前世ではアラサーを迎えていたというのに、無垢な赤ん坊を演じ続けるという苦行に耐えること5年。(泣かない赤ん坊は気味悪がられるだろうと考慮し)
時は流れと共に身体は成長し、走ったり喋れるようになった。
できることが増えるようになると、色んな事がわかってきた。
まず、俺が生まれたこの世界は魔法や魔物、魔族が存在するファンタジーな世界だ。
大陸の最北端に位置するその場所は”影の大地”と呼ばれ、魔物や魔族が住んでいる。
約500年くらい前に、影の大地で魔族を統べる存在”魔王”が現れ、南下して人間やエルフ、ドワーフといった”人族”が治める領土へ侵攻を開始。
人族は同盟軍を編成し抵抗するも、魔王軍の苛烈な侵攻にまるで歯が立たず、追い詰められた人族側が最後の手段として、別の次元から異世界人を召喚。
魔王を倒し、影の地に封印した勇敢なその異世界人に人族側は”勇者”の称号を与え、称えた。
魔王が封印されて統率を失った魔王軍は散り散りになり、以来目立った動きは見せていない。
そんなネット小説でテンプレな歴史的背景がある平和な世界で、俺が暮らしているのはヴァルヘイム王国という大陸北端に位置する王政国家で、魔族領である影の大地と国境を接している。いつかそこからやってくるであろう魔族との戦いの最前線となっている、いわば番人の国である。といっても、現在まで魔族に目立った動きがない平和な時代が続いている。
その王国と影の大地との国境に近い広い森林の外れに位置する小さな村がある。
規模は大体80人ほどで、森林で取れる森の恵みと農作物が生産の主。
時々行商人が買いに来たり、近場で出現した魔物を討伐しようと冒険者が寄ってくることを除けば、徴税吏が年に1度来るだけのほぼ人が来ない、田舎中の田舎、ド田舎だ。
そんなド田舎で、俺達家族は農家をやっている。
こっちの世界での俺の家族は父デニス、母アンナ、三歳年上の兄テオドール(通称テオ)の四人家族だ。
父と母は昔冒険者をやっていて、父は元剣士、母は元魔法使いだったそうだ。
二人共同じ冒険者パーティーのメンバーで、結婚と共に冒険者を引退。故郷であるこの村で生活することにし、実家の家業だった畑仕事を継いだそうだ。
いつも農具を振るっている父の姿からは想像できないが。
「ほら、もっと速く走れよルーク、おいてくぞ!」
「待ってよテオ兄ちゃんー」
本日は晴天なり。既にランチの時間帯。
雨雲が一つも見当たらない快晴の空の下、草原をかけて帰路につく俺とテオ。
俺より先に生まれたテオの方が足が速く、スタートラインが同じでも、常に俺の前を走っている。
兄弟マウントを取っているつもりのようだが、中身は俺の方が年上なため全然気にはならない。
というかこの長距離走がきつくてその余裕もない。
あっ、ヤバい。息が切れる。
「ただいまー」
「ぜえ、はあ、ただいま、お母さん」
一番乗りのテオが木製の扉を開く。
「おかえりなさい二人とも。随分走ったみたいね」
「あんまり無茶すると怪我するぞ」
「いいじゃねえか。この歳のガキはこれくらいはしゃいでるのが丁度いいって」
「あっ、モーおじさん」
「こんにちは」
「おう、久し振りだなガキ共」
両親以外に俺達を迎えたのは、体格ががっしりしている20代後半の少しガラの悪い男性。モーリッツという冒険者で、両親が前いたパーティーのメンバーだ。
二人が冒険者を引退した後も、こうしてよく顔を見せに来る。
「今日も遊びに来たの?」
「もしかしておじさん、とうとうクビになった?」
「違ぇよ。仕事に行くついでに寄っただけだって。あと、俺はまだおじさんって呼ばれる歳じゃねーぞ」
どの世界の成人男性も、子供からおじさんと呼ばれるのは心に来るようだ。ちなみにこの世界では十五歳で成人と見なされる。
「ねえ。今度はどんな魔物倒すの?」
「おう、そりゃ――」
「はいはい、二人共お喋りの前にちゃんと手を洗いなさい」
「「はーい」」
「ちゃんと石鹸を使ってねー」
母に言われ、俺達は水桶の傍にあった石鹸で手を洗う。
「石鹸?石鹸って貴族で流行ってるあれか?お前らいつそんな高価なもん買ったんだ?」
「違う違う。前にルークが食後の片付けを手伝ってくれた時、あの子残った油の入った鍋に間違えて灰汁を入れちゃって。そしたらなんかできちゃったの」
「なんかできたって……油と灰汁でできるもんなのか?」
「俺も試してみたんだが結構簡単にできるもんだぞ。今じゃ村の皆使っている」
「マジかよ」
貴族にしか出回っていない高価な代物がこんな田舎で出回っていることに驚いているなモーリッツめ。
両親は偶然の産物と思っているだろうが、実際そうではない。
全て俺の計算通りだ。
田舎なのもあるがそれ以前にこの世界には、前世のようなネットもない。アニメもない。娯楽もそれほどありはしない場所で、村にいた同年代の子供たちと野山を無邪気に駆け回って遊びまわる以外に別の趣味を見つけた。
それは、前世から持っていた科学知識をこの異世界で再現できないかの実験だ。
おいこら魔法が存在する世界なんだから魔法を修得するところだろ、とツッコむところだろう。
いや、試してはいるよ。
元魔法使いの母が持っていた教本を読んでこっそりと練習してはいるが、中々上手くいかない。
教本にある呪文を唱えても、今のところ手から火の玉を出したり、空を飛んだり、雷撃を生んだりできていない。
魔法を使えるかはその人の才能か遺伝に依るとのことで、母は火の魔法を使える、ある程度は期待していいだろうが………。
ネット小説あるあるの魔法チートが無い場合の保険として、平行して現代知識チートにも挑戦しているわけだ。
科学に個人の才能は関係ない。
まず始めたのが衛生面の改善のための石鹸作りだ。
この世界にあるであろう感染症に対する基本的な対策として、身の回りを清潔に保つことや、免疫力を低下させないことが大切である。簡単な話が地球でも常識のうがいと手洗い、十分な睡眠の確保を習慣化させることだ。この中の手洗いに関しては、物体に付着した細菌やウイルスを物理的に洗い落とす除菌効果がある石鹸が必要になる。
石鹸の原料は簡単に調達できる。
こっちの世界でも洗剤や漂白剤としても使われている灰汁(燃え残った灰を水で濾過したもの)に、動物あるいは植物から取った油(料理に使用する食用油の余りでもいい)。以上。
鍋で煮込んでいる油に灰汁を混ぜる。しばらく置いておけば固まり、石鹸の出来上がりだ。型に流し込んでおけば形のいいものができる。
ちなみに灰などの天然素材から作った石鹸は、一般的な工業製品に比べ肌への刺激が少ないうえ、使用した後の排水も、土壌や水系への影響が少ないという、肌にも環境にも優しい代物だ。
自分が作った物だと自慢せず、偶然できたという体を装ったのには理由がある。
モーリッツの反応からわかるように、文明レベルが中世ヨーロッパ並みであるために製法が伝播されていない。ネットもないし。
小さな子供が生まれながらに知識を身に着けているのはあまりにも異質であり、気味悪がられるからだ。
当然親に注意されはしたが、石鹸を持てることには喜ばれた。
石鹸の製法は村中で共有されている。
だがこれだけでは終わらない。石鹸以外にも色々隠れて挑戦中だ。
上手くやれば商売に利用できるだろうがやらない。最初は歓迎していても、都合が悪くなればあっさりと切り捨てる。
組織とか、ビジネスとかに利用されるのはもうウンザリだ。
「お母さん、手キレイキレイになったよー」
「あら。本当、綺麗になったわねー」
無邪気な少年を演じる俺は、自作した石鹸で汚れを落とした両手を母に見せる。
「そういえばおじさん、ちゃんと手を洗ったの?」
「え?」
「洗ってないんだー」
「ばっちいー」
「ちょっ、不潔みてぇに言うな!」
「はは、言われたなモーリッツ」
モーリッツもちゃんと手を洗った後、木製の食卓を囲んで昼食を一緒に摂る。硬いパンとスープという簡素な食事。舌の肥えた日本人には少し寂しいが贅沢は言えない。
あ、でもやっぱりお米食べたい。
そんな気分を紛らわすため、食べている間は嬉々として話すモーリッツの自慢話に耳を傾ける。
「で、その時俺様の大剣で、荒れ狂うブラックベアーの首を叩き斬ってやったわけよ」
「ブラックベアーを?」
「えー本当に?」
「噓じゃねえよ。この前だってジャイアントディアを倒したことだってあんだからよ――」
モーリッツの話は聞いて飽きない。一部誇張されているだろうが、娯楽の少ない田舎では現役冒険者の経験談は新鮮だ。
「あっ、そういやよデニス。最近各地で魔物の動きが活発になっているみたいでな。魔物討伐の依頼が増えてやがる。そんな中おかしな話を聞いたぜ」
「ん?なんだおかしな話って」
「西側にある森に魔物討伐に行った他のパーティー曰く、真っ昼間にトロルと出くわしたんだと」
「トロルと?」
「ああ。しかも山トロルで、真っ昼間に現れたって話だ」
トロル。
巨大な体躯と怪力を持つ醜い人型の魔物。石のトロル、山トロル、洞窟トロル、雪トロルなど様々な種類が存在する。大きさはバラバラだがどれも石のように堅い皮膚を持ち、通常の武器が通じない厄介な怪物だ。
知能は低いが魔族に分類されていて、500年前の侵攻で魔王軍でその猛威を振るったという話がある。
「変ね。山のトロルが森まで降りて来るなんて」
「それに奴らは日光に弱いはずなのに真っ昼間に活動しているって。なにかの間違いなんじゃないのか?」
「俺もそう思ったけどよ。ギルドの確認で、そいつらが採って来た討伐の証拠品がトロルの耳で間違いないんだと」
「そうか……」
「まあ、おつむが弱い連中の事だ。きっとうっかり山から下りちまった”はぐれ”かなんかだろう」
モーリッツは特に気にしていないみたいだが、本当にそうなのだろうか。
「……ねえおじさん、トロルって魔王軍にいたんだよね?」
「ん?ああ、昔の記録だとそうみてぇがな。昔はかなりいたみたいだが、勇者様が魔王が封印されてからは数も減って、今はほんの僅かしか生き残っていないって話だぜ」
「数が減ってるって、どうやってわかるの?」
「え?そりゃあ目撃情報とかでな……」
「見つからないように隠れているだけってことはないの?」
「ま、まあ。確かにそうかもしれねえが…」
「どうしたのルーク?」
俺の質問攻めに両親もモーリッツも困惑を隠さない。
活発化しだした魔物達。山から下りた魔王軍の残党であるトロル。
ファンタジー小説のテンプレ展開の前兆という可能性が、俺の頭を過った。
「あっ…うん…もしも魔王復活の前触れだったら怖いなって……」
「魔王が復活って、なに言ってんだお前」
「安心して、魔王は大昔に勇者様が封印したから心配しないで良いのよ」
「それに魔王が封印されている影の大地は、この国の兵士たちが常に見張っている。なにかあっても対処してくれるだろ」
「そう、だね……」
「怖がりだなルークは。もし魔族が攻めてきても兄ちゃんがぶっ飛ばしてやっからよ」
俺の言葉を家族は重く受け取らなかった。想像力豊かな子供の妄言だと。
今ある平和が永遠に続くと信じている。
それが間違いだと気付くのは、当分先のことだった。
異世界に転生したら魔法とか使ってみたいですよね。それに眠れる力の覚醒とか期待しちゃったり。
前世の記憶を持ったまま転生自体、十分チートな気がしますが………