そしてボクたちは、魔界の奥へ、奥へと進んでいった。
足元から伝わる感触は、もはや岩でも土でもない。生き物の体内を歩いているかのような、ぬめりと脈動。空気は重く、息を吸うたびに肺の奥が焼けるように痛む。それでも、足は止まらなかった。
現れる魔界のモンスターたちは、確かに強かった。
数も多い。連携も取れている。明らかに、これまでの魔界とは質が違う。
だが――。
(正直に言えば)
ボクとパパスさんなら、一人でも突破できる。
それが事実だった。
奇跡の剣が振るわれるたび、肉体は癒え、力の盾が衝撃をいなす。パパスさんの剣は、もはや技ではなく「意志」だった。斬るべきものと、斬らざるべきものを、寸分違わず切り分ける。
だからこそ、今はあえて――前に出ない。
「この程度なら、任せていい」
そう判断して、リュカたちに戦線を委ねていた。
リュカも、ビアンカも、テンもソラも、そして仲間たちも。彼らだって、マーサさんを救うために戦いたいはずだ。
――守られるだけの存在で終わらせたくなかった。
ただし。
(大魔王は、別だ)
魔界に足を踏み入れてから、ずっと感じている。
――視線。
――圧。
――底の知れない、悪意。
それは、かつて戦ったデスタムーアや、デスピサロに勝るとも劣らない。いや、性質が違う。より静かで、より深く、より執拗だ。
だが、それでも。
(勝てる)
確信があった。
ボクとパパスさん。
そして、ピエールとガデシュ。
この四人なら、必ず勝てる。
リュカたちは、マーサさんと合流した後、護衛に回ってもらう。大魔王との戦いは――ボクたちが引き受ける。それが、ボクの誓いだった。
ダンジョンの奥へ進むにつれ、空気が変わった。
戦意を煽る瘴気ではない。
むしろ、静かで、温かい。
そして――。
「ああ……」
声が、聞こえた。
胸の奥に、直接触れるような声。
「パパス、リュカ……」
足が、止まった。
「私は……どんなに、あなた方に会いたかったことでしょう」
そこに、彼女はいた。
マーサさん。
鎖に繋がれているわけでもない。
だが、明らかに――この場所に縛られている。
「私が攫われた、あの日以来……」
マーサさんは、静かに続ける。
「あなた達のことを、考えぬ日はありませんでした。パパス……」
「マーサ!!」
その瞬間、パパスさんが走り出した。
迷いはなかった。
剣も盾も捨てる勢いで、彼女を抱きしめる。
「……っ」
リュカが、声を殺して泣いていた。
テンとソラも、必死に涙をこらえている。
ピエールは、一歩踏み出しかけて――止まった。
自分の役割を、理解しているのだ。
「パパス……」
マーサさんの手が、彼の背に回る。
「あなたは、変わっていませんね……」
安堵と、愛情と、そして――どこか諦め。
それが混じった声だった。
「ですが……聞いてください」
マーサさんは、ゆっくりと身を離した。
「ミルドラースの魔力は……異常です」
その言葉に、空気が張り詰める。
「あなた達に再会できた。それだけで、私は……」
一瞬、視線が伏せられる。
「思い残すことはありません」
――来る。
直感が、警鐘を鳴らした。
「この命に代えて、ミルドラースの魔力を封じてみせましょう」
「そんな必要はない!!」
即座に、パパスさんが否定した。
「マーサ、聞け。今の私は、お前を攫われた、弱かったころの私ではない」
剣を構え、堂々と前に立つ。
「私とホイミン、ピエールとカデシュがいれば、どんな相手であろうと負けはしない」
そして、少しだけ誇らしげに言った。
「ホイミンのおかげでな。私は……ダーマ神殿で転職したと言っても過言ではない」
「……ダーマ神殿?」
マーサさんが驚いたように目を見開く。
ボクは一歩前に出た。
「初めまして、マーサさん」
胸に手を当て、静かに頭を下げる。
「ボクはホイミン。人間になることを夢見ている……先代と、先々代の天空の勇者様の仲間です」
マーサさんの表情が、さらに驚きに染まる。
「確かに、ミルドラースの魔力は底なしに見えるかもしれません」
だが、と続ける。
「それでも、デスタムーアやデスピサロに比べれば……弱い」
断言した。
「ボクがいれば、負けることはありません」
その言葉に、マーサさんは息を呑んだ。
そして――。
「マーサ!!」
堪えきれなかったのだろう。 ピエールが走り出した。
「私です! ピエールです!! 会いたかった……本当に、長い旅でした!」
「ああ……」
マーサさんの瞳が、潤む。
「ピエールまで……」
しばしの沈黙の後、マーサさんは、静かに言った。
「……ならば」
両手を胸の前で組む。
「私も、あなた達と共に戦いましょう」
――まずい。
その瞬間、確信した。
これは、封印の祈りだ。
大魔王を、そして――自分自身を縛る類のもの。
皆は、涙を流しながら再会を喜んでいた。
その尊さに、心を奪われていた。
だが、ボクだけは――違った。
(来る)
背後の空気が、歪んだ。
次の瞬間。
「危ない!!」
ボクは叫び、マーサさんとパパスさんの前に躍り出た。
衝撃が、世界を揺らす。
「――におうだち!!」
触手を構え、全身で受け止める。
凄まじい魔力が炸裂した。
――やはりだ。
再会の瞬間を、狙ってきた。
大魔王は、感情の隙を逃さない。
だが――。
(ここからだ)
ボクは、歯を食いしばった。
この家族を。
この再会を。
絶対に、壊させない。
☆ ☆ ☆
「ホ、ホイミン!!」
思わず声が漏れた。
叫ぶつもりはなかった。だが、視界に映った光景が、それを許さなかった。
ホイミンが――炎に包まれていた。
魔界の炎だ。
ただの火ではない。意思を持ち、命を焼き尽くすために存在する、呪われた炎。その中心に、あの小さな背中が立っている。
(――油断した)
歯を噛み締める。マーサと再会できた。それだけで、胸の奥に張り詰めていた糸が、ほんのわずかに緩んでしまったのだ。
戦場に感情を持ち込むな。
何度も自分に言い聞かせてきたことだというのに。
「大丈夫!!」
炎の中から、張りのある声が響いた。
「それより、出てこい、ゲマ!!」
その声音に、私は一瞬だけ息を忘れた。
――強い。
炎に包まれてなお、揺らがぬ精神。
だが、次の瞬間、嫌悪すべき笑い声が空気を切り裂いた。
「ほっほっほ……」
姿を現したのは、やはりあの存在だった。
「さすがですね、ホイミン」
細い目を歪め、愉悦に満ちた声で言葉を紡ぐ。
「大魔王様も、あなただけは別格と判断されていますよ。一対一でなければ勝てないと」
吐き気がする。
「誇りなさい。大魔王様にそう思わせているのですから。ほっほっほ」
その言葉と同時に――空気が、重くなった。否、違う。気配だ。四方八方から、押し寄せるように感じる無数の気配。一体や二体ではない。百でも千でもない。
(……万か)
背筋が冷たくなる。
だが、恐怖よりも先に、理解が来た。
(そういうことか)
ホイミンを、ここで足止めする。大魔王の元へ向かう戦力から、最も厄介な存在を切り離すために。ゲマの狙いは、最初から明白だった。
その時だった。
「パパスさん!」
ホイミンの声が、まっすぐに私を射抜いた。
「進むんだ!!」
一瞬、思考が止まる。
「ゲマと、その手勢はボクが引き受ける! 倒したら、すぐに追いかける!!」
即断が求められる場面だった。
迷えば、全てが崩れる。
私は――ホイミンを見た。
炎の中に立つ、小さな背中。
だが、その背は、誰よりも大きく見えた。
(信じろ)
それが、答えだった。
「皆、進むぞ!!」
自分の声が、驚くほど低く、鋼のように響いた。
「でも、ホイミンが!?」
テンの叫びが耳に届く。ソラも、唇を噛み締め、こちらを見ていた。その視線が、胸に突き刺さる。だが――ここで立ち止まることは、全員を危険に晒すことになる。
(私がいる)
心の中で、そう呟く。
(ホイミンが抜けても……私が前に立つ)
そして、マーサがいる。
彼女の力があれば、穴は埋まる。
気は進まない。
だが、ここで消耗すれば、勝てる戦いも勝てなくなる。
「私が先頭を行く!」
剣を構え、声を張り上げる。
「ピエール、最後尾は任せた!」
足を踏み出す。半ば強引に、隊列を動かす。誰も逆らわなかった。皆、理解している。そして――進み始めて間もなく。
背後から、凄まじい轟音が響いた。
地鳴り。爆発。魔力の奔流。
振り返りたい衝動を、必死で抑える。
(……一人で、やっているのだな)
あの数を。
あのモンスターたちを。
私たちを信じて。
だからこそ、ここに残った。
(ならば)
拳を強く握る。
(その信頼に、応えねばならぬ)
友として。仲間として。ダンジョンを進むにつれ、違和感が増していく。魔物が、いない。いや、正確には――邪魔をしてこない。
トラップも、拍子抜けするほど少ない。
(……進みやすすぎる)
これは偶然ではない。
(大魔王……ホイミンを恐れているな)
だからこそ、こちらには深入りせず、全力をホイミン一人に向けている。
慢心。
それは、強者が必ず犯す過ちだ。
歩きながら、胸の奥で何かが煮え立つ。
(その慢心)
マーサを攫ったこと。
リュカとビアンカを石に変えたこと。
テンとソラに、孤独な夜を過ごさせたこと。
(その全てに)
剣を握る手に、力がこもる。
(必ず、代償を払わせる)
それは、ホイミンの怒りではない。
夫としての怒り。
父としての怒り。
祖父としての怒り。
私、パパスが背負うべきものだ。
報いを受けさせる。
大魔王よ。
(首を洗って、待っていろ)
私は前を見据え、さらに歩を進めた。
☆ ☆ ☆
そして――私たちは、ついにたどり着いた。
魔界の最奥。
空気は重く、呼吸するたびに肺の奥が焼けるようだった。足元の岩は黒くひび割れ、そこから滲み出る魔力が、まるで生き物のように脈打っている。
ここが終着点だ。
長き旅の果て。
すべての元凶が座す場所。
玉座のように盛り上がった岩の上に、それはいた。
「ついにここまで来たか」
低く、だが魔界全体を震わせるような声。
「伝説の勇者と、その一族の者たちよ。私が誰であるか、そなたたちにはすでに分かっておろう」
闇が揺らぎ、巨大な影が輪郭を持つ。
「魔界の王にして、王の中の王。ミルドラースとは、私のことだ」
圧が、違う。
確かに、これまで戦ってきたどの魔物とも異なる存在感だった。
だが――
「気の遠くなるような年月を経て、私の存在はすでに神すら超えた」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「――笑わせるな」
気づけば、私は一歩踏み出していた。
「デスタムーアとデスピサロ……鬼のいぬまに王を名乗っていただけではないか?」
玉座の影が、わずかに揺れる。
「お前は怖いのだろう?」
視線を、真正面から叩きつける。
「ホイミンが。だからこそ配下どもで足止めしている」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……だまれ」
短く、苛立ちを隠さぬ声。
横で、マーサが息を呑むのが分かった。
「ミルドラースの魔力が……抑えられている……?」
マーサの声は震えていた。
「ありえない……ここまで弱体化しているなんて……私が祈ったとしても、ここまでは……」
ミルドラースが、鼻で笑った。
「ふん。確かに、あの生意気なホイミスライムによって、私の力は制限されている」
認めた。
それだけで、胸の奥が熱くなる。
「配下を相手にしながら、なお私の力を抑える……認めよう。ホイミスライムは、確かに脅威だ」
だが――その次の言葉に、私は剣を強く握った。
「だが今、お前たちの傍にはホイミスライムはいない」
嘲るような声音。
「お前たちは、ホイミスライムと共に私に挑むべきだった。それが、敗因だ」
――違う。
私は、剣を構えた。
「私がお前に言いたいことは三つある」
声が、自然と低くなる。
「よくも、マーサを攫ってくれたな」
一歩、踏み出す。
「よくも、リュカに母がいない悲しみを背負わせたな」
さらに一歩。
「よくも、孫たちに孤独な夜を過ごさせたな」
剣先が、魔王を指す。
「――私の怒り、受けてみろ」
全身の血が、沸騰する。
「ミルドラース!!」
私は地を蹴った。
背後から、剣の風切り音。
ピエールとリュカが、迷いなく追ってくる。
詠唱が、重なった。
「呪文を使える者は、私に続け!!」
カデシュの声だ。
「パパスたちのために、隙を作る!! メラミ!!」
「メラミ!!」
「メラミ!!」
ビアンカとソラが続く。
炎の奔流が、ミルドラースを包む――が。
「この程度の呪文……!」
眩い光。
かがやく息が、呪文を相殺した。
だが――その瞬間。
(今だ)
私は踏み込んだ。
奇跡の剣が、闇を裂く。
「!!」
確かな手応え。
ミルドラースの肉体に、傷が刻まれた。
奴が、こちらを見る。
「……成程」
低く唸る。
「お前も、警戒すべき存在だな。さすがは、マーサの夫というべきか」
その言葉に、迷いは消えた。
ピエールとリュカが、左右から斬りかかる。
ダメージは与えている。だが――
(まだ、足りん)
「上級呪文が唱えられるなら、唱えろ!!」
カデシュの指示が飛ぶ。
「できない者は、パパスへの援護に徹しろ!!」
正しい判断だ。
この場で、一番前に立つべきは――私だ。
踏み込み、斬る。
呪文が直撃する。
放たれた魔力を、剣で叩き落とす。
(……無傷では、済まぬか)
さすがに、ホイミンほど無茶はできない。だが奇跡の剣の効果で軽傷だ。
さらに、その瞬間。
「パパス……!」
温かな光。
マーサの回復呪文が、全身を包む。
(勝てる)
確信が、胸に満ちた。
ミルドラースが、焦っている。
動きが、鈍い。
「ば、馬鹿な……!」
魔王の声が、揺れる。
「ゲマ!! さっさとそのホイミスライムを黙らせろ!!」
だが――返事はない。
私は、斬り込んだ。
奇跡の剣が、首筋を捉える。
「……ぐっ」
致命傷のはずだ。
だが、まだ倒れない。
「おのれ……こうなれば……!」
魔力が、膨れ上がる。
「無理やり、第二形態に――」
だが。
「――っ!?」
何かが、封じた。
「邪魔をするな……ホイミスライム!!」
怒号。
「……ちぃ。ゲマまでやられたか!!」
そして――
逃げた。
大魔王が、背を向けた。
(逃がすか!!)
その瞬間。
雷が、落ちた。
「――!!」
テンの雷が、ミルドラースを貫く。
(今だ!!)
「終わりだ!!」
全身の力を、剣に込める。
「ホーリーエッジ!!」
一閃。
首が、半分、斬り落とされた。
それでも――なお。
「バカな……!」
狂った笑い。
「ははは! 私の勝ちだ!! ホイミスライムは息絶えた!! これで第二形態に!!」
――違う。
私は、駆けた。
「――何!? 何故動ける……ホイミスライム!!」
理性と本能が、同時に叫ぶ。
(止めだ)
「ぬわー!!!」
すべてを捨てた一撃。
首が――落ちた。
沈黙。
ミルドラースは、動かない。
……終わった。
「勝利だ!!」
勝どきが上がる。
皆が、喜ぼうとして、ミルドラースのホイミンが息絶えたという言葉に驚きの表情をしている。
私の胸にあるのは、一つだけ。
(ホイミン……)
急がねばならない。
友が、待っている。
次話で最終回です。読んで頂き感謝です!