次の日。
まだ夜の名残が空気に残る時間帯に、ボクは目を覚ました。窓の外では、山際がうっすらと白み始め、鳥の鳴き声が一つ、また一つと増えていく。
昨夜、パパスさんから聞いた話が、頭の奥で静かに反芻されていた。リュカの運命。マーサさんの力。そして――リュカを託したい、という言葉。
胸の奥に、重みのある熱が残っている。
(何かあった時に、迷わず動けるようにしておかないと)
ボクは家を出て、朝露の残る庭先へと浮かび出た。冷たい空気が体を撫でる。まずは軽く体を慣らすように、触手を伸ばし、縮め、回転させる。剣を振る前の、いつもの準備だ。
しばらくすると、背後で扉が開く音がした。
「……やはり、起きていたか」
振り返ると、パパスさんがそこに立っていた。まだ完全に鎧を着けてはいないが、肩には外套を羽織り、剣を携えている。どうやら、同じことを考えていたらしい。
「パパスさんも?」
「ああ。体が鈍るのは性に合わん」
互いに顔を見合わせ、自然と笑みが浮かぶ。言葉は要らなかった。気がつけば、ボクはパパスさんの予備の剣を手にしていた。朝日が差し込み始める中、最初の剣戟が響く。
――カンッ。
軽い探り合い。だが、すぐに互いの距離が詰まっていく。
一合、また一合。剣と剣がぶつかるたび、乾いた金属音が朝の静けさを切り裂いた。
ボクは剣を振る。パパスさんは受け、流し、返す。やがて呼吸が揃い、動きが洗練されていく。何度目か分からない打ち合いの後、ボクは思わず口にした。
「……さすがだね、パパスさん」
「いや、ホイミンこそだ。だが――」
パパスさんは一歩引き、剣を構え直す。
「そろそろ本気を出してくれてもいいんじゃないか? 伝説の勇者と共に戦った力を見せてくれ」
ボクは一瞬、目を細めた。
「……そうだね。じゃあ、少しだけ」
次の瞬間、ボクの動きが変わる。剣を握る腕とは逆側の触手が、空を裂くように伸びた。バトルマスターとしての剣技に、パラディンとしての肉体運用。剣と触手、攻撃と防御を同時に成立させる戦い方。
本当なら、ここに魔法戦士や賢者としての呪文を重ねる。だが、これは模擬戦だ。すべてを見せる必要はない。
パパスさんは驚きながらも、即座に対応してきた。触手の正拳突きを剣の腹でいなし、同時に踏み込み、剣を振るう。
(……凄い)
ダーマ神殿もないこの世界で、ここまで鍛え上げた剣。それは才能だけじゃない。積み重ねてきた時間の重さだ。それでも――負けるわけにはいかなかった。
(パパスさんに、リュカを任せられると思ってもらわなきゃ)
さらに剣を重ね、拳を交え、百合、二百合と続く。やがて、パパスさんの呼吸に、わずかな乱れが見えた。
(……今だ)
剣で正面から切りかかり、ガードに合わせて触手で足払い。パパスさんは反応したが、わずかに反応が遅れた。その瞬間、ボクの剣先は、パパスさんの喉元で止まっていた。
静寂。
「――いや、参った!」
パパスさんは剣を下ろし、豪快に笑った。
「さすがだな、ホイミン」
「ううん……実戦だったら、どうなるか分からないよ。パパスさんも本気じゃなかった」
その時、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「凄い! 凄いよ!」
リュカの声だ。振り返ると、スラリンとドラきちを連れて、目を輝かせて立っていた。
「父さんも、ホイミンも!!」
「ふふん。ボクのは年の功かな。だから、パパスさんの方が凄いよ!」
「そうなんだ……」
リュカは首を傾げ、ふと思いついたように聞いた。
「ねえ、ホイミンって、いくつなの?」
「それは内緒!」
ボクは笑って答える。
「今のボクは、リュカの友達。それでいいでしょ?」
「……うん!!」
その笑顔を見て、胸の奥が温かくなる。
「旦那様! ぼっちゃん!」
サンチョさんの声が響いた。
「食事の準備ができましたよ!」
「はーい!」
リュカの声に、スラリンとドラきちが頷くようにしてついていく。ボクはパパスさんと目を合わせ、無言で頷いた。朝食の後、ビアンカとお母さんが訪ねてきた。事情を聞いたパパスさんは、少し考えた後、口を開く。
「そうか、今日帰るのか……女二人では危ないな。私が送ろう」
そして、リュカを見る。
「お前たちも、ついてくるか?」
「――もちろん!!」
リュカは弾けるように答えた。その横で、ビアンカが小声で囁く。
「ねえ……ドラキーも友達にしちゃったの?」
リュカは誇らしげに胸を張った。――ビアンカからすれば不思議なのかもしれない。でも、それがリュカなのだ。ボクはその背中を見つめながら、静かに決意を新たにした。この旅路の先で、どんな運命が待っていようと。
この子を、必ず守る。
☆ ☆ ☆
アルカパまでの道のりは、驚くほど穏やかだった。街道沿いには背の低い草が風に揺れ、遠くでは小鳥のさえずりが聞こえる。時折、茂みの奥で何かが動く気配はあったが、それ以上近づいてくることはなかった。
それも当然だろう。ボクとパパスさんは、力を隠していなかった。
(……逃げてるね)
視線を向ければ、こちらを遠巻きに見ていたモンスターが、そっと身を引くのが分かる。この辺りに出没する魔物たちでは、ボクやパパスさんとの差はあまりにも大きい。数百、数千体で囲まれようと、勝負にすらならない。その格の違いを、本能で理解しているのだろう。
そんな空気を感じ取っているのか、スラリンやドラきちは実にのびのびとしていた。
「まてまてー!」
「つかまえるにゃっ!」
スラリンが弾むように跳ね、ドラきちが空中で旋回する。その後を、リュカとビアンカが笑いながら追いかけていく。
土を踏みしめる音、子どもたちの笑い声。旅というより、まるで遠足のようだった。
「ほんとに、楽しそうねえ」
ビアンカのお母さん――おばさんが、目を細めてその様子を眺める。パパスさんも、どこか柔らかい表情で頷いた。
「子どもには、こういう時間が必要だ」
その言葉を聞いて、ボクは胸の奥が少しだけ痛んだ。この穏やかさが、永遠に続くわけではないと、ボクは知っているから。リュカの苦しい運命を。
いや、違う、ボクはリュカに苦しい運命を歩ませたくない。そのためにボクの力を使う。それでいい。やがて、視界の先に城壁が見えてきた。門と、賑やかな人の声――アルカパの街だ。
「着いたよ!」
ビアンカの声に、リュカがぱっと顔を上げる。
「ここがアルカパかぁ……!」
門番がこちらに気づき、にこやかに声をかけようとして――次の瞬間、目を見開いた。
「こ、これは……パパス殿!!」
そして、その視線がスラリンとドラきち、ボクに移る。
「……!? パパス殿の後ろに、モ、モンスターが!!」
門番は一歩身構えたが、パパスさんは落ち着いた声で答えた。
「ああ。そのモンスターたちは、私の息子が仲間にした。人を襲うことはない。安心してくれ」
「モンスターを……仲間に?」
門番は一瞬戸惑ったものの、やがて深く息を吐いた。
「……パパス殿のお言葉なら、信じましょう。ただし、問題を起こさないようにお願いします」
「問題なんて起こさないよ!」
リュカが前に出て、胸を張る。
「ねっ、ドラきち!」
「そうにゃっ! いいこにゃっ!!」
その様子に、門番の肩から力が抜けた。
「……はは、元気なお子さんだ」
ボクはそのやり取りを眺めながら、ふと遠い記憶に沈んだ。かつて、レック様の旅に同行していた頃も、似たような場面があった気がする。モンスターと人が、境界を越えて並んで歩く――それは、いつの時代も異端で、そして希望だった。
(時代は巡るんだね)
気づけば、パパスさんたちは街の中へと歩き出していた。慌てて意識を戻し、ボクもふわりと浮かびながら後を追う。
石畳の道。立ち並ぶ商店。焼き立てのパンの香り。アルカパは活気に満ちていた。やがて、街の中央にある宿屋へと辿り着く。中に入ると、空気が一変した。
ベッドに横たわる一人の男性。青白い顔色で、浅い呼吸を繰り返している。その傍らには、心配そうに寄り添う、従業員らしき人物。
「あっ、おかみさん! お帰りなさい!」
従業員が駆け寄る。
「薬は……薬は手に入ったんですか?」
「ええ」
おばさんは、しっかりと頷いた。
「これで、主人も良くなるはずよ」
その言葉に、場の空気が少しだけ明るくなる。おばさんは薬を手に、寝台へと向かった。
「どれ……ダンカン、今から薬を飲ませるわよ」
パパスさんも歩み寄る。
「私も見舞おう」
ボクも少し気になり、近づいてダンカンさんの容体を観察した。賢者としての知識が告げる――毒や呪いではない。薬さえあれば回復する病だ。
(よかった……)
最悪の場合、キアリーやベホマで治療するつもりだったが、その必要はなさそうだ。しばらくして、おばさんが振り返り、ビアンカに声をかけた。
「ビアンカ。リュカたちに、この街を案内してあげなさい」
「はーい!」
ビアンカは元気よく返事をし、振り返る。
「行くよ、リュカ! スラリン! ドラきち!」
「うん!」
「いくにゃっ!」
楽しげに駆け出す子どもたち。ボクは一瞬、どうするべきか迷ったが――パパスさんが、何も言わずにこちらを見て、静かに目配せをした。その意味は、はっきりと伝わってくる。
(護衛、だね)
ボクは小さく頷き、空中に浮かび上がった。
「じゃあ、ボクも一緒に行こうかな」
「やった!」
リュカが振り返って笑う。その笑顔を守るために、ボクはここにいる。アルカパの街の喧騒の中へ、子どもたちは走り出した。その背中を見守りながら、ボクは静かに警戒を強める。
この街で――また、物語が動き出そうとしていた。
☆ ☆ ☆
ビアンカに手を引かれるようにして、ボクたちはアルカパの街を歩き回った。石畳の道は陽を受けて温かく、店先からは呼び込みの声や金属を打つ音、パンの焼ける匂いが混じり合って流れてくる。活気のある、いい街だ。
人の営みというものは、いつ見ても不思議だ。危うくて、騒がしくて、それでも、どこか優しい。
ボクは勇者様に憧れて人間になりたいのだろうか? いやきっとこの普通に暮らす人たちの営みを見て、人間になりたいと思っているのだろう。この平和がいつまでも続けばいいのに。
そして、最初のうちは、通りすがる人たちも驚いた顔でこちらを見ていた。スライムとドラキーそしてホイミスライム――人の子どもに混じって歩くモンスターの姿は、やはり異様なのだろう。
「……モンスター?」
「だ、大丈夫なのか?」
ひそひそ声が聞こえる。けれど、スラリンがぴょこんと跳ねて挨拶をし、ドラきちが「こんにちはにゃっ」と間の抜けた声を出すと、空気は少しずつ和らいでいった。
「……スライムか」
「ドラキーなら、まあ……」
警戒は残っているものの、剣を抜く者はいない。それどころか、子どもたちの笑い声が、次第に街中に響き始めた。
「こっちのお店、前にお母さんと来たの!」
ビアンカはそう言って、目を輝かせながら指差す。リュカは少し照れたように笑って、うなずいた。
「へえー! すごいね、ビアンカ!」
その足元で、スラリンがぴょこんと跳ねる。リュカの頭の定位置から離れて今は足元で動いている。
「スラリン、それ触っちゃだめだよ!」
「ぷるぷるー! ぼく悪い子じゃないよ!!」
屋台に並ぶ果物へ伸びかけたスラリンを、ビアンカが慌てて止める。頭上ではドラきちが羽音を立てて旋回していた。
「ドラきち、飛びすぎ!」
「だいじょうぶにゃっ!」
ボクは少し後ろから、浮かびながらその様子を眺めていた。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……こんな時間が、ずっと続けばいいのに)
勇者の旅も、魔王討伐もない。ただ子どもたちが笑い、街がそれを受け入れる――そんな世界。だが、そんな願いが長く続かないことを、ボクは知っている。運命は、いつだって油断した頃に牙を剥く。
――それは、広場に出た瞬間だった。
「ちょっと! やめなさいよ!」
ビアンカの鋭い声が、空気を切り裂いた。反射的に視線を向けると、広場の端で数人の子どもが集まり、何かを囲んでいる。
「可哀そうに、嫌がってるじゃない! そんな可愛い子猫をいじめるなんて、最低よ!!」
ビアンカは駆け寄り、怒りを隠そうともせず叫んだ。子どもたちは一斉にこちらを見て、にやりと笑う。
「なんだ、ビアンカかよ」
「こいつは猫じゃねーって」
一人が、足元のそれを乱暴に引き寄せる。鎖で繋がれ、身を縮めている――まだ小さな、斑点模様の魔獣。
「ネコにしちゃでかいしさ」
「変な声で鳴くし、見ろよ、牙!」
「こえーだろ?」
その瞬間、ボクの中で時間が止まった。
(……ベビーパンサー)
地獄の殺し屋、キラーパンサーの幼体。成獣になれば、人間一人など容易く引き裂く魔獣。その子どもを――。
(……この子どもたち、なんて無知で、なんて勇敢なんだ)
ビアンカは一瞬だけ言葉を失い、それでも前に出て、ベビーパンサーを庇う位置に立った。
「……それでも、怖がってるじゃない」
その声は、震えていたが、退かなかった。次の瞬間だった。リュカが、ビアンカの前に立ったのは。
「その子ネコを離してよ!」
小さな背中。けれど、迷いのない声。
「何も悪いこと、してないじゃないか!!」
(……リュカ)
思わず、言葉を飲み込む。ベビーパンサーを友達にする――それは、危険だ。本能が、そう告げている。けれど同時に、胸の奥で別の声が囁く。
(もし……もしリュカに、魔物と心を通わせる力があるなら)
これは、試練であり、成長の機会でもある。ボクが止めていいのか、分からなかった。
「そうよ!」
ビアンカも声を張り上げる。
「縛ったりしたら可哀そうだわ! すぐに離して!!」
子どもたちは顔を見合わせ、舌打ちする。
「うるせーな」
「……でもよ」
その時だった。鎖に繋がれていたベビーパンサーが、リュカの方を見た。怯えた目。だが次の瞬間、リュカがそっと手を伸ばすと――。
「……にゃぁ」
小さく鳴き、リュカの指に鼻先を擦り寄せた。
(……懐いた)
ボクは、息を呑んだ。これが、リュカの力。
(マーサさん……あなたは、これ以上の力を持っていたのかもしれない)
それなら、狙われる理由も分かる。魔界に通じる力。人と魔物の境界を曖昧にする存在。
「それにしてもよ」
いじめっ子の一人が、リュカを見下ろす。
「チビ。お前、魔物を連れてんだな?」
「僕の友達だよ!」
リュカは即答した。
「悪いことなんて、しないよ!」
子どもたちは、にやりと笑った。
「……じゃあさ」
「子ネコが欲しいんだろ?」
嫌な予感が、背筋を走る。
「条件だ」
「レヌール城のお化け、退治してこいよ」
その言葉に、周囲がざわめく。
「できたら、この化け猫をやる」
「どうだ?」
リュカは一瞬だけ黙り込んだ。
そして、拳を握りしめる。
「……分かった」
まっすぐな目で、言い切った。
「約束だからね!!」
「へへ……決まりだな」
子どもたちはベビーパンサーを引き寄せ、広場の奥へ去っていく。その小さな鳴き声が、胸に刺さった。ボクは、空を見上げた。
(……運命が、動いた)
これは、ただの街の喧嘩じゃない。リュカの物語が、本格的に始まった瞬間だった。ボクは静かに、覚悟を決める。
(……全力で、守ろう)
この優しい心が、壊されないように。
ホイミンを強くして何が悪い!
マスタードラゴンよりも前に生きてるんだ!これぐらい強くても問題ないはず('ω')
ルドマンさんはトルネコの
-
子孫
-
子孫じゃない