【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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第31話 どうしようもないこと

 テンとソラを追いかける。

 

 港町シューペリーの昼は、想像以上に人が多い。石畳の道は人の波で埋まり、行き交う肩がぶつかり合い、怒鳴り声や笑い声が絶えず響いている。魚の生臭さ、焼き菓子の甘い匂い、潮風が混じり合い、街全体が生き物のように脈打っていた。

 

 だけど、ボクには問題ない。

 

 空を飛べるし、何よりプックルが一緒にいる。あの巨体と牙は、子どもたちに近づく危険を自然と遠ざけてくれる。

 

 ……もし、スラリンとドラきちが生きていたら。

 

 もっと、ずっと万全だったんだろうけど。ボクは小さく首を横に振った。今、過去を振り返るのはよくない。それは全部が終わってからでいい。路地裏の奥、喧騒が少し遠のいた場所で、テンとソラの声が聞こえた。

 

「ねぇ、何で怒ってるの?」

 

 ソラの声は戸惑いに満ちていた。どうやら、あの少女に追いついたらしい。

 

「……怪我してる!」

 

 今度はソラが息を呑む音。

 

「どうしよう。私は回復呪文は……」

 

 二人の前に出ると、そこには先ほどの少女がいた。

 

 近くで見ると、思った以上に酷い。腕に裂傷、足を引きずり、顔色は悪い。無理をして走ったせいだろう。血が滲んでいる。

 

「どうしたの、テン、ソラ?」

 

「あっ、ホイミン先生!」

 

 テンが振り返る。その顔には、心配と安堵が入り混じっていた。

 

「女の子が怪我してるんです! 助けてあげてください!」

 

「分かったよ」

 

 ボクはすぐに前に出た。

 

「ベホマ」

 

 回復呪文の柔らかな光が、路地裏を満たす。傷は塞がり、血は止まった。けれど――それだけでは足りない。少女の身体は細すぎた。

 

 骨ばった肩、痩せこけた頬。栄養失調だ。

 

 呪文では、空腹までは癒せない。

 

「……礼なんて言わねぇぞ」

 

 少女は吐き捨てるように言った。

 

「金持ちって生き物は、貧乏人に何か施してやるのが好きなんだろ?」

 

「お金持ちじゃないよ!」

 

 テンは慌てて首を振る。

 

「もうお小遣い空っぽだもん!」

 

「そーゆーことじゃねーよ」

 

 低く、荒んだ声。テンとソラには、まだ難しい言葉だったかもしれない。

 

「いい服と靴。そんだけで、オレラとは別の人種だ」

 

 その言葉に、テンは少し考え込んだ。そして、突然。上着を脱いだ。靴も脱いだ。

 

「……これでいい?」

 

 本気だった。対等になれると思ったのだろう。

 

「バカにすんじゃねぇ!!」

 

 怒鳴り声が路地裏に響いた。

 

 少女は顔を歪め、背を向けると、足早に去っていった。

 

 振り返りもせずに。

 

「……ホイミン」

 

 テンの声は、かすれていた。

 

「僕、何か間違ったかな?」

 

 その問いは、あまりにも真っ直ぐで。

 

 胸に刺さる。

 

「……そう、だね」

 

 少しだけ、間を置く。

 

「知りたい?」

 

「うん!」

 

 ソラも頷いた。

 

「私も、知りたいです。ホイミン先生」

 

「なら」

 

 ボクは二人の頭を見下ろした。

 

「夜に、パパスさんと一緒に教えてあげる」

 

 二人は少し不安そうに、でも納得したように頷いた。それからボクたちは、街中を見学しながら宿へ戻った。市場、裏通り、港の陰。

 

 同じ街の中に、全く違う世界があることを、二人は無言で感じ取っていた。

 

 部屋に戻り、パパスさんに事情を説明する。

 

 彼は黙って聞き、深く頷いた。

 

「……現実を知るという意味でも、この旅は価値があるな」

 

 その通りだ。

 

 テンとソラにとって、そしてボクたちにとっても。そうして話を始めようとした、その時。

 

 コン、コン。

 

 ドアが叩かれた。

 

 ピエールが即座に前に出て、警戒しながら扉を開ける。

 

「……さっきの! 魔法!!」

 

 そこにいたのは、あの少女だった。今度は、傷ついた小さな子どもを連れている。

 

 テンとソラは、何も言わずに駆け寄った。

 

「中に入って!」

 

「早く!」

 

 部屋に入ると、ボクはすぐに呪文を唱える。

 

「ベホマ!」

 

 少年の傷はみるみる塞がった。

 

「もう大丈夫だよ!」

 

 テンが笑う。

 

「良かったね!」

 

「僕、テンていうんだ!」

 

「私、ソラ!」

 

 子どもたちも名乗った。

 

「……カジカ!」

 

「金持ちは信用しねーけど……教えてやる。オレはイカナゴだ!」

 

 中心にいた少女は、少し間を置いてから。

 

「……ウミネコ」

 

 短く名乗った。

 

 ボクはパパスさんと視線を合わせる。テンとソラには酷だ。だから――この子どもたちには金銭で保障する。

 

「それでいい、パパスさん?」

 

「ああ」

 

 即答だった。

 

「テンとソラがどうしようもないことを理解してくれるなら、千ゴールド出してもお釣りが来る」

 

「そうだね」

 

 ボクは子どもたちに向き直る。

 

「君たち。ボクとパパスさんの話に付き合ってほしいんだ」

 

「付き合ってくれたら……一人につき三百ゴールドあげるよ」

 

「えっ、本当!?」

 

「話に付き合うだけでいいのか!?」

 

「……やる」

 

 全員の承諾が得られた。

 

 さて。

 

 テンとソラの教育を、始めよう。

 

☆ ☆ ☆

 

 宿の一室は、夜の港町特有の湿った潮の匂いが微かに入り込んでいた。

 

 外では酒場の笑い声や、船具を片づける音が遠くに聞こえる。けれど、この部屋の中だけは妙に静かで、空気が張り詰めている。

 

 まず、その沈黙を破ったのはパパスさんだった。

 

 彼は椅子から立ち上がり、子どもたち――ウミネコ、イカナゴ、カジカの前で、深く頭を下げた。

 

「ありがとう。不躾な質問をするかもしれんが、許してくれ」

 

 大人が頭を下げる光景に、三人は目を丸くした。

 

 イカナゴが一瞬だけ戸惑った表情を見せたあと、すぐに強がるように口を開く。

 

「……三百ゴールドも貰えるんなら……あっ、違う。なら報酬を上乗せしてくれ!」

 

 部屋の空気が、少しだけ緩んだ。

 

 パパスさんは口の端をわずかに上げる。

 

「ふっ、頭の回転は悪くないな。いいだろう。一人につき三百五十ゴールドだ」

 

「やったぜ!!」

 

 子どもたちは飛び跳ねるように喜んだ。

 

 その姿を見て、ボクの胸は少しだけ、きりりと痛んだ。――金で釣らなければ、話を聞くことも難しい世界がある。

 

 それが、この世界の現実だ。

 

「では早速だ」

 

 パパスさんは声を落ち着かせ、真正面から問いかけた。

 

「両親はいるか?」

 

 一瞬、間が空いた。

 

 それからウミネコが、淡々と答えた。

 

「……孤児だよ。皆、死んじまった」

 

「そうか」

 

 パパスさんは深く息を吐いた。

 

「……辛かったな」

 

「はっ」

 

 イカナゴが鼻で笑う。

 

「金持ちはいいな。道楽で金を使えたり。これも施しのつもりなんだろ?」

 

「そんなことはない」

 

 パパスさんは即座に否定した。

 

「真剣だとも」

 

 ここからは、ボクの番だった。

 

 少しだけ姿勢を低くし、三人と目線を合わせる。

 

「君たちに、収入はある?」

 

「ねぇよ」

 

「普段はどうやって生きてる?」

 

「すりや盗み食いだな」

 

 その瞬間。

 

 テンとソラの顔色が、はっきりと変わった。

 

「……そんなの、ダメだよ」

 

 テンの声は震えていた。

 

「……あっ?」

 

 ウミネコの目が鋭くなる。

 

「なら私たちに、死ねって言うのか!? 私たちには、これしか生き延びる方法がないんだよ!!」

 

 叫び声が、部屋に響いた。

 

 テンとソラは言葉を失い、ただ立ち尽くしている。

 

 ――そうだ。

 

 正論は、時に刃になる。

 

「ありがとう」

 

 ボクは、あえて話を進めた。

 

「三百五十ゴールドあったら、何日生き延びられる?」

 

「パンが……二ゴールドくらいだから……」

 

 イカナゴが指を折りながら計算する。

 

「……えっと、百七十日以上か?」

 

「そうか」

 

 ボクは静かに頷いた。

 

「話してくれてありがとう」

 

 そしてパパスさんも、同じように頭を下げる。

 

「ああ。三人とも、話を聞かせてくれてありがとう」

 

 三人は、金貨を握りしめながら部屋を出ていった。

 

 扉が閉まると、テンとソラの顔は真っ青だった。

 

「……分かったか、テン、ソラ」

 

 パパスさんの声は、いつもより柔らかい。

 

「お前たちが、どれほど恵まれた環境で生きているか」

 

「二人には、両親は石化されているが……近くにいる。だが、彼らにはもう、いない」

 

 その言葉を引き継いで、ボクが続ける。

 

「何より、君たちは王族だ。守られる側なんだ」

 

 テンとソラは俯いたまま、黙って聞いている。

 

「でも彼らには、明日の保証がない。ふかふかなベッドも、白いパンも、何も保証されていない。ボクとパパスさんは、それを知ってほしかった。だから、今日この場を作ったんだ」

 

 しばらくして、テンが小さく問いかけた。

 

「……グランバニアにも、あんな子どもたちがいるの?」

 

「いや」

 

 ボクは首を横に振る。パパスさんは偉大な王だ。

 

「グランバニアには孤児院があるし、パパスさんが援助して、定期的に査察も入っている。だから、グランバニアでは、ああいうことは起きないよ」

 

 その言葉に、二人はほっとしたようだった。

 

 だが、ソラはすぐに顔を上げた。

 

「……なら!」

 

 瞳が輝く。

 

「さっきの子たちを、グランバニアに連れて行くことはできませんか?」

 

「グランバニアなら、明日が保証されているんですよね!」

 

「ソラ……」

 

 パパスさんは少しだけ、言葉を選ぶように間を置いた。

 

「グランバニアにも、限界がある。確かに、先ほどの三人程度なら受け入れられる」

 

「だったら!!」

 

 テンが堪えきれずに叫ぶ。

 

「受け入れてあげようよ!! そう思うことも、間違ってるの!? おじいちゃん!!」

 

 パパスさんは、静かに目を閉じた。

 

 そして、王としての言葉を紡ぐ。

 

「テン。私はグランバニアの王だ」

 

「本来であれば、国民を最優先にしなければならない。だが私は、妻を救うことばかり考えている……国王失格の男だ。それでも、言えることがある」

 

 低く、重い声。

 

「何をどうしようと、どこかで苦しむ人は出る」

 

「そんなの……そんなの!!」

 

「例えばだ」

 

 パパスさんは、ソラを見る。

 

「お前の言う通り、あの三人を受け入れたとしよう。その時、他に苦しんでいる者たちはどうする? なぜあの三人だけが、と必ず問われる。どこを見ても、不幸になる存在はいる。それを少しでも減らし、民を守る。それが王族の務めだ」

 

 テンとソラは、唇を噛みしめていた。

 

「二人も、いつか決断しなければならない時が来るかもしれない……まあ、私が王で、次の王はリュカだ。ずっと先の話だ……」

 

 パパスさんは、二人の頭にそっと手を置いた。

 

「だが、覚えておいてほしい。どうしようもないものが、この世界にはある。そして私のように国王失敗のような男にはならないでくれ」

 

 その言葉を聞きながら、ボクは思った。

 

 ――これは、旅の中で一番大切な授業なのかもしれない、と。

 

 テンとソラは、まだ子どもだ。

 

 でも今日、確かに一歩だけ、大人の世界を知った。

 

 その重さを、胸に抱えながら。

 

☆ ☆ ☆

 

 そしてボクたちは、サラボナ行きの船が停泊している港へと続く石畳の道を歩いていた。

 

 潮の香りが風に混じり、遠くで帆がはためく音が聞こえる。港町特有の喧騒はあるものの、今の空気はどこか張りつめていた。

 

 テンとソラは、少しだけ歩調を落としている。肩を並べて歩く双子の背中は、先ほどまでの無邪気さが影を潜め、どこか沈んで見えた。

 

 ――まだ、早かったのだろうか。

 

 胸の奥で、そんな考えがよぎる。けれど、大事なことでもある。冒険とは、楽しいことだけではない。命が懸かる場所で、人は本当の姿をさらけ出す。

 

 考える時間は必要だ。

 

 ふと視線を上げると、ボクとパパスさんは自然と同じ方向を見ていた。言葉を交わさずとも、同じ警戒線を張っているのが分かる。

 

 ピエールとプックルは、さりげなくテンとソラを庇う位置に立っていた。盾役としての経験が、無意識の立ち位置に表れている。

 

 双子は、まだ気づいていない。

 

 だが、気配は確かにそこにあった。

 

 カデシュは腕を組み、つまらなさそうに鼻を鳴らしている。

 

 緊張感を楽しめない性格なのだろう。

 

「それで、隠れているのは分かっている。出てきたらどうだ?」

 

 パパスさんの声は低く、だがよく通った。

 

 港の喧騒の中でも、確かに相手に届く声だった。

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして、荷箱の陰から、拍子抜けするほど軽い声が返ってくる。

 

「おっと、ばれてたか。俺は海賊スカルアロウの船長、オーゼルグだ。地図をよこせ」

 

 現れた男は、派手な服装と粗野な笑みを浮かべていた。だが、その目は油断なく動いている。ただの三下ではない。

 

「貴様が何を欲しているのかは知らん。だが――」

 

 パパスさんは一歩前に出る。

 

「私たちに手を出したこと、後悔しろ」

 

 その瞬間だった。

 

 ――殺気。

 

 空気が、一変した。

 

 まるで温度が下がったかのように、肌が粟立つ。

 

 パパスさんが剣を抜いた、その一瞬。

 

 鋼が陽光を反射し、鋭い光を放つ。空を飛んでいたカモメが、驚いたように羽ばたいて散っていく。まるで、彼から逃げるかのように。

 

 それを見た海賊の男は、明らかに動揺した。想定していなかったのだろう。額に冷や汗が浮かび、喉が鳴るのがこちらにも分かる。

 

 ボクは、その様子を横目に見ながら、テンとソラの方へ視線を落とした。

 

 二人は、初めて見る“戦士としてのパパスさん”に、目を見開いていた。

 

 そっと膝を折り、目線を合わせる。

 

「大丈夫? テン、ソラ」

 

「大丈夫だけど……おじいちゃん、怖い」

 

「……うん」

 

 ソラも小さく頷く。

 

 無理もない。

 

 いつも優しく、豪快に笑う祖父とは、まるで別人なのだから。

 

「テン、ソラ」

 

 ボクの呼び声に二人の瞳が、さらに大きくなる。

 

「戦いの場では、人を殺す意思が出てくる。君たちが一緒に冒険についてくるってことは、そういうことも含めてなんだ。だから、ボクたちは止めてた」

 

 一拍、間を置く。

 

「……今からでも、帰る?」

 

 沈黙。

 

 潮風が、三人の間を通り抜ける。

 

 やがて、テンがぎゅっと拳を握った。

 

「……ううん。おじいちゃんを、ちゃんと見る。ね、ソラ」

 

「うん、テン」

 

 ソラも、迷いのない声で答えた。

 

 ――強いな。

 

 思わず、胸が熱くなる。

 

 その瞬間、背後で金属音が鳴り響いた。

 

 振り返ると、パパスさんは一瞬で距離を詰め、相手の武器を叩き斬っていた。刃は見事に断たれ、地面に転がる。

 

 次の瞬間、剣先は男の首筋に突き付けられていた。

 

「おいおい……まさか、これほどの腕とは聞いてねぇぞ、エンプル!」

 

 助けを呼ぶ声。

 

「はーい!! それじゃ――」

 

 だが、最後まで言わせなかった。

 

 パパスさんは剣を離さぬまま、もう一方の手で鞘を投げる。

 

 それは正確に、飛び出そうとしたエンプーサの側頭部を打ち、彼女はその場に崩れ落ちた。

 

 静寂。

 

「ホイミン」

 

 剣を構えたまま、パパスさんが言う。

 

「私の感覚では、もう敵はいないように感じるが、お前はどうだ?」

 

 周囲に意識を広げる。

 

 魔物も、人の気配も――ない。

 

「ボクも同じだ。とにかく、この二人は詰め所に引き渡して、先を進もう」

 

「そうだな……では私と……ピエール、ついてきてくれ」

 

 パパスさんは海賊たちを見下ろす。

 

「ホイミンたちは、船に先に向かってくれ」

 

「分かった! 行くよ、テン、ソラ!?」

 

「わ、分かった。行こう、ソラ」

 

 ソラが、こくりと頷く。

 

 再び歩き出すと、しばらく誰も口を開かなかった。

 

 やがて、テンがぽつりと言う。

 

「……おじいさまって、やっぱり強かったんだ」

 

「凄い……」

 

 二人とも、言葉を失っている。

 

「二人とも」

 

 ボクは前を向いたまま言った。

 

「パパスさんは、本気は出していないよ」

 

「えっ、そうなの!!」

 

「一瞬で、あの強そうな海賊を倒したのに!?」

 

 驚きと、少しの恐怖。

 

「そうだね……」

 

 空を見上げる。

 

 雲ひとつない、青い空。

 

「近いうちに、パパスさんの本気を見せてあげるよ」

 

 ――純粋な剣だけでの戦いなら。

 

 ボクをも越えた、パパスさんの本気を。

 

 その時、双子は何を思うのだろうか。

 

 冒険は、まだ始まったばかりだった。

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