【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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第6話 レヌール城

 宿屋の中には、薬草と木の匂いが混じった、どこか懐かしい空気が漂っていた。アルカパの宿は決して豪奢ではない。だが、人の営みが染み込んだ温もりがある。私はこういう場所が嫌いではなかった。

 

 寝台に横たわるダンカンは、先ほどよりも呼吸が落ち着いているように見える。薬が効き始めたのだろう。その傍らで、妻のマグダレーナが胸に手を当て、何度も安堵の息をついていた。

 

「……本当に助かったよ、パパス」

 

 そう言って、深く頭を下げられる。私は軽く手を振って答えた。

 

「礼には及ばん。友の顔を見に来ただけだ」

 

 本当は、薬を渡したらすぐに立ち去るつもりだった。だが、宿の外から聞こえてくる子どもたちの笑い声が、私の足を止めた。

 

 リュカの声。ビアンカの、少し甲高く、よく通る声。それに混じって、スライムやドラキーの鳴き声まで聞こえる。

 

 ……ずいぶんと賑やかなことだ。

 

 私は窓の外に視線をやり、広場の方へと駆けていく子どもたちの背中を思い浮かべた。ああ、ああいう時間は、そう長くは続かない。だからこそ、尊い。

 

 マグダレーナは、そんな私の様子を見て、少し微笑んだ。

 

「今日は……泊まっていかないかい?」

 

 意外な申し出だった。私は一瞬、言葉を失う。

 

「ダンカンも、きっとそれを望むさ。それに私に一人で酒を飲めって言うのかい?」

 

 酒、か。

 それに――聞いておきたいことが、私にはあった。

 

「……分かった。今日はお言葉に甘えよう」

 

 そう答えると、マグダレーナの表情がぱっと明るくなった。

 

「これで酒が飲めるね! やっぱり酒は友と飲まなきゃね!」

 

 マグダレーナの喜びの声と奥から、少しかすれたダンカンの声がした。どうやら、意識は戻りつつあるらしい。

 

「無理をするな。まだ寝ていろ」

 

「ああ、分かってるさ……だが、あんたが来てくれたってだけで、体が軽くなった気がする」

 

 昔から変わらん男だ。私は小さく笑い、椅子に腰を下ろした。

 

 ――だが、酒を持ってくる前に、どうしても聞いておかねばならぬことがある。

 

 私は周囲を見回した。ビアンカの姿はない。子どもたちはまだ外で遊んでいるらしい。

 

「……マグダレーナ」

 

「何だい?」

 

 その声は穏やかだが、私は慎重に言葉を選んだ。

 

「ビアンカちゃんは……確か、養子だったな?」

 

 一瞬、空気が張りつめた。マグダレーナの手が、ぴくりと止まる。

 

「……そうだけど。それが、どうしたんだい?」

 

 警戒。当然だろう。私は他人だ。しかも、旅を続ける剣士に過ぎない。

 

「背中に……羽のようなものが、生えていなかったか?」

 

 その瞬間、彼女の表情が強張った。怒りとも、恐れともつかぬ感情が滲む。

 

「……あんた、ビアンカが魔物だって言いたいのかい?」

 

 声が低くなる。母親の声だ。娘を守る者の声。

 

「違う」

 

 私は即座に、きっぱりと否定した。

 

「私は天空人を探している」

 

「……天空人?」

 

 マグダレーナだけでなく、ダンカンも目を見開いた。

 

「ああ。天空城に住み、マスタードラゴンに仕える存在だ。人の世からは遠く離れて生きている存在……」

 

 言葉を重ねるごとに、胸の奥が重くなる。これは祝福であり、同時に呪いでもある。

 

「そしてな……」

 

 私は、拳を強く握った。

 

「天空人と人間の間に生まれた子が、世界を救う勇者になるという伝承がある」

 

 沈黙。宿の柱が、ぎしりと音を立てるほどの静けさ。マグダレーナは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 

「……そんな話、初めて聞いたよ」

 

「だろうな」

 

 私は頷いた。

 

「私は……勇者の血統を探していた」

 

 言葉が、自然と零れた。

 

「妻を、取り戻すために」

 

 胸の奥が、ずきりと痛む。マーサの顔が、脳裏に浮かんだ。

 

「だが……勇者の血統は、途絶えたとされている」

 

 だからこそ――。

 

「もし、もしもだ。本当にビアンカが天空人なら……私にとって、それは希望なんだ」

 

 マグダレーナは俯いたまま、何も言わない。

 

「違ったなら済まない。忘れてくれ」

 

 私は真剣な目で、二人を見据えた。長い沈黙の後、マグダレーナは大きく息を吐いた。

 

「……あんたが、そんな顔で言うなら」

 

 顔を上げ、真っ直ぐに私を見る。

 

「信じるよ。あんたを」

 

 そして、はっきりと言い切った。

 

「だけどね。ビアンカは、私たちの娘だ。天空人何かじゃない」

 

 その声は、震えていなかった。

 

「それに天空人だろうと、何だろうと関係ない。何があっても、守るさ」

 

 胸の奥が、熱くなる。

 

「……そうだな」

 

 私は深く頷いた。

 

「それでこそ、親だ」

 

 その瞬間、張りつめていた空気が、ふっと緩んだ。

 

「それじゃあ!」

 

 ダンカンが、弱々しくも陽気に声を上げる。

 

「難しい話はここまでだ! 今日はあんたの冒険譚を肴に、酒を飲み明かそうじゃないか!」

 

「病み上がりのくせに……」

 

 マグダレーナが呆れながらも、酒瓶を取りに行く。

 

 私は、静かに笑った。――この平穏が、少しでも長く続くことを願いながら。ほどなくして、宿の扉が勢いよく開いた。

 

「ただいまー!!」

 

 ビアンカの元気な声。その後ろに、リュカの姿が見える。

 

「お帰り、ビアンカ!」

 

 マグダレーナが声を張る。

 

「今日はパパスたちは泊まっていくよ! だから――」

 

 にやりと笑って、こう続けた。

 

「しっかり、リュカを接待しな!!」

 

 子どもたちの笑い声が、宿いっぱいに広がった。私はその光景を眺めながら、心の中で静かに誓った。

 

 ――必ず、守る。

 この子どもたちの未来を。そしてマーサを取り戻す。

 

☆ ☆ ☆

 

 夜のアルカパは、昼間とはまるで別の顔を見せていた。石畳に落ちるランタンの明かりは柔らかく、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。風が吹くたび、宿屋の看板が小さく軋み、その音すらも心地よく感じられた。

 

 ボクは宙に浮かびながら、リュカとビアンカの少し後ろをついて歩いていた。彼らの足取りは軽い。だが、心の奥では確かな不安と期待が入り混じっているのが、ボクには分かる。

 

「それでリュカ……本当に、レヌール城のお化け退治の話をパパスさんにするの?」

 

 ビアンカが、ちらりとリュカを見ながら言った。いつもの快活な声だが、その奥に迷いが滲んでいる。

 

「うん」

 

 リュカは迷いなく頷いた。

 

「勝手にしちゃダメだって、父さんに怒られたから」

 

 その言葉に、ボクは内心で頷いた。パパスさんは、豪胆だが無鉄砲ではない。子どもが危険に踏み込むことを、決して軽くは考えない。

 

「でも……」

 

 ビアンカは唇を噛んだ。

 

「パパスさんがついてきたら、あのいじめっ子たち……あのネコちゃん、離さないかもしれないわ」

 

 彼女の言葉に、ボクは思わず目を細めた。あれは確かに、ただの動物ではないかもしれない。だが、子どもたちにとっては、弱く、怯えた存在にしか映らないのだろう。いや、ビアンカは少しだが怯えていた。それを隠して、助けようとする。いい娘だと思う。

 

「それは大丈夫だよ」

 

 リュカは立ち止まり、振り返った。その瞳には、不思議なほどの自信が宿っている。

 

「ホイミンがいれば、怖いものなんてない」

 

 ……ああ、この子は。

 

「だって、父さんと同じくらい強いんだもん」

 

「えっ!?」

 

 ビアンカが目を丸くする。

 

「そうなの!?」

 

 ボクは、思わず苦笑してしまった。困ったな。ボクは自分の力を誇示した覚えはないんだけどな。

 

「ホイミンがついて行くことが条件になるだろうけど……」

 

 リュカはそう続けて、少しだけ声を落とした。

 

「父さんも、きっと許してくれると思う。だから……行こう」

 

 そう言って、彼は駆け出した。スラリンがぷるん、と弾むようについて行き、ドラきちが翼をばたつかせて追いかける。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 ビアンカは少し遅れて走り出す。ボクは、彼らから離れすぎないように、静かに浮遊を速めた。

 

 ほどなくして、宿屋の灯りが見えてきた。中からは、酒の匂いと温かい料理の香り、そして人の笑い声が漂ってくる。

 

 リュカは扉を勢いよく開け、前置きもなく叫んだ。

 

「父さん!! レヌール城にお化け退治に行ってもいい!!?」

 

 一瞬、時間が止まったかのように静まり返る。ボクは思わず、空中で姿勢を正した。

 

「……待て待て」

 

 パパスさんの低く、落ち着いた声。

 

「なぜ、そんなことをしようと思った?」

 

 パパスの横でマグダレーナ、ダンカンの妻が、さりげなくこちらを見ている。耳を澄ませているのが、私にも分かった。

 

「いじめっ子たちが、小さい猫をいじめてたんだ!」

 

 リュカは一気に言葉を吐き出す。

 

「僕たちがお化け退治をしてきたら、渡すって言ってるんだ! だからお願い、父さん!」

 

「ママ!」

 

 今度はビアンカが前に出た。

 

「私も一緒に行きたいの! お願いよ!」

 

 二人の視線が、真っ直ぐに大人たちに突き刺さる。パパスとマグダレーナは、しばし無言で目を合わせた。

 

 ……沈黙。その重みを、ボクはよく知っている。

 

「まったく……」

 

 マグダレーナが肩をすくめた。

 

「ビアンカは、誰に似たんだかね」

 

 だが、その口調には、確かな温かさがあった。

 

「パパス。あんたの息子と、その仲間たちは……きちんとビアンカを守れるんだろうね?」

 

 パパスは腕を組み、私の方へ一瞬だけ視線を向けた。

 

「……そうだな」

 

 そして、はっきりと言う。

 

「リュカとスラリンとドラきちだけでは不安だが……ホイミンがいれば、問題ないだろう」

 

 ボクは、思わず浮遊を止めた。

 

 ……評価が、重い。

 

「はぁ……」

 

 マグダレーナは大きく息を吐いた。

 

「分かったよ。今日はゆっくり休みな」

 

 そして指を立てる。

 

「明日、準備を整えて……明後日、行きな! いいね、ビアンカ!」

 

「やった!!」

 

 ビアンカが跳ねる。

 

「リュカ」

 

 今度はパパスさんが、低く真剣な声で言った。

 

「男が決めたことだ。どんなにつらくとも、諦めるな」

 

 だが、続く言葉は優しかった。

 

「だが、お前はまだ子どもだ。困ったことがあったら……私か、ホイミンにすぐ相談しなさい」

 

「分かったよ、父さん!!」

 

 リュカの声は、弾んでいた。

 

 その夜、宿の食卓には豪勢な料理が並んだ。サンチョさんの料理に劣らぬ味――いや、プロの料理人が作っているのも加わって、また違った美味しさがある。

 

 スラリンは器に顔を突っ込み、ドラきちは骨付き肉にかぶりついている。ボクは、ナイフとフォークを使い、静かに食事を口に運んだ。

 

 リュカとビアンカは、笑いながら料理を分け合い、パパスは酒を片手に、これまでの冒険譚を語っている。

 

 皆の笑顔が、ランタンの光に揺れていた。

 

 ――いつか。

 

 いつかリュカも、こうして冒険を語る日が来るだろう。その時、ボクは……。

 

 ふと、そんな未来を思い描きながら、ボクは静かに杯を置いた。

 

 人間になりたいと願ったボクが、人間の子どもの未来を守る役目を担うとは――。人生とは、なんと不思議なものだろうと思った。

 

☆ ☆ ☆

 

 そして、出発の時が来た。

 

 準備は万全だった――少なくとも、子どもたちにできる範囲では。正直に言えば、途中でパパスさんが病に倒れるという予想外の出来事はあった。だが、それでもボクは思った。大丈夫だと。

 

 なぜなら、ボクがいる。彼らを守るためにここにいるのだから。リュカは銅の剣を腰に差し、何度も抜き差ししては感触を確かめている。ビアンカは使い慣れた鞭を手に取り、空を切るように軽く振ってみせた。スラリンはブーメランを体の一部のように抱え、ドラきちは翼を小さく羽ばたかせながら落ち着きなく周囲を見回している。

 

 私はというと、鉄の剣と鉄の盾を装備させてもらった。久しぶりに剣と盾を装備した感想は……。軽いというのが正直な所であった。ボクはバトルマスターとパラディンの二つの前衛の上級職を納めている。重い装備には慣れっこだ。

 

 さらに言えば、動きを阻害しないので、口から呪文を唱えることもできるし、魔法剣を繰り出すこともできる。戦いの準備は万端だ。

 

(何かあった時、前に立つのは僕だ)

 

 その覚悟が、重さを感じさせなかった。呪文も使える。剣も振るえる。盾も構えられる。守るための、戦うための準備としては、これ以上ない。

 

 勿論勇者様たちと一緒に戦った時の装備があれば一番だが……それは高望みが過ぎるだろう。

 

(ボクの装備は天空城に預けてたっけ……ルーラで行ければよかったんだけどな)

 

「それじゃ、レヌール城へ向かおう!」

 

 リュカが声を張り上げる。その声には、不安よりも期待の方が多く含まれていた。

 

「おーっ!」

 

 ビアンカとドラきちが声を合わせ、スラリンがぷるんと跳ねる。

 

 ボクは最後尾に回り、彼ら全員が視界に入る位置を保った。先頭に立つのは、彼ら自身でなければならない。ボクはリュカたちが対処できないような存在が出てきたときの保険なのだから。

 

 道中、何度かモンスターに遭遇した。だが、装備の差は明らかだった。リュカの剣が確実に当たり、ビアンカの鞭が敵の動きを止め、スラリンとドラきちのブーメランが追撃する。

 

 私は一度も前に出なかった。必要がなかったし、出てはいけなかった。

 

(……よかった)

 

 この程度なら、リュカたちだけで切り抜けられる。それが何より嬉しかった。そうして、ついにレヌール城が見えてきた。

 

 黒ずんだ石壁。崩れかけた尖塔。空気そのものが、よどんでいる。

 

「うわ……」

 

 ビアンカが小さく息を呑んだ。

 

「なんか、近づくだけで寒い……」

 

 確かに、城の周囲だけ、空気が一段冷たい。魔力が滞留している。間違いなく何かがいる。城門に近づくと、案の定、扉はびくともしなかった。錆びついた鉄が、長い年月を物語っている。

 

(力任せに開けることもできるけど……)

 

 ボクは何も言わない。ここは、彼らの知恵と勇気の見せ所だ。

 

「城門は錆び付いちゃってるな……」

 

 リュカが腕を組み、少し考え込む。

 

「……そうだ! ドラきち!」

 

「にゃっ?」

 

「空を飛んで、どこか入れそうなところがないか見てきてよ!」

 

「任せるにゃっ!」

 

 ドラきちは勢いよく飛び立ち、城壁の周囲を旋回し始めた。

 

 その間、リュカとビアンカは他の入口を探して回る。だが、どこも同じ――封じられ、朽ちている。

 

(随分と昔に捨てられた城なんだな……)

 

 そう思うと少しだけ切ない。そして上空から声が響いた。

 

「見つけたにゃっ!! 後ろの方から入れそうな場所があるにゃっ!!」

 

「本当!? よし、みんな行こう!」

 

「さすがドラきちね!」

 

 ビアンカが抱きしめると、ドラきちは照れたように鳴いた。

 

 ……やっぱり、人間っていいな。こうやって、素直に感情をぶつけられるのが。裏手に回ると、確かに崩れた壁と、外付けの梯子が残っていた。スラリンが先に登り、周囲を警戒する。

 

 ボクは少し距離を取りながら後ろを進んだ。彼らの成長の機会を奪わず、なおかつ命を危険に晒さない――簡単そうに見えて、実はとても難しい役割だ。

 

(……でも、やり遂げる)

 

 そう心に決め、城内へと続く扉を見つめた。リュカが扉を押し開けた、そして4人が入った瞬間――ガシャン!!

 

 重たい音と共に、鉄の柵が落ちてきた。

 

「えっ!?」

 

 リュカたちが中へ、そして――ボクだけが外へ取り残された。まるで、ボクを拒むかのように。だけど。

 

「……甘いよ」

 

 静かに剣を構えた。鉄の柵。確かに頑丈だが、斬れないわけじゃない。

 

「みんな、下がって」

 

 そう告げると、ボクは剣を振り上げた。

 

「――メタル斬り!」

 

 鋭い閃光。刃が鉄を裂き、柵は音を立てて崩れ落ちた。ボクは何事もなかったかのように中へ入る。

 

「……ホイミン、やっぱりすごい」

 

 リュカの尊敬の眼差しが、少しだけ痛かった。

 

(ボクは保険だよ、リュカ)

 

 ボクは笑って誤魔化しながら、城の奥を見据えた。ここからが、本当の試練だ。

 

 

ルドマンさんはトルネコの

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