――そう、あくまで保険のつもりだった。
リュカたちが恐怖に負けず、自分の力で一歩を踏み出すための、最後の安全網。それがボクの役割のはずだった。
だけど、レヌール城に棲みついた幽霊たちは、ボクの想定よりもずっと悪辣だった。城の廊下は冷え切り、壁に掛けられた古い燭台は、火を灯していないのに淡く揺れている。床にはひび割れが走り、踏みしめるたびに、遠くで誰かが呻くような音が反響した。
「……なんか、見られてる気がする」
ビアンカが腕を抱き、周囲を警戒する。リュカは強がるように胸を張っていたが、その足取りは少しだけ慎重だった。
その瞬間だった。背後の空気が歪んだ。骨が擦れ合う音。次の瞬間、壁から抜け出すように、骸骨の幽霊が現れた。
「――ビアンカ!!」
骸骨は狙いを定めたかのように、真っ直ぐビアンカへと伸びる。その指先が、彼女の肩に触れる寸前――
「させない!!」
ボクは即座に前へ出た。剣を振るうことに迷いはなかった。
「ゾンビ斬り!!」
聖なる斬撃が骸骨を断ち、白い骨は悲鳴すら上げずに霧散した。……間一髪だった。リュカたちは呆然と立ち尽くし、ビアンカは一瞬遅れて、深く息を吐いた。
(今のは……危なかった)
胸の奥が、ひやりと冷える。ボクが一瞬でも遅れていたら、どうなっていたか分からない。だけど同時に、別の思いが胸を締め付けた。
(ボクが前に出過ぎると……)
リュカたちの「経験」を奪ってしまう。だが、危険に晒すわけにもいかない。成長と安全の境界線。それは、思っていた以上に曖昧で、難しかった。
「ホイミンって……すごく強いのね!」
ビアンカが尊敬の眼差しで言う。
「でしょ? 僕が言った通りだよ!」
リュカは誇らしげに胸を張った。
「ホイミンは父さんと同じくらい強いんだ!」
スラリンとドラきちは、くるくるとボクの周りを回り、嬉しそうに跳ねている。……その無邪気さが、逆に胸に刺さった。
(強さを見せるのは簡単だけど。でも――)
彼ら自身が前に進まなければ、意味がない。城の探索を続けると、今度は鎧の中に潜んだモンスターが現れた。今度はボクは動かない。
「リュカ、来るよ!」
「うん!」
リュカの剣が当たり、ビアンカの鞭が絡め取り、スラリンとドラきちが追撃する。少し危なっかしいが、確かに“戦えて”いた。
(……よし)
そうして進んだ先、広間に差し掛かったときだった。空気が変わった。悲しみと後悔が、濃霧のように満ちる。そこに、女性の亡霊が現れた。
「待って!」
ビアンカが一歩前に出て叫ぶ。
「私たちは、この城に住み着いた幽霊を退治しに来たの! 何か知っていることを教えて!!」
亡霊は答えず、静かに歩き出す。振り返りもしない。だが、その背中は――ついて来いと言っているようだった。
「……どうする、リュカ?」
リュカは少し考え、スラリンとドラきちを見る。
「ついて行った方がいいと思う!」
「同意にゃっ!」
そして、リュカはボクを見た。ボクは、ゆっくりと頷いた。
(リュカの選択だ)
「よし、行こう!」
走り出した先で、亡霊は古びた椅子に腰を下ろした。
「……わたしは、このレヌール城の王妃、ソフィア」
その声には、怒りよりも深い悲しみがあった。
「十数年前……城の者は皆、魔物に襲われ、命を落としました……」
沈黙が落ちる。
「それは……ひどいわ!」
ビアンカが、かばうように前へ出る。
「でも、ここにいるスラリンたちは優しいモンスターなの! 一緒にしないで!」
ソフィアは、穏やかに微笑んだ。
「ええ、分かっています。幽霊になったからでしょうか……心が、よく見えるのです」
そしてリュカたちを見る。
「あなたたちは、善なる心を持っています」
「……ホイミンは?」
リュカが問いかける。
ソフィアは、少しだけ驚いた顔をした。そして微笑んだ。
「ホイミンは……私では測れません。あまりにも善が深すぎて」
その言葉に、胸がざわついた。そして、ソフィアは続けた。
「最近……邪悪な者たちが、身分ある子どもをさらっているという噂を聞きます」
――その瞬間。ボクの中で、過去が蘇った。ソロ様。デスピサロ。勇者が育つ前に、摘み取ろうとする影。
(……まさか)
もし、これが偶然じゃないなら。
「私とエリック王には子がいませんでした……」
ソフィアは静かに頭を垂れる。
「だからこそ、どうか……私たちを眠らせてください」
リュカは、まっすぐに頷いた。
「分かった。僕たちが、悪いモンスターを倒す」
その姿を見ながら、ボクは決意した。
(これは、パパスさんに話さなきゃいけない)
リュカの運命。マーサさん。そして、子どもを狙う影。すべてが、一本の線でつながり始めている。やがて、王の亡霊――エリック王が姿を現した。
「ここまで来た者は、そなたたちが初めてじゃ」
「どうか……ゴーストの王を追い払ってくれぬか」
「分かりました!」
リュカは力強く答えた。松明に火を灯し、玉座の間へ向かう。ボクは一歩後ろで、剣と盾を構える。
(ここから先は……本当に危険だ)
だが、リュカはもう、立派に前を見ていた。
――だからこそ。
絶対に、死なせない。
それが、ボクの役目だ。
☆ ☆ ☆
玉座の間へと続く重い扉が、ぎい、と鈍い音を立てて開いた。長い年月、誰の手にも触れられていなかったのだろう。扉の内側から流れ出てきた空気は冷たく、湿っていて、どこか腐臭を含んでいた。ボクは無意識にリュカたちの前に一歩出る。
赤い絨毯はところどころが破れ、金糸はくすんでいる。天井から垂れ下がるシャンデリアは半分が崩れ落ち、淡く揺れる燭台の炎が、壁に歪んだ影を映していた。
――そして。
玉座の上に、そいつは座っていた。
王の威厳を真似たつもりなのだろう。だが、腐臭と冷気をまとった半透明の体は、ただの成り損ないの王にしか見えない。空洞の眼窩が、ぎょろりとこちらを見下ろした。
「ほほう……ここまで来るとは、たいしたガキどもだ」
粘ついた声が、玉座の間に反響する。
「ほうびにおいしい料理を作ってやろうじゃないか。さあ、こっちに来なさい」
その言葉に、ビアンカが一歩前へ出た。
「イヤだ! お前だな、この城で悪さをしているのは!」
「そうよ! 亡くなった人たちを無理やり起こして、苦しめているのはあなたでしょ!」
リュカも剣を握りしめ、真っ直ぐに睨み返す。
「リュカ、下がって」
ボクの声は、思ったより低く、静かに響いた。二人は一瞬戸惑ったけれど、すぐに頷いて後ろへ下がる。スラリンとドラきちも、空気の変化を感じ取ったのか、ボクの背後に集まった。
親分ゴーストは舌打ちをし、恨みがましい視線をこちらに向けてくる。
「……その床、落とし穴だね」
指先で示すと、ゴーストは一瞬だけ目を見開いた。
「ちっ……気づかれたか。それにしてもモンスターが人間の味方をしているだと? はっ。だとしても、お前たち下等なモンスター如き――」
そこまで言わせなかった。ボクは、ずっと抑えていた“力”を、ほんのわずかだけ解放した。
空気が、軋んだ。
温度が一気に下がり、燭台の炎が震え、消えかける。リュカもビアンカも、スラリンもドラきちも、息を呑んで動けなくなっているのが分かる。
そして――明確な殺気を突き付けられた親分ゴーストは、目に見えて震え始めた。
「……っ!」
「取引をしよう」
ボクは、静かに言った。
「ボクは、リュカたちが君と戦うのに手を出さない。その代わり、君は正々堂々戦うんだ」
一歩、前に出る。
「もし、この約束を破ったら――その時は、ボクが君を退治する」
沈黙。
「……儂に、メリットがないが?」
震える声で、ゴーストはそう言った。
「今、ボクはちょっとだけ怒ってるんだ」
さらに殺気を重ねる。空間が、悲鳴を上げる。
「それを君にぶつけないだけ、譲歩していると思ってくれていいよ」
「……わ、分かった! 分かったから!!」
親分ゴーストは、玉座からずり落ちるようにして叫んだ。
「その殺気を止めてくれ!!」
ボクは、ふっと力を抜く。
「――ふぅ。ちょっと熱くなっちゃった。ごめんね、皆」
「ホイミン……」
リュカが、不安そうにボクを見る。
「ごめんね、リュカ。でも、君たちで倒すんだ。そこにいる親分ゴーストを」
一瞬の沈黙のあと、リュカは強く頷いた。
「――分かった!! みんな、準備はいい?」
「もちろんよ!」
「任せてリュカ!」
「もちろんにゃっ!」
四人とも、きっと聞きたいことが山ほどあるはずだ。でも、それを飲み込んで、目の前の敵に集中している。
……どこまで話すべきなんだろう。これは、パパスさんと相談しないといけない。そう考えている間に、戦いは始まった。
先手を打ったのはスラリンだった。ブーメランが風を切り、親分ゴーストの顔面へと飛ぶ。
「ぬっ!」
払おうとした腕に、ドラきちが噛みついた。
「今にゃっ!」
直撃。呻き声を上げるゴーストに、ビアンカの鞭が絡みつき、足元を打つ。
「これでもくらいなさい!」
そこへ、リュカが踏み込み、銅の剣で頭部を叩いた。
「やあっ!」
親分ゴーストは呪文を唱えようとするが、そのたびに攻撃で遮られる。後衛型――長引けば不利だと悟ったのだろう。
「――分かった分かった! この城からは出ていく!!」
荒い息で叫ぶ。
「それで、許してくれるか!!」
リュカが一歩前に出た。
「もう悪いことをしないって、誓える?」
「もちろんじゃ! 悪いことをして、そこにいるホイミスライムに目を付けられたくはない!!」
……全員の視線が、ボクに集まった。これは……少し、過去を話す必要があるかもしれないな。
やがて親分ゴーストたちは霧のように消え、城には静寂が戻った。エリック王とソフィア王妃は、安らかな表情で現れ、リュカに光り輝くオーブを差し出した。
「感謝のしるしじゃ」
――え?
ボクは、その光を見て息を呑んだ。
……見間違いじゃない。あれは、本来、天空城にあるはずのものだ。ということは。天空城に、何かが起きている。
パパスさんに、伝えないと。マーサさんのことも、子どもさらいの噂も――全部、繋がり始めている。ボクは、リュカの背中を見つめながら、静かに決意した。
――まだ、この旅は始まったばかりだ。
☆ ☆ ☆
「ホイミンって凄いね!!」
リュカが満面の笑みで叫ぶ。夕暮れの風が、レヌール城の城下町の石畳をなぞるように吹き抜けていった。戦いを終えた後の静けさは、いつも少しだけ胸に沁みる。
「そうね……確かに凄いわ。でも、私はホイミンが何者なのか、ちょっと気になる」
ビアンカは腕を組み、じっとボクを見つめてくる。その視線は鋭いけれど、疑いよりも純粋な好奇心が勝っているのが分かる。
「僕も!!」
「おいらもにゃっ!!」
スラリンとドラきちまで声を揃えた。……参ったな。こうなると逃げ場はない。ちらりとリュカを見ると、彼は首をかしげていた。ボクはいつも通りの調子で言った。
「リュカは気にならないの?」
「うーん……」
少し考える素振りをしてから、リュカはにっと笑った。
「ホイミンはホイミンだよ! 確かに強いけど、人間になりたいって願ってるホイミスライムなだけでしょ?」
――ああ。その言葉が、胸の奥にすっと染み込んでくる。強さでも、過去でもない。今、ここにいるボクを見てくれている。
そんな人間、勇者様たち以外にはいなかった。もしかして……いや、やっぱり。リュカは、勇者なんじゃないだろうか。
心の中で、そう呟いた。
「とりあえず……ボクのことを気にしてる人が多いみたいだし」
ボクは軽く咳払いをして言った。
「詳しい話は、ビアンカの家で食事をしながらにしよう。それに、先にやらなきゃいけないことがあるでしょ?」
「……分かったわ!!」
ビアンカはぱっと表情を切り替え、拳を握った。
「とりあえずリュカ! まずは子ネコちゃんを助けましょう!!」
「そうだね! じゃあ早速向かおう!」
こうして一行は、夕焼けに染まる村外れへと向かった。
旅の詩人が語っていた“幽霊の城”の噂は、どうやら村中に広まっていたらしい。お化け退治をしたことが、ネコをいじめていた連中の耳にも入ったようだった。
ビアンカは、逃げ腰の男たちに向かって、はっきりとした声で言い放つ。
「子猫を引き渡して!」
「……分かったよ」
渋々と差し出された網の中から、小さな影が転がり出た。ベビーパンサーは、少し怯えながらも、リュカとビアンカの足元へ近づき、ころんと寝転がった。
「……大丈夫だよ」
リュカが優しく撫でると、ビアンカも同じように手を伸ばす。その様子を見て、いじめっ子たちは何も言わずに去っていった。
「さて……まずは名前を付けないとね」
ビアンカが楽しそうに言う。
「ゲレゲレはどうかしら?」
「うーん。僕はプックルがいいと思うな」
リュカはベビーパンサーの鼻先をくすぐりながら言った。
「スラリンたちはどう思う?」
「プックルがいいと思う!」
「保留にゃっ!」
……二対一。ビアンカは少し不満そうだったけれど、すぐに肩をすくめた。
「仕方ないわね。じゃあ今日からこの子はプックルよ!」
「ガウ!」
プックルは嬉しそうに鳴き、ビアンカの足にすりっと頭を擦りつけた。怒るつもりだったビアンカも、その仕草に思わず笑ってしまう。
「もう……ずるいわね」
こうして一行は、ビアンカの家へと戻った。
「ママ! ただいま!」
「父さん、ただいま!」
リュカとビアンカは、それぞれの親に今日の冒険を語り始めた。……なぜか話題の中心は、ボクだったけれど。
勇者様たちなら、もっと派手な武勇伝がいくらでもあったはずなのに。それでも、今のボクを凄いと言ってくれる。
少し、くすぐったい。
その夜、リュカたちは風呂に入り、温かい食事を食べると、すぐに眠ってしまった。ボクの過去については、「昔、伝説の勇者様と旅をしていたモンスター」というところまでしか話さなかった。
続きを聞きたそうな顔をされたけれど、今日はここまで。逃げるように話題を切り上げた。
「ホイミン……よくリュカたちを無事に連れ帰ってくれた」
パパスさんが、静かに頭を下げる。
「私からもお礼を言わせてほしい。ビアンカを守ってくれてありがとう」
「鉄の扉を切るなんて、凄まじい腕だね。それに……勇者様と一緒に旅をした生き証人だなんて!」
「えへへ……」
ボクは、胸を張った。そうしないと、あの旅の思い出を汚してしまう気がしたからだ。
「それで、パパスさん」
少し声を落として言う。
「マーサさんを攫ったのは……恐らく大魔王だよ」
「……根拠はあるのか?」
「レヌール城の王妃様が言ってた。高貴な生まれの子どもが攫われているって」
「それは……」
「大魔王デスピサロが、勇者様が成長する前に殺そうとした、あの時代に似てる」
パパスさんは黙り込む。
「ボクは……リュカが今代の勇者様、もしくは勇者様に力を貸す存在になると思ってる」
「……そうか」
重い沈黙を破ったのは、ビアンカのお父さんだった。
「はいはい! 難しい話はそこまでだ!」
「せっかくだ、ホイミン! 勇者様との冒険を語っておくれよ。酒を飲みながらさ!」
「……飲めるんだろう?」
「……分かったよ」
ボクは笑って言った。
「よし、パパスさん! どっちがたくさん飲めるか勝負だ!」
「いいだろう。今日はとことん付き合おう!」
こうして、夜が明けるまで酒盛りは続いた。懐かしい名前と、懐かしい笑い声に包まれながら。
――そして、物語は静かに次の章へ進んでいく。
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない