探偵の俺に、異世界の依頼は重すぎる   作:リポストマン

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七話 是非正邪

 

 

 過去、モフセンにとっての常識とは、日本で生きるための掟であった。

 

 二十歳の片親の日本人の母。父とは離婚し、幼い頃に中東から日本に連れてこられた。

 

 一ヶ月に一度、適当に数万円だけ放り投げて帰ってこない。そんなネグレクトの家庭環境を四歳から続けていた。

 

 学校では、言語など教わることのなかったモフセンはイジメの獲物。

 

 それでも彼は怒りを見せることはなかった。

 

 “ 真っ当な人間になれば、誰にも馬鹿にされず、普通の日本人になれる ”

 

 “ 勉強をすれば、今よりも普通になれる ”

 

 日本語が達者となり、勉学も学年1位を取るほどの努力を重ねた。体格も大きくなり、他者から馬鹿にされることも少なくなった。

 

 だが、彼を殺したのは常識であった。

 

 “ 外国の血 ” “片親 ” “ 金銭的弱者 ”。

 

 日本における最も卑下される存在。

 

 それでも、怒ることは出来ない。

 

 彼の中で悪意だけが溜まっていく。その発散方法を知らなかったからだ。

 

 もがき、苦しんだ彼の前に一人の聖人が現れた。

 

 ────怒りとは、常識から反した行為。貴方が苦しむのは、常識から反していなかったから。

 

 その御言葉を得た彼は、初めて“ 常識 ”を理解した。

 

 すなわち、常識こそ人間。

 

 非常識は破壊するべきであると。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 怒り狂ったモフセンは走っていた。

 

 息は荒く、獰猛に。

 握られた拳からは血を垂らし、血走った目は正面の赤目を捉える。

 

 彼の思考は一つ。正面でふざけた態度をとる“ 非常識 ”を殺す。

 

「ゴリラで怒ったのかしら? 沸点低いわね」

 

 千景は逃げることを選択せず、あろうことかモフセンの方へ歩みを始めた。

 

 トタンを踏みつけた際に「ぐぇ」という声が聞こえた気がしたものの、カエルでも踏んでしまったのかと無視する千景。

 

 彼女の足取りは軽い。

 迫る大男のことなど、石ころ程度ぐらいしかに思っていなかった。

 

 多少の興味をあるとすれば、この世界における人間の強さという点を測りたいという遊び心ぐらいだろうか。

 

 放たれた斜め横からのフック。

 

 千景は彼の前腕に手を当て、受け流した。

 

 力加減からして、自分では止めることはできないことを瞬間的に悟り、即座に受け流す方向性に持っていた。

 

 彼女自身、異世界の人間だからと、たかを括っていた。ことあっちの世界においても、最弱であることを思い出す。

 

 転移の特典を貰った身体でも、こっちの筋肉には勝てそうにない。改めて、筋肉の重要性を知った。

 

「シッ‼︎」

 

 勢いを止めることができず、彼女の横を通り過ぎたモフセン。その勢いを利用し、身体を捻りながら裏拳をかました。

 

 千景は前方に受け身をとり、床に伏せながら不安定なモフセンの足元へ蹴りを入れる。

 

 ────堅っ⁉︎

 

 鋼を蹴ったかのような硬さ。

 地面から杭で固定してるのではないかと思うほど、軸足は硬い。

 

 驚きを隠せず、蹴った勢いを利用して、床を滑るようにしてモフセンから離れる。

 

 バク転の要領で立ち上がった時には、モフセンの拳が寸前に迫っていた。

 

 すぐさま、先程と同様にその攻撃を受け流すも、逆サイドからまた新しい拳のラッシュ。

 

 なにより彼の拳は直線的ではなく、斜め上と斜め下から抉る攻撃。

 

 千景は攻防────否、防衛に思考を割くことに精一杯であった。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 モフセンの厄介さ。

 その原因は体格や直線的なパワースタイル────ではない。

 

 純粋な力による防御のこじ開けを得意とするパワータイプという点に間違いのだろうが、それに応用は含まれない。

 

 本当に厄介極まりないのは、仕切り直しのスピードである。

 

 重い一撃を間髪入れず放ち、離れた敵対者に対しはすぐに距離を詰めて、再度同様の行動を行う。

 

 相手のペースに乗らせず、作らせず……自身のペースで攻撃し続ける。

 

 つまり、彼自身が読み合う必要性はない。

 

 だが、敵対者は一撃でも喰らってしまわぬように避け続けることを強制される。

 

 “ 意識的な読ませの強制 ”

 

 その最大の効果は────攻撃される毎に集中力を削ぐことにある。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 モフセンの拳が、千景の肩に触れた。

 

 その一撃は彼女の肩関節を外してしまうには、十分な一撃であった。

 

 強すぎる勢いを殺すことも出来なかった千景。

 

 背後にある鉄の扉に身体を打ち付け、鉄の扉ごと他の構成員のいる倉庫へ吹き飛ばされた。

 

 隣の倉庫の床には巨大な落書き────もとい、グラフィティーアートが描かれていた。

 

 暇を持て余した構成員が描いたと思われる“ 獣の足と後光 ”。ホワイトレッグを象徴するチームマーク。

 

 それを隠すように巨大な鉄の扉が覆い被さった。

 

 先程まで笑っていた構成員の内、扉の近くいた者は扉に押されて、下敷きに。

 

 下敷きにならなかったものは、口をあんぐりと開け、目の前で起きている非常識な光景を傍観していた。

 

「フゥ……フゥ……」

 

 息を荒くし、隣の倉庫へ現れたモフセン。

 

 そんな彼を見て、他の構成員は後退った。

 見たことがあるからという簡単な考えではない。見たことないからこそ、恐怖を感じていた。

 

 彼の眼は周りなど見てはいなかった。

 

 その視線は鉄の扉から放り出され、床に倒れた千景へ注がれていた。

 

 彼がボスと呼ぶ者。

 全てを見透かす神を従わせ、誠実な者に救いを与える祖。

 自らも酷い境遇を持ち、常識を与えてくださった聖人。

 

 その方と“ 同列だという尺度 ”を作り上げてしまう人物。

 

 それはあってはならない“ 非常識 ”。

 

 少女の前に立ったモフセン。

 丸太の如く巨大な脚を大きく振り上げ、少女の頭へと足底を見せた。

 

「オレの……ボスのォ……この常識に────テメェの居場所はねェんだよっ‼︎」

 

 単純な踏み潰し【ストンプ】。

 単純故、体重と臀筋によるパワーは少女の頭部を潰すには容易い。

 

 構成員達は一斉に目を逸らし、次に起こる凄惨な現場を、目にすることを覚悟した。

 

 

「来て────ヴェルセスタ」

 

 

 千景の手を伸ばした先、グラフィティーアートからドロリと黒色の何かが蠢いた。

 

 その瞬間、周囲のビル群まで響き渡る程の轟音が鳴り響く。

 

 コンクリートの地面から砂は舞い上がり、ビリビリと周囲へと衝撃波を送る。

 

 倉庫のガラスは割れ、トタンの壁が震えた。

 

 轟音。

 砂塵。

 そして──静寂。

 

 倉庫の中から、音が消えた。

 呼吸の音だけが、遅れて戻ってきた。

 

 恐る恐る、目を見開いた構成員達。

 

 しかし、そこには覚悟していた残酷な風景など存在していなかった。

 

 自分たちが掃除することになる肉塊は無い。それどころか、当の本人は折れた肩を抑え、立ち上がって天上を見上げていた。

 

 逆に、あの手をつけられない存在と化していたモフセンの姿すらも見当たらない。

 

 明らかな異常事態。

 

 今までの人生経験において、あのモフセンの暴力よりも異常な出来事が起きている。

 

 彼らの心臓の高鳴りは止まらず、思考はグルグルと回転する。

 身体は動かない。開いている眼も地面を見つめることしかできない。

 

 その時、ぽたりとコンクリートに血涙。

 

 それを皮切りにボタボタと垂れる。

 ホラー映画のワンシーンを思わせる演出は、彼らを震え上がらせる。

 

 次の瞬間、おびただしい量が滝の如く天から降り注いだ。

 

「クソっ、がっ。やっぱりテメェも……」

 

 モフセンの声が上から響き、皆の視線が天井へと集まる。

 

 

 視線の先────布を被った骨の巨人が宙に浮いていた。

 

 

 ────紅色の人骨で作られた細身の身体。

 

 

 ────その胴体を隠すように被った黒布。

 

 

 ────手に持った骨継ぎの巨大な剣。

 

 

 その剣先、腹部を貫かれたモフセンがそこにいた。

 

「あぁぁ……わぁぁぁぁぁぁぁあああっ⁉︎」

 

 叫び、床に尻餅をついた一人の構成員。

 

 それを皮切りに構成員達は空を見上げては叫び、散り散りとなって扉の先へ逃げていく。

 

 千景は逃げていく彼らに目もくれず、自らが呼び出した従者へと笑顔で呼びかけた。

 

「よくやったね、ヴェルセスタ」

 

 かの二つ名は“ 裁断公 ”。

 

 彼女を魔王の四天王の一人たらしめた、怪物である。

 

 

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