りが落ちた後、静かな部屋で向かい合っていた。ランプの火が揺れ、壁に影を落とす。
「犯罪者の街、サウスディケ……」
パパスさんが、低い声で言った。
「今まで手を出していなかったが、そろそろ……そこにも手を出すべきかもしれんな」
重たい言葉だった。王として、最後まで選びたくなかった手段。
「そう、だね」
ボクは、静かにうなずいた。
「正攻法で見つからないなら、犯罪者に頼るのも仕方ないと思う」
ボクは、信じている。人間に、本当の悪者なんていないって。どんな人の心にも、善の心は隠れている。だから、頼ること自体は、間違いじゃない。
「それとね……」
ボクは思い出すように続けた。
「ボクの勇者の仲間に、トルネコって人がいた。商人で……ええっと、そうだ。サラボナだ。確か、今は大商人になってるはず」
「サラボナ……ルドマン殿か」
パパスさんが頷く。
「私は直接面識はないが、官僚たちは面識があるだろう。そこから辿るか」
「うん。天空の勇者の話を表に出して交渉すれば、協力してくれると思う」
「最悪、ホイミン……お前が前に出るか」
「そのつもりだよ」
ボクは、躊躇しなかった。ボクの名前を使うことに、迷いはない。それでリュカとビアンカを救えるなら――命を懸けたっていい。きっと、パパスさんには怒られるけど。
「だいたいの方針は決まったね」
ボクは、少しだけ明るく言った。
「パパスさんは、テンとソラのそばにいなきゃ。いないと、寂しくて泣いちゃうかもよ?」
わざと、道化のように茶化す。
少しでも、重荷を軽くしたかった。
「そう、だな……」
パパスさんは、小さく笑った後、真剣な目でボクを見た。
「ホイミン。私は、リュカの友達だから、最初はお前を信じていた」
胸が、少しだけ締めつけられる。
「だが今は違う。お前がお前だから、信じられる。私やリュカの命を救ってくれて、グランバニアを守ってくれたお前だから」
静かな声だった。そこにはほんの少しの後悔がにじんでいるようだった。
「他のモンスター達もそうだ。リュカのために命を捨ててくれたモンスター達。テンとソラのために命を捧げてくれた、メッキー、ガントフ……」
パパスさんは、言葉を選ぶように続けた。
「その献身に、どう報いればいいのか……悩む時がある。私は一体何を捧げれば彼らの献身に応えることができるかと、な」
「そんなの、悩む必要はないよ」
ボクは、即座に言った。パパスさんが驚いた表情をした。
「なに?」
「答えは、もう決まってる」
ボクは、石像の方角を思い浮かべながら言う。
「リュカとビアンカの石化の呪いを解く。テンとソラを無事に育てる」
それだけだ。
「四人が幸せなら……皆、嬉しいはずだよ」
しばらくの沈黙。
ランプの火が、ぱちりと音を立てる。
「……そうか」
パパスさんは、深く息を吐いた。
「そう、だな」
夜は、まだ続いている。だけど、ボクたちは前を向いている。
必ず、取り戻す。
この四年間を、無駄にはしない。
☆ ☆ ☆
「「ホイミン! 遊ぼう!!」
背後から響いた元気な声に、ボクは思わず触手を揺らした。振り返ると、石造りの外壁の縁、城の外を見下ろせる高い場所に、小さな影が二つ並んでいる。
テンとソラだ。
「テン! ここは危ないから来ちゃダメだって言ったでしょ!! ソラまで連れてくるなんて!」
慌てて声を張り上げる。城壁の外は切り立っていて、下を覗けば人が豆粒のように見える高さだ。ボクは空を飛べるからいい。けれど、二人は違う。
「ええー、いいじゃん!! おじいさまも外に出ちゃダメっていうし、つまんないんだもん!」
テンは腕を組んで、ぷいとそっぽを向く。その横で、ソラは柵に手をかけながら、きらきらした目で外を眺めていた。
「私も外に出てみたいな。それがだめなら……ホイミン先生、呪文を教えて!」
「あっ、ソラ、ずるい! ホイミン、僕には剣術を教えてよ!」
二人同時に詰め寄られて、ボクは思わず深いため息をついた。元気に育ってくれた。それは本当に嬉しい。心からそう思う。だけど、その元気さが、時々こうして皆を困らせる。
きっと今ごろ、兵士たちや女官たちは、城の中を走り回っているはずだ。「王子様と王女様が見当たらない!」と。ボクが一瞬目を離した隙を、二人は逃さないで外にまで出てしまうかもしれない。
「まったく……分かったよ。なら中庭に戻ろう」
「ええー? ここでいいじゃん! 高い場所だし、なんか冒険してるみたいで楽しいよ!」
テンは身を乗り出すように言う。その仕草に、ボクの心臓がきゅっと縮む。
「ダメだよ、テン」
できるだけ優しく、でもはっきりと言う。
「おじいさまに怒られる。それに、万が一落ちたらどうするつもりだい? ボクは空を飛べるから、ここにいられるだけなんだよ」
ソラがはっとして、テンの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「……テン、危ないよ」
「うっ……」
テンは少しだけ視線を伏せたあと、むっとした顔で言った。
「じゃあさ……」
その声は、少しだけ震えていた。
「お父さんとお母さんの話をしてよ。皆、口を噤むんだ。おじいさまたちも、ホイミンも、ピエールたちも……二人の話をしようとすると、悲しそうな顔になるから」
胸を突かれた。
「聞きたくても、聞けないんだよ!」
――気づかれていた。まだ幼いのに。いや、幼いからこそなのかもしれない。子どもは、大人が思っている以上に、大人の悲しみに敏感だ。
ボクは一度、ゆっくりと深呼吸をした。そして、心の中で決める。
逃げない。今日は、ちゃんと話そう。
「そう、だね」
できるだけ柔らかい声で言う。
「なら、二人には……ボクが初めてリュカに会った時の話をしようかな」
「本当!?」
テンの顔がぱっと明るくなる。
「やったね、ソラ!」
「うん! テン!」
二人の笑顔を見ると、胸の奥が締めつけられる。
でも今は、それを隠す。物語を語る時だ。
「ボクはね、人間になりたかったんだ」
二人の間に、静かな空気が流れる。風が吹き抜け、遠くで城下の音がかすかに聞こえた。
「今もそうだよ。いつか人間になれる日を、ずっと夢見てる」
「変なの」
テンが首をかしげる。
「人間でもモンスターでも、ホイミンはホイミンじゃん」
ソラも、こくりとうなずいた。
……ああ。
この子たちは、本質を突くのが上手だ。まるでリュカのように。
「うん、そうだね」
思わず、少し笑ってしまう。
「でもね、ボクは夢見てたんだ。人間に交じって生活していれば、いつか人間になれるんじゃないかって」
空を見上げながら、続ける。
「そんな時に出会ったんだ。君たちのお父さん――リュカに」
二人は、身を乗り出すように聞いている。
「五歳くらいだったかな……今でも、はっきり思い出せるよ」
目を閉じる。
あの時の光景、声、匂いが、鮮やかに蘇る。
「『ボク、ホイミン! 人間になりたくて、ずっと旅をしてるんだ!』って言ったんだ。『君の仲間になったら、人間になれる気がする! だから、仲間にして!』って」
「へぇ……」
「そうなんだ……」
二人は、目を輝かせて聞いてくれる。
「それでね、港町で――スラリンっていうスライムに野菜をあげたら」
少しだけ、声が詰まる。
「リュカは、あっさり友達にしちゃったんだ」
「スラリンはどこにいるの?」
ソラが無邪気に聞く。
「今はね……遠くに、遠くに行っちゃったんだ」
嘘は言っていない。
「いつか、案内するよ」
「分かった!」
二人は素直にうなずいた。
そして、ボクは覚悟を決めて、問いかける。
「ねぇ、二人は……お父さんたちと話したい?」
「もちろん!!」
テンが即答する。
「ねっ、ソラ!」
「うん!!」
二人の声が重なる。
胸が、ずきりと痛む。
「もしね……」
ボクは、言葉を選びながら続ける。
「もし、ボクが命を代償にすれば、お父さんとお母さんの石化を解けるって言ったら……二人は、喜ぶ?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、二人は声を揃えて叫んだ。
「そんなのダメだよ!! お父さんたちと話したいけど……ホイミンがいなくなるのは、もっと嫌だ!」
「ホイミン先生も一緒じゃないと、いや!!」
小さな手が、ボクの体にしがみつく。
その温もりが、胸に染みる。
「……そっか」
喉が、少し震えた。
「大丈夫だよ」
ボクは、二人を包み込むように触手を広げる。
「ずっと、一緒だ」
空は高く、世界はまだ続いている。
ボクは、生きる。
この子たちと、約束を果たすために。
☆ ☆ ☆
城下町が、ざわめいていた。
遠くからでも分かる。人の声が幾重にも重なり、いつもの活気とは違う、切迫した空気が城壁の上まで立ち昇ってきている。
何かが起きた。
そう直感したけれど、ボクは城壁を離れるつもりはなかった。テンとソラがいる。万が一の時、すぐに動ける位置にいなければならない。
――その時だった。
空気が、歪んだ。呪文が使われた時にだけ感じる、あの独特のざらつき。魔力が擦れ合う感触が、触手を震わせる。
「……呪文?」
迷っている時間はなかった。
ボクは城壁を蹴り、宙へ躍り出る。そのまま城下町へと一直線に飛んだ。
近づくにつれて、光景がはっきりしてくる。
人だかり。その中心で、兵士たちが一人の男を取り囲んでいた。いや……男というには、まだ若い。十五、そこらだろうか。旅装束は擦り切れ、泥に汚れている。だが、その体には、年相応とは思えないほどの憎悪が宿っていた。
すでに手首は縄で縛られ、気絶しているようだった。
兵士の一人が、ボクの姿に気づき、駆け寄ってくる。
「ホイミン様!!」
「何があったの?」
声を落として尋ねると、兵士は息を整えながら答えた。
「それが……天空の剣を渡せ、とこの旅人が暴れまして」
「!?」
一瞬、言葉を失う。
「……パパスさんには知らせた?」
「はい! すでに陛下には伝令が走っております!」
視線を男へ戻す。
気絶しているが、呪文を使った痕跡は確かに残っている。未熟だが、力はある。危険だ。
「下手人は気絶しているみたいだね……とにかく牢屋へ運ぼう。ボクとパパスさんで、直接話を聞く」
「はっ!!」
兵士たちが一斉に動き出す。
人々の視線が、好奇心と恐怖をないまぜにして、男に注がれていた。
――天空の剣。
あれは、ただの武器じゃない。
天空の勇者の象徴であり、武器そのものだ。テンかソラがいつか手にする物だ。
牢屋の前で、ボクは待った。石造りの壁は冷たく、地下特有の湿った空気が漂っている。
ほどなくして、足音が響いた。
パパスさんだ。
姿を見た瞬間、分かった。その顔に浮かぶのは、怒りよりも先に――驚愕。
「パパスさん」
ボクは低く声をかける。
「天空の剣のこと……どこから漏れたと思う?」
「分からん」
即答だった。
「私は箝口令を敷いていた。知っている者は限られている……可能性があるとすれば」
眉をひそめる。
「裏切り者の大臣、かもしれんな」
重い沈黙。
「下手人から、どこまで情報が洩れているかを聞き出す。場合によっては……斬る必要もある」
「……そうだね」
覚悟は、できている。
これは遊びじゃない。
牢屋の扉が開く。
中には、目を覚ました少年が座っていた。鋭い視線が、真っ直ぐにボクを射抜く。
「ふん」
吐き捨てるように言う。
「本当に……汚らわしいモンスターと一緒にいるとはな」
空気が、凍った。
「……貴様」
パパスさんの声が低く唸る。
「天空の剣を渡せ。モンスターを仲間にする王になど、相応しくない」
その瞬間だった。
パパスさんが、爆発した。
「貴様に何が分かる!!」
地下牢が震えるほどの怒声。
「汚らわしいだと!? 汚らわしいのは貴様の考えだ!!」
「なんだと!!」
「モンスターと人間に違いはない!! 心が、どうあるかだ!!」
パパスさんに魔物を味方にすることはできない。それでもマーサさんやリュカを見て来た。だからわかることがあるのだろう。
パパスさんは、一歩踏み出す。
少年は、思わず後ずさった。
「貴様に分かるか!? ただのモンスターが……赤子を守るために、自分の内臓を抉り出し、そこに子どもを隠して、襲撃から守り続けたことが!! 瓦礫が落ちてきて、全身をモンスターに襲われても投げ出すことはなかった!!」
声が、震えている。献身の究極。
「貴様にあるか!? 内臓を抉り出して、他人の子を守る覚悟が!!」
――ガントフ。
君の名は、今もここに生きている。パパスさんの心の中で。
少年は、完全に言葉を失っていた。
「……馬鹿な」
かすれた声。
「モンスターが、そんな真似をするはずが……」
「十万近いモンスターに襲われて」
パパスさんは、容赦なく続ける。
「友達を守るために戦えるか? 天空の剣は、彼らにこそ相応しい」
一拍置いて、断言する。
「彼らこそ、勇者だ」
沈黙が落ちた。
ボクは一歩前に出る。
「それで」
静かに、しかし逃げ場のない声で。
「どこから、天空の剣のことを知ったの?」
「……さぁな」
「目的は?」
少年は、唇を噛みしめたあと、吐き捨てるように言った。
「モンスターへの、復讐だ」
――歪んだ正義。
憎しみだけで塗り固められた心。
ボクは思う。
リュカなら、どうしただろう、と。
そして同時に、誓う。
この剣も、この城も、この国も。
――憎しみに渡してなるものか、と。
物語は、まだ始まったばかりだ。
都合により明日と明後日の更新はお休みです。ごめんなさいm(__)m