大歓声が、夜気を震わせるようにして巻き起こっていた。
石畳の広場に集まった人々の声は、一つに溶け合い、まるで大きな波のようにうねっている。ボクはその中心で、ゆっくりと息を整えながら、パパスさんの方を見た。剣を収めた彼の額には、わずかに汗が浮かんでいる。それでも呼吸は乱れていない。さすがだ。
観衆にとっては、ボクとパパスさんの模擬戦は、見世物であり、祭りであり、英雄譚の一幕だったのだろう。けれどボクにとっては、もっと静かで、もっと重い意味を持つ時間だった。
あの剣の重さ。踏み込みの鋭さ。攻撃の合間に見せる、わずかな迷い。
彼は老いた。確かにそうだ。でも、それ以上に――父として、王として、人として、積み重ねてきた時間が、剣の一振り一振りに滲んでいた。
その余韻を断ち切るように、小さな足音が駆け寄ってくる。
「おじいちゃんもホイミン先生もすごい!!」
「僕もおじいちゃんたちみたいに強くなれるかな!?」
テンとソラだ。二人は息を切らしながら、パパスさんに飛びついた。まだ幼い体で、精一杯背伸びをするように腕を伸ばし、祖父の首にしがみつく。その様子に、パパスさんの表情が一気に緩む。
「はは……そんなに褒めるな。照れるだろう」
そう言いながらも、彼の手は自然と二人の背に回っていた。
孫という存在が、どれほど彼の心を柔らかくしているのか、ボクにはよく分かる。剣を握るときの厳しさと、今の優しさ。その落差が、かえって胸にくる。
パパスさんは、テンとソラを見下ろしながら、ほんの一瞬だけ、遠くを見るような目をした。きっと、リュカのことを思い出しているのだろう。息子であり、戦士であり、父になった男の背中を。
「それで、もうけは出そうですが? ルドマンさん?」
声をかけると、少し離れた場所で腕を組んでいたルドマンさんが、慌ててこちらを向いた。彼の周囲には、商人らしく帳簿や計算の話をしていた者たちが集まっている。
「いやいや、儲けを出そうなどとは。あくまで町の活性化のためでしてな。いや、それにしても、さすがと言ったところです」
ルドマンさんはそう言って、満足そうに顎を撫でた。
「ちなみにトルネコはあなたと戦った場合、どれぐらい耐えられましたか?」
「防御を主体にすれば一時間は稼げるはずだよ……商人なのに凄いよね!」
ボクがそう言うと、周囲からどっと笑いが起きた。
トルネコさんの戦い方は、派手さはない。けれど、決して崩れない。守り続けるという一点において、彼ほど信頼できる戦士……商人はいない。あれは才能だ。
「……やれやれ、私も本当に鍛えないとご先祖様に嘆かれますな……」
ルドマンさんは肩をすくめ、それから少しだけ真剣な顔になった。
「それでホイミン殿、一つだけお願いしたいことがあるのですが……」
「ボクができる事なら」
「私の先祖の一人に、ルドルフという者がおりましてな。危険なモンスターを封印しているのです……その封印が解けた時は、力を貸していただきたいのです」
その言葉に、ボクは一瞬だけ考えた。
封印。継承される責任。時を越えて引き継がれる、過去の選択。
「いいよ。トルネコさんの子孫に頼まれたら断れないよ。ボクもトルネコさんにはお世話になったしね」
そう答えると、ルドマンさんは深く頭を下げた。
そんなやり取りをしていると、広場の端で、ひときわ目立つ動きがあった。
若い少女が、まっすぐにパパスさんの方へ歩いて行く。背筋を伸ばし、迷いのない足取りで。
「あれは……!」
ルドマンさんが顔色を変える。
「ホイミン殿、いったん失礼します! デボラ!! 何をするつもりだ!」
彼はそう叫びながら、慌てて駆け出していった。
その様子がおかしくて、ボクは思わずくすりと笑ってしまう。
話は、風に乗って聞こえてきた。
言葉は少し過剰だけれど、要するに求婚だ。相手が誰かも考えず、真正面からぶつかっていくあの勢い。さすがルドマンさんの娘だ。
パパスさんは丁寧に、そして誠実に断っていた。
自分には妻がいること。守るべき家族がいること。
それを聞いたテンとソラが、「おじいちゃんを取らないで!」と声を揃える。
広場に、笑いが広がる。
平和だ。あまりにも。
その空気を割るように、重たい足音が近づいてきた。
カデシュだ。腕を組み、鋭い目でこちらを見ている。
「それで、この茶番はいつまで続けるつもりなんだ?」
「もう終わるよ? それで上級呪文は使えそう?」
「……ああ。使えそうだ」
短い答え。でも、そこには覚悟が滲んでいる。
「ならよかった。ボクとパパスさんの戦いを見たでしょ? 君の役目は一番後ろで、パパスさんが作った隙に呪文を叩きこむ。あるいは、隙を作ることだ。そして魔法使いはパーティーの頭脳でもある。指示は君がするんだ。僕は攻撃呪文も使えるけど、本質は回復役だからね」
言いながら、ボクは少しだけ空を仰いだ。
「……どこかで連携を練習できるといいんだけどね。ほとんどの敵は、ボクもパパスさんも一人で倒せるから……ちょっと問題だね」
力があるからこそ、噛み合わない。
それは、戦いにおいても、人の関係においても、同じだ。
空には、いつの間にか月が昇り、星が一つ、また一つと瞬き始めていた。
夜は、確実に深まっていく。
ボクは静かに目を閉じる。
リュカ。
ビアンカ。
もう少しだからね。
待ってて。
☆☆☆
そしてその夜、ボクたちはルドマンさんの屋敷に泊めてもらうことになった。
サラボナ随一の豪邸と呼ばれるだけあって、屋敷は広く、天井は高く、燭台の炎が壁に飾られた肖像画を柔らかく照らしている。絨毯は足音を吸い込み、城とも違う、けれど確かな威厳を感じさせる空間だった。
使用人たちは皆、忙しそうに動きながらもどこか朗らかで、旅の一行であるボクたちを温かく迎えてくれた。
――いい人ばかりだ。
トルネコさんの縁というのもあるのだろうけれど、それだけではない。ルドマンさん自身の人柄が、この屋敷の空気を作っているのだと、ボクは感じていた。
ただ一人、この屋敷で心底困っている人がいた。
パパスさんだ。
「パパス! 私が結婚してあげるって言ってるのよ!」
広間の一角で、デボラ――ルドマンさんの娘が、今も真剣な目でパパスさんに詰め寄っていた。
華やかな衣装に身を包み、気丈そうに見えるその姿は、確かに目を引く。だがその表情は、どこか切羽詰まっていて、後に引けない想いを抱えているのが分かる。
……うん。
パパスさんは、カッコいい。
圧倒的な力を持ちながら、それを誇示しない。
王として、戦士として、人として、揺るぎない芯がある。
その背中を見て、憧れない人はいないだろう。ましてや、守られる立場の女性ならなおさらだ。
「何度も言っているだろう。私はすでに妻帯者だ。それに……」
パパスさんは困ったように、しかし誠実に言葉を選んで続ける。
「孫もいる。君の気持ちはありがたいが、それを受け取ることはできない」
「それでも! 身分も、年齢も、すべて承知の上で言ってるのよ! 私に見合う男なんていないと思ってたけど、あなたは別なのよ!!」
デボラは一歩も引かない。
その後ろで、ルドマンさんが額に汗を浮かべながら慌てている。
「で、デボラ! お願いだからやめてくれ! その方は……その方はだな……!」
言葉を探しながら右往左往する姿に、ボクは思わず苦笑してしまった。
娘を想う父の気持ちは痛いほど伝わってくるが、相手が悪すぎる。
そのときだった。
「おじいちゃんは、だめ!」
テンが、ソラと並んでパパスさんの前に立った。
小さな身体をいっぱいに使って、まるで壁になるように。
「おじいちゃんは、ぼくたちのだよ!」
「とらないで!!」
二人の必死な様子に、場の空気が一瞬で変わった。
デボラが驚いたように目を見開き、パパスさんは思わず膝をついて、二人の肩に手を置く。
「はは……すまんな。心配をかけた」
その声は、王のものではなく、完全に祖父のものだった。
結局、どう収拾がついたのかというと――
なぜかテンが、「大人になったらデボラさんと結婚する」という約束をすることで、場は丸く収まった。
……いや、収まったのか?
ボクは首を傾げた。
確かに十年も経てば年齢差の問題は消える。
本人同士が納得していれば、それはそれでいい。
でも……。
(何か、おかしくないかな?)
まぁ、単なる口約束だ。
時間が経てば、どちらも忘れるだろう。
そう思うことにした。
――そして一夜が明けた。
朝靄の中、ボクたちはラインハットへと飛んだ。
城に着くや否や、兵士たちはボクたちの顔を見るなり、すぐに道を開けてくれる。案内される先にいるのは、もちろん――ヘンリーだ。
「パパス殿! それにホイミン! よく来てくれた!」
再会の喜びを隠そうともせず、ヘンリーは豪快に笑った。
「事情は聞いている。船の準備は万端だ。それで……」
視線が、テンとソラに向く。
「そこにいるのが、リュカとビアンカの……双子か?」
「そうだよ、ヘンリー」
パパスさんが優しく促す。
「ほら、テン、ソラ。挨拶を」
「初めまして、ヘンリー様」
「初めまして、ヘンリーさん!!」
その瞬間、パパスさんの眉がぴくりと動いた。
「テン。相手は国王だ。さんは失礼だぞ」
すると、ヘンリーが腹を抱えて笑い出した。
「ははは! いいじゃないか! 両親とは友人だったんだ。
ヘンリーおじさんでいい!」
「じゃあ……ヘンリーおじさん!」
テンはぱっと顔を輝かせた。
「船を出してくれてありがとうございます! これで、お父さんと話すことができます!」
その言葉に、ヘンリーの笑顔が一瞬だけ曇った。
それでもすぐに、明るさを取り戻す。
「……よかったな」
そして、ボクの方を見て言う。
「ホイミン。一年に一回くらいは顔を出してくれ。忘れられたかと思うじゃないか」
「分かったよ、ヘンリー」
ボクは少し照れながら答えた。
「次は、パパスさんの奥さんも一緒に連れてくる」
「……!? 取り返す目処が立ったのか?」
その問いに、パパスさんが一歩前に出る。
「ああ。必ずマーサは取り戻す」
低く、しかし揺るぎない声。
「リュカたちを石化から解けば、私とホイミン、後ろにいるストロスの王子カデシュ、そしてピエールで大魔王に挑む。子どもたちに、責任は負わせん」
その言葉に、テンとソラの表情が、ほんの少しだけ曇った。
それでも二人は何も言わなかった。
――分かっているのだ。
大人が、自分たちを守ろうとしていることを。
ボクは、胸の奥で静かに決意を固めた。
(必ず、全員で帰る)
この旅は、まだ終わらない。
☆ ☆ ☆
そして船で一か月を過ごし、ついに僕たちはストロスの国へと辿り着いた。
潮の匂いが薄れ、風がどこか重くなる。港はあるはずなのに、人の気配がない。波止場に降り立った瞬間、世界の色が一段落ちたように感じた。
草は伸び放題で、石畳はひび割れ、建物は輪郭だけを残して沈黙している。ここが、かつて一国を成していたとは、言われなければ信じられなかった。
「……静かだね」
ソラが小さくつぶやく。
テンは黙ったまま、拳をぎゅっと握りしめていた。子どもなりに、何かを感じ取っているのだろう。
その時だった。
「おんみゃらなんぞね、ここでなにしとっとぉ!!」
怒声が空気を切り裂いた。
錆びた門の影から、杖をついた老人が現れる。背は曲がり、髭は白く、目だけが鋭く僕たちを射抜いていた。
反射的にテンとソラが身構える。
パパスさんが一歩前に出て、静かに、けれどよく通る声で言った。
「失礼、御老人。私はパパスという者。ストロスの国に用があって参ったのだが……ここはストロスの国で、間違いないだろうか?」
老人は鼻で笑った。
「……ストロスは亡国じゃ。亡くなった国。地図にも記されとらん」
その言葉には、怒りよりも深い疲労と、諦めが染み込んでいた。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
この人は、ずっと一人でここを守ってきたのだ。
「ここは時間の流れから忘れ去られた国。このまま船に戻り、どこなと行ってくれ」
拒絶の言葉なのに、どこか懇願に聞こえた。
その空気を破ったのは、後ろに控えていたガデシュだった。
一歩、前へ。
「……目を病んだか、スザヤ」
老人の体が、ぴくりと震えた。
「わしの名を……誰が呼んだ……?」
ボクは、はっきりと言った。
「亡国ストロスの王子、カデシュだよ」
時間が止まった。
老人――スザヤさんの手から、杖が滑り落ちる。次の瞬間、彼は膝から崩れ落ちていた。
「……王子……生きて……」
声にならない嗚咽が漏れる。
泣き声は次第に大きくなり、やがて堰を切ったように溢れ出した。
「生きて、良く……良く生きていてくれた……」
カデシュは何も言わず、ただ老人の前に跪いた。その背中は王子ではなく、一人の帰還者だった。
テンとソラは、何も言わずにその光景を見つめている。パパスさんも黙したまま、帽子を胸に当てていた。
ピエールは……泣いていた。
きっと、マーサ様と再会する未来を、重ねてしまったのだろう。
しばらくして、スザヤさんは顔を上げた。
「……王子をよく連れて帰ってくださった」
その声は、もう拒絶していなかった。
カデシュの勧めもあり、彼もグランバニアへ行くことになった。生きている間、ストロスのことを語り継ぐために。それが彼の忠誠なのだろう。
そして――
王族しか入ることのできない扉を、ガデシュが開けた。
冷気が、肌を刺した。
そこには豪奢さはなく、ただ「守られ続けた空間」だけがあった。
テンとソラも、無言でその空気を感じ取っている。
うん。
この子たちは、人の痛みを知っている。
ガデシュが言った。
「この国は、精霊の加護の上にのみ成り立っていた」
その瞬間、テンが顔を上げた。
「それ、変だよ」
皆が振り返る。
「精霊さんの上にみんなが乗ったら、精霊さんが苦しいよ。みんなで横に並んで、手をつなぐ方がいい」
一瞬の沈黙。
そして、ボクとパパスさんは顔を見合わせて、笑ってしまった。
ああ。
テンは、間違いなく勇者だ。
剣を振るう勇者じゃないかもしれない。
でも、世界の歪みに気づいて、立ち止まれる勇者だ。立ち向かえる勇者だ。
大魔王と戦う必要がない世界なら、テンはきっと、貧困や孤独と戦うのだろう。
それでいい。それが、次の時代の勇者なんだ。
空気は冷たいのに、胸の奥は不思議と温かかった。
ちなみにですが、本来だとこの作品ではテンとソラは生まれず、マスタードラゴンと再開した時点で、魔界に直行。パパスさんとホイミンが力を合わせて、ミルドラースを倒して完になる予定もありましたが、さすがに勇者の双子を出さないのはどうなのかと思い、ちょこっと変更しましたm(__)m