※※※
──飛行船が燃え盛っている。
それを除いて何も無い真っ白な空間だ。
ラグナは気が付けば、そこで座らされていた。
アジサイがどうなったのか。黒い飛竜は。
今どうなっているかなどラグナには分からない。ただ一つだけ言えるのは──此処は、ラグナの深層心理。深い深い深淵だ。
「甘ェんだよ、結論から言えばなァ」
嘲笑うように誰かが言った。
目の前には──ぼこぼことした黒瘤を泡立たせた不気味な鎧を纏った人物が立っていた。
その手に握られた剣はリグヴェナロク。今は無き造竜工廠と共に藻屑と化したはずの剣だった。
それを引き抜いた鎧の人物は、ラグナの肩にリグヴェナロクをぽん、と置いた。
そしてケタケタと告げる──他でもないラグナ自身の声で。
「どうせオマエは
ラグナが鬱陶しそうに顔を上げると──鎧の人物はその顔面を鷲掴みにした。
「これは
「……オマエは何者だ?」
ラグナの問に──鎧の人物は答えなかった。
「……オマエの在り方は人間だけじゃなくモンスターも全部巻き込んで延焼していく。俺にはそれが理解出来ない」
「理解しようとする必要は無い」
リグヴェナロクが──ラグナの身体を貫いた。
声色は既に変わっていた。
理解不能なノイズの羅列、集合。
だがそれが徐々に意味を持つものにラグナの脳内で勝手に変換されていく。
「いずれにせよ理解出来ないだろう──モンスターの定義すら、
目の前の人物の鎧に、一対の眼球が浮かび上がる。
金色の──
ラグナの中に眠る
その中に潜む声が囁く。
「モンスターにならなければ……モンスターには勝てない」
そう聞こえた時、ラグナの意識は──現実に引き戻された。
※※※
「アジサイ……アジサイッ!!」
火は辛うじて叩いて消し止めた。
だが、アジサイの火傷は見るにも堪えないものだった。
肌は大きく焼けただれ、口元は裂けてしまっている。
美しかった銀の髪、そして白い肌の一部すらも真っ黒に炭化してしまっていた。
「アジサイ、アジサイ……聞こえるか? アジサイ……大丈夫だ、大丈夫だからな……!!」
「か、かひゅ」
呼吸が止まりかけている。
喉も焼けて爛れてしまっている。
黒い飛竜は追撃を仕掛ける前に、マタビの放ったこやし玉で何処かへ飛んで去っていった。
しかし──ラグナはその間の記憶がない。
ただ只管、アジサイの火を鎧越しの手で叩き消し、アジサイに呼びかけていた。
「今、秘薬を……!!」
「ごふっ、ごふっ……!!」
ラグナが噛み砕いて飲ませた秘薬を、アジサイは鮮血と共に吐き出してしまった。
毒だ。炎と共に猛毒が彼女を蝕んだのだ。
それが急速に彼女の命を削り取っている。
──秘薬は万能の薬ではない。
ハンターと言う超人がたゆまぬ鍛錬を日常的に続け、滋養強壮に強い料理を喰らい、身体を再生させるための元手を日頃から作っておくからこそ効果を発揮する。
そう言う意味では、今のアジサイに秘薬は全くと言って良いほど効果が無かった。
肺から煙となって彼女の呼吸器を破壊し、そして全身に回っているのだ。
今の彼女には回復薬は勿論、秘薬を飲む体力も──そして秘薬を飲んだところで、身体を再生させるための元手すら残っていない。
「回復ミツムシはッ!!」
「あ、あいつの炎で丸ごと秘境が焼けちまった所為で、何処にも居なかったのニャ……!!」
マタビが目を潤ませながら言った。
とにかく──打てる手を打つしかない、とラグナは生命の粉塵を撒き、あるもので応急手当を始める。
衣服は肌に張り付いてはがれる可能性があるので脱がせることができない。
呼吸器を確保し、彼女の息が出来るだけ楽になるようにする。
「助けてくれ──誰かッ!! このままじゃあ、アジサイが死んじまう……!!」
ベースキャンプに戻り、助けを連れてくるその間にアジサイが力尽きることは最早目に見えて分かった。
そんな光景を前にマタビは後ずさり──何処かへ走り去ってしまう。
「マタビッ──!?」
「助けを呼んでくるニャ!! だからラグナは、アジサイを!!」
「助けって、何処から──」
聞き返す間もなく、消えてしまう。
ラグナは何か言い返したかったが、それでも命の灯が消えようとしているアジサイに話しかける。
「聞こえるか? アジサイ……マタビが、助けを呼んでくれた」
さっきまで共に戦い、軽口まで交わした存在が──今は黒い炎の前に燃え尽きようとしている。
こんな事、何度も経験してきた。
隣で戦った仲間が次の瞬間死んでいるなど、狩りでは当たり前だった。
だからラグナは、いちいち人の死に涙を流さなくなったし、動揺しなくなった。
慣れてしまったから──だとラグナは思っていた。
「絶対、絶対助かる……!! だから、だからもう少しの辛抱だ……ッ」
本当にラグナが恐れていたのは──隣に立つ人が居なくなること。
動揺しなくなったのは──己の心を守る為に、必死に歯を食いしばっていただけに過ぎなかったこと。
燃え盛る飛行船を背景にしながら、10歳の頃のまま止まったラグナ・オークロックは──アジサイに呼びかけ続ける。
(俺の、俺の所為だ)
ラグナはアジサイの名を呼び続けた。
(俺が巻き込んだ。黒い飛竜を探すなんて巻き込まなかったら──死ぬのは俺だけで済んでたのに……!!)
瞑ったままの焼けただれた瞼。
力無くひくひくと動くだけの喉。
打つ手は全て打った。
それでも尚、彼女に届きはしない。
(カッコつけてた。いや、本当は怖かったんだ。認めたくなかった)
いざという時になって、ラグナは──己の気持ちに気付きつつあった。
仲間が死ぬのが当たり前ならば、自分から離れてしまえば良い。
ただ一人、唯一などもう二度と作りはしない。
仲間も、恋人も、替えが効く存在だ──と己に言い聞かせ続けていたのは、きっと──自分が傷つきたくなかったからだ、と。
失って当たり前の物に、いつも嘆き続けていれば──心が壊れてしまう、とラグナ自身が一番分かっていた。
モンスターが家族を殺しても仕方がない。彼らだって生きている。生存圏がぶつかっているだけだ。
そう己に言い聞かせてきたのも、怒りを抱え込み続けることに疲れ果てたからだった。
だからこそ、ラグナは己の不合理性に怒る。怒り続ける。
間違った選択をしたことを嘆いた。
アジサイは──連れてくるべきではなかったのだ、と。
(もし失った時、もう二度と立てなくなってしまうかもしれないから。それならば、何で連れてきた!?)
──ボクと、黒い飛竜……追いかけてくれませんか? ラグナさん。だって貴方……荷物が重いから、って理由で一人でフラッと居なくなっちゃうでしょう?
ずしん、と心に圧し掛かった重石。
自由に飛んでいると思い込んでいた”飛竜落とし”は──いつの間にか、たった一人の少女に雁字搦めにされていたことに気付いた。
「居なく、なるなよ、アジサイ……」
ああ、そうだったのか、とラグナは今更になって気付く。
アルシュベルドに致命傷を受けた時も、リグヴェナロクに取り込まれた時も、船から落ちた時も──いつもいつも、アジサイはこんな気持ちだったのだ、と。
先に置いていかれる彼女の気持ちを少しでも考えたことがあったのだろうか、と。
ただただ、ラグナは後悔した。
「もう、居なくならねえから、さぁ……」
ぽろぽろ、と炭化した肌の上に雫が落ちた。
※※※
「ニャーニャニャーッッッ!!」
まだ燃えていない森の中でマタビは叫ぶ。叫ぶ叫ぶ叫ぶ。
きっと同族が居る、と信じて。
同族でなくとも、獣人族ならばいると信じて。
誰でも良い。気付いてほしい。
ありったけを叫び続ける。
ただの寄せ集めと呼ぶには、マタビはあまりにもアジサイと一緒に居過ぎた。
何より、もしも彼女が死んだら──今度こそラグナは壊れてしまいそうな気がした。
「ニャーニャニャーッッッ!!」
(誰か!! 誰か誰か誰か!! 助けて!!)
こんなどうしようもない自分を拾って、居場所になってくれたラグナとアジサイ。
普段決して感謝を伝える事はしないけども、もっと早くに言葉にして伝えれば良かった、と悔いる。
ごそ、と茂みから音がする。
マタビは立ち止まり振り返った。
のそのそ、とネコ型の獣人・アイルーたちが現れる。
現地の住民だ。
「ッ──!!」
歓喜でマタビは顔を輝かせる。
しかし──すぐに顔を強張らせた。
アイルー達はいずれも鋭利な槍を構えており、マタビに対して敵意を剥き出しにしていた。
【獣人種 アイルー】
「メラルーが、ボク達に何の用だニャ!!」
「此処は、オマエらのようなヤツが来る場所じゃないのニャ!!」
アイルー語でアイルー達がじりじりとにじり寄る。
マタビはゲネポス銃剣を捨て、地面に手を突ける。
分かっていた。こうなることなど。
アイルーからすれば、自分たちによく似た姿で悪さを働くメラルーは蔑視されることも珍しくはない。
人間社会に溶け込んだアイルーであれば、差別や偏見が無い者も居るが──彼らは現地住民だ。
メラルーを敵視していてもおかしくはない。
何より当のマタビが、アイルーのフリをして盗みを働いてきたことが──何故メラルーが嫌われるかの理由付けになっている。
「た、助けてほしいのニャ……!!」
「食うに困るわけでもなく自分が楽しむために盗みを働くお前らを誰が助けるのニャ!!」
「オマエ達みたいな盗人の事、信じられるかニャ!」
武器を向けて攻撃してくるアイルー。
マタビは──それを避けることなく受け止めた。
「ッ──!?」
困惑するアイルー。
マタビは槍の突きで吹き飛ばされ転がるが──そのまま起き上がり、兜を外す。
「俺様の事は良いのニャ……!! 仲間を……人間を……ラグナとアジサイを助けてほしいのニャ……!!」
「人間……!?」
「どうか……!! どうか、お願いだから……ッ!!」
「どうせウソに決まってるのニャ!!」
誰かが言った。
「仲間が昔、そうやって荷物を奪われたって聞いたニャ!! 集団でボコボコにされたって聞いたニャ!!」
「オマエに恨みはないが、ボクの家族がオマエ達に酷い目に遭わされたのニャ!!」
「武器も、防具も……持ってるお金も、全部渡すのニャ」
マタビはその場で鎧も脱ぎ捨てる。
そして──全部投げ出して身を差し出す。
「でも──あいつらだけは助けてほしいのニャ……!! どうしようもねえ盗人の俺様を、真っ当な道に引き戻してくれたんだニャ……!!」
「やっぱり盗人なんじゃねーかニャ!!」
「同情の余地無しだニャ!!」
「──待つのニャ」
いきり立つ若者たちを静止する声。
彼らが振り向くと──そこには、老齢なアイルーの姿があった。
その傍には、丸々とした蜜を抱きかかえた蜂──回復ミツムシが飛んでいる。
「……詳しく話を聞かせてもらおうかニャ」
「セ、センセイ!?」
「こんなやつを信じるのかニャ!?」
「はて?
ほほ、と重い腰を上げながら老アイルーは続ける。
「そのボロボロの兜と武器、ハンターのオトモだろう。ダンナを助ける為にわざわざ一人で走り回っていたのだろう」
「ッ……」
「センセイ、どうせ盗品に決まって──」
「オトモの武器も防具も、オーダーメイド。ひとつたりとも同じ物はない。良い主人に巡り合ったな」
老アイルーはマタビに歩み寄ると続けた。
「──案内しなさい。君達は……この地に降り立った──あの飛竜と戦いにきたんじゃないかニャ」
※※※
「回復ミツムシに漬けこんだとはいえ、予断を許さない状況だニャ」
アジサイの周りには、見慣れぬアイルー達が数匹囲んでいた。
その中で音頭を取ってアジサイの治療を進めるのは年老いたアイルーだ。
彼女の身体は大きなミツムシの蜜に包まれているが──呼吸は徐々に穏やかになりつつあった。
「ワシは”センセイ”と呼ばれている。彼女の面倒は我らが見ようニャ」
「か、かたじけねえ……!! 謝礼はたっぷり払う」
「なに。丁度火傷の薬が余っていたのでニャ。ここ数日、この辺りは火事が酷かったからニャ」
里にまで延焼しなくて良かったが、と老アイルーは憂うように続けた。
「このままあの飛竜を野放しにしてしまえば、我らもモンスターも住めない地の完成だニャ。しかしハンターでもアレに対抗できないとなると」
「ラグナ……どうするのニャ……」
「一度、ベースキャンプに戻る」
「……」
一度、という言葉にマタビは引っ掛かるものを覚えた。
「まさか。まだ戦うつもりだニャ!? アジサイは戦えねえのニャ!!」
「うむ。毒が傷口から全身に回っている。むしろ生きているのが不思議なくらいだニャ。秘薬が効くようになるのは──」
「ンなもん見りゃあ分かってんだよ!!」
ラグナはヴォルガベルを握り締め、声を荒げた。
「……俺ァ怒ってるッ!! ただし──俺自身の無力さ、俺自身の情けなさにだ!!」
許せなかった。
ずっとラグナは己を責めていた。
「こんな小さな女の子を俺自身の自分勝手に巻き込んだ所為で死なせかけた。俺は見誤ったんだ、相手の力を」
「……ラグナ」
「これは全て俺の弱さが招いた結果だ。俺の弱さを、こいつに背負わせた。だけど──黒い飛竜に始末はつけなきゃいけねえ。それがハンターの責任だ」
もし黒い飛竜を放っておけば、どんな被害を出すのか分からない。
何かの間違いで飛竜が北上すれば──ポートヴァインは最悪壊滅する。
そうなる前に、UNKNOWNを仕留めなければならない、とラグナは決意を固める。
たとえ自分の命と引き換えにしてでも、だ。
「俺自身の意思で──UNKNOWNを狩猟する」
「ラグナ……ひとつだけ……訂正してほしいのニャ」
マタビがラグナの前に立つ。
「……アジサイはきっと、巻き込まれただなんて思ってねーのニャ。オマエが自分勝手なら、アジサイも大概自分勝手だニャ……!!」
何度酒癖に巻き込まれたか、何度彼女に振り回されたか、とマタビはこれまでを振り返る。
だが、だからこそアジサイは許さないはずだ、と断じる。
「自分勝手だから、ラグナが何と言おうがアイツは付いてきたはずだニャ!! そうじゃねーのかニャ!? アジサイは、オメー如きに制御できる子じゃねえのはラグナが一番分かってんじゃねーのかニャ!!」
「……マタビ」
「だから……
ラグナは──唇を噛み締める。
「良いのか? それで」
「一人でなんて行かせねえのニャ!! 俺様は……オトモだニャ!! ハンターにオトモするのニャ!!」
彼は頷く。
「……死んでも知らねーぞ」
「むしろ絶対生き残ってやるのニャ! もしラグナが死んだら、それを後ろに伝えるのは……きっと……俺様の役目だからニャ」
「……ああ。頼む」
ミツムシの蜜に包まれ、ぴくりとも動かないアジサイに背を向け──ラグナは走り出す。
(……待ってろよ、アジサイ。必ず俺は──)