「辻ヒール」――それは、地鳴り響く王都で囁かれる違法な救済の奇跡。
法の番人たる騎士が捕らえたのは、顔を呪いの靄で隠された「存在しないはずの少女」だった。
泥にまみれ、崩壊する世界の因果を縫い合わせる彼女は、聖女か、それとも重犯罪者か。

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顔なき聖女の辻ヒール

 王都は、ここ数年、不気味な地鳴りに脅かされ続けていた。

 

 その日もまた、大地の底で何かが軋む音が響き、地面が揺れた。

 崩れた石壁の下敷きになった男は、死を覚悟した。足が動かない。息が苦しい。

 

 その時、どこからともなくやわらかな光が降りてきた。

 

 ただ、光に包まれた瞬間――体は、あるべき姿へと回帰した。

 傷そのものが「なかったこと」になったかのように、男は立ち上がっていた。

 

 周囲を見回したが、誰の姿もなかった。

 

 

    * * *

 

 

「『辻ヒール(・・・・)』……。慈悲深き犯罪者、か」

 

 騎士イェルクは、酒場の隅でその報告書を読みながらつぶやいた。

 姿なき癒し手。この街で密かにささやかれる、奇跡の名だ。

 だが、使用許可のない魔法行使は違法だ。たとえ人を癒すものであっても。

 

 かつて魔法が世界を壊しかけた。

 以来、法という添え木で世界を固定することで、人々はかろうじて生き延びた。

 頻発する地震は、その固定具がきしみ始めている証左だった。

 

 無許可の治癒。違法な救済。

 その言葉を目にした瞬間、妹の青白い顔が脳裏をよぎった。

 

(また、誰かが死ぬ)

 

 報告書を閉じ、立ち上がる。

 

「必ず捕まえる」

 

 秩序を守らねばならない。例外を許せば、待っているのは共倒れだ。

 腰の剣を確かめ、歩き出した。

 

 

    * * *

 

 

 捜査は難航した。

 「辻ヒール」を受けたという人々を訪ね歩いたが、誰もが騎士を拒絶した。

 

「その人が来なきゃ、私は死んでました。罰する理由なんてありますか?」

「捕まえる? 冗談じゃない。あんたらのせいで、また死人が出たらどうするんだ」

 

 処罰を望む者は一人もいない。

 むしろイェルクをにらみつけ、罵声を浴びせる者さえいた。

 

 

 

 ある夜。

 イェルクは路地裏で男たちに囲まれた。「辻ヒール」に命を救われた者たちだ。

 多勢に無勢。集団で殴りかかられ、泥にまみれて倒れ伏す。

 頭を蹴られ、意識が遠のく。

 

 薄れゆく視界の端に、白い布の揺れが見えた。

 

 豪奢(ごうしゃ)なドレスをまとった、小柄な人影。

 だが顔が見えない。

 顔があるべき場所には黒い(もや)のような暗い(うず)が、その表情を完全に塗りつぶしていた。

 まるで何かに、その存在を拒まれているかのように。

 

 違和感があるのに、目が離せなかった。

 

 少女が手をかざす。

 詠唱(えいしょう)はない。光があふれ、イェルクを包み込む。

 

 その瞬間、奇妙な感覚があった。

 傷が「治る」のではない。

 破壊された因果が、本来あるべき姿へと還っていく。

 

 これは……治癒魔法などではない。

 

 イェルクは戦慄(せんりつ)した。

 これほどの力が、野放しにされている。

 

 だがその奥で、別の何かがささやいていた。

 

 ――温かい。

 

 あの日、妹の手を握っていた感触。幼い頃、母に抱きしめられた記憶。

 失ったはずのものが、そこにあるように思えた。

 

 イェルクは無意識に、目の前の少女へ手を伸ばしかけて――

 意識が途切れた。

 

 

    * * *

 

 

「まだ続けるつもりか」

 

 翌日、同僚があきれて言った。

 

「上は黙認してるんだ。いい加減にしておけよ」

 

「法は法だ」

 

 イェルクは譲れなかった。

 かつて、無認可の魔術医師に託したせいで、病の妹を死なせてしまった。

 法を守らなかった代償に、ただ妹だけが死んだ。

 あの「顔のない少女」が、第二の闇医者にならない保証などどこにもない。

 

 

    * * *

 

 

 捜査を続けるうち、ある情報をつかんだ。

 高い丘の上にある施療院(せりょういん)で、重傷者が一夜で完治する例が続いているという。

 イェルクは院長を追及し、ついに白状させた。

 

「深夜……中庭に、あの方がいらっしゃるのです」

 

 その夜、イェルクは張り込んだ。

 

 深夜二時。

 病院の裏手にある中庭に、音もなく白い人影が舞い降りる。

 汚れたドレス。顔を覆う黒い靄。

 ――間違いない。あの時の少女だ。

 

 少女は病棟を見上げる位置に立つと、地面に膝をつき、静かに両手を大地に当てた。

 淡い光が、彼女の手から地面へと吸い込まれていく。

 

(患者を治しに来たのではないのか?)

 

 だが、見過ごすわけにはいかない。

 

「動くな」

 

 イェルクは木陰から飛び出し、少女の腕をつかんで立ち上がらせた。

 折れそうなほど華奢(きゃしゃ)で、思わず力を緩める。

 

「その『顔隠し』を外せ」

 

 少女は首を横に振った。声も出さない。

 その時、背後から冷ややかな声が刺さった。

 

「お嬢様に触れないでください」

 

 中年の女性だった。メイドのようだ。

 彼女は静かに近寄るとイェルクの手を払いのけ、少女を背に庇うように立った。

 その瞳には、騎士への明確な敵意が宿っていた。

 

「お顔の呪いは、ご自身でかけたものではございません」

「……どういうことだ」

「この国に『存在を消された』のです。あなた方が、お嬢様からすべてを奪ったのですよ」

 

 メイドは一歩踏み出し、イェルクを見据えた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

「なおも、この方を追い詰めるおつもりですか?」

 

 イェルクは言葉を詰まらせた。

 この少女は法の犠牲者だとでもいうのか。

 

 その時、少女がメイドの袖を引いた。

 首を振り、手のひらに指で文字を書くような仕草を見せる。

 

 メイドの顔が歪んだ。

 何かを言い募ろうとしたが、少女の強い視線に制され、悔しげに唇を噛む。

 彼女はイェルクを睨みつけたまま、吐き捨てるように言った。

 

「……お嬢様は、『勘違いするな』と仰っています」

 

 本心でないことは、メイドの苦渋に満ちた表情が物語っていた。

 

「『人を救いたいわけではない。ただ呪いを解く実験をしてるだけ』……そう、伝えろと」

 

 イェルクは少女の手を見た。

 実験と言うには、あまりに魔法で酷使され、ひび割れていた。

 メイドにこんな顔をさせてまで、何を誤魔化しているのか。

 

「……嘘をついているな」

 

 イェルクが一歩踏み出した時、ずぅん、と地の底で何かが砕ける音が響いた。

 

 

    * * *

 

 

 激しい揺れが襲った。

 最近では稀な大きな揺れだ。窓ガラスが砕け散り、壁が崩れる。

 

 イェルクは咄嗟(とっさ)に二人を抱えこんで庇った。

 揺れが収まった時、施療院は半壊していた。周囲からは悲鳴と怒号が聞こえる。

 

 少女はイェルクの腕から抜け出して立ち上がった。

 街を見下ろす鉄柵から身を乗り出し、その小さな背中が震える。

 隠しきれない死への恐怖に、足がすくんでいるように見えた。

 それでも彼女は、大きく息を吸うと駆け出した。

 

「待て、まだ揺れている――」

 

 だが彼女は止まらなかった。

 

 

    * * *

 

 

 街は地獄のようだった。

 ひび割れた大地から赤黒い光がふきだし、未だ建物を揺らしている。

 この地の下で、何かが決壊したのだ。

 

 少女はその奔流の中にいた。

 泥にまみれながら直立し、両の手を交差して大地に向けている。

 少女の体から光がたちのぼり、対角となる地面に凄まじい質量の力が流れ込むのが見えた。

 

 これは怪我人を治すというレベルではない。

 軋みを上げる大地そのものを、壊れかけた世界の因果を、無理やり縫い合わせようとしているように見えた。

 

 イェルクは息を呑んだ。

 

 だが次の瞬間、何かの噛み合わせがずれたのか、光が生き物めいて軌道を乱す。

 筋は均衡(きんこう)を失い、右へ左へと勝手な曲線を描き、まるで手元から逃げようとする生き物のように暴れ出した。

 暴れる光がかすめるたびに、ドレスに鋭い切れ目が増えていく。あれでは長くは持たない。

 

 足が、勝手に動いていた。

 

(なぜ、俺は――)

 

 違法行為だ。止めるべきだ。

 

 だが、あの日、俺が支えてやれなかった、小さな背中。

 一人で重荷を背負って、誰にも頼れずに、震えていた背中……。

 

 イェルクは駆け出し、吹き飛ばされそうになる背を力強く支えた。

 

「踏ん張れ!」

 

 少女がビクリと反応する。

 

「俺の体を支えにしろ! 死ぬことは絶対に許さんぞ!」

 

 伝わる体温。

 行きどころなくさまよった手が――後ろからたなびくコートのすそを、確かに握りしめた。

 

 まっすぐな柱となって光が天地をつらぬく。

 

 地面の亀裂(きれつ)が傷口を閉じるように、急速に狭まっていく。

 世界が、あるべき姿を思い出して(・・・・・)いる。

 

 光は街を越え、地の底へと届こうとしたかに見えた。

 石畳は心持ち傾斜が緩み、壁の一部が辛うじて元の形を留めかけ――

 だが、途中で途切れた。

 少女の膝が折れ、体が傾く。

 

 やがて、地鳴りが静まった。

 

 

    * * *

 

 

 夜明け前。

 少女は力を使い果たし、座り込んでいた。

 呼吸が荒く、白いドレスは血と泥にまみれている。

 

 イェルクは近づき、膝をついた。

 

「……大規模な無許可魔法行使だ。重罪だぞ」

 

 少女は動じなかった。

 覚悟しているようだった。

 

 イェルクはコートを脱ぎ、頭から被せた。

 

「だが、俺が見たのは幻だ。瓦礫(がれき)で頭を打ってな。夢を見たらしい」

 

 少女が小さく息を呑んだ。

 

「行け。騎士団が来る」

 

 少女が立ち上がる。

 一瞬だけ立ち止まり、深く一礼した。

 駆け寄ってきたメイドに支えられながら、闇の中へ消えていく。

 

 イェルクは空を見上げた。

 

 東の空が白んでいく。瓦礫の街に、朝が来る。

 法を破った罪悪感は、不思議となかった。胸にあるのは、どこか誇らしいような、清々しい気持ちだけだ。

 

「……次は必ず捕まえる」

 

 誰にともなくつぶやいた。

 

「だから、誰にも見つかるなよ」

 

 

 


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