そしてボクたちは、ラインハットの関所を越えた。
正確に言えば、歩いて越えたというより――少しばかり賑やかに通過した、という表現のほうが正しいかもしれない。
「わあ……! すごい……!」
リュカはパパスさんの肩車に乗り、視界いっぱいに広がる川を食い入るように見つめていた。人の往来は多く、旅人、商人、兵士が入り混じり、活気という言葉がそのまま形になったような光景だった。
そのリュカの頭の上には、得意げにぷるんと乗ったスラリンがいる。まるで三段重ねの不思議な像みたいで、通りすがりの人たちが思わず二度見していた。
「スラリン、落ちないでよ」
「だいじょうぶ! ぼく、バランスいいから!」
スラリンはそう言って、ぷるんと身体を揺らした。リュカが少しよろめく。
「わっ、スラリン! 動くなって!」
「えへへ……」
関所の兵士たちは一瞬きょとんとした顔をしたけれど、すぐに事情を察したのか、苦笑しながら通行を許可してくれた。どうやら、パパスさんの顔と名前は、ここでも十分に知られているらしい。
「……あの方がパパス殿か」
「噂通りだな」
小声で交わされる囁きが、風に乗ってボクの耳に届く。
石畳の道を進むにつれ、ラインハット城の全貌がはっきりと見えてくる。高くそびえる城壁は分厚く、長い年月を耐え抜いてきたことが一目で分かる。規則正しく並ぶ塔、風にはためく国旗。そのすべてが「王国」という存在の重みを主張していた。
リュカだけじゃない。スラリンも、ドラきちも、プックルも、まるで首が取れそうなほどきょろきょろと視線を動かしていた。
「おっきいなぁ……」
「城って、こんなに大きいんだにゃっ……レヌール城とは何かが違うにゃっ」
「わふ……」
プックルは落ち着かない様子で尻尾を振りながら、リュカの足元にぴったりと寄り添っている。守るべきものが目の前にある、とでも言いたげだった。
ボクは、その光景を少し離れたところから眺めながら、自然と記憶の奥を辿っていた。
――レイドック城。
レック様のお城。あの白く輝く城壁と、どこか柔らかな空気。玉座の間に差し込む光と、穏やかな声で語りかけてくれた王の姿。
あの場所では、ボクたちは勇者のお供として迎えられ、疑いの視線を向けられることはなかった。モンスターであることよりも、「誰と共にあるか」が重視されていた。
それに比べると、ここラインハット城では――。
「……」
視線を感じる。通りすがる人々、城門の兵士たち。その目は好奇心と警戒が入り混じっていた。敵意はない。だが、完全な信頼もない。
それでも、誰も止めようとはしない。
(王様が、布告してくれてるんだろうね)
パパスとその同行者、たとえモンスターであっても害意なし。
たった一言かもしれない。けれど、その一言があるだけで、こうして歩ける場所が増える。ボクは、それがどれほどの重みを持つかを、誰よりもよく知っていた。
やがて城門に到着し、パパスさんは堂々と名乗った。
「私はサンタローズに住むパパスという者だ。国王に呼ばれ、参った」
「おお! あなたがパパス殿ですか!?」
門番の兵士は目を見開き、慌てて姿勢を正した。
「これは失礼いたしました。陛下がお待ちです。どうぞこちらへ!」
重厚な扉がゆっくりと開かれ、城の中へと足を踏み入れる。冷んやりとした空気が肌を撫で、石の床に反響する足音が、やけに大きく響いた。
「……すごい……音が響く……」
リュカは思わず声を潜める。
「城はこういうものだ。気を引き締めなさい」
パパスさんはそう言いながらも、どこか懐かしそうで、少し楽しそうだった。曲がりくねった廊下を抜け、装飾の施された柱の間を進み、長い階段を上る。そして――ついに玉座の間へ。
「王様、パパス殿をお連れしました!」
「ふむ、ごくろうであった。そのほうは下がってよい」
「はっ!」
さらに国王は、周囲の兵士たちにも視線を向けた。
「おぬし達も下がれ」
「しかし、何かあっては――」
「安心しろ。私はパパスと話したい」
その声は穏やかだったが、揺るぎはなかった。
「それに私は、武勇で名を馳せた身だ。多少年は取ったがな。下がれ」
「……承知しました」
兵士たちは名残惜しそうにこちらを見ながら、階段を降りていった。その途中、何人かがボクたちモンスターに視線を向ける。
(仕方ない、か)
レイドック城とは違う。ここでは、ボクたちは異物だ。少しだけ、胸の奥がちくりとした。
「パパス、よく来てくれた」
「なに、友人の頼みだ。それに……私も話したいことがあった」
「ほう。パパスにも?」
国王は興味深そうに目を細めた。
「……酒の席で話せるようなことか?」
パパスさんは、静かに首を横に振った。
「そうか……」
国王は一息つき、視線を下げる。
「……そこにいるのは、パパスの子か?」
ボクは即座にリュカの前へ回り、囁いた。
「リュカ、膝をついて」
「う、うん!」
リュカは慌てて膝をつき、スラリンたちもそれに倣う。
「ほっほっほ。教育が行き届いておる」
国王は目を細めて笑った。
「それに……モンスターを仲間にしているとは、まるで――」
「――すまん。その話は内密に頼む」
「……そうか」
国王は一瞬だけ何かを察したように頷いた。
「ではここからは大人同士の話だ」
そう言って、国王はリュカたちに優しく言った。
「城内を、好きなだけ探検してくるといい」
「えっ!? 本当ですか!? ありがとうございます! みんな、行こう!」
リュカは満面の笑みで駆け出していった。スラリンが慌てて跳ね、ドラきちが羽をばたつかせ、プックルがそれを追いかける。
その背中を見送りながら、ボクは胸の奥のざわめきを、静かに押し込めた。
(……嵐の前は、いつもこんなに静かなんだ)
でも――。何があっても、ボクはついていく。それが、ボクの選んだ役目だから。
☆ ☆ ☆
玉座の間に重たい扉が閉じられ、静寂が戻った。石造りの広間に残ったのは、私と――長年の友、ラインハット王ベルギスだけだった。
遠ざかっていく足音を確認し、私は小さく息を吐く。リュカのことは心配ではあるが、ホイミンがついている。あれほど信頼できる存在はいない。むしろ、私よりもよほど冷静に息子を見守ってくれるだろう。
「それでだ、パパス」
ベルギスが玉座から腰を下ろし、私を見据えた。
「どっちから話す?」
昔から変わらぬ物言いだ。国王という立場になっても、私に対してだけは肩書きを脱ぎ捨てる。
「……単刀直入だな」
私は苦笑し、ゆっくりと歩み寄った。
「まずは、お前から聞こう」
ベルギスは少し考える素振りを見せ、やがて低い声で言った。
「リュカは……まるでマーサ殿の生き写しだな」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
「顔が、じゃないぞ」
ベルギスは続ける。
「心だ。あの子は、自然に魔物と心を通わせている。マーサ殿もそうだった。身分も種族も関係なく、相手を見ていた」
「……ああ」
私は頷いた。
「自慢の息子だ。モンスターを友達にする。その在り方は、間違いなくマーサの血を受け継いでいる」
そう口にした瞬間、懐かしい記憶が胸を満たす。微笑みながら魔物に話しかけていた、マーサの姿が。
「……だが」
ベルギスの声が、現実へと引き戻す。
「マーサ殿は、まだ見つからないのか?」
沈黙が落ちた。私はしばし目を伏せ、覚悟を決めて口を開いた。
「……大きな手掛かりを得た」
「何と!?」
「そしてそれは――お前に話したいことと、深くつながっている」
ベルギスは背筋を伸ばした。
「聞こう」
「まず前提になる話だ」
私は視線を玉座の床へと落とす。
「先ほどまでいたモンスターの中に、ホイミスライムがいたな?」
「ああ、あの……ホイミンと呼ばれていた者か。それがどうした?」
「彼はな……遥か昔、勇者と共に魔王と戦った存在だ」
「……何じゃと?」
ベルギスの目が見開かれた。
「それは……真なのか?」
「ああ。根拠はある」
私は即座に言葉を継いだ。
「だが、詳細は語れぬ。どこから情報が漏れるか分からん」
「……当然だな」
ベルギスは深く頷いた。
「それで?」
「魔王デスピサロと戦った、勇者ソロの時代」
私は一歩踏み出し、声を落とす。
「その頃、高貴な生まれの幼い子どもが、次々と誘拐されていたという」
「……」
「理由は一つだ。勇者が育ちきる前に、芽を摘むため」
ベルギスは歯を食いしばった。
「そしてレヌール城で得た情報によれば――」
私は目を閉じる。
「レヌール城が滅びたのも、高貴な子どもを攫うためだったらしい」
「……!? それでは……」
ベルギスの声が震えた。
「私の息子も、狙われる可能性があるということか?」
「……恐らくだがな」
私は否定しなかった。
「だが、それだけではない」
ベルギスが息を呑む。
「私はな、その情報を得てから考えを改めた」
「何をだ?」
「マーサを攫おうとしたのではない」
私ははっきりと告げた。
「――最初から、狙いはリュカだったのではないか、と」
重たい沈黙が玉座の間を支配した。
「……うむ」
やがてベルギスは、低く唸るように言った。
「その可能性は……確かにある」
彼は立ち上がり、窓の外を見た。
「だが、そうなると……ラインハットは、どうすればいい」
背中越しに、彼の苦悩が伝わってくる。
「実はな、パパス」
ベルギスは振り返った。
「お前に頼みたかったことがある」
「……何だ?」
「私の息子、ヘンリーに帝王学を授けてほしい」
私は即答した。
「それは無理だ」
「なぜだ!」
「私は父だ。教師ではない」
「そんなことはない!」
ベルギスは声を荒げた。
「リュカを見れば分かる! お前は息子を、まっすぐに育て上げた!」
拳を握りしめ、叫ぶ。
「頼む……次期国王を育ててくれぬか!? お前にしか頼めぬのだ!」
そしてパパスが少し考えこんだ間にベルギスは咳をした。それをハンカチで抑えると、血がついていた。
「ぐっごほごほ」
「ベルギス!? どうした!?」
「すまぬ、わしは病なのだ。もう長くはない。だからこそ、お前にヘンリーを頼みたいのだ!!」
私はしばらく沈黙した。リュカの笑顔が、脳裏をよぎる。重すぎる宿命を、あの小さな背中に背負わせたくない。そして死に瀕した友人の願いを拒絶できるほど私は冷淡ではなかった――。
「……条件がある」
私は静かに言った。
「リュカも一緒に教育する」
「なに?」
「そして、呪文や精神面の補佐として、ホイミンをつける」
ベルギスは一瞬驚き、やがて力強く頷いた。
「――飲む!!」
叫ぶように言った。
「大臣たちも、弟のデールを国王にすべきだと言っている! 骨肉の争いを、二度と起こしてはならぬ!」
彼は深く頭を下げた。
「どうか頼むぞ……パパス」
私はその姿を、真正面から受け止めた。
「……分かった」
友として、父として、私は答えた。
「子どもたちの未来を守るためなら、私は剣も、教鞭も取ろう」
その時、私は確信していた。運命の歯車は、もう動き出しているのだと。だが――それでも、私は最後まで抗う。息子の未来を、選ばせるために。
☆ ☆ ☆
お城の中は、ボクにとって少し落ち着かない場所だった。高い天井、磨き上げられた床、どこまでも続く廊下。きれいだけど、どこか冷たい。魔物であるボクが長くいていい場所じゃない、そんな気がしてしまう。
それでも、リュカは楽しそうだった。
「ホイミン、見て! この階段、上まで続いてるよ!」
「迷子にならないようにね、リュカ。ボクがついてるから大丈夫だけど」
リュカは笑ってうなずいた。その笑顔を見ると、胸の奥がじんわり温かくなる。ボクは、回復呪文を唱えるためだけに存在しているわけじゃない。こうして誰かのそばにいて、笑顔を守れることが、何よりもうれしいんだ。
王様から「城の中を見て回ってもよい」と許可をもらったリュカたちは、あちこちを探検していた。兵士さんたちは最初こそ驚いた顔をしていたけど、王様の名前を出すと、それ以上は止めなかった。
でも――。
楽しさばかりじゃなかった。
ある部屋の前を通り過ぎたとき、大人たちの低い声が耳に入った。
「第一王子ヘンリー様のご生母様は、もう……」
「今の王妃様は、実子を王にするおつもりらしい」
その言葉を聞いた瞬間、リュカの足が止まった。ボクはすぐに振り返る。
「リュカ……?」
リュカは何も言わなかった。ただ、ぎゅっと拳を握りしめていた。ああ、きっと――重ねてしまったんだ。自分のことと。
お母さんがいない、ということを。
ボクは、リュカのそばにそっと寄った。スライムの体でも、そばにいるだけで伝わるものがあると信じて。スラリンたちも寄り添っていた。皆リュカが心配なのだ。
そのあと、デール王子とも会った。彼は柔らかい笑顔で、リュカに話しかけてきた。
「兄さんと仲良くしたいんだ。王様になるとか、そういうのは……正直、よく分からない」
その言葉に嘘はなかった。王位というものが、人の心を引き裂いてしまうことを、ボクは長い旅の中で何度も見てきた。だからこそ、この国の未来が、少し心配になった。
そして――。
探検の途中で、見慣れた背中を見つけた。
「父さん!」
リュカが駆け寄る。パパスさんは振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「――おお、リュカか」
「王様との話し合い、終わったの?」
「うむ。終わったのだがな……家庭教師をしてくれと頼まれてな。ヘンリー王子に挨拶しに行くところだ」
その言葉に、リュカは一瞬むっとした顔をした。
「父さん、取られちゃうの……?」
「はは、心配するな」
そこへ国王が歩み寄ってきた。
「すまんな、リュカ。だが安心してほしい。お前も一緒に学んでよいと言ったのだ」
まるで「父親を取らないでくれ」と言っているようで、少し切実な声だった。リュカはしばらく考えてから、小さくうなずいた。
「……分かりました」
「それでは行こう」
廊下を歩く間、誰も口を開かなかった。重たい沈黙。王という立場の重さが、空気に溶け込んでいる。
やがて一つの部屋の前に着く。国王が扉をノックした。
「ヘンリー、出ておいで!」
「――なんです、父上」
現れた少年は、鋭い目をしていた。まだ子どもなのに、心を閉ざしているのが分かる。
「これからお前の家庭教師になる者だ」
「初めまして、ヘンリー王子。私はパパスという者です」
ボクはすぐに察して、小声でリュカに言った。
「リュカ、ひざをついて」
ボク自身も、できる限り丁寧に頭を下げる。
「初めまして。パパスの息子のリュカです」
ヘンリー王子は、じろりとリュカを見た。
「……喧嘩は好きか?」
「意味のないケンカは、嫌いです」
「ふん」
吐き捨てるように言う。
「ならここから去れ。俺の子分にならない奴は不要だ」
その瞬間――。
ボクの中で、警鐘が鳴った。
空気が、歪んだ。
「――危ない!」
反射的に体を伸ばす。
ヘンリーに向かって、ナイフが飛んできた。
ボクは触手で弾き落とす。金属音が部屋に響いた。
「なっ……!?」
ヘンリー王子が腰を抜かして座り込む。
「襲撃だ! パパスさん!」
すでにボクは動いていた。
「ボクが襲撃犯を無力化する! 皆を守って!!」
「――分かった。任せたぞ、ホイミン」
パパスさんは抜刀し、国王と子どもたちの前に立つ。
その背中は、揺るがなかった。
ボクは廊下へ飛び出し、影から現れた刺客たちに向かって呪文を放つ。眠り、転倒。五人ほどの襲撃犯は、ほどなく動けなくなった。
遅れて駆けつけた兵士たちが、彼らを連行していく。部屋に戻ると、パパスさんと国王が、渋い顔をしていた。
ヘンリー王子は震えていた。でも――その目は、さっきよりも、ほんの少しだけ変わっていた。ボクは思う。この城で、何かが始まろうとしている。
それが、悲劇か、希望か。少なくともボクは、リュカのそばで、それを見届けるつもりだ。
ボクはホイミン。癒すだけじゃない。守るために、ここにいる。
次回、運命の時
ルドマンさんはトルネコの
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子孫
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子孫じゃない