放課後の屋上は、変わらない光景をしていた。
ひび割れたコンクリート。錆の浮いたフェンス。遠くで車の音と、街のざわめきが混じり合っている。
見慣れているはずの場所なのに、胸の奥にわずかな空白がある。
何かが抜け落ちている感覚。
それが意味することを、私はよく知っていた。
――時間が、戻っている。
どこで死んだのか。
何に殺されたのか。
それは一切思い出せない。
それでも、結果だけは揺るがない。
「死んだ」
声に出すと、事実として輪郭を持つ。
フェンスにもたれていた小柄な魔法少女が、静かにこちらを向いた。
相棒のアイだ。細い体躯に、無駄のない立ち姿。
その視線には、私よりずっと多くの時間が積み重なっている。
「今回は十六秒も生きてた」
数字が即座に出てくるあたり、彼女が覚えている側なのだと嫌でも分かる。
私の魔法は時間溯行、発動条件は私が死ぬこと。死ぬと強制的に特定の日時まで時間が巻き戻る。ただ私は時間が巻き戻ったことは分かっても記憶は引き継げない。
そんな中でアイだけは記憶を引き継ぐことができる。理由は不明だけどね。
「それって長いの?」
軽口のつもりで言うと、アイは一瞬だけ視線を逸らした。
「前回より三秒短い」
「縮んでるじゃん」
「最初よりは、ずっと長い」
その言葉の意味を、私は正確には理解できない。
比較対象となる“最初”を、私は知らないからだ。
それでも、アイの声の奥に、長い積み重ねがあることだけは伝わってくる。
◆
警報が鳴り始める。
空気が微かに震え、現実が歪む前兆が肌を撫でる。アイはもう、次の戦闘に意識を切り替えていた。
「駅前。TYPE-F」
「また厄介そうなのが来たね」
「即死系」
「……最悪」
私は肩をすくめるが、内心では妙に落ち着いている。怖いはずなのに、恐怖が追いつかない。
それも、何度も繰り返している証拠なのかもしれない。もっとも自分じゃその自覚はまるでないのだけど。
「アズミは、前に出ない」
アイの声は低く、はっきりしていた。
「今回も?」
「今回も」
断定。反論の余地はないようだ。
理由を聞こうとして、やめる。
その答えを知っているのは、覚えている側だけだ。
◆
駅前は、異様な静けさに包まれていた。
人払いの終わった交差点。止まった信号。広告モニターは黒く沈黙している。その中央で、空間が歪んでいた。
TYPE-F。
形は人型に近いが、輪郭が定まらない。
視線を合わせようとすると、焦点がずれて気分が悪くなる。
「視線、固定しないで」
アイが、私の半歩前に立つ。
小柄な背中が、自然と盾になる位置だった。
「分かってる」
言葉とは裏腹に、心臓が少しだけ速く打つ。
TYPE-Fが動く。空間が、音もなく削られた。
私たちは同時に動く。説明はない。
それでも、動きは噛み合う。
――初めての戦いのはずなのに、体が迷わない。
その事実が、少しだけ怖かった。
一体アイは何回この戦いを繰り返しているんだろう?
そんなことを考えた瞬間、嫌な予感が走った。TYPE-Fの周囲で、空気が不自然に揺らぐ。何かが“発動した”のは分かる。でも、何が起きているのかは分からない。
「来る」
アイの声が短く落ちた。
次の瞬間、足元に黒い文様が浮かび上がる。
「……なに、これ」
意味は読めない。そもそも文字かどうかも怪しい。ただ、本能的に分かる。
――触ったらまずい。
「動かないで」
アイの声が、即座に重なる。私は反射的に動きを止める。足元の文様が、ゆっくりと薄れていく。心臓が、遅れて跳ね上がった。
「今の……」
「呪い」
アイは短く言った。
「TYPE-Fの魔法。踏んでたら、終わってた」
「即死?」
「うん」
私は息を吐く。
「分かりづらすぎない?」
「だから厄介」
TYPE-Fが、再び動く。今度は、少し離れた位置に文様が浮かぶ。
どこが安全で、どこが危険なのか、私には判断がつかない。
「右に三歩」
アイの指示。
私は言われた通りに動く。
直後、さっきまで立っていた場所に黒い刻印が浮かび上がった。
「……今のも?」
「うん」
「危な」
心臓がうるさい。
怖い。
それでもアイの声だけを頼りに動く。それが、私の戦い方だ。
◆
でも、失敗する。
足元に浮かんだ刻印に、気づくのが遅れた。
「アズミッ」
名前を呼ばれた時には、もう遅い。
冷たさが、足首から一気に広がる。
痛みはない。
抵抗する暇もない。
ただ、力が抜ける。
◆
放課後の屋上。ひび割れたコンクリート。錆の浮いたフェンス遠くの車の音。変わらない光景。
「……死んだ」
理由は分からない。何も覚えていない。
フェンスの前に立つ小柄な魔法少女が、こちらを見る。
「うん」
それだけ。
だって覚えているのは、彼女だけだから。