【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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第29話 天空の勇者

 牢獄の中は、湿った石の匂いがした。地下に溜まった冷気が足元から這い上がり、松明の火はゆらゆらと不安定に揺れている。鉄格子の影が床に歪んで伸び、その奥で、縛られた少年――いや、もはや少年と呼ぶには、あまりにも憎しみに染まった瞳をした存在が、荒い息を吐いていた。

 

 ボクは一歩、パパスさんの前に出る。彼の背中から伝わる怒りと緊張を、そのままぶつけさせるわけにはいかなかった。

 

「……パパスさん。とりあえず、この人は無視しよう。もしかしたら家族をモンスターに殺されたのかもしれない。でもボクたちに関わっている余裕はない」

 

 そう言った瞬間だった。

 

「家族だと、ああ。殺されたさ!」

 

 叫びは、牢獄の石壁にぶつかって反響する。

 

「父上が母上が! 国民が!! 国ごと滅ぼされた!! 貴様に、モンスターに知り合い全てを殺された痛みが分かるか!!」

 

 その声には、怒りよりも先に、どうしようもない喪失が滲んでいた。憎しみというより、空っぽになった心を必死に埋めようとする叫びだ。

 

 だから、ボクは迷わず答えた。

 

「知ってるよ」

 

 少年の目が、初めて揺れた。

 

「……なに?」

 

「ボクの知り合いに、世界を救う使命を背負わされて、その人を守るために、知り合い全てが犠牲になった人がいる。君と同じだ。モンスターに、魔王に襲撃された」

 

 牢獄の空気が、わずかに静まる。ボクの脳裏に、あの人の顔が浮かんだ。

 

「魔王、だと?」

 

「ソロ様は、家族を、幼馴染を、知り合いをすべて、魔物に殺された。君と同じように、全てのモンスターを恨むのも、しょうがないのかもしれない」

 

 それでも――と、ボクは心の中で続ける。

 

 それでも、あの人は立ち止まらなかった。

 

 瓦礫に覆われた村。血と炎の匂い。その中で、ソロ様は泣いていたはずだ。でも、誰かを恨むためじゃない。守れなかったことを、ただ悔やんでいた。そして恨んでいいはずの魔物の僕にこういった。

 

「『ライアンの友達なら、僕とも友達さ。一緒に行こう』……今でも思い出せるよ」

 

 その言葉を口にした途端、胸の奥がじんと熱くなった。ああ。今では天空の勇者の仲間の生き残りはボクだけ……。それがちょっとだけ寂しい。

 

「……貴様は、何者だ?」

 

 少年――下手人は、震える声で問いかける。

 

「ボクはホイミン。かつて勇者様と一緒に、大魔王と戦った存在だよ」

 

 言葉が、石の床に落ちるように重く響いた。彼の顔から血の気が引き、口がわずかに開いたまま動かなくなる。

 

 その沈黙を破ったのは、パパスさんだった。

 

「ホイミン、天空の剣は必須ではない。今必要なのは、ストロスの杖だ。それさえあれば、後はどうとでもなる……行くぞ」

 

 短く、しかし迷いのない声。ボクは頷く。

 

 マスタードラゴンの協力がある以上、天空の剣は絶対条件じゃない。いや――それ以上に。

 

(テンとソラには、触れさせない)

 

 ボクの中で、強い決意が形になる。勇者なんて重荷を背負わせたくない。普通に生きて欲しい。

 

「待て、ストロスの杖だと? 何故それが必要なんだ?」

 

 下手人が、必死に声を張り上げる。

 

「貴様には関係ない」

 

 パパスさんが冷たく言い放つ。

 

「いや、関係ある。私は……魔物に滅ぼされた亡国ストロスの王子だ」

 

 その瞬間、空気が凍りついた。

 

「――何だと!?」

 

 ボクとパパスさんは同時に彼を見た。彼の瞳には、虚勢ではない覚悟が宿っている。

 

「私なら、ストロスに案内できる。代わりに魔王の話をしろ。私に……魔王に、亡国ストロスの復讐をさせろ」

 

 パパスさんは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。その動作は、剣を構える時よりも慎重だった。

 

「名前を聞いておこう」

 

「カデシュだ。ただの、な」

 

「それでカデシュ。お前は何を知りたい?」

 

「すべてだ。勇者の話から、何故ストロスの杖が必要なのか」

 

「長くなるぞ……」

 

 パパスさんは語り始めた。魔物すら仲間にできる魔界にすら通じる資質、そのせいで魔界に攫われたマーサさん、そして彼女から確かに受け継いだリュカの力。ボクを仲間にした日のことも。

 

「そこにいるホイミンは、伝説の勇者と一緒に大魔王と戦った存在だ。それはマスタードラゴンも証言してくれている」

 

「マスタードラゴンだと!?」

 

「そしてマスタードラゴンに、ホイミンは世界を救った報酬として願ってくれた。魔界、大魔王への道を開いてくれ、と。だから選ばれし勇者は必要ない」

 

 カデシュの拳が、震えた。

 

「大魔王……ストロスを亡国に追いやった……親玉。私も大魔王討伐に連れていけ!!」

 

「まずはストロスの杖だ。息子たちを石化の呪いから解いた後、私とホイミンで魔界に向かう予定だ。それに加わらせてもいい」

 

 それは、取引だった。復讐と希望を天秤にかけた、危うい約束。

 

 ――その時。

 

 コツ、と小さな音が牢獄の外から聞こえた。

 

 おかしい。人払いは済ませているはずだ。ボクは即座に気配を探る。

 

「――誰だ!? 出てこい!」

 

 パパスさんが叫ぶより早く、ボクは感じ取っていた。

 

 この温度。この揺らぎ。

 

「……待って、パパスさん。この気配……テンとソラだ」

 

 幼く、しかし確かに天空に連なる光が、扉の向こうで静かに瞬いていた。

 

☆ ☆ ☆

 

 重たい扉がきぃ、とわずかに音を立てて開いた。

 牢獄とは違い、この部屋は暖炉の火が焚かれ、空気も柔らかいはずだった。それでも、今は妙に冷えて感じられる。緊張が、部屋そのものを凍らせているようだった。

 

 そこへ、背中を小さく丸めたいたずらっ子たちが、そろりそろりと足を踏み入れてきた。

 

 テンとソラだ。

 

 二人はいつもなら走り回っているはずなのに、今は互いの手をぎゅっと握り、まるで叱られることを覚悟した子猫のように視線を伏せている。その小さな背中を見ただけで、胸の奥がきしりと音を立てた。

 

「テン、ソラ。来てはいけないと言っただろう?」

 

 パパスさんの声は低く、けれど柔らかかった。怒鳴るでもなく、威圧するでもない。ただ、祖父としての心配と、王としての責任が混じった声だった。

 

 ……いや。

 

 ボクもパパスさんも、本気でこの双子を叱ることはできていない。

 

 引け目があるからだ。

 

 この子たちは、生まれながらにして狙われる運命を背負わされている。その理由を作ったのは、ボクたち大人だ。その点では、ダンカンさんたちの方がよほど厳しく、ちゃんとしているのかもしれない。

 

「ごめんなさい、パパスおじい様」

 

「ごめんなさい……」

 

 二人は同時に頭を下げた。その動きがあまりにも揃っていて、胸が痛む。双子であることを、こういうところで思い知らされる。

 

 そして、顔を上げたテンが、必死に言葉を紡いだ。

 

「でも、お父さんたちを助けに行くなら、僕たちも一緒に行きたい!!」

 

 続いてソラが、震える声で叫ぶ。

 

「おじい様、お願いです! 私たちも一緒に連れて行って!!」

 

 幼い声。けれど、そこには覚悟があった。守られる側でいることを、拒否しようとする目だった。

 

 ああ。リュカもこんな瞳をしていた。その瞳を見たパパスさんが少しだけ動揺を見せた。ボクと同じものを見たのだろう

 

「……駄目だ、駄目だ!!」

 

 パパスさんの声が、部屋を震わせた。

 

「お前たちを、危険にさらすわけにはいかん!!」

 

「でも!」

 

 その一言を遮るように、パパスさんが激高した。

 

 今まで見たことがないほどの怒声だった。

 

 テンとソラがびくりと肩を震わせ、思わず一歩後ずさる。二人の瞳に、はっきりとした怯えが浮かんだ。

 

「私の話を聞いていたのだろう! なら分かるはずだ!」

 

 パパスさんは、拳を強く握りしめていた。

 

「お前たちを守るために、リュカの友達の多くが犠牲になった。お前たちが毛布にしている毛皮があるだろう? お前たちがふわふわで好きと言っている……」

 

「うん……」

 

 ソラの声が、か細く返る。

 

「先ほどの話に出た、ガントフの遺体から、私が毛皮を取った。自分の内臓を取り出してまで、お前たちを守ってくれたガントフは、きっとお前たちと一緒にいたいと思ってな」

 

 その場の空気が、ずしりと沈む。

 

「それだけじゃない。メッキ―というキメラも、リュカが自分から友達にしたスラリンやドラきち、スミスも……多くの犠牲の上で、お前たちは生きているんだ」

 

 テンとソラは、顔を伏せたまま動かない。小さな肩が、わずかに震えている。

 

「ホイミンだってそうだ」

 

 突然名前を呼ばれ、ボクは息を呑んだ。

 

「お前たちの命を狙って、十万以上のモンスターが押し寄せた。お前たちを守るために、たった一人で戦ったんだ」

 

 その記憶が、脳裏によみがえる。

 

 血の匂い。倒れる敵のモンスターたち。必死に自分に回復呪文を唱え続け戦い続けた。

 

「皆、お前たちを守るために犠牲になったんだ」

 

 二人の目から、涙が今にもこぼれ落ちそうになっていた。

 

「私はお前たちが可愛い。どんな願いでも、かなえてあげたい」

 

 パパスさんの声が、わずかに震える。

 

「だがな……お前たちの命を危険にさらすことだけは許さん。お前たち自身が危険に向かうのもだ」

 

 拳が、ゆっくりと開かれる。

 

「お前たちが危険にあえば、亡くなった者たちに、どう言い訳をすればいいか分からん……」

 

 沈黙が落ちた。

 

「二人とも。ここからは、大人同士の会話だ」

 

 ボクは、静かに言った。

 

「ピエールたちの元へ戻るんだ」

 

 二人は、名残惜しそうに振り返りながら、扉へ向かった。その背中は、ほんの少しだけ小さくなったように見えた。

 

 だが、その時。

 

「待て」

 

 ガデシュの声が、低く響いた。

 

「何故、そこまでその双子は命を狙われる?」

 

 テンとソラが、思わず足を止める。

 

 ボクは、深く息を吸った。

 

「パパスさん。リュカたちの時に、一度失敗してるんだ。隠し事は、やめよう」

 

「……そうだな」

 

 パパスさんは頷き、膝を折った。

 

「テン、ソラ。私の傍に来なさい」

 

 二人は、いつもの優しいパパスおじいちゃんが戻ってきたことを感じ取ったのだろう。少し安心した顔で、歩み寄ってきた。

 

「テン、ソラ」

 

 静かに、しかしはっきりと。

 

「お前たちのどちらかは、天空の勇者なのだ」

 

「勇者だと!?」

 

 カデシュが叫ぶ。

 

 双子も目を見開いていた。

 

「だからだ」

 

 パパスさんは続ける。

 

「お前たちが育ち切る前に、悪に支配されたモンスターたちが襲って来た……勇者の芽を摘むために。だがお前たちを危険には晒させん」

 

 その声には、揺るぎない決意があった。

 

「グランバニアの兵士たちは、もう一度十万のモンスターに襲われても、お前たちを守る準備ができている」

 

「なら、ボクも――」

 

 テンが一歩踏み出しかけた、その瞬間。

 

「――さぁ、部屋に帰りなさい!!」

 

 有無を言わせぬ声だった。

 

 パパスさんは、双子を守るように、しかし同時に突き放すように、扉の外へと追い出した。

 

 扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

 

 ……正解だと思う。

 

 でも。

 

 それでも、胸の奥に残ったこの痛みだけは、どうしようもなかった。

 

☆ ☆ ☆

 

 夜の城壁は、昼とはまるで別の顔を見せる。風が石にぶつかり、低くうなり声のような音を立てて通り過ぎていく。遠くでは松明の火が揺れ、見張りの兵士たちの足音が、規則正しく反響していた。

 

 ボクは城壁の外側、闇に溶けるように身を潜めながら、目を閉じていた。眠っている……ようで、眠っていない。意識の半分は、常に外に向けている。何かあれば、すぐに気づけるように。

 

 今夜も、嫌な予感が胸の奥に沈んでいた。

 

 ――来るなら、夜だ。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 微かな足音。人の気配。それも、よく知っている、軽くて不安定な――。

 

 ボクは目を開いた。

 

 城門の影を抜けて、二つの小さな影が動いている。背中には簡素な荷物。歩き方はぎこちなく、何度も振り返りながら、まるで誰にも見つからないように進んでいる。

 

 ……テンとソラ。

 

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 

 まさか。まさか、二人だけで――。

 

 テンの背に、かすかな光が見えた。月明かりを反射する、あり得ないもの。

 

 天空の剣。……そっか。胸の奥で、何かが崩れ落ちた。

 

 勇者は……テンだったんだ。ボクは空を蹴り、一気に回り込んだ。二人の進路の先、石畳の影に降り立つ。

 

「テン、ソラ。こんな夜にどうしたの?」

 

 声を抑えたつもりだったけど、驚きは隠せなかった。

 

 二人は同時に跳ね上がった。

 

「ホ、ホイミン先生!?」

 

「びっくりした……」

 

 テンは視線を逸らし、ソラは荷物を抱きしめた。

 

「えっと、その……ストロスの杖を探しに」

 

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 

「……ダメだよ。絶対にダメだ」

 

 即座に言った。考える余地なんて、なかった。だけど、二人は止まらなかった。

 

「僕たちの……僕たちのお父さんなんだ!!」

 

 テンの声が震える。

 

「僕たちも助けたいって思うのは、間違いなの!?」

 

「ホイミン先生!!」

 

 ソラが一歩前に出る。

 

「私たちだって戦えるんです! お願いです! お父さんたちを助けに行かせてください!!」

 

 その必死な声を切り裂くように、重い足音が背後から近づいた。振り返るまでもない。

 

 パパスさん。ピエール。プックル。ロッキーとジュエル。

 

 全員が、夜の中に立っていた。

 

「そして、私たちが、お前たちを守ろうとする」

 

 パパスさんの声は、低く、しかし確かだった。

 

「それが間違いだと思うか? テン、ソラ」

 

 テンは唇を噛みしめた。

 

「……パパスおじい様。お願いです!」

 

「僕たちも、お父さんたちを助けたいんです!!」

 

「……私たちが悪い子だって、わかってます!!」

 

 ソラの声は、今にも泣き出しそうだった。

 

「それでも……それでも、お父さんたちを助けたいんです!!」

 

 次の瞬間だった。

 

 乾いた音が、夜に響いた。

 

 パパスさんの手が、テンとソラの頬を打った。

 

 二人は呆然と立ち尽くした。怒鳴られたことはあっても、叩かれたことはない。ましてや、あの優しい祖父が。

 

「……痛いか、テン、ソラ?」

 

 パパスさんの声が震えている。いやそれだけじゃないもう片方の手からは血が流れていた。目から血のように涙を流していた。

 

「私は……痛い。心がだ」

 

 拳をパパスさんはさらに強く握りしめる。

 

「お前たちを叩きたくなんかない。だが……」

 

 一歩、前へ。

 

「お前たちが、間違った方向に進もうとするなら……それを止められるなら」

 

 もう一歩。

 

「私は、いくらでも叩こう……リュカの時と同じ過ちは繰り返さない」

 

「……お父さんだって!!」

 

 テンが叫んだ。

 

「おじい様と一緒に、子どもの頃から冒険してたって聞きました!!」

 

「だったら、僕たちだって!!」

 

「……お父さんは良かったのに」

 

 ソラの声が、涙で掠れる。

 

「何で私たちは駄目なんですか、おじい様!!」

 

「駄目なものは駄目だ!!」

 

 パパスさんは、怒鳴った。

 

「お前たちを守るためなんだ……分かってくれ」

 

「でも、おじい様!!」

 

 テンが、天空の剣を抜いた。

 

 光が、夜を裂く。

 

「ボクは、天空の剣を抜けた!」

 

 一瞬だけ。

 

 パパスさんの顔に、深い悲しみが浮かんだ。

 

「僕は勇者なんでしょ!?」

 

 テンの声は、ほとんど叫びだった。

 

「だったら世界を救わなきゃ! お父さんやお母さんだって、救えるはずだ!!」

 

「――天空の剣!!」

 

 雷鳴のような怒声。

 

「お前に意思があるのは分かっている!!」

 

 パパスさんは、剣を睨みつけた。天空の剣がその声に呼応するように光出す。

 

「何故、こんな幼子に剣を取らせている!!」

 

 光が、さらに強くなる。

 

「今すぐに鞘に戻れ!!」

 

 天空の剣が震え、次の瞬間――。

 

 テンの手から、すべり落ちた。

 

 剣は、パパスさんの手に収まり、静かに鞘へと戻される。

 

「世界を救うのに、大魔王を倒すのに……」

 

 パパスさんは、はっきりと言った。

 

「お前たちの犠牲は、必要ない。大人の仕事だ」

 

 夜風が、冷たく吹き抜ける。

 

「――戻るぞ、テン、ソラ」

 

 パパスさんは背を向けた。

 

「私たち全員で、説教する」

 

 二人は、俯いたまま歩き出した。

 

 ボクは、夜空を見上げた。

 

 星は、あまりにも静かだった。




なお、テン君とソラちゃんは4歳とする
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