それは、緑谷出久という少年の運命が、静かに、しかし決定的に分岐した、とある夜の出来事だった…
「…また、バカにされちゃった…」
中学一年の出久は、泥のように重い心で眠りにつこうとしていた…
「無個性」という現実に打ちのめされ、それでも「ヒーローになりたい」と願う自分を、幼馴染の爆豪勝己は名前である出久の読み方を変えて「デク」と呼び、嫌がらせを行い、それを周囲は憐れみの目で見る。
そんな彼の意識が、深い闇の底でふわりと浮き上がった。
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目を開けると、そこは緑豊かな、見たこともない山奥の静謐な道場だった…。
その中央に、枯れ木のようでありながら、大樹のごとき威厳を纏った老人が一人、座っている…。
「……ここは? 夢、かな? でも、この空気の重さ……呼吸の感覚……あまりにもリアルだ」
出久は反射的に顎に手をやり、ブツブツと考察を始める。
「誰かの個性による影響…? それとも神経のシグナルが脳内で再構成されているのか?それとも……」ブツブツブツブツ…
夢の中だというのに、何時もの思考の沼に填まる出久…
そんな彼が、声をかけられた。
「……お若いの、落ち着かんか。耳元で蜂が飛んでいるようじゃわい」
先程まで姿勢を崩さずに座っていた老人がかけた苦笑混じりの声に、出久は飛び上がった。
「あ、すみません! ついいつもの癖で……」
「ほっほっほっ!…別に問題はないぞ?ワシも特になにもすることも無かったしのぉ?…おまえさん、名前はなんと言うんじゃ?」
「えっと…緑谷出久って言います。あなたは……?」
「む?ワシか?…そうじゃのう…
夢仙人、っと名乗るかの?」
老人…夢仙人はそう言って静かに微笑みながら、いつの間にか用意されていたちゃぶ台にお茶を置く…。
「(……安直だ、いや失礼かな、でも古風な名付けには何か意味が?)」
出久はそう思いながらも「失礼します」と言いながらちゃぶ台の前に座る…。
「どこから話すべきかのう…?まず、お主が今いるここは、世間で言う夢の世界じゃ、それも、死ぬ前にワシが作り出したな?」
「作った?」
うむ、っと夢仙人は頷くとそのまま自らを語った…。
夢仙人は、出久のいる世界とは別の世界…
俗に言う異世界の地で「念」という力を極め、死の間際に自らの技術を遺すため、念能力『夢の中の道場(コチョウノユメ)』を生み出し、時空を超えてこの場を創り出したのだと…。
それを聞いた出久は再びブツブツし始めた。
「……待ってください。この空間を創り出した……ってことは、つまり『理想の個性を作り出した』って事…? そんなことが可能なのか……? でも、夢仙人さんの言葉通り、異世界の技術(理)を僕たちの世界のエネルギーに変換できれば……。
しかも、それを『伝える(継承する)』ことができる? それって、僕たちの世界の個性社会……『生まれ持った才能がすべて』という、社会構造すらも根本から覆してしまうほどの……!」ブツブツブツ
「うむ、落ち着きなさい」
先程よりも興奮した様子でブツブツし始めた出久を夢仙人は宥めつつ大福を勧める
「あ!?…すみません///」
再び思考の海に入りかけた出久は照れながらも意識を戻して、大福とお茶をいただいた後、話し始める…
「もし……もし、それが本当なら……。
個性が無ければヒーローになれないという『理(ことわり)』を、僕自身が新しい『理』を書き換えることで……打破できるかもしれない……っ!」
「?ヒーロー…?英雄の事か?それに個性とはなんじゃ?」
出久の言葉に、夢仙人は頭に?を浮かべながら問い掛ける
どうやら出久の生まれ育った世界のことはまだ知らないらしい
その夢仙人の言葉に、出久は自分の世界について教えるのであった
出久は、一口食べた大福の甘さに驚きながらも、切々と語り始めた…
世界中の約八割の人間が超常能力「個性」を持つこと。それが当たり前の社会で、ヒーローが職業として確立されていること…
そして……
「……僕は、その残りの二割。生まれつき、何も持っていない『無個性』なんです」
出久は、俯きながら自分の手のひらを見つめました
「僕の世界では、四歳までに個性が発現しなければ、将来の可能性のほとんどが閉ざされてしまいます。どんなに努力しても、どんなに勉強しても……個性という『才能』の壁に、全部跳ね返されてしまうんです」
幼馴染のかっちゃんに言われた言葉、学校での冷たい視線。出久の言葉には、中学一年生が背負うにはあまりに重い、年季の入った絶望が滲んでいた…
「……だから、夢仙人さんが言った『自分で作り上げる力』という言葉に……震えました。僕たちの世界では、力は『授かりもの』であって、自分で作るなんて誰も考えていないから……」
出久の話を静かに聞いていた夢仙人は、ふむ、と髭を撫でました
「なるほど。生まれ持った『型』に、魂を押し込めておるわけか。随分と窮屈な世界じゃのう」
夢仙人はちゃぶ台を指先でトントンと叩きました
「……それでお主?『無個性』だからヒーローになれぬと嘆くが……その細い腕は、何かを掴むためにどれほど振った? その足は、地を蹴るためにどれほど苛め抜いた?」
「え……?」
不意を突かれた出久の言葉が詰まる
「お主の語る絶望は本物じゃろう…。だが、ワシにはお主が『最初から諦めるための理由』を、賢しらに探しておるようにも見える…
術も持たず、体も鍛えず、ただ『いつか個性が発現すれば』と棚ぼたを待つ……それは志とは呼ばん。ただの妄執じゃ」
「っ……!」
出久の心に、かっちゃんに言われた言葉が脳裏に浮かぶ…
「目指すだけならタダだもんな」
という言葉が、別の意味を持って突き刺さる。図星だった。自分は、ヒーローノートに書き込むだけで、「今できる努力」から目を逸らしていたのではないか?
「……僕、は……」
出久は拳を握りしめた。屈辱と、情けなさと、それでも消えない熱い塊が胸を焼く。彼は床に額を擦り付けるようにして、叫んだ
「……仰る通りです。僕は、何もしてなかった! 怖いから、できない理由を探して……でも! それでも、僕は諦めきれないんだ! 何もなくても、バカにされても……誰かを救けられる、最高のヒーローになりたいんだ!!」
静寂が道場を包む
……やがて、夢仙人は「ほっほっほっ!」と愉快そうに喉を鳴らした
「最初の弟子は、夢を捨てられぬ大うつけか。……よい。これもお迎えから逃げとるワシに与えられた、試練なのかもしれんの…?」
夢仙人は出久を不適に笑いながら見据え、厳かに告げた
「念とは『燃』とも書く。魂を燃やし、己を造り替える炎じゃ。……もし、お主が念能力を身に付けたいと思っておるなら条件がある…
ワシが術を授ける代わりに、現実の肉体でも血を吐くような鍛練を積みなさい。
器(からだ)がボロ布では、念という炎に焼き尽くされるからのぉ?…出来るか?」
「……はい! お願いします、師匠!!」
「うむ。……では、今日はもうおやすみなさい。現実の体も、休ませねば持たんからな」
出久の手が届く前に、景色が霧のように薄れていく
次に目を開けたとき、そこはいつもの自分の部屋だった。窓からは眩い朝日が差し込んでいる
「……夢……じゃ、ない」
出久は起き上がり、拳を握りしめた…
昨日までとは違う。体の奥底で、静かに、でも確かに「温かい脈動」が刻まれている。
彼は机に向かい、真新しいノートの表紙に力強く書き込んだ。
『念能力:ヒーロー分析ノート No.1』
これが、後に世界を本当の意味で救う「ヒーロー・デク」の、最初の一歩であった