顔なき聖女の辻ヒール 作:Pomme Rice
オリジナル:ファンタジー/ノンジャンル
タグ:R-15 残酷な描写 シリアス ハードボイルド ダークファンタジー 献身 因果改変 短編 ハッピーエンド 震災 地震
法の番人たる騎士が捕らえたのは、顔を呪いの靄で隠された「存在しないはずの少女」だった。
泥にまみれ、崩壊する世界の因果を縫い合わせる彼女は、聖女か、それとも重犯罪者か。
王都は、ここ数年、不気味な地鳴りに脅かされ続けていた。
その日もまた、大地の底で何かが軋む音が響き、地面が揺れた。
崩れた石壁の下敷きになった男は、死を覚悟した。足が動かない。息が苦しい。
その時、どこからともなくやわらかな光が降りてきた。
ただ、光に包まれた瞬間――体は、あるべき姿へと回帰した。
傷そのものが「なかったこと」になったかのように、男は立ち上がっていた。
周囲を見回したが、誰の姿もなかった。
* * *
「『
騎士イェルクは、酒場の隅でその報告書を読みながらつぶやいた。
姿なき癒し手。この街で密かにささやかれる、奇跡の名だ。
だが、使用許可のない魔法行使は違法だ。たとえ人を癒すものであっても。
かつて魔法が世界を壊しかけた。
以来、法という添え木で世界を固定することで、人々はかろうじて生き延びた。
頻発する地震は、その固定具がきしみ始めている証左だった。
無許可の治癒。違法な救済。
その言葉を目にした瞬間、妹の青白い顔が脳裏をよぎった。
(また、誰かが死ぬ)
報告書を閉じ、立ち上がる。
「必ず捕まえる」
秩序を守らねばならない。例外を許せば、待っているのは共倒れだ。
腰の剣を確かめ、歩き出した。
* * *
捜査は難航した。
「辻ヒール」を受けたという人々を訪ね歩いたが、誰もが騎士を拒絶した。
「その人が来なきゃ、私は死んでました。罰する理由なんてありますか?」
「捕まえる? 冗談じゃない。あんたらのせいで、また死人が出たらどうするんだ」
処罰を望む者は一人もいない。
むしろイェルクをにらみつけ、罵声を浴びせる者さえいた。
ある夜。
イェルクは路地裏で男たちに囲まれた。「辻ヒール」に命を救われた者たちだ。
多勢に無勢。集団で殴りかかられ、泥にまみれて倒れ伏す。
頭を蹴られ、意識が遠のく。
薄れゆく視界の端に、白い布の揺れが見えた。
だが顔が見えない。
顔があるべき場所には黒い
まるで何かに、その存在を拒まれているかのように。
違和感があるのに、目が離せなかった。
少女が手をかざす。
その瞬間、奇妙な感覚があった。
傷が「治る」のではない。
破壊された因果が、本来あるべき姿へと還っていく。
これは……治癒魔法などではない。
イェルクは
これほどの力が、野放しにされている。
だがその奥で、別の何かがささやいていた。
――温かい。
あの日、妹の手を握っていた感触。幼い頃、母に抱きしめられた記憶。
失ったはずのものが、そこにあるように思えた。
イェルクは無意識に、目の前の少女へ手を伸ばしかけて――
意識が途切れた。
* * *
「まだ続けるつもりか」
翌日、同僚があきれて言った。
「上は黙認してるんだ。いい加減にしておけよ」
「法は法だ」
イェルクは譲れなかった。
かつて、無認可の魔術医師に託したせいで、病の妹を死なせてしまった。
法を守らなかった代償に、ただ妹だけが死んだ。
あの「顔のない少女」が、第二の闇医者にならない保証などどこにもない。
* * *
捜査を続けるうち、ある情報をつかんだ。
高い丘の上にある
イェルクは院長を追及し、ついに白状させた。
「深夜……中庭に、あの方がいらっしゃるのです」
その夜、イェルクは張り込んだ。
深夜二時。
病院の裏手にある中庭に、音もなく白い人影が舞い降りる。
汚れたドレス。顔を覆う黒い靄。
――間違いない。あの時の少女だ。
少女は病棟を見上げる位置に立つと、地面に膝をつき、静かに両手を大地に当てた。
淡い光が、彼女の手から地面へと吸い込まれていく。
(患者を治しに来たのではないのか?)
だが、見過ごすわけにはいかない。
「動くな」
イェルクは木陰から飛び出し、少女の腕をつかんで立ち上がらせた。
折れそうなほど
「その『顔隠し』を外せ」
少女は首を横に振った。声も出さない。
その時、背後から冷ややかな声が刺さった。
「お嬢様に触れないでください」
中年の女性だった。メイドのようだ。
彼女は静かに近寄るとイェルクの手を払いのけ、少女を背に庇うように立った。
その瞳には、騎士への明確な敵意が宿っていた。
「お顔の呪いは、ご自身でかけたものではございません」
「……どういうことだ」
「この国に『存在を消された』のです。あなた方が、お嬢様からすべてを奪ったのですよ」
メイドは一歩踏み出し、イェルクを見据えた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「なおも、この方を追い詰めるおつもりですか?」
イェルクは言葉を詰まらせた。
この少女は法の犠牲者だとでもいうのか。
その時、少女がメイドの袖を引いた。
首を振り、手のひらに指で文字を書くような仕草を見せる。
メイドの顔が歪んだ。
何かを言い募ろうとしたが、少女の強い視線に制され、悔しげに唇を噛む。
彼女はイェルクを睨みつけたまま、吐き捨てるように言った。
「……お嬢様は、『勘違いするな』と仰っています」
本心でないことは、メイドの苦渋に満ちた表情が物語っていた。
「『人を救いたいわけではない。ただ呪いを解く実験をしてるだけ』……そう、伝えろと」
イェルクは少女の手を見た。
実験と言うには、あまりに魔法で酷使され、ひび割れていた。
メイドにこんな顔をさせてまで、何を誤魔化しているのか。
「……嘘をついているな」
イェルクが一歩踏み出した時、ずぅん、と地の底で何かが砕ける音が響いた。
* * *
激しい揺れが襲った。
最近では稀な大きな揺れだ。窓ガラスが砕け散り、壁が崩れる。
イェルクは
揺れが収まった時、施療院は半壊していた。周囲からは悲鳴と怒号が聞こえる。
少女はイェルクの腕から抜け出して立ち上がった。
街を見下ろす鉄柵から身を乗り出し、その小さな背中が震える。
隠しきれない死への恐怖に、足がすくんでいるように見えた。
それでも彼女は、大きく息を吸うと駆け出した。
「待て、まだ揺れている――」
だが彼女は止まらなかった。
* * *
街は地獄のようだった。
ひび割れた大地から赤黒い光がふきだし、未だ建物を揺らしている。
この地の下で、何かが決壊したのだ。
少女はその奔流の中にいた。
泥にまみれながら直立し、両の手を交差して大地に向けている。
少女の体から光がたちのぼり、対角となる地面に凄まじい質量の力が流れ込むのが見えた。
これは怪我人を治すというレベルではない。
軋みを上げる大地そのものを、壊れかけた世界の因果を、無理やり縫い合わせようとしているように見えた。
イェルクは息を呑んだ。
だが次の瞬間、何かの噛み合わせがずれたのか、光が生き物めいて軌道を乱す。
筋は
暴れる光がかすめるたびに、ドレスに鋭い切れ目が増えていく。あれでは長くは持たない。
足が、勝手に動いていた。
(なぜ、俺は――)
違法行為だ。止めるべきだ。
だが、あの日、俺が支えてやれなかった、小さな背中。
一人で重荷を背負って、誰にも頼れずに、震えていた背中……。
イェルクは駆け出し、吹き飛ばされそうになる背を力強く支えた。
「踏ん張れ!」
少女がビクリと反応する。
「俺の体を支えにしろ! 死ぬことは絶対に許さんぞ!」
伝わる体温。
行きどころなくさまよった手が――後ろからたなびくコートのすそを、確かに握りしめた。
まっすぐな柱となって光が天地をつらぬく。
地面の
世界が、あるべき姿を
光は街を越え、地の底へと届こうとしたかに見えた。
石畳は心持ち傾斜が緩み、壁の一部が辛うじて元の形を留めかけ――
だが、途中で途切れた。
少女の膝が折れ、体が傾く。
やがて、地鳴りが静まった。
* * *
夜明け前。
少女は力を使い果たし、座り込んでいた。
呼吸が荒く、白いドレスは血と泥にまみれている。
イェルクは近づき、膝をついた。
「……大規模な無許可魔法行使だ。重罪だぞ」
少女は動じなかった。
覚悟しているようだった。
イェルクはコートを脱ぎ、頭から被せた。
「だが、俺が見たのは幻だ。
少女が小さく息を呑んだ。
「行け。騎士団が来る」
少女が立ち上がる。
一瞬だけ立ち止まり、深く一礼した。
駆け寄ってきたメイドに支えられながら、闇の中へ消えていく。
イェルクは空を見上げた。
東の空が白んでいく。瓦礫の街に、朝が来る。
法を破った罪悪感は、不思議となかった。胸にあるのは、どこか誇らしいような、清々しい気持ちだけだ。
「……次は必ず捕まえる」
誰にともなくつぶやいた。
「だから、誰にも見つかるなよ」