【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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第32話 過去からの絆

 サラボナ行きの船は、港を離れてしばらくした頃から、不穏な空気に包まれ始めていた。

 

 最初は、ただ風が強くなっただけだった。帆が大きくはためき、船体がぎしりと軋む音が、波の音に混じって耳に入る。だが、空の色が徐々に変わっていくのを見て、ボクは嫌な予感を覚えた。

 

 灰色の雲が、まるで巨大な生き物の腹の内側のように空を覆っていく。

 

 潮の匂いが一段と濃くなり、空気が重くなる。

 

「嵐……来るね」

 

 呟いたボクの声は、風にかき消されそうだった。

 

 次の瞬間、大きな波が船体を叩いた。

 甲板が大きく傾き、積荷が音を立てて滑る。

 

「わっ――!」

 

 テンの小さな叫び声が聞こえた。

 

 振り返った瞬間、船が大きく揺れ、テンの身体が宙に浮いた。

 

「テン!!」

 

 反射的に駆け出す。

 

 甲板は雨で濡れ、浮いていなければ滑りそうだ。

 テンは必死に手すりに掴まろうとしていたが、指が滑り、今にも海へ投げ出されそうだった。

 

 その時、ソラが泣きそうな顔で叫ぶ。

 

「テンっ!」

 

 ボクは間に合った。

 

 テンの腕を掴み、そのまま抱き寄せる。

 

「大丈夫! 離さないよ!」

 

 もう一度、大波。

 

 船が軋み、海水が甲板に流れ込む。

 

 テンはボクの胸に顔を埋め、必死にしがみついていた。小さな身体が震えているのが分かる。

 

「ごめ……ごめんなさい……」

 

「謝らなくていい。嵐は誰のせいでもないよ」

 

 そう言いながら、ボクは周囲を見渡す。

 

 ピエールとプックルはすでに踏ん張り、ソラを守る位置に立っていた。

 

 パパスさんは船首側で剣を突き立てるようにして身体を支え、まるで船そのものを抑え込もうとしているかのようだった。

 

 カデシュは平然としていた。

 

 嵐は、長く感じられた。

 

 実際にはそれほど時間は経っていなかったのだろう。だが、雷鳴と豪雨、波の衝撃の中では、時間の感覚は簡単に失われる。

 

 やがて、空の色が少しずつ薄くなり、風が弱まっていった。

 

 船は傷つきながらも、沈むことなく進み続けてくれた。

 

 そして――。

 

 遠くに、石造りの高い城壁と、整然とした街並みが見えた。

 

 港に着いた。サラボナまであと一歩だ。

 

 

 船が港に着いた時、ボクはようやく肩の力を抜いた。

 

 テンはまだボクの触手を握っていたが、ソラの顔を見ると、少し安心したように微笑んだ。

 

 陸に足をつけた瞬間、地面の硬さがやけに心地よく感じられた。

 

 港から出て向かったサラボナの街は、噂に違わず豊かだった。石畳はよく整備され、建物の壁にはひび一つ見当たらない。人々の服装も清潔で、表情に余裕がある。

 

 テンとソラは、そんな街の景色に一気に元気を取り戻したようだった。

 

「すごーい!」

 

「お店がいっぱいある!」

 

 二人は走り出す。ピエールとプックルがすぐ後ろについているから、危険はないだろう。ボクは歩きながら、街の様子を注意深く観察する。

 

 ――孤児は、見る限りいない。

 

 路地裏にも、橋の下にも、物乞いの姿は見えなかった。

 

 これは偶然ではない。

 

「……ルドマンさんが、しっかり孤児院なんかを作っているんだろうね」

 

 自然と、感心の言葉が漏れる。

 

「さすがだ」

 

 ボクの隣で、パパスさんも小さく頷いた。

 

「それで、パパスさん」

 

 声を潜める。

 

「カデシュがいるから、もうルドマンさんと話す意味もないけど……どうするの? このまま帰る?」

 

 カデシュは少し後ろを歩いている。

 

 聞かれないよう、慎重に。

 

「……いや」

 

 パパスさんは前を向いたまま答えた。

 

「一応、ストロス国のことを聞いてみよう。裏はとる必要がある」

 

「……そうだね」

 

 ボクも同意する。

 

 カデシュが嘘をついているとは思えない。

 

 だが、真実であるほど、確認は必要だ。

 

 その時だった。

 

「すみませーん!」

 

 甲高い声が聞こえた。

 

 振り向くと、一人の少女が必死そうに走ってくる。

 

 足元には、首輪をつけた小さな犬が――と思ったが、すぐに気づく。

 

 テンとソラの足元にいた犬だった。

 

 犬は二人の周りをぐるぐる回り、尻尾を振っている。

 

「ありがとうございます! ……リリアンが、こんなに懐くなんて」

 

 少女は胸に手を当てて息を整え、にっこりと笑った。

 

「私はフローラです」

 

「僕はテン!」

 

「私はソラ!」

 

 三人はすぐに打ち解け、楽しそうに話し始める。

 年の近い子ども同士、自然な流れだった。

 

 その様子を、ボクとパパスさんは少し離れた場所から見守る。

 

「……いい街だな」

 

 パパスさんが、ぽつりと言った。

 

 カデシュは腕を組み、不満げに鼻を鳴らしているが、邪魔をする様子はない。

 

「ここはピエールたちに任せて」

 

 ボクは言う。

 

「ボクたちは、ルドマンさんに会いに行く?」

 

「……そうだな。そうしよう」

 

 こうして、ボクとパパスさんは、街の中心にそびえる大きな屋敷へと向かった。

 

 高い門。

 

 磨き込まれた石の階段。

 

 ここが、この街の象徴なのだろう。

 

「旅のお方、ご用件は?」

 

 門をくぐると、執事と思しき男性が丁寧に頭を下げた。

 

 ボクは一歩前に出る。

 

「トルネコさんの友達、ホイミンが訪ねて来たって、ルドマンさんに伝えて」

 

 この街で、物語はさらに大きく動き始める。

 

 そんな予感が、静かに胸の奥に広がっていた。

 

☆ ☆ ☆

 

 執事の方は、深く一礼すると、静かな足取りで屋敷の奥へと消えていった。

 

 厚い絨毯が敷かれた廊下は足音を吸い込み、外の喧騒が嘘のように遠い。壁には歴代の当主と思われる肖像画が整然と並び、どれもが裕福さと責任を同時に背負ったような目をしていた。

 

 トルネコさんの肖像画がないのが寂しいな。

 

 そんなことを考えていると、奥の扉が勢いよく開いた。

 

 時間は、ほとんど経っていなかった。

 

 少し太っていて、息を切らしながら――それでも、全力で走ってきたことが一目で分かる人物が、こちらに向かって駆け寄ってくる。

 

 ……ああ。

 

 第一印象で、すぐに分かった。

 

 体型、丸みのある頬、汗ばんだ額。

 どこか人懐っこく、それでいて商人らしい抜け目のなさを感じさせる眼差し。

 

 ――トルネコさんに、似ている。

 

「あなたが、あなたが!?」

 

 彼は胸に手を当て、呼吸を整えることも忘れたまま、声を張り上げた。

 

「よくぞ、我が屋敷にお越しくださいました! 勇者ソロの盟友、トルネコの子孫――ルドマンでございます! まさか、この目でお会いできるとは……!」

 

 興奮が抑えきれない、という様子だった。

 

「あなたが、勇者ソロ様と共に、大魔王デスピサロと戦われた――ホイミン殿なのですね!?」

 

 その問いに、ボクは小さく頷いた。

 

「初めまして、ルドマンさん。勇者ソロ様と共に、大魔王デスピサロと戦った、ホイミンです」

 

 名乗りながら、相手の反応を観察する。権威や名声に酔うタイプではない。純粋な敬意と、少しの畏怖。そして――確かな計算。

 

「あなたに、相談したいことがあって来ました」

 

「そ、それはもちろん! まずは中へ! そちらの方も、どうぞ!」

 

 ルドマンさんはそう言って、パパスさんの方にも深く頭を下げた。王族だと知っての礼ではない。相手が誰であれ、最大限の敬意を払う――商人として、そして一人の人間としての姿勢だ。

 

 案内されて入った応接室は、さすが大商人の屋敷と言うべき空間だった。椅子や机は一級品でありながら、決して派手すぎない。

 

 飾られた調度品は実用性と美しさを兼ね備え、財力を誇示するというより、「長く使い続ける覚悟」を感じさせた。

 

 椅子に腰を下ろすと、驚いたことに、ルドマンさん自らがお茶を用意し始めた。

 

「いやはや……恐れ入ります」

 

 そう言うと、彼はにこやかに笑った。

 

「ホイミン殿もご存じかとは思いますが、トルネコは最初から銀行業で資金を膨らませましてな……今も銀行業を営んでおりまして」

 

「……うん?」

 

 思わず、首を傾げる。

 

「あれ? 最初は武器屋の店員で、その後、奥さんがよろず屋を始めて、トルネコさんが商品を集めて回って……そのうち伝説の武器を集めに行って、帰ってこなくなって……それで、いつの間にか銀行業に変わった、って聞いたけど?」

 

 言い終えた瞬間。

 

 空気が、止まった。

 

「………………」

 

 ルドマンさんの顔色が変わる。

 

 次の瞬間――。

 

「し、失礼しましたぁぁぁ!!」

 

 彼は勢いよく頭を下げた。

 

 ほとんど土下座に近い角度だった。

 

「万が一があってはいけないので、試させていただきました! トルネコの歩みを正確に把握している……あなたは間違いなく、勇者ソロの盟友、ホイミン殿です!」

 

 なるほど。

 

 ボクは、静かに頷いた。

 

 ――この慎重さは、正しい。

 

 もしも、ボクの名を騙る偽物が現れたとしたら。それを見抜けなければ、街も、人も、国も危険にさらされる。

 

「……いい判断だと思うよ」

 

 そう答えると、ルドマンさんはようやく顔を上げ、安堵の息を吐いた。

 

「それで……ホイミン殿が訪ねて来られたということは」

 

 彼は声を低くする。

 

「天空の盾が、必要になったのでは?」

 

 視線が、パパスさんへと向けられる。

 

「……そうだね」

 

 ボクは一度、パパスさんを見る。

 

「パパスさん。ルドマンさんには事情を説明してもいいかも」

 

「そうだな」

 

 パパスさんは、まっすぐにルドマンさんを見据えた。

 

「私はパパス。グランバニアの国王だ。そして――天空の勇者の祖父でもある」

 

「……!!」

 

 ルドマンさんの目が、大きく見開かれた。

 

「そ、それでは……お孫様は……」

 

「四歳だ」

 

「な、何と……!」

 

 ルドマンさんは思わず、椅子の背に手をついた。

 

「……それは……勇者ソロ様の時と、同じ悲劇が起きる可能性がありますな……」

 

 彼は、すぐに決断した。

 

「資金は、できる限り提供いたしましょう。傭兵も――いえ、グランバニアと仰いましたな? 確か、四年ほど前にモンスターの大群に襲われたと……」

 

「そうなんだ」

 

 ボクが引き継ぐ。

 

「テンっていう名前なんだけど、彼が生まれた直後に襲われた。撃退はしたけど……テンの両親は、魔物によって石化された」

 

「……石化……」

 

 ルドマンさんは、重く息を吐いた。

 

「ホイミン殿でも、解けないのですか? 賢者として、高位にあると聞いておりますが……」

 

「解けるよ」

 

 ボクは、静かに答える。

 

「命を捨てればね」

 

 部屋の空気が、凍りついた。

 

「……パパスさんに止められた。だから代わりに探している。ストロスの杖っていう物を」

 

 辺境にある、今は亡き国。

 それでも、希望はそこにある。

 

「聞いたこと、ある?」

 

 ルドマンさんは、目を閉じ、記憶を探るように指を組んだ。

 

「……ストロス……ストロス……」

 

 そして、はっと顔を上げる。

 

「ああ!! 確かに、聞いたことがあります!!」

 

 胸の奥で、何かが強く脈打った。

 

「場所は、分かる?」

 

「……地図を、持って来させましょう!」

 

 ルドマンさんは立ち上がり、扉に向かって声を張り上げた。

 

「おーい! 誰かいないか!!」

 

 ――こうして、点だった希望は、線になり始める。

 

 運命は、再び動き出していた。

 

☆ ☆ ☆

 

 ルドマンさんの屋敷の中庭は、朝の光を浴びて白く輝いていた。磨き上げられた石畳は長年の手入れの賜物で、踏みしめるたびにかすかな音を返す。その中央で、テンとソラは落ち着きなく行ったり来たりしている。足取りは軽く、視線はきょろきょろと忙しい。

 

 ウキウキしている――その言葉が、これほど似合う光景もないだろう。

 

 理由は明白だ。

 

 これから、ボクとパパスさんが模擬戦を行う。

 

 それもただの立ち合いではない。

 ルドマンさん直々の依頼だ。

 

 ――伝説の勇者の仲間、その力の一端を、どうか我が目に。

 

 ストロスの海図を譲り受けた礼として。

 

 そして何より、テンとソラに「君たちのおじいさんが、どれほどの存在か」を知ってもらうために。

 

 剣を交える理由としては、十分すぎる。中庭の縁には、すでに人だかりができていた。

 

 ルドマンさんの子どもたちだけではない。使用人、護衛、商談で滞在していた客人――いつの間にか、模擬戦は見世物として成立してしまっている。

 

 ……さすがは、トルネコさんの血筋だ。商機と娯楽を見逃さない嗅覚は、確かに受け継がれている。

 

 ボクとパパスさんは、中庭の中央で向かい合って立っていた。互いに目を閉じ、呼吸を整える。

 

 手に持つのは剣のみ。

 

 魔法は使わない。

 

 剣技と体術――それだけでの勝負だ。

 

 ボクは触手の先まで意識を行き渡らせ、体内の魔力を静かに沈める。対するパパスさんは、まるで山のように動じない。剣を握る手には無駄な力が一切なく、呼吸は深く、静かだ。

 

 ……現在の模擬戦成績は、七対三。勝ち越しているのは、パパスさん。

 

 何度戦っても思う。

 

 この人は、本当に凄い。

 

 ダーマ神殿が健在だったなら。本気で戦いだけの道を極めていたなら。この人自身が、勇者になっていた可能性すらある。

 

「――それでは、試合開始!」

 

 ルドマンさんの声が、中庭に響いた瞬間。

 

 ボクとパパスさんは、同時に踏み込んだ。

 

 初動から、捨て身。

 剣と剣が激突し、空気が弾ける。

 

 ――ドンッ!

 

 衝撃波が走り、周囲の見物人が思わずよろめく。

 テンとソラは、ピエールとプックルに抱きとめられ、目を見開いたまま動けずにいる。

 

 そこからは、言葉を挟む余地のない応酬だった。

 

 右から斬りつければ、パパスさんは剣の腹で受け流し、その反動を利用して即座に切り返す。

 それを、ボクは触手で叩き落とす。

 正拳突きが飛べば、互いに剣で防ぎ、火花が散る。

 

 剣を弾かれた瞬間、パパスさんは迷いなく足を蹴り上げる。

 それを回転するようにかわし、ボクは空中から飛び膝蹴りを放つ。

 

 ――ギリギリで、かわされた。

 

 その瞬間に、背後から剣風が迫る。

 

 反射的に身を捻り、紙一重で避ける。

 

 すでに、剣戟は百を超えていた。

 

 息は乱れない。

 だが、集中は極限まで高まっている。

 

「うむ……」

 

 パパスさんが、短く息を吐いた。

 

「ウォーミングアップには、ちょうどいいな」

 

 その言葉に、思わず笑みが浮かぶ。

 

「そうだね。ここからが本番だ」

 

 周囲からどよめきが起こる。

 

 だが、もう聞こえない。

 

 視界には、パパスさんしか映っていなかった。

 

 剣が舞う。

 

 斬撃が連なり、時に交差し、時に離れる。

 

 何も知らない者が見れば、それは美しい剣舞に見えただろう。だが、実態は違う。ボクたちは、一瞬ごとに「最善手」を選び続けている。外せば致命傷。

 

 読み違えれば、終わり。

 

 剣戟は、万を超えた。

 

 互いの剣は安物だ。

 

 耐久など、最初から計算に入っていない。

 

 そして――。

 

 諸刃斬りが、真正面からぶつかる。

 

 ――バキンッ!

 

 乾いた音とともに、剣が折れた。

 

 ……だが、終わらない。

 

 パパスさんが距離を詰める。ボクは触手で足払いを仕掛ける。一歩、下がる。その反動を利用し、助走。飛び膝蹴り。

 

 拳、肘、膝、足。

 

 全てが武器になる。

 

 もはや、技の応酬というより、生存本能のぶつかり合いだ。

 

 時間は、静かに流れていた。

 

 昼から始まった戦いは、気づけば夕方を迎え、影が長く伸びている。互いに何度も倒れ、立ち上がり、呼吸を整え、また踏み込む。

 

 ――五時間。

 

 限界まで削り合った末。

 

 最後に立っていたのは、パパスさんだった。

 

 勝敗が決した瞬間、膝から力が抜ける。

 

 悔しさはない。

 

 ただ、納得があった。

 

 テンとソラが、言葉を失ってこちらを見つめている。

 

 ……これが。

 

 君たちのおじいさんだ。

 

 そして、これが――

 

 勇者と共に戦ったボクの力だ




なお、パパスさんはバトルマスターを完全にマスターしたので、一人であれば十万のモンスターに襲われても切り抜けられる強さは持っています。そこに護衛対象がいても十万のモンスターを撃退できるホイミンがいるので、テンとソラは自分たちの傍に置いていたほうが安全と言う認識があります('ω')
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